第百八十三話 まな板の上の鯉は勝者の手に その三
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
話を区切ると流れが悪くなる恐れがあった為、二話分を纏めて掲載させて頂きます。
長文になりますので、温かい飲み物でも片手に御覧頂けたら幸いです。
それでは御覧下さい。
森からそして上空から流れる風が水面へ微かな凪を等間隔に発生させる。
耳を澄ませば静かな波音が響き、水の香りと森の香りが混ざり合った空気を吸えば心が潤う。
私の故郷が一番素敵ですが、此処も強ち捨てたものではありませんわねぇ。
只、この風光明媚な景色は見た目だけであって。湖を取り囲む緑豊かな森の中で弱者は厳しい自然の掟を強いられる事を忘れてはいけませんわ。
ふわりと吹く風が私の髪を一つ撫でて通り過ぎて行く。
横着な風が少しだけ乱した髪を整え。改めて全く!! 無反応の糸へと視線を移した。
レイド様との素敵な時間を過ごす為とは言え、どうして私が釣りをしなければならないのでしょうか。
生憎、時間を悪戯に消費する事は余り好きでは無いのですよ。
大きな憤りを感じて小さな溜息を吐きながら、私の期待通りに揺れ動かない糸の先を少しばかり睨んでやる。
どうせでしたら、この無駄な時間をレイド様との相瀬に使いたいですわね。
そっと指を甘く絡めて、互いの息が掛かる距離で見つめ合うのです……。
『アオイ。君のお陰で俺はこの世に帰って来る事が出来たんだ』
彼の熱い瞳に捉えられると、仄かな体温が猛烈に上昇していくのを感じてしまう。
『い、いえ。アオイは自分に与えられた責務を全うしたのみですわ』
これ以上レイド様の瞳を直視したら迸る体温によって気絶してしまいそうなので。
嫋やかに視線をふいっと反らすと。
『こら。何処を見ているんだ』
『へっ!?』
な、何んと!!
レイド様がアオイの細い腰をきゅっと抱き寄せてしまうではありませんか!!
雄の香りがふんだんに含まれた空間に捕らえられてしまうと、雌の性が沸々と湧き上がって来てしまう。
『レ、レイド様はまだ病み上がりで体力も戻っていませんわ。大切な御体をご自愛下さいませ……』
『そんな事関係無いさ。アオイと二人だけの時間を失った俺にはそれを償う使命があるんだ』
そう仰ると、アオイの顎へ男らしい所作で指を掛ける。
『だ、駄目ですわ……。木の枝から栗鼠が見ています……』
『ふふ、大自然へ俺達の愛を見せびらかしてやろう……』
二人は抑えきれない衝動に駆られ、相手の唇を貪る様に食らい続けるのですわ!!!!
あぁ、何んと素敵な事でしょう。
大自然に囲まれた中での受胎も乙な物ですわねぇ……。
「ねぇ、アオイちゃん。どうしたの?? くねくねして?? 物凄く気持ち悪いんだけど……」
「放っておけ。いつもの妄想癖だ」
「ふぅん、そっか。わわっ!! また来た!!」
狼二頭が何やらボヤいていますが私には関係ありませんわ。
レイド様、アオイは此処にいますよ??
どうか気付いて下さいまし。
「おぉ!! あんまり大きく無いけど、また釣れちゃった!!」
ルーが針から魚を外し、桶に入れる。
気が付けば、十匹程の魚が彼女の桶の中を悠々と泳いでいた。
戦闘、並びに魔法に関しては臆病で優しい性格が邪魔して及第点止まりなのですが。
こういう事は器用に熟しますわねぇ。
「ふふん。この調子で二人をぶっちぎっちゃうぞ!!」
「幾ら小物を釣っても無意味だろう。問題は大きさだ」
「そうですわ。小物狙いの浅はかな考えは見ていて滑稽に映りますわよ??」
制限時間内に必ずや大物を仕留めてみせますわ!!
そして、レイド様の寵愛を受けて。愛の結晶をこのお腹にっ!!!!
待っていて下さいね?? 私の御子……。
必ずや至極の愛を勝ち取ってみせますから!!
――――。
「そんな事言うなら釣ってみなよ!! 二人共まだ一匹も釣っていないじゃん!!」
「焦らずゆるりと待つのがきっと釣りのコツですわ」
「そうだ。焦っても釣果は上がらん。時を待ち、刹那に全てを賭け、敵の喉元へ牙を打ち立てるんだ」
「も――。そんな恐ろしい事しなくてもいいでしょ。よっと……」
土の中を頑張って掘って見付けたミミズさんを針に付けて、えいっと水面へ向けて投擲する。
釣り針は美しい放物線を描いて水面へ到達すると、ほんの微かな波紋を生じさせた。
ふふん。
段々釣りのコツが分かって来た。アオイちゃんが話していた様に焦らないで待つ事と、魚さんの気持ちを理解する事が釣りのコツなんだよね!!
この調子なら、レイドとのお出かけは私が頂いちゃうかもっ。
ん――。
でも、お出かけして何をすればいいんだろ??
買い物、とか??
レイドと一緒に並んで色んなお店に出掛けて、可愛い服とかを着て驚かしてやるのも楽しそうだけどぉ。
何か足りない??
う――ん……。
例えばぁ、恋人さん達が仲睦まじく歩くみたいに自分の左手をレイドの右手に重ね合わせて。
楽しい会話を続けながら狭い空間の中。肩を寄せ合って歩くのはどうだろう??
私と知り合ってからの思い出、そして私の幼い頃の失敗や成功談を話せばきっと大盛り上がりは確実だよね!!!!
沢山買い物をしたら広い野原へと出掛け、体に吹き掛かる風を感じながら一緒に地の果てへと駆けて行くのだ。
えへへ。よぉしっ!!
沢山遊んで貰う為に頑張るぞっ!!!!
――――。
「くそっ!! 餌だけ食われてしまう!!」
微かな当たり掴み取り、糸を手繰り寄せて釣り針を見るが……。
折角土を掘り起こして取得したミミズの欠片は消え失せ、綺麗な鉄の色の釣り針が虚しく宙の中を揺れていた。
「リューって不器用だねぇ」
私は戦闘以外について、自他共に認める程に不器用だ。
それに対し。
コイツは父から与えられた厳しい訓練を蔑ろにして育って所為か。戦闘以外は器用に熟す。
同じ顔なのに、互いの得手不得手がこうも如実に表れるのは余程珍しく映るのだろう。
主達と出会ってからは事ある毎に比較されていた。
ルーと私の体は同一。しかし、心は別物。
比較されても致し方ないとは思うが……。得手不得手が真逆の我々を比較しても余り意味が無いであろう。
里に居る時はルーの器用さ、処世術に関して羨ましいとは一度も思わなかった。
しかし、成人の儀式を経て外の世界に触れる事になるとルーの明るい性格が羨ましいと初めて思えてしまったのだ。
世界は何処までも果てしなく広がり、自分の価値観等本当に小さいものであると教えてくれた。
ふふ、主達には感謝せねばなるまい。
そして、願わくば。これからも我々に様々な世界を見せてくれ。
「喧しいぞ」
無反応な糸の先からもう一人の明るい私の横顔を睨んで話す。
不味いぞ。
このまま一匹も釣れないと主との楽しい時間が……。
い、いかん!! 邪な考えは捨てろ!!
私と主は主従関係だ。
私が彼を支えなければならないのだ。
…………。で、でも。
偶になら、そう偶に!!
心が躍る時を共に過ごしても構わないだろう。
主は私と何をしたら楽しいのだろう??
こんな不器用な私と一緒に行動しても楽しんでくれるのだろうか??
むぅ……。駄目だ、考えが纏まらない。
恐らく普段通りに鍛えるのが正解だろう。
技と体を磨いて切磋琢磨して共に高みへと昇ろうではないか。
ふふ……。そう考えるとやる気が出て来たぞ。
主との厳しい鍛錬の為、今暫く下らない釣りに興じるとするか。
◇
清く澄んだ水と豊穣な土の境目にほんの小さな波が押し寄せている。
ちゃぷんと水が跳ねる小気味の良い音が耳を楽しませて空の青が水面に映り心を明るく照らす。
ここは……。良い所ですね。
海の猛々しさとは違う静けさ、そして森の中と違いマナが大気中に溢れている。
グシフォスさんが気に入るのも頷けます。
「ふぁ……。ねぇ、飽きちゃった」
私の左隣。
この雰囲気に当てられたのか、それとも早速飽きてしまったのか。先生が綺麗な唇をふわぁっと開けて大きな欠伸を放ってしまった。
「先生。釣りは根気が大事なんですよ??」
「そうは言うけどさぁ。一向に当たりが来ないじゃない。つまんない――っ」
さも面倒臭さそうに竿を邪険に振るう。
「それを待つのが釣りの醍醐味らしいです。曰く。一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。三日間、幸せになりたかったら好物を食べなさい。八日間、幸せになりたかったら恋をしなさい。永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。との事です」
私が美しい水面を眺めながら話すと。
「へぇ――。博識ねぇ」
先生が眠気を覚ます為、敢えて大袈裟にコクコクと頷いてくれた。
「以前読んだ本にそう書いてありました」
「どんな本よ。ん――。でも、永遠に幸せになりたかったら釣りを覚えなさいには賛同しかねるわね。私は好きな人と永遠に結ばれたいから。なんちゃって」
私に向けて舌をペロリと出してお道化る。
先生らしい姿ですね……。大変可愛い姿ですので此処以外では使用しない様に後で注意しませんと。
我が分隊の雄犬さんは誘惑耐性がまだ備わっていませんのでね。
「酔いは直ぐ冷め。三日間も続けて好物を食べれば飽きる。では何故、恋は八日間なのでしょうか??」
以前から疑問に思っていた事を伺ってみる。
先生なら答えを出せるかもしれない。
まだ私は『恋』 という文字に慣れていませんから。
「長い間、恋煩いをすると積もり積もった物が噴き出して相手に迷惑を掛けるんじゃないの?? しつこい奴は嫌われるのよ」
あぁ、成程。片思いも程々にしろ。そういう事ですか。
密かな恋なら良いのでは??
決して矢面に出さず、胸に秘め続け相手を見つめる。
これなら相手にも気付かれずに、ずっと想っていられるし……。
でも……。想いが伝わらないもどかしさ、それから来る焦燥感で心が焼かれてしまいそうですね。
答えが無い問題は本当に苦手です。
私も先生みたいに素敵な笑みを浮かべれば……。いいのでしょうか??
笑顔には人を落ち着かせ、陽性な感情を湧かせると伺った事があります。
今なら誰にも見られていないですし、湖に向けて練習してみましょうか。
口角筋にそっと力を籠めて口をにこりと動かす。
こんな……。感じかな??
「――――。こっちはエルザードとカエデが陣取っていたのか」
微笑みの練習中に突然彼から声を掛けられたので、柔らかく握っていた釣り竿を落としそうになり。自分でも驚く程心臓が高鳴ってしまった。
全く……。不意打ちは卑怯ですよ。
「レイド!!」
萎れた花が水を得て、華やかに花弁を咲かせるかの如く。
先生の顔に満開の花が咲き乱れた。
「何だ、一匹も釣れていないじゃないか」
そう話しながら私の右側に座る。
うん。やっぱり、嬉しいかも。
彼が傍にいると思うだけでここまで心が躍るとは。
「あぁん。もう、そっちじゃなくて……」
「ちょ……。近いぞ」
先生が私の左側からレイドの右側へ甘き匂いを携えてするりと移動。
そして、指導者らしからぬ声を漏らして彼の肩に頭を乗せた。
「い――のっ」
「宜しくありません。ここで釣ろうと思っているのに糸が絡むだろ」
「絡むのは……。糸だけぇ??」
そう話しながら己の手をレイドの手に重ねる。
その瞬間、自分でもはっきりと嫌な感情が湧くのを理解してしまった。
あの手……。
私が夜中にさり気なく重ねた手だ。途中でマイに強奪されてしまいましたけどねっ。
あの手に触れると心が温かくなって、落ち着いて。女性の手と比べてちょっと硬い手が独特の感情を心に湧かせてくれるのです。
今は私では無くて先生が手を重ねている。
彼は誰のものでも無いので彼には好きな様に手を重ねる権利があるのですが、それをまざまざと第三者に見せるのは宜しくありませんよ……。
「カエデ、餌ある??」
「……はい。どうぞっ」
私の背後に溜めてある餌を取り、彼の左手へ渡してあげる。
「ん――。ありがとう」
叶わぬ願いかも知れませんが。私の嫌な気持ちに少しでも良いから気が付いて下さい。
「釣り針に餌を付けて……。よいしょっ!!」
「あら。上手じゃない」
「初めてじゃないからね。さて、後は待つのみっと」
「ねぇ。釣りよりもぉ、私と良い事しましょうよ……」
「あ――もう。竿を動かさないで。魚が逃げるだろう」
もっと強く、断って下さい。
「んふふ。や――よ」
「お、おい。多少は釣らないと、グシフォスさんの釣り道に花を添えられないんだ」
「だ――めっ」
嫌なら、嫌とはっきり言って下さい。
「だから近いって!!」
「もっと近くに……。寄ってみる?? ほぉらっ、此処に蜜蜂さん垂涎の美味しい蜜があるんだゾ??」
「――――。御二人共、釣りに集中したらどうですか??」
先生がシャツの隙間から無駄に大きな果実をさり気無く彼の視界の端へ置こうとするのを咎めてやった。
「あ、うん。そうします……」
はぁ……。駄目だなぁ。
先生もレイドも好きなのに。
二人が仲良くしている姿を見ると、どうして胸がチクチク痛むのだろう。
出来る事ならこの痛みを掴んで投げてやりたかった。
彼が迫りくる淫魔の女王様と一進一退の攻防を繰り返し、そしてその一挙手一投足を私が咎めていると。
「此方に御出ででしたか」
ベッシムさんが木箱を両手に持ち笑顔で私達を見下ろしていた。
あ、そっか。
お弁当を持って来るって言っていたな。
「お食事を御持ち致しました」
「助かります!! いやぁ、態々すいません……」
レイドが木箱を三つ受け取ると、私と先生に渡してくれる。
「おぉ!! こりゃ美味しそうですね!!」
木箱の中は小麦色に焼けたパン、お肉と野菜炒め、黄色の断面が美しい果汁溢れる果物が入っていた。
私もお腹が空いていたのかな。
風に乗って届く匂いを嗅ぐと食欲の種がぽっと芽を咲かせた。
「匙とお箸。どちらが宜しいですか??」
「自分はお箸でお願いします」
「私も――」
「では、私もお箸で」
「畏まりました」
ベッシムさんから箸を受け取ると、釣り竿を傍らに置いて小休憩となった。
「うん!! この野菜炒め美味しいですよ!!」
「有難う御座います。腕を揮った甲斐がありますね」
確かにレイドの言う通りだ。
効き過ぎない塩分に野菜の甘味が絶妙に絡み合い、肉と野菜が舌の上で手を取り魅惑の舞を披露する。
噛めば野菜のシャキリとした歯応えと鶏肉から溢れ出る肉汁が歯を喜ばせた。
うむむ……。
私もこれ位料理出来なきゃ駄目かな??
「レイド様。釣果の程は如何様で??」
「それが……。全くなんですよ」
「左様で御座いますか。まだ十分時間は御座います。焦らず、じっくり腰を据えて待つのが宜しいかと」
「そうしたいのは山々なんですけど……」
レイドがちらりと先生の横顔を見つめる。
「ふぁ――に――??」
口一杯にパンを頬張り、レイドの無言の問いに答えた。
「いや、何にも。所で、ベッシムさんはマイ……。マイさんの家でずっと執事として仕えているんですか??」
「私で御座いますか??」
唐突に己の事を聞かれて目を丸くしている。
それは私もちょっと興味あるな。
「この大陸の事情は少しばかり複雑でして……。どこから話しましょうか……」
口に指を当て、考え込む仕草を取る。
「時間は沢山あります。初めからでいいですよ」
「畏まりました。私の生い立ちはゴルドラドの生まれで御座います」
確か……。この大陸には四つの龍の家系があるんだよね??
ゴルドラドは北に位置した筈。
「この大陸の北の生まれで御座いまして……」
良かった。当たってた。
「四姉兄の末っ子です。今から凡そ三百年程前に覇王の継承を賭けた戦いがこの大陸で行われました。当時の覇王は我がゴルドラド家の当主でございましたが、掟により覇王は一代限りと決まっております」
「つまり、続けては覇王の座には就けないと??」
「左様で御座います。周知の通り、戦いの勝者は現覇王のグシフォス様でございます」
「あれ?? でも、ベッシムさんとグシフォスさんは違う家系じゃないですか」
マイ達は東、ベッシムさんと前代の覇王は北の家系ですからね。
「いい質問でございます。覇王が決まりますと各家系から覇王に仕える者を立候補で選出いたします。私は栄えある執事に立候補をして、複数の候補から選ばれて現在に至るという訳です」
ふぅん。色々決め事があるんだ。
「またこの執事の仕事も大変でございまして……」
バツが悪そうに人差し指で頬を擦る。
「料理、洗濯、掃除等。家事全般だけでは無く。やがて生まれる覇王の御子の教育を引き受ける場合もありますので魔法の知識や、世界の理等、幅広い知識を得なければいけません」
「それは、大変そうですね……」
「まだ御座いますよ?? 私が倒れた場合の代理の育成。政の手配。定期的に行われる複数の家系による集会の日程の調節。体が幾つあっても足りないのが本音で御座います」
レイドの言う通り、簡単な仕事じゃなさそうだし。大変そうだな。
「それを三百年も……。よく体が持ちますね??」
「こう見えても龍族の端くれ。体力には自信があります」
拳をぎゅっと作って話す。
「マイさんが生まれてからはもっと大変になったのでは??」
「それは……。もう……」
困った様な嬉しい様な、複雑な顔を浮かべて話す。
「御存じだと思いますが、マイ様の食欲は少しばかり多くて……」
あれが、少し??
龍族の人は皆御飯を沢山食べるのからそう見えるのかな。
「食事を用意するのが一番大変でした。狩りや採取、掃除、洗濯に追われそれはもう目が回りそうな日々の連続でしたね」
「容易に想像出来ます」
「マイ様が出立されてからというものの、滅法時間が出来まして。違う仕事に時間を割けるのが嬉しい次第です。代わりにレイド様達には多大な迷惑を掛けていますね……」
「もう慣れました。そうだよな?? カエデ」
彼が此方へ振り向いて話す。
「えぇ。慣れるのもどうかとは思いますが」
「ふふ。マイ様は良い御友人を御持ちになられましたね」
「一つ質問していいですか??」
レイドがおずおずと手を上げる。
「何でしょう??」
「その、さっき会話に出て来た覇王の座を継承する戦いと仰っていましたが。具体的にどんな戦いでしたか?? 少し興味が湧きまして」
レイド、有難う御座います。
貴方が質問しなければ私が質問をしていましたよ。
「実は、これも変わった決まり事がございます。次の覇王を決める戦いは、現覇王が決定するというものです。当時の覇王は五人一組、それを四つの家系から選出して戦わせる方式を取りました。勝ち抜き形式でグシフォス様は初戦の北のゴルドラドを退け、続く決勝では西を破った南のバイスドール家を破り、見事覇王の座を勝ち取りました」
「北のゴルドラド家も現職で無い者なら、一応は継承の戦いに参戦出来るんですね」
「左様で御座います。いやぁ……あれは正しく、覇王を決める戦いに相応しいものでした。今でも瞳を閉じればその光景が浮かびます」
ベッシムさんが懐かしむように目を瞑る。
「どんな戦いでした??」
「前代覇王は人の姿のまま戦う事を命じました。変身する事により戦力差が出るのを嫌ったのでしょう。私は観戦するだけでしたが、グシフォス様達の戦いぶりには正直胸が躍らされましたよ」
「へぇ!! グシフォスさんの御仲間はどんな人達でした??」
レイドが目を輝かせて続け様に質問をする。
「御仲間で御座いますか……」
うん?? 何だろう。
ちょっと言い難そうだな。
「やっぱり、同じ家の人達でしたか?? あ、でも。グシフォスさんに兄弟や両親って居たっけ??」
「えぇっと……」
ベッシムさんの視線が一瞬だけ先生に移る。
「…………」
当の先生はどこ吹く風といった感じで弁当と相対していた。
何??
今の目配せ。
「グシフォス様に御兄弟はおられません。代わりに参戦したのは……。四名の魔物でしたね」
「四名の魔物かぁ。龍族の人達は強そうだし、その御仲間は強かったのですよね??」
「左様で御座います」
「今から三百年前だから存命ですよね??」
「え、えぇ。一名の方は残念ながらお亡くなりになりましたが。他の三名はアイリス大陸には居ませんが現在も存命ですよ。皆さん大変な手練れでして、その様は正しく……」
「正しく!?」
レイドが興味津々といった感じで身を乗り出す。
手練れと聞いて、興味が湧いたのかな??
「水や風の様でした。流れる様に体が動き、相手を翻弄。力や魔力は龍族に劣っていましたので相手の動きを数手、いや数十手先まで読み相手を制す戦いを繰り広げていましたよ」
ベッシムさんが話している間。
「……」
先生がふと懐かしむ目に変わった。
その姿を脳裏に浮かべて当時を懐かしむ。そんな優しい目だ。
先生はその人達の事を知っているのかな??
「本当ですか!! くそぅ……。時間があれば手合わせ願いたいなぁ」
「当時、他種族を仲間に引き入れるグシフォス様を皆が嘲笑いました。何故なら彼には龍族の中から四名の仲間を選ぶ権利が与えられていたからです。フォートナス家は初めから勝負を投げていると口を揃えて言っておりました。 しかし、蓋を開ければグシフォス様達が優勝。勝ち抜けたのも彼等の働きがあったお陰であると思います」
「増々手合わせを願いたくなりましたよ!! 世の中には卓越した腕の人達が居るんだ……。俺も負けていられないな」
レイドが若干興奮気味に拳をぎゅっと握った。
「何言ってんのよ。レイドも十分卓越しているじゃない」
弁当を綺麗に食べ終えた先生が話す。
うん。私も先生の意見に賛成だ。
レイドは既に人のそれを超越していますからね。
「はぁ?? 何言ってんだ?? 俺なんてまだまだ未熟だよ。いつかは、師匠と肩を並べ互角に組手を繰り広げたいと思っているんだよ」
それは、ちょっと……。
比較対象が常軌を逸しているので……。
「あんたねぇ。アイツと互角に渡り合おうなんて百年早いのよ。私でさえ苦労するってのに」
「レイド様はその……。最近、普通の人間と組手をされた事はありますか??」
「いいえ?? 最近は、そうですね……。岩をも噛み砕く狂暴な龍、地面を軽々しく割るミノタウロス、風よりも速い狼、そして山を容易く削る狐の師匠、ですかね??」
そのどれもが人ならざる力を有していますよ。
そして私が知る限りの魔物の中でも彼女達はかなり上位に属していますね。
「やはりそうでしたか」
「え?? どういう事ですか??」
「レイドの力は既に人を凌駕しているのよ。考えてもみなさい。普通の人間がミルフレアの一撃に耐えられると思うの??」
先生が少しばかり呆れて話す。
「あぁ、いけるだろう。何事も努力と根性で補えるからな!!」
「「「はぁぁぁ……」」」
彼の言葉を受けるとその場にいる全員が同時に息を漏らした。
これはいけませんね。
一度、人間と喧嘩してみれば分かりますよ。
あ……。でも、一度怪我して帰って来たな。
あの時に気付かなかったのかな??
ちょっと聞いてみましょう。
「レイド」
「何??」
「以前、レンクィストの街で怪我をして帰って来ましたよね?? その時、殴られて何か感じませんでした??」
「う――ん。暴力を振るってきたのはお高く留まった金持ちの男だったからなぁ。体も鍛えている体付きじゃなかったし。訓練された人の攻撃じゃないから効かなかった、そう感じたよ??」
いや、正しくそれが普通の人間なのですが……。
「いい?? レイド。これから先、普通の人間を全力で殴るのは止めなさい」
先生が少しばかり語気を強めて強く話す。
「いや、普通の人間と喧嘩しないから。軍人が手を上げたら犯罪になっちゃうんだよ」
うん。その点、レイドはしっかりしている。
人に暴力を振るわない優しい性格だ。
「分からないわよぉ?? 私が暴漢に襲われてたらどうするのよ」
「エルザードを襲う人間なんているのか?? 逆に襲ってそうだよな??」
そうやって、お道化て言ってみせると。
「へぇ……。じゃあ、私を助けてくれないんだ――??」
先生の手元に赤い魔法陣が浮かび上がってしまった。
「じょ、冗談だよ!! 真っ先に助けに行きます!! 行かせて下さい!!」
「んふっ。いい子ね」
同調圧力は如何なものかと思います。
此処は、私も少し悪乗りしてみましょうか。
先程から先生ばかり相手にしていますし。
「私と、先生。同時に暴漢に襲われたらどちらを先に助けますか??」
「えっ!? そんな、急に……」
ふふふ。焦っていますね??
かまってくれなかったお返しですよ。
しどろもどろになって困って下さい。
優越感に浸ったまま唸り続ける彼を見ていると。
「う――ん。カエデから助けるよ」
「へっ??」
予想の斜め上、いえ。
遥か頭上を越える返答が意外と早く返って来たので声が上擦ってしまった。
「当然だろ?? か弱い女性から助けるのは」
「そ、そうですか……」
どうしよう。これは本当に嬉しいですね。
レイドは私の事をか弱い女性と思っているんだ。
揶揄ってみて良かった。
「ふぅん?? へぇ――?? そうなんだぁ?? 私より、カエデを取るんだぁ??」
再び先生の手元に魔法陣が浮かんでしまった。それも先程よりも数段上の魔力の圧を纏って。
先生。
此処は私の勝ちですよ??
「話をちゃんと聞けって!! エルザードは一人でも何んとかなるだろ!?」
「分からないわよぉ?? 無理矢理抑え付けられて、縛られて、抵抗しようも無い状況に追い詰められたら」
「お、落ち着けって!!」
険しい瞳でレイドに詰め寄っている。
こういう姿を見ると、少しほっとしますね。
超越した強さで忘れていますが、先生も一人の女性なんだって。
只、表現の仕方が些か物騒だとは思います。
「レ、レイド様!! 竿が!!」
慌てふためくレイドを優しく見つめていたベッシムさんの目が急に見開く。
それもその筈。
レイドの釣り竿が湖へ向かって引きずられて行くのだから。
「おぉ!! 来た!!」
先生の脇をすり抜け、慌てて竿を握る。
「ぬお!! 結構引きが強いぞ!!」
糸を手繰り寄せるが、魚も釣られまいとかなりの抵抗を見せている。
糸が水面を右往左往し、水面下での動きが手に取るように伺知れた。
「後……少し!! てぃ!!!!」
勢い良く引っ張ると、一匹の魚が陸にその姿を露見。
それは今も地面の上を懸命に跳ねて水に戻ろうと画策している。
「これ……。魚?? だよな」
レイドが間の抜けた声を出す。
それもその筈。
本来、魚の顔である部分が妙に人間の顔に見えたからだ。
体も鯰にも似たでっぷりとした体型で何んとも形容し難い姿をしている。
「まぁ。一応、桶に入れておこうか……」
「おぉ!! レイド様!! これは大変珍しい魚ですよ!!」
何とも言えない微妙な雰囲気の私達と違い、ベッシムさんは一人興奮を隠しきれない様子だった。
「そりゃ人の顔をしていれば珍しくも見えますよね」
「それもありますが、この魚は人面魚と呼ばれ……」
あ、見たままの名前ですね。
「見た目は大変悪いですが、味は大変素晴らしく。食せば寿命が延びると言い伝えられております」
「珍しい魚なのは分かりましたが……。どうせなら普通の魚を釣りたかったな」
「そう仰らずに」
「ちょっ!! レイド!! 私の竿にも来たわよ!!」
先生の声に振り向くと、レイド以上の竿のしなりが先生の竿に襲い掛かっていた。
「慌てないで、ゆっくりと糸を引くんだ!!」
「こ、こう??」
細く、しなやかな指が糸を引っ張る。
「そうそう!! 相手が疲れるまでじっくり待つんだ。いきなり引いたら釣り針が外れちゃうからな」
「まどろっこしいのは嫌いなの!! 一気に決めるわよ……??」
ぺろりと舌を出し、舌なめずりを始める。
「止めろって!! 逃げちゃうよ!!」
「大魔である私の駆け引き……。嘗めない事ね!!!!」
驚く速さで糸を引き、そして筋力を解放して一気呵成に魚を空高く舞い上げた。
おぉ、あれは見事な魚ですね……。
いけない。
見惚れてばかりでは。
話に夢中になって自分の釣りの事をすっかり忘れていました。
「キャ――!! おっきい!! これ、絶対私の優勝よね!?」
「あぁ!! これは見事な山女魚だ」
「確かに……。この大きさは余り見かけませんね」
ベッシムさんの声が私を悪戯に急かす。
「ふふん?? やっぱり、魔法も釣りも弟子より優れているみたいね??」
「…………。まだ時間はあります。最後まで諦めない人が勝つのです」
得意気になっている先生に向かって言ってやった。
いっその事、雷でも湖に落としましょうかね。
それで浮かんで来た魚を捕まえて……。
いけません。
魔法の使用は禁止されていました。
動かない釣り竿の先を、じっと睨んでやる。
絶対、負けませんよ??
レイドとの一日は私が頂きます。
静かな図書館で午前中は普段の生活態度を反省して貰う為の時間で、午後からはその反省に向けた計画を発表して貰うのです。
心の乱れは風紀の乱れ。
皆に楽しく生活して貰う為に風紀を取り締まらなければなりませんからねっ。
私は決意を改め、最大限にまで集中力を高めて釣りを再開させた。
最後まで御覧頂き有難うございました。
筆者マイページの活動報告に第三章の御品書きを掲載させて頂きましたのでお時間がある御方は御覧下さい。
そして、ブックマークをして頂き有難う御座いました!!
執筆活動の励みとなり、本当に嬉しいです!!
それでは皆様、お休みなさいませ。




