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第百六十七 彼の意図せぬ決断

お疲れ様です。


日曜日の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。


それではごゆるりと御覧下さい。




 一体、どれ程の距離を吹き飛ばされただろう。


 ふと気が付くと、俺の体は地面に横たわり。口の周りには砂や砂利がひしとしがみ付き、夏の危ない夜を過ごす男女の様に唇と熱く淫靡な接吻を交わしていた。


 体中を刺す痛みからしてまだまだ人生が続いている事に一安心しますけども、此処でずっと眠っていたら本当に人生が終わってしまいますのでね。


 眠っていたいと駄々をこねる我儘な体さんに鞭を打つ。



「…………。いてて。皆、大丈夫か??」



 体を覆う砂と土埃を払い、ほぼ限界まで体力を使い果たしてしまった体を起こした。



「ゴホッ……。うぇ、砂食っちまった」


「ケホ。こっちも大丈夫――」



 ユウとルーは無事か。


 端整な御顔が煤と砂で汚れ、酷い表情をしているけどね。



「全く、馬鹿げた力ですこと」


「超えるべき力だとは思わないのか??」


「体が埃まみれです……」



 残りの三名が少々咽ながら俺達と合流する。


 アオイとカエデは恐らく体重が軽いから俺達よりも遠くに吹き飛ばされ、リューヴは一番近くに居たからかなり遠くまで吹き飛んだのだろう。



 多少、汚れてはいますけども。皆無事である姿を捉えてほっと胸を撫で下ろした。



「あはは!! リュー、顔すっごい汚いよ!!」



 ルーが自分とほぼ同じ顔を指して笑い転げる。



「ふん。そういう貴様も酷いぞ」


「へ?? レイド、顔汚れてる??」


「ん?? ん――。程々に」



 鼻頭に乗っかる土塊、すっと横に流れる眉には埃。


 そして右の頬には戦闘による負傷の跡が見られるが……。特には気にならないかな。



 片や此方は。


 私服の上着はボロボロに穴が開き、そこから覗く地肌には鮮血の跡。


 腫れぼったい右目と体中に刻まれたたぁっくさんの裂傷が目立つ俺に比べたら上々だろうさ。



「そっかぁ。まぁ、いっか!! 後で洗おう!!」



 ルーって、軽快に笑う姿が異様に似合うよなぁ。


 先程の見事な技を放った者と同一人物に思えないんだけど……。



「そう言えば二人で放ったさっきの技。凄く格好良かったよ??」



 天から灰色の雷を纏って一気苛烈に打ち込む。



『双雷の戦士』 だっけ。



 あの一撃が俺達の突破口を開いた様なものだからな。



「えへへ。頑張った甲斐があるなぁ――。ヨシヨシしてよ!!」



 さぁ!! 貴方はここを撫でるのですよと頭を下げるのですが。



「マイが見当たらないから探しに行こうか」



 ヨシヨシの代わりに一つポンっと叩いてミルフレアさんと激戦を繰り広げた地へと向かって歩み始めた。



「ちょっとぉ!! もうちょっと撫でても良いんじゃないのかなっ!?」


「主は我々よりも早くあの化け物と対峙していたのだ。余計な労力は与えるな」



 リューヴが俺の右隣りに並んで話す。



「さっきの技、マイとユウと喧嘩した時にどうして使わなかったの??」



 あの一撃を食らったら例え頑丈な二人でさえも重傷を負うだろう。


 いや、重傷処か最悪命を落とす恐れもあるな。



「二人一緒でなければ使用出来ん。それと、初めて主達と出会って頃の我々では実力不足だ」


「そ――そ――。それとぉ、この技を使うと。ふ……。ふく……。福引??」


「副作用」



 カエデが疲れた表情でポソっと言葉を漏らす。



「そう!! それっ!! 魔力を限界まで使い果たすと、副作用が五分程度体を襲うんだよ!?」



 ムッと眉を顰めて話しますけども……。


 これといって体に変化は見られないし……。



「どんな副作用なの??」



 その副作用を感じさせない笑みを放つルーに尋ねた。



「人の姿の時は何ともないけど。大人の狼になれなくて、子狼の姿になってしまうのだっ!!」


「へぇ――。ちょっと見せてよ」



 どこかを負傷したのか。少々足を引きずる様にして歩くユウが話す。



「良いよ!! てやっ!!」



 眩い光がルーの中から迸り、それが収まると……。



「――――。とぉっ!! どう!? 私の幼い頃の姿は!!」



 この世の生物の中で、可愛さの上位五位以内に入るであろう子狼が出現した!!



 お、おいおい。


 何だい?? あの常軌を逸しに逸した可愛さは!?


 モコモコの毛並と見ていて心配になるあんよの短さ、そしてどの部位も不必要に丸みを帯びているのがまた卑怯ですよね!!



「うおっ!! めっちゃ可愛いな!!」


 ユウがすかさずルーを抱き抱えヨシヨシしてしまった。


 ちぃっ……。


 先手を取られたか……。



「えへへ。ユウちゃん、おっぱいで苦しいからもっと体から離して撫でてよね??」


「おぉ、悪い悪い」



 良いな――……。俺もあのモコモコを是非とも……。


 はっ!!!!


 そ、そうだ!! 狼はもう一頭いるじゃないか!!



「リュ、リューヴ!!」

「断るっ」



 お、おぉう……。


 まだ依頼していないのに頑として拒絶されてしまった。



「た、頼むよ!! 王都に帰ったらお肉を驕るからさ!! ね??」


「――――。それと、甘い物を所望しようかっ」


「勿論!!」



 あのモッフモフを体感出来るのなら安いものさっ!!



「はぁ――。この姿は余り見られたくないのだがなっ」



 渋々といった感じで狼の姿へ変わってくれると……。



「お、おぉっ!!!!」



 期待通り、いや。期待を大幅に超える子狼がテックテクと大地を歩いていた。



 四つのあんよを器用に動かして歩く様が疲れ果てた心と体を癒し、不器用な歩行に思わず手助けしたくなる。そんな何とも言えない感情が湧いてしまう。


 そしてぇ!!



「あ、余り見るなっ」



 超頑張っていつも通り眉間をキリっとさせているのですが、それがかえって物凄く可愛く見えてしまった。


 あはは。


 子犬が頑張って怒りを表す姿って、どうしてこうも可愛く映るんでしょうねぇ――。


 さっ、お父さんが抱っこしてあげましょうか……。


 迫りくる俺の手からジリジリと後退を続ける子狼に父性全快を笑みを浮かべてあげた。


 大丈夫ですからねぇ――。お父さんは怖くありませ……。




「ふむ……。中々の手触りですね」

「カエデさん!?」



 いやいやいやいや!!


 今、俺が手を伸ばしていたのに横からかっさらうってちょっと不味いですよね!?



「カ、カエデ。止めろっ」


 カエデの嫋やかな手に撫でられると子狼の毛がフッワァと跳ね返る。


「ふふ、良いじゃないですか。偶には」



 満更でもない表情を浮かべて撫でるカエデの顔の中に微かな母性が映った。



「カエデ!! 早く変わってよ!!」



 超幸せなモフモフの時間は五分しかないのですよ!?


 しかも、リューヴは今後二度とその姿に変わってくれない恐れもあるし!!


 貴重な時間を独占するのは卑怯です!!



「まだ堪能していたいので駄目です」


「くっ……。この姿では力が出せぬっ」



 あ、あぁ……。


 必死に可愛いあんよでカエデの手を押し退けてるけど……。全く歯が立っていないぃ!!


 こ、こうなったら無理矢理にでも奪って……。



「レイド様っ。アオイの頭なら空いていますわよっ??」



 背後から横着な腕が胴体にきゅっと絡みついて来ますが。


 ごめんなさい。


 白くて綺麗な髪はいつでも……。は駄目ですね。


 日常の中で見られますので、俺は非日常のアッチを求めているのです!!



「アオイ!! 放して!! 子狼が元に戻っちゃう!!」


「まぁ!! 正妻が愛を求めているというのに、他人様の獣の子を愛でるのですか!?」



「ユ、ユウちゃん。ちょ、ちょっと……。止めて!! 埋もれちゃう!!」

「えへへ。ずぅっと撫でていたいな――」



「カエデっ。もういいだろう??」

「駄目ですよ――。ほら、顎の下は如何ですか??」

「くっ!! て、的確だな!!」



 あ、あぁ!!


 ずるいぞ!! 二人共!! 好き勝手に子狼を愛でて!!



「んふふ。レイド様の香りですわぁ……」



 こうなったらアオイの腕を無理矢理にでも引き剥がして。



「やぁ――!! 誰か助けてぇ!!」



 魔境に誘拐されそうな子狼を救助せねば!!


 両手に力を籠め、拘束を解こうとしたその刹那。





「おっせぇぞ!!!!」



 頭の中にキ――ンっと響き渡るあの御方の怒号が鳴り響いてしまった。




「ペッチャクッチャお喋りして、グダグダと呑気に歩いて来やがってぇ。日頃の愚痴を肴にして浴びるまで酒を呑んだ帰りの女子共か!! テメェらは!!」




 俺達が到着するのを待ち構えていたようなのだが……。


 子狼の登場によってだらけた雰囲気になってしまったのが気に障った様だ。


 腰に手を当て、いつもよりも更に眉を尖らせ。目には彼女の髪よりも赤い炎が浮かんでいますからね。



 仕方が無いでしょう??


 あの可愛さを目の当たりにしたら誰だって朗らかな気持ちを抱いてしまうのだから。



「ったく。気の長い私でも流石にぃぃ……。いっ!? カエデ!! 何よ!! その愛苦しさの塊は!?」


「力を使い果たしたリューヴです。魔力を限界まで使用すると五分程度はこのままの様ですよ」


「へぇ!! あはは!! リューヴ――。あんた、幼い頃はすっげぇ可愛い子だったのねぇ――」


「止めろ!! 誇り高き狼を愚弄するのか!!」



「聞こえな――い」

「ふふ、聞こえませんよ」



 マイとカエデの三本の腕で良い様にヨシヨシされる子狼、か。


 こんな平和な光景が見られるのも、皆が頑張ったお陰だよな。



「い――や――っ!!」


「放さないからなぁ――。大人しくしていましょうね――」



 魔境に埋もれて行く子狼から爆心地へと視線を移すと、今も黒煙が立ち昇り炎が燻ぶっている。


 それだけじゃない。


 周囲の家々も爆風によって損害を受け、壁が、窓が吹き飛び見るも堪えない姿へと豹変していた。



「しっかし……。酷く暴れたなぁ……」



 この惨状を目の当たりにして至極当然な言葉を漏らした。



「ムググ……。とぉっ!! はぁ――。やっと元に戻れたっ。ユウちゃん酷いよ!!」

「あははっ、わりっ」



「カエデ!! 貴様ぁ……」

「取るに足らない戯れですよ」



 二頭の子狼が元の人の姿へと戻り、真っ赤な顔で二人へ猛抗議する。



「どう!? 私の一撃は??」



 マイが俺の左隣りに並び、同じ方向を見て誇らし気に口を開いた。



「流石の一言に尽きるよ」



 出来ればもう少し威力を抑えて欲しかったが……。あの人相手には手加減は出来ないし。



「喝采しなさい!!」



 大袈裟だよ。


 てか、例え大きな危機から救われたとしても。それだけはしないだろうなぁ。


 勿論?? お礼は言いますけどね。



「マイちゃん!! かっこよかったよ!!」


「あぁ!! あたしもあれくらいの威力を身に着けないとなぁ」


「ぬぐふふっ。そうでしょう、そうでしょう――」



 褒め言葉を受け、素直に大きく頷く一方。



「もう少し範囲を狭められないのか??」


「威力を集約させ、もっと効率良くすべきだと私も考えます」


「きこえな――い」



 リューヴとカエデの苦言には耳を塞いで抵抗した。


 自分に都合の良い言葉だけを受け取ろうとする、実に分かり易い性格だよ。



「本当ですわ。私の美しい髪が汚れてしまいます」


 アオイが溜息を付き、白い髪を嫋やかな手で梳かしながら溜息を吐く。


「あらあらぁ?? 嫉妬ですかぁ?? そうよねぇ。越えられない壁を目の当たりにするとそうもなるわよねぇ??」



 厳しい修行で無の境地に達した修行者さえもイラっとするにやけ面を浮かべた。



「はぁっ!? 誰が!?」


「ぷくく……。いいのよ?? 敗北宣言を仰ってもぉ――??」



「こ、のっ!!」


「ま、まぁまぁ。落ち着いてっ」



 アオイが食って掛かりそうなので慌てて背後から羽交い絞めにして止めてあげた。


 もう本当に疲れているからこれ以上暴れないで下さい……。



「あんっ……。レイド様、もっときつく抱き締めて下さいまし」



 いや、そういう意味で止めたんじゃないんだけど。



「おらぁ!! 離れろや!!」


「あはは!! レイド、マイに噛みつかれるぞ!!」


「だね――。マイちゃんに噛みつかれたら三日は痛みが引かないもん」



 いつものやり取りに笑いが自然と口から零れるが。



「カエデ、ミルフレアさんの魔力は感じるか??」



 燻ぶる黒煙を放つ家屋の残骸を見つめながらカエデに問うた。



「――――。あの一帯にはまだ魔力の塊が渦巻いていて確かな事は言えませんが……。彼女の微弱な魔力は感じます」



「それって……」



「ですが、安心して下さい。彼女の魔力は微弱なまま上下していないので恐らくあの中で気絶しているかと」



 あの一撃を食らって気絶、か。


 恐らく最高硬度の結界展開は間に合わなかったが、それ以下の厚さの結界を展開して己を守ったのだろう。


 無防備な状態で龍の一撃を真面に食らえば命を落としていただろうから。



「さて、皆さん。増援の恐れがありますので此処から退却しますよ」



 カエデが入り口方面へ向けて藍色の髪を揺らして踵を返す。



「ボケナス!! 帰ったらおにぎり作ってよね!?」


「はいはい……」



「しかも超ドデカイ奴よ!? 絶対だからね!?」


「はいはい!!」



 一度言えば分かるからそう何度も強請るなよ……。



「レイド、あたしは普通の大きさね――」


「はいは――い!! 私は小鹿の腸が食べたいです!!」



 どうぞ、お好きに森の中へ狩りに出掛けて下さい……。



「小鹿の腸なんかよりさ。王都の屋台巡りしようや」


「ユウ!! それっ!! 採用っ!!!!」


「勿論お肉中心で選んでよね!?」



「「却下」」


「二人共酷いよ――!!」



 カエデが先頭を歩き、俺達は親鴨の後を続く子鴨達の行進の様に。陽気な雰囲気に包まれたまま不必要な日常会話を続けつつ足を運び始めた。


























































「はは、もうマイちゃん…………………………。えっ??」


 ルーが少し後ろを歩くマイへ振り返るとピタリと笑いを止め、両手で目を擦る。


「ルー、どうした??」



 その様子がどうも気になったので。怪訝な表情を浮かべる彼女に近寄り問うた。



「見間違いか、な??」



 見間違い??



「何が??」


「いや、煙の中で何かが動いた様な……」


「煙の中ぁ??」



 ユウも此方の様子に気付き、三名が龍の一撃の着弾地点へ向かって鋭い視線を送り続けていると。



「…………あ。あぁ……っ!!!!」



 ルーの表情が豹変してしまった。


 それは一瞬で恐怖に包まれ、絶望の淵に追いやられた表情そのものであった。



「う、嘘だろ!?」


 ユウも驚愕の表情を隠せない。


「な!? あ、あ、有り得ない……」



 当然、俺もその姿を見て言葉を失った。



 驚天動地。


 有り得ない筈の現象があの爆心地で起こっているのだから。




 西から吹く風で黒煙がゆるりと揺らぎ、その姿が徐々に明確になっていく。


 黒いカーテンが完全完璧に開かれると心臓が恐ろしい程速く鳴り響き、口の中に乾いた砂を捻じ込まれたような乾きが訪れた。




「…………。久々。本当に、久し振りよ」




 白い肌は煤で黒く汚れ、体中に傷を負い所々から出血し、憤怒を籠めた瞳は俺達を恐怖のどん底へ陥れるのに十分な力を有していた。



 ば、馬鹿な!?


 マイの乾坤一擲が当たったんだぞ!?


 そ、それなのに……。立ち上がるなんて!!



「そ、そんな……!! 嘘でしょ!!」



 マイが珍しく震える声で話す。



「私が恐怖を覚えたなんて、何年振りかしらね。本当に……。驚いたわ」



 悪意の塊を瞳に宿して首を傾げ、驚きと恐怖で一歩も動けない俺達を睨みつける。



「刹那にでもそれを感じさせた罪は、決して軽くは無いわよ??」




「マイ!! リューヴ!! 構えて!!」



 誰もが身動き一つ取れぬ中、カエデが誰よりも先に叫び恐怖に縛られた俺達の呪縛を解く。


 普段の冷静な姿からは想像出来ない程カエデの表情には焦りが見られた。



「分かった!!」


「了承だ!!」



 マイとリューヴがその場で己の得物を装備して、憎しみと殺意に塗れた表情で俺達を睨む彼女と対峙。



「他の皆は二人を援護!! 攻撃を加えつつ脱出します!!」


「皆!! 聞こえたか!? 恐らくミルフレアさんも限界に近い!! 此処で諦めたら……。っ!?」



「脱出?? あはは……。アハハはハはハ!!!!!! アハハハハ!! ア――ハッハッハッァァアア!!!!」



 人格が壊れたように、乾いた笑いを放つ。


 その姿が俺達に更なる恐怖を与え、高まりかけた戦意を削ぐ。



 な、何て表情で笑うんだよ……。


 生きた感情が籠っていない笑い声に血の気が何処までも引いてしまう。




「ここから逃げられると思っているの!?」


「当り前よ!! その減らず口、塞いでやるわ!! 行くわよ!? 私に続け!!」



 俺達が恐怖に包まれる中、マイだけが彼女に対し啖呵を切って前へと進もうとしたその時。



「そう……。最初に……」



 ミルフレアさんが背後へ腕を回し、手に何かを掴む動作を見せた。






 刹那。

 俺の頭の中で、最初にマイと出会った光景が浮かんだ。





 何だ?? どうして今ここで、あの光景が浮かぶんだ??


 それは龍を射殺す為に、槍が投擲された瞬間の光景であった。


 胸騒ぎ、焦燥感、憂俱、危俱。


 様々な感情が湧き起り、それらに駆られた足が意図せずとも前へ動き出した。




「死にたいのは、あんたみたいね!!!!!!」


「くっ!?」



 ミルフレアさんの手から光る何かが放たれるとそれは空気を撫で斬りながら、再び恐怖に拘束されて身動き出来ないマイへ一直線に向かう。



「……っ」



 寸での所でマイの前へと飛び出し、光る物体を己の胴体で受け止めた。



「ちょっと、何勝手に私の前に出てんのよ。わ、私が前に出るんだから」



 マイの声を受け止め、視線を下に落とすとそこには……。



 俺の腹部から黒色の柄が生えていた。


 短剣の鋭利な刃は腹部の内部へ向けて深く根を下ろし、柄だけが腹から外に飛び出している。


 刃と腹部の狭い隙間からは温かい液体が零れ続け。黒いシャツを濡らして、地面に深紅の水溜まりを形成。


 あの時と同じ痛みが襲い掛かると思いきや……。




 不思議と痛くは無かった。




 これは恐らく、彼女を守れたという安堵感が痛みを上回った結果であろう。


 うん、良かった……。


 俺だけが傷付いて済めば御の字だ。



「…………。大丈夫か??」



 直ぐ後ろのマイへ振り返り、いつもと変わらぬ口調でそう話す。



「……ッ!!!!!!」



 俺を視界に捉えた彼女はヒュっと息を飲み込み。声にならない声を出して、驚愕の表情を浮かべて顔と傷口を交互に見比べた。


 ハハ、お前さんでも青ざめる事があるんだな??


 貴重な表情を拝めて光栄だよ。



「これか?? 安心しろ。俺は丈夫さには自信があるんだ。後、カエデ。皆を引き連れて此処から一刻も早くだ……。ゴフッ!?」



 冷静に言葉を放つと、胃から温かい何かが込み上げて来た。


 何だろう??



「ゴフッ!!!! ゴフっ……。ェェッ……」



 胃から溢れ出て来る何かを両手で抑えるが、その濁流は決して留まる事を知らず。俺の指の間から地面へと向かって流れ出て行く。




 …………。血だ。


 両手が鮮血で染まり、吐き出した鮮血は掌から零れ地面を穢す。



 そっか……。


 体内が傷付いてその出血が口から……。



「俺は……大丈夫だから。皆で、は、早く脱出……。ゴハッ!!!!」



 止め処無く鮮血が口から溢れ出て来る。


 大量の吐血により体中が激しく痙攣。それと同時に足の力が抜け、その場に両膝を着いてしまった。



 しまったなぁ。これじゃ、師匠にまた怒られてしまう。



『敵の前で膝を着くな!!』



 ふふ、申し訳ありません。今度会った時はもっと厳しく指導して下さいね。


 でも……。師匠……。どうして、どうして力が入らないのですか??


 あれだけ鍛えて、食って……。自分が弱い所為でしょうか。



 師匠の温かい笑みを思い浮かべつつ、冷たい大地へと倒れ込んだ。



「レ……。レイドォォオオ!!!!」



 マイが武器を捨て、俺を抱える。



「何だ。心配してくれてるのか??」



 そ、それに。


 滅茶苦茶久し振りに俺の名を呼んでくれた気がする。



「ば、馬鹿じゃないの!! 何で、何で!!!! 私の前に出たのよぉ!!」



 恐らく、猛烈な痛みを覚える程の力で俺の肩を握っているんだろうが。


 その痛覚は感じる事は出来なかった。



「ゲホッ!! はぁ……はぁ……。それ、は分からない。気が付いたら、体が、勝手に動いて……。ゴブッ!! ェッ……。いたんだよ」



 込み上げて来る血が邪魔で話しにくい。


 まるで大量の水を口の中に入れて喋っているみたいだ……。



「マイ!! 退いて!!!! レイド!! 今治すから待ってて!!」



 血相を変えたカエデが茫然自失状態のマイを押し退け、俺の腹部へ向かって魔法陣を浮かべてくれる。


 いつもは温かい感触を感じるけど、今は何も感じ取れない。


 妙に寒いんだ。




「あり、がとう。カエ、デ……。いつも、御免……ね」



 本当……。カエデにはいつも頼りっぱなしだな……。



「お願いだから!! それ以上喋らないで!!!!」



 美しい藍色の瞳に矮小な雫が浮かぶ。


 な、泣いているの??


 どうして??



「な、泣かないで。俺は……。大丈夫だから……」



 矮小な雫が膨らみを増し、美しい球体へと変化。質量を帯びた雫は重力に従って俺の頬に降って来た。



 あぁ……。


 何て温かいんだ。



 凍える冬の空から降り注ぐ強き陽光の温もりを感じると、瞼が猛烈に重たくなって来た。



「……っ!!!!」



 誰かが叫んでいるけど、御免ね??


 猛烈に眠たいから……。また後で返事するよ……。



 春の温かさを司る女神から温かい雫を受け取ると、朦朧とする意識はそのまま深い闇の底へと向かって堕ちて行ったのだった。




最後まで御覧頂き有難う御座いました。



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