第百七十二話 龍の母親
お疲れ様です。
週末の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。
それではごゆるりと御覧下さい。
朝の清らかな空気が漂うだだっ広い室内にカツン、カツンと短い間隔の乾いた足音が響く。
二階部分を支える太い石柱、覇王と呼ばれる者が腰をドンっと構えて座る王座、そして若干の埃っぽさが混ざった王間の空気。
たった六か月しか離れていないのにこうも懐かしく感じてしまうという事は。向こうで得た経験の多さがそうさせているのだろう。
ちょっとだけ傷が目立つ石作りの床の上を足の裏で踏んづけて乾いた音を奏で、我が母親が眠る部屋へと急ぐ。
「ちょっと――。置いて行かないでよ――」
ボケナスを抱え、まるで女子特有の買い物中の様な。気が抜けて呑気で間延びした声が背後から聞こえて来た。
「ほら!! こっち!!」
「はいはい。ふぅん、広いのねえ……」
城内を物珍し気に眺めているエルザードに手を招いてやった。
ボケナスは今も彼女の腕の中で静かな呼吸を繰り返している。
あのふざけた発作は今の所落ち着きを払っているがいつ発症するか分からない。早く父さんの手掛かりを見つけて移動しないとっ!!
扉を開けると直ぐ目に入る真正面の王座の右側。
つまり、扉からは死角となる王間の右の隅にある入り口から螺旋階段を昇り二階へと急ぎ足で向かう。
「二階がフィロ達の母屋なの――??」
相も変わらず伸びた口調でエルザードが尋ねて来る。
「下に王座があったでしょ?? 他の龍族の人達が来た時はそこで迎えるの。んで、父さん達の部屋は……。二階なのよ」
二階に到着して目の前に続く廊下を直進。
そして廊下の中腹地点、左手に新たな廊下が現れ。螺旋階段へ続く廊下から左に九十度直角に曲がる。
すると左手と右手に木製の扉が見えて来た。
「どっちがフィロの部屋??」
「こっちから見て右側よ。左は父さんの部屋。勝手に開けないでよ?? 怒られるの私なんだから」
「ふぅん……」
何を考えたのか知らんが。
こいつは父さんの部屋の扉に手を掛けようとしているでは無いか。
「……、おい」
「冗談よ」
小さな御口から舌をペロリと出してお道化る。
「全く……。人様の家なんだからね?? ちょっと母さん!!!! 起きてる!?」
木の扉を乱雑に叩くと乾いた重厚な音が響き、部屋の主の返事を待つが……。
「――――。寝てるみたいね??」
暫く経っても母さんから返事は返って来ず、代わりに彼女の旧友である背後の淫魔が声を出した。
ちっ!! 寝坊助な母親めが!!
こんな所で待ち惚けを食らったら洒落にならんので。
「入るわよ!!」
有無を言わさず扉を開いて堂々と足を踏み入れてやった。
右手側に服が入った箪笥と棚。
正面の窓から早朝に相応しい薄く頼りない光が差し込み、部屋の中を申し訳ない程度に照らす。
私達が探す人物は左手奥の大きなベッドで私達の状況も知らずにスヤスヤと呑気に安らかな寝息を立てて眠っており。
その膨らみを見つけるやいなや。猛牛の行進かと思われる足音を奏でてズカズカと歩み寄り、ベッドへ飛び乗り柔らかいお肉に跨ってやった。
「母さん!! 起きて!!!! 一大事件が発生したのよ!!」
普通の姉ちゃんよりもちょいと広い肩を乱暴に揺らし、夢の世界から現実へと引き戻してやる。
「……。う……、ん??」
シーツの中からモゾモゾと母親が現れ、此方を夢現の表情で見上げた。
真っ赤な赤とピンク。
その中間の美しい色の長髪が顔に掛かると気怠さを表現。
すっと横に伸びた眉毛とは対照的に眠さからか、垂れた目が夢の世界から戻って来たばかりだとこちらに語りかけて来る。
普段の顔は娘からも見てもまぁ端整だと格付け出来る顔だが……。
寝起きの顔は、飼い主も思わず呆れた笑みを零してしまう超絶お馬鹿な愛犬の寝惚けた顔とそっくりであった。
「マイよ!! 帰って来たの!!」
「ん――……。私、まだ夢の中ねぇ」
枕に顔をイヤイヤと埋め、現実から逃避する。
「何言ってんの!!!!」
「だってぇ。マイちゃん若返っているんだもん……」
「ベッシムといい……。母さんといい……。抜け過ぎなのよ!!」
「うぅん……」
これだけ叫んでも全然起きる気配がしねぇ!!
糞ったれ!!!!
こ、こうなったら最終手段を使用するか……。こ、これだけは使うまいと心に決めていたが背に腹は代えられぬ!!
「すぅ――……」
私は襲い掛かる痛みに備えて、一世一代の覚悟を決めると大きく息を吸い込み。
「いい加減起きやがれ!! 中途半端で、微妙に情けなくて、茶碗の淵に残った米粒の同情を買う胸の大きさの女ぁ――――っ!!」
母さんのお腹をポコンと叩き、禁じられた呪文を唱えた。
「……」
あ、あれっ??
無反応じゃ……。
「ウブゲェッ!?!?」
ほっと安堵の息を漏らした刹那、隼の飛翔を越える速度の手が私の顔面を襲い。
「ギィィィィヤアアアア――――ッ!!!!!!」
こめかみに感じてはいけない痛みが生じた!!
「ねぇ……。マイちゃん?? それ、母親である私に対して言ったのぉ??」
「ち、違いますぅ!! む、向こうの大陸で偶然見かけた女性のか、感想を素直に述べたまでですぅ!!」
や、やべぇ!!
万力を越える万力で締め付けられて鼻の穴からの、脳味噌が零れちまいそうだ!!
「だよねぇ――。マイちゃんは私と一緒……。ううん。私よりもぜ――んぜんっ!! 小さいから堂々と言える立場じゃないもんねぇ――」
「は、放せぇ!! あ、頭が砕け散って脳味噌が零れるだろうが!!」
「ハナセ??」
ひぃっ!! 出たよ!!
この魂を凍てつかせるドスの効いた声!!
「放して下さい!! 世界で最も美しい髪と肢体を持つお母様ぁぁああ!!」
「ふんっ。おべっか使うなら最初っからそうしなさいよね」
最強最悪の悪魔を容易く殺す悪魔の手から逃れると。
「うぐぐぅ……」
涙目のままベッドの上で痛みを誤魔化すように転がり続けていた。
ふ、普通はさぁ……。
娘が久し振りに帰って来たんだから優しい言葉で迎えると思わない!?
優しい言葉処か、半殺し……。いや、私の命を本気で殺りに来たわね。
この痛みは人生でも五指に入る位だから。
「あはは。痛みを誤魔化す為にダンゴムシみたいに転がっている姿が似合っているわよ??」
この姿を見付けた母さんがふふっと柔らかい声を漏らして笑う。
「あ、あ、悪魔めっ!!」
「悪魔?? 私は慈悲を司る女神よりも優しい女性なのよっ」
可愛く言っても駄目だからな??
黙っていても内から零れる狂気が丸見えだし、母さんは悪魔よりも悪魔らしい悪魔なんだから。
「あっ、今さ。悪魔よりも悪魔っぽいって思ったでしょ??」
頭を抑えて唸り続ける私の脳天に拳骨を叩き込んで話す。
「いでぇ!! んな事思ってねぇわ!!」
「あっそ。――――。ン゛ッ!? ちょっと、エルザードじゃない!!!!」
や、やっと気付きやがったか。
無能で、間が抜けていて、微乳を何んとか良く見せようと下着に詰め物を……。
「久し振りよね!!」
「オグェッ!?!?」
私の頭の中の言葉を掬い取った母さんが立ち上がると。私のお腹に爪先を捻じ込み、淫らな姉ちゃんの下へと駆け寄る。
「久々ね、フィロ」
「本当よ。いつ以来かしらぁ??」
旧友へ向けて優しい瞳を送り。懐かしむ声色でそう話す。
普通の母親は娘にその瞳を向けるんだよ。
「そうねぇ……。え、っと……。初めて子が生まれた時、以来じゃない?? ほら、赤ん坊抱いてイスハの所に来た、じゃん??」
「あぁ!! そうね!! 思い出したわ。あれ?? それだとそこまで久々じゃないのかしら??」
「おぇっ……。いやいや。姉さんが生まれて何年経っていると思ってんのよ??」
木製の床に這いつくばり、腹の奥から込み上げて来る何かを堪えながら話す。
「えっと……。二十五年、だっけ??」
「だっけ、じゃなくて二十五年。自分の娘の年齢位覚えておきなさいよ。胸と一緒で頭すっからかんなの??」
「あっそ。所で、さ」
「アブチッ!?!?」
真の悪魔の踵が私の背骨を襲うと、鳴ってはいけない乾いた音が鼓膜に届いてしまった。
「エルザード、その抱いている男性は??」
や、やっと本題に入れる……。
此処に至るまで普通の人間は三回死んじゃってるわよ……。
今も私の背をグイグイと踏みつける母親に対して。私が口を開けようとすると、代わりにエルザードが声を上げた。
「この人?? 私の旦那さん。この度、結婚する事になりましてぇ」
可憐な花も思わずポっと頬を染めてしまう笑顔となって話す。
おいおい、何ですって??
「まぁ!! おめでとう!! 報告の為に態々こっちの大陸まで来たの??」
嬉しさを表現する為に両手を体の前でポンっと合わせて歓喜の声を上げる。
「そうよ?? ここまで来るの大変だったんだから――」
「結構離れているしねぇ。もう子供は授かったのかしら??」
「それがさぁ。彼、超奥手でね?? 夜の相手も仕事で忙しいから今日は無理――。だとか。明日も朝が早いから――。とか、事ある毎にいちゃもん付けて逃げちゃうのよぉ」
「駄目よ?? そこは無理矢理にでもしないと。ほら、私達も結構そんな感じだったもの」
いや、母さんやい。
そんな下らねぇ情報は聞きたく無かったんだけど??
「へぇ。グシフォスって恥ずかしがり屋なんだ」
「人は見た目によらないのよ。あ、夫の場合は見た目通りか」
あのぉ……。
そろそろ……。足を退けて頂けたら幸いでして。それに、用件を話してもいいかしら??
しかし、化け物級に強い二人は私の思いを他所に積もりに積もった話を続けた。
「でもさぁ。親しき中にも礼儀ありって言うじゃない??」
ドスケベ淫魔のどの口が言いやがる。
「関係ないわよ。ぺろっと食べちゃいなさい」
これが自分の母親だと思うと、泣けてくるわ。
「やっぱり?? ちょっと前にさ、物凄く良い感じの所までは行ったんだけど……」
……。はぁっ??
私それ、初耳なんだけど??
馬鹿野郎の意識が戻ったら、胸倉掴んで絶対問い詰めてやる。
「行ったんだけど??」
キラッキラに目を輝かせて興味津々の面持ちの悪魔がボケナスとエルザード、両者を見つめる。
「思わぬ邪魔が入ってねぇ」
「邪魔??」
「あのクソ狐よ。私の旦那を寝取ろうと画策しちゃってさ。みみっちいったらありゃしない」
「イスハも狙ってるの?? この際、二人の物にしたら?? ほら、一夫多妻も大丈夫でしょう??」
「嫌よ。私は全部独り占めしたいのっ」
ふんっと鼻息を漏らす。
「魔物の数も減っているし、この際やむを得ない……。そう考えない??」
「いいえ?? レイドは私と添い遂げるのよ。それとも、淫魔の女王が一人の男性に固執するのはらしくないかしらね」
「そんな事ないわよ。淫魔と呼ばれようが、中身はどこにでもいる女性。普通に恋をして、男性を好きになって。好きな様に人生を謳歌すればいいのよ」
「そう……。ね」
そう話すと、妙に柔らかい瞳でボケナスを見下ろす。
その目は母さんが言う通り。恋焦がれ、慕っている男性を見つめる純粋な乙女の瞳そのものであった。
「オ、オホンっ!!!!」
この空気は不味い。
本題に入りたいと考えていたので、大きく咳をして場を変えてやった。
それに、このままだと永遠に世間話が続きそうだし……。
「マイちゃんどうしたの?? 馬の足に踏まれて苦しそうな蛙みたいな声を出して」
「誰がゲロゲロのゲッコゲッコだ!! 踏んづけてんのは母さんでしょ!! それと母さん達の話が長いから区切ったのよ。私が帰って来た理由は……。ふんがっ!!」
私の背を踏みつける馬の足から逃れ、お腹ちゃんにくっ付いた埃をパパっと払ってボケナスを見つめる。
「コイツが……。苦しんでいる。それを助けたくて戻って来たの」
「苦しんでいる??」
「実はソイツと龍の契約を交わしたの。それで……」
そこまで言うと言葉を切った。
「龍の契約を?? ふぅん……。訳ありなのね?? 話して御覧なさい??」
「……。言わなきゃ駄目??」
若干言い淀んでしまう。
自分の失態が招いた結果だし……。
「勿論。どういった冒険をして来たか、それにこの子とどんな関係なのか。洗いざらい話して貰わないと、対策も立らてれないわよ」
腰に両手を当てて、本来の母親らしい姿で話す。
「分かった。私がアイリス大陸に到着してからさ……」
冒険の始まりから事の顛末、そしてボケナス達とどんな旅をして来たか。
簡潔に話してやった。
「……と、言う訳で。蛇の女王から毒を受けてこうなっちゃったのよ」
「ミルフレアがねぇ」
腕を組んで、何かを考えながら話す。
「あいつ……。事と次第によっては許さないわよ」
エルザードの瞳に静かなる怒りが灯り、まるでそこにあの蛇が居るかの如く宙をジロリと睨んだ。
「彼女も狙ってやった訳じゃないでしょ。それに、彼女だって子を持って幸せに暮らす権利はあるわ」
「そりゃそうだけど、よりにもよって私のレイドに手を出すなんて。烏滸がましいのよ」
誰もあんたの物とは言ってないでしょうよ。
「ねぇ、母さん。父さんしか治せないって聞いて来たけど。今、父さんはどこにいるの??」
「父さん?? 湖へ釣りをしに行くって言っていたわよ??」
は、はぁっ!?
「嘘でしょ!? また釣りに行ったの!?」
普通の釣り人なら一日やそこらで帰って来るが、父さんの場合はそうはいかない。
己が満足する釣果が得られるまでは絶対帰って来い無いもん。
酷い時なんか一か月帰って来なかった事もあるし!!
「また?? グシフォスって釣り好きだっけ?? あ、レイドをそこのベッドに寝かせていい??」
先程まで母さんが寝ていたベッドへ視線を移した。
「構わないわよ。そうなの、釣りが趣味でねぇ。暇さえあれば釣り竿道具を抱えて飛んで行っちゃうわ」
「へぇ。意外」
ボケナスの体を傷付けぬ様、そっとベッドに降ろす。
「母さんじゃ、ボ……。レイドの症状治せないわよね??」
「ん――……、無理ね。父さんの力でしか、この子に宿る龍を鎮める事は出来ないわ。ごめんね??」
「うん……」
やっぱり、父さんじゃなきゃ駄目か。
「エルザード、湖まで空間転移出来る??」
「無理よ」
私の問いに即答する。
そ、それならば!!
「母さ――ん。私達を運んで??」
「だ――め。駄目元だけど、彼の龍の力を抑えなきゃいけないし」
静かに横たわる彼の胸に手を添えて話す。
「ちょっと。変な所、触らないでよ??」
エルザードが噛みつく。
「あらあらぁ。可愛い顔して、結構いい体してるのね」
「人妻が何鼻の下伸ばしてるのよ」
「いいじゃない、別に。最近ご無沙汰だし……??」
はぁ……。この人に任せてもいいのだろうか??
我が母親ながら心配になって来たわ。
さて、これからの行動に対して様々な策を捻り出していると。扉の外からけたたましい足音が聞こえて来た。
「レイド様ぁっ!! こちらですか!?」
ちっ。
もう起きやがったか。
出来れば此処へ置いて出発したかったが、私の目論見は甘かったようだ。
「あぁ……。良くぞ御無事で……」
ベッドの脇に両膝を着き、ボケナスの冷たい手を取って安堵の息を漏らした。
「あらぁ?? この子は??」
母さんが不思議そうな瞳で蜘蛛を見つめると。
「フォレインの娘よ」
エルザードが旧友の娘であると簡素に説明した。
「まぁ!! そう言えば、目元なんかそっくりね!!」
「初めまして。アオイと申します。母様が大変お世話になっております」
驚く母さんに対し、蜘蛛は至極普通の表情と口調で言葉を返す。
今はそれ処じゃないってのが本音って顔だものねぇ。
「いえいえ――。それにしても礼儀正しいわねぇ。マイちゃん?? アオイちゃんを見習わなきゃ駄目よ??」
「母さんはこいつの隠れた性分を知らないからそういう事が言えるのよ」
「隠れた性分?? 私はいつも礼儀正しいですけど??」
この野郎……。どの面さげて吼えやがる。
一発ぶん殴ってやろうか。
「ほらぁ。人をそうやって卑下するもんじゃないの。いつも娘がお世話になっております」
蜘蛛に対して静々と一つお辞儀をする。
「頭下げんな!!!!」
「貴女もう少し、礼儀を弁えた方が宜しいですわよ?? いつも食べて飲んで……。レイド様に苦労を掛けてばかりで」
おっもい溜息を吐き尽くし、呆れ果てた瞳で私を見る。
「――――。マイちゃん?? 今の話、ちょっと詳しく聞かせて貰おうかしら??」
おっと。
母さんの目が鋭く光った。
この目はちょっと不味い。
「い、いやぁ……。苦労は掛けて無いと思うかなぁ??」
「私がお話しましょう」
すんな!!
「レイド様が稼いだ貴重なお金を惜しげも無く浪費し。剰え、それでも足りぬと申しているのですわ。使用用途は食べ物ばかり。レイド様が嘆き悲しんでも浪費は止まらず……。我々の食事生活は……。グスンッ」
「おい。ちゃんと小遣いの範囲で食べてるわよ!!」
しかも、およよと嘘泣きして三流以下の演技してるし!!!!
「アッレ?? おかしいなぁ?? さっき話してくれた内容に、今の話は含まれていなかったわよ??」
あ、悪魔が目覚めてしまったのか!?
「う……。だ、だって。向こうの御飯美味しいし?? それに、元の体に戻る為には?? 沢山の栄養が必要?? かもしれないじゃん??」
思い付いた言い訳を淡々と並べていく。
「男性を支える処か、頂いたお金を浪費するなんて。ちょ――っと説教が必要ね??」
先程までの朗らかな空気は何処へやら。
母さんの瞳が怪しくギラっと光ると肝っ玉が冷えに冷えてしまった。
うぉう!!
これは、いよいよもって脱出せねば!!
「じゃ、じゃあ父さんを呼びに行くわね!! ボケナスの事頼むわよ!! 後、そこのベッドから移動させておいて!!」
「待ちなさい!! まな板!! レイド様を置いてどこに行くのですか!!」
「ついてくんな!!」
「いいえ!! 話を伺うまで引きませんわ!!」
鬱陶しい蜘蛛を引き連れ、女性らしからぬ歩法と歩幅で悪魔から逃れる様に部屋を後にした。
うっし!!
居場所は突き止めた。後はそこへ向かって愚直に進むのみっ!!
私達が帰って来るまで持ち堪えなさいよ?? 絶対、治してあげるんだから!!
――――。
「ふふっ。何だか懐かしい光景よねぇ」
フィロが立ち去って行った二人の幻影を懐かしむ表情で見送る。
「昔の私達に似ていると思わない??」
今も目を細めて扉を見つめている彼女へ言ってやった。
「えぇ。あの人の下での生活が甦るわ」
「私もそう思った」
古い。
思い出すのも難しくなる本当に古い思い出が心を温かくする。
懐古、郷愁、追憶。
懐かしい風景がそっと体を突き抜けて行った。
「イスハと貴女が娘達を指導しているの??」
「そ。手の掛かる生徒達よ??」
「苦労を掛けるわね」
「気にしないで。好きでやっている事だから」
「それは兎も角。娘の恋路を邪魔しないでくれる??」
扉へ向けていた体の正面を此方に向けて話す。
「はぁ?? 私が誰を好きになろうと勝手じゃない。寧ろ、そっちが邪魔してるのよ」
「イスハも貴女もいい年なんだから。若い子と張り合おうとしないの」
「恋に年齢は関係無いっ」
「…………。一理あるわね」
眉を顰めて、そう話す。
「でしょ?? それに……。レイドは私達に優しくしてくれる。種族何か関係無く、ね」
ベッドに腰かけ、額に掛かった前髪を指先で払ってやる。
まだ体が痛むのか、じんわりと額が汗ばんでいた。
「娘達だけでは彼が背負う悲しみを支えきれないかもしれないわ」
「そうね……」
「イスハや貴女が傍にいれば彼も。そして私も安心出来る」
「だから言ったじゃない。レイドと添い遂げるって」
「それとこれは別の話よ。でも、まぁ……いいんじゃない?? 一夫多妻でも」
「何妥協してんのよ。――――。でも、それはそれで楽しいかもね??」
惚ける彼女に言ってやった。
「おらぁ!! エルザード!! 置いて行くわよ!!」
鬼の形相をしたマイが扉を開けていつものように耳障りな雄叫びを放つ。
「はいはい……。そう急かさなくても行きますよ」
重い腰を上げて言ってやった。
「レイド。もう少しの辛抱よ?? 頑張りなさい……」
汗ばむ額に、そっと唇を当ててお別れの挨拶を済ませてあげた。
ふふ……。
ちょっとしょっぱいな。
「あ――!! レイド様に何していますの!! わ、私も接吻をしてから出発致しますわ!!」
「アホか!! あんたも来るのよ!!」
アオイの腕をマイが引っ張り、無理矢理外へと連れ出す。
「放しなさい!! 穢れたレイド様の御顔を私の清い唇で癒すのです!!」
「はぁ!? あんたの方がよっぽど汚いわよ!!」
「まぁ!! 嘆きの壁の分際で!! 大体……!!」
いつも通り仲良く喧嘩をしながら廊下を進んでいるのか。言い争う声が小さくなっていく。
「もうちょっと口調を直して欲しいものだわ」
その姿を見送るなり、フィロが大きく溜息を付いた。
「あの子はあんた似ね。それはそうと!! いつまで知らぬ存ぜぬ振りをしなきゃいけないのよ!!」
さっきの会話の流れで思わずポロっと色々言っちゃいそうだったし。
「勿論。ずぅっと内緒っ」
右目をパチンっと瞑って私の問いに対する答えを述べた。
昨晩、クソ狐と此処へ来て相談を終えた所。
『あ、そうそう。私から意見を聞いた事は娘に内緒にしておいて。それと私達の過去も秘密にしておくの』
と、フィロから釘を差され。それは何故かと問うたら。
『この事件はあくまでも娘達の冒険よ。彼女達がどんな選択肢を選んで、どんな結果に至るのか。その楽しみと苦労を奪う権利は例え血の繋がった母親である私にも無いわ』
それは一理あるかも知れないけど。状況は状況だし。
『私達は彼女達がどうしようも無い時にだけ手を差し伸べてあげるの。それも、ほんの少しだけ。最終的に決断するのは娘達よ。私達もそうして育って来たじゃない』
その言葉を受けた刹那。
先生達の姿が頭の中を過って行き、彼女の願いを渋々と承諾してしまった。
まぁ……。気が合う仲間達との冒険は楽しいし、辛い筈の経験も後に良い糧となるのは事実だ。
様々な結果と経験を経て成長していくのよね。
私も本当はさ、毎日の様に彼の下で生活したいけども。私も私でやらなきゃいけない事が山積しているからねぇ。
大人になるって事は自分の行動に対して責任を負う事。
先生……。最近になって貴女から受けた言葉が身に染みて理解出来ていますよ――っと。
「じゃあ、行って来るわ」
彼の寝顔を頭の中に焼き付け、軽く手を上げて扉へと向かう。
「あの子達の事。頼むわね」
「そっちも、レイドの事宜しく」
互いに視線を合わせ、軽く頷く。
交わした言葉は少ない。しかし、瞳を見れば大方察しは付く。
安心しなさいって。
ちゃんと無事に送り届けてやるから。
手助けしてはいけない。そして子を心配する親の気持ちは分からないけど凡そ、居ても立っても居られない気持ちなのだろう。
だけど、マイ達なら私が御守りする必要は無いとは思うけどね。
しっかし……。あの暴力の権化が今や親馬鹿に。
年は取りたくないわねぇ――……。
いやいや!! 私はまだ三百ちょっとだし!! 魔物でいえばまだ若造の範囲を出ていないもんっ!!
自分に強くそう言い聞かせ。
『ベッシム――!! 何か食べる物……』
『此方のパンなどは如何でしょうか??』
『うっひょ――!! さっすが、気が利くわねぇ!!』
中庭から石作りの壁を突破して此処まで届く声を放つ大間抜けさんへ合流する為、普段通りの速度で木の香りが漂う廊下を進んで行った。
最後まで御覧頂き有難うございました。
体調に気を付けて素敵な週末をお過ごし下さいね。
それでは皆様、お休みなさいませ。




