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第百五十一話 新たなる試練 その一

お疲れ様です。


本日の投稿になります。


それでは御覧下さい。




 早朝の走り込みを終え、腹を空かしている筈の胃袋が顔を背ける大量の朝食を摂り。午前の訓練の為、訓練場に集合。


 師匠から受け賜った指示通りの行動を滞りなく終え、良く晴れた空の下で三本の尻尾を楽し気に振る彼女からの第一声を待っているのですが……。



 師匠の隣。


 普段見慣れない姿を見かけると否応なしにそちらへと視線が集まってしまう。



「ハッ、ハッ、ハッ」



 漆黒の毛を纏い、口からは体内に籠る熱を放射する為に細かい吐息が漏れ続け、随分と太い四つの足の先には鋭い爪が装備されている。


 お座りの状態から立てば恐らく一階建て平屋程度の高さを誇る巨躯なのだが……。


 巨大オーク、雷狼、並びにミノタウロス等。此処まで得た経験のお陰で大きさには然程驚かない。


 まぁ、驚かない人生経験もどうかなぁとは思いますが。問題は何故、あの大きな犬が此処に出現したのかでしょうね。




「あぁ――。クソッ、いってぇなぁ」



 頭頂部に出来た巨大なたん瘤、並びに四つの足を器用に動かして体を擦りながら低い男の声で話す。


 師匠の愛玩動物、なのだろうか。


 隣で腕を組んで立つ師匠は普段のそれとは変わらない表情を浮かべていますし……。


 師匠に伺おうにも質問を投げかけて機嫌が悪くなってしまったら地獄の訓練が始まってしまいますので安易な行動は憚れます。



「よし、集まったな」



 師匠が横一列に並んだ俺達を見つめ、満足気に声を上げる。



「では、今日の指導内容を説明するかのぉ」



 いやいや、師匠。少々お待ち下さい。


 そう声を出そうとしたのだが。



「ちょっと」



 俺の気持ちをマイが代弁してくれた。



「何じゃ??」


「そこのデカくて黒い犬は何??」



 そりゃ気になるよね。



「わんちゃんだ。おっきいよねぇ」



 犬と親戚、若しくは似た姿である雷狼の子孫のルーも興味津々の様子。


 新しい遊び相手を見つけた時みたいに金色の瞳をキラキラと輝かせて黒犬を眺めていた。



「あぁ。こいつか」


「こいつって。酷いですぜ、イスハの旦那」


「儂は女じゃ。こいつはエルザードの使い魔、ベゼルと言ってこの世に害をなす獣じゃよ」



『使い魔』 ね。



 また新しい単語が出て来たよ。


 今は時間が惜しいし、後でカエデにでも尋ねてみようかな。勿論、機嫌が良い時にです。


 朝も早くから沢山走って、しかも。彼女が苦手とする大量の食料を摂取したのだ。今朝は少々機嫌が悪いのですよ……。



「……」



 ほら、嬉々として俺達を見つめる犬に対し。早く何処かへ行けって感じで睨んでいますもの。



「ひっでぇなぁ。かわいこちゃんもいるし、自己紹介をしようかな。俺の名前はベゼル。エルザードの忠実なる僕だ」



 此方を正面で捉え、誰かに殴られたのか。傷が目立つ顔でそう話した。



「宜しくね――!!」



 ルーがぴょんっと一つ跳ね、明るい声で話す。



「宜しくお嬢ちゃん!! 可愛いねぇ?? ちょっとお胸が小さいけど、俺的には許容範囲よ??」



 舌なめずりをしながら話す姿はどことなく間の抜けた印象を此方に与える。


 エルザードの愛玩動物だとしたら、その性格はきっと御主人様譲りなのでしょう。


 あ、いや。動物じゃなくて使い魔か。



「喋る犬ねぇ……」


 ユウがヤレヤレといった感じで、溜息交じりに言葉を漏らす。


「うっひょぅ!!!! やっぱ生はいいなぁ!!」


「は??」



 千切れんばかりに大きな尻尾振りつつユウの前に歩み寄り、舐める様な視線で訓練着の内側からぎゅうぎゅうと押し上げる世界最高峰の山脈を見つめた。



「その聳え立つ山脈。あぁ、何んと神々しい……。拝みながら顔を突っ込んでも宜しいか??」


「あぁ?? それ、あたしに言ってんの??」



 あからさまに怪訝な表情を浮かべる。


 ベゼルさんとやら。そこに顔を突っ込んでみろ。


 数秒と持たずに意識を失うぞ??



「卑猥な犬ですわねぇ」


「こっちも堪らん!! 山脈に劣れど、それを補う良い形の胸と尻!! 肌も白くて俺好みよ!?」



 今度はアオイか。右往左往忙しない奴だなぁ……。


 これだけの美人、可愛い子揃いだから燥ぐ気持ちは分からない訳ではないけども。間も無く訓練開始なのだからそれ相応の引き締まった態度を取って欲しいものです。



「犬、私達は今から訓練を行うんだ。邪魔だから失せろ」



 リューヴが遠くから鋭い言葉を投げ掛ける。


 ちょっと言い過ぎですよ――っと。


 それともう少し優しく睨んであげたら?? 眉の角度が凄い事になっていますよ??



「あはは。強がっちゃってぇ。お嬢ちゃんも美味しそうね??」


「貴様。耳が腐っているのか??」


「そうよ。邪魔だから外で散歩でもしていなさい」



 マイがリューヴに便乗して苦言を吐いたその後。




「あ――。お前は眼中に無いよ。その嘆かわしき坦々で、平坦な道じゃ俺は満足出来ないからさ」



 ベゼルが口にした単語が俺達の間に戦慄をもたらしてしまった。



 おっと……。


 こいつはとんでもない言葉を口に出してしまったな。




「あははは!! 御犬さん、御冗談が上手ですわねぇ」



 いや、一人を除いてだ。


 この張り詰めた空気の中、アオイだけは愉快爽快といった感じで笑っていますもの。



「へへっ。そう?? じゃあ、もう一丁!!」



 あ、それ以上はやめておいた方が……。



「俺に相手して欲しけりゃ。相応の物を持ってきな。垂直さんよ」



 止めなさいよと口を開く前にコイツは二度も禁句を口にしてしまった。



「…………」



 深紅の龍は怒りで肩が震え、力の限り拳を握り湧き起こる憤怒を溜めている。


 表情は俯いていて、窺い知れないがきっと悪魔も裸足で逃げ出す憎悪に満ちている事だろうさ。



「あ――?? 悔しくて泣いちゃった??」



 残念。


 アイツの瞳から食事関係以外の事で涙は溢れ出ないのであしからず。



「……、二」


「はぁぁ?? 小さくて聞こえませ――ん。胸も背もちいせぇと声もちいせぇのかぁ??」


「……。三回」



 マイがゆるりとベゼルの前に歩みながらそう話す。



「今ので三回だ、クソ犬。世界最強の私をこ、虚仮にしたわね??」


「あぁ、それがどうかしたか?? それとも俺と喧嘩するつもり??」



 舐めた口調、それと挑発する視線。


 アイツ、自殺願望でもあるのか??



「この体を見て恐れ慄かなかった者はいない!!」



 体中の筋肉が隆起し、爪先からは鋭い爪が伸びて全身の毛が逆立つ。


 鋭い犬歯の隙間からは怒気が含まれた白い蒸気が漏れる。



 う――ん……。


 体全体から放たれる圧はまずまずといった所なのですが。


 生憎、我が分隊員達はその程度では慄く処か喜んで攻撃を加えてしまうのですよ。


 丁度良い遊び相手が出来た!! そんな感じでね。



「はははは!! ど――だぁ!? 恐ろしいだろう?? 尻窄むだろうぉ??」



「…………。遺言」


「はぁ?? 聞こえねぇよ」



 ピンっと尖った黒い耳をマイに傾ける。



「遺言はそれだけか??」


「ぶっ!! はははは!! お前ぇ面白い奴だなぁ!!」



 豪快に口を開け、頭を上下に揺らして笑っている。


 ベゼルはマイの言葉を冗談と受け取っているが、俺達は違う意味で気が気じゃ無かった。



「あいつ、大丈夫かな?? 死体処理面倒なんだけど……」


「ユウ、危なくなったら俺達で止めるぞ」


「えぇ――。巻き込まれて怪我したく無い」


「そう言うなって」


「レイドの頼みじゃ断れないな。おっ、始まるぞ」



 ユウの言葉を受け、正面に視線を戻す。



「ハハッ……。冗談じゃないと言ったら??」


「ん――?? 本気で俺の相手をするつもり??」


「そうさぁ……。歯ぁ、食いしばれや!!!! この変態ド畜生犬!!!!」



 マイの激情を籠めた右の拳がベゼルの左頬を捉えると。



「ぶぼぁっ!!」



 生鈍い炸裂音がだだっ広い訓練場に響き渡り。激烈な一撃を真面に食らった巨躯が訓練場の中央まで吹き飛ばされてしまった。



「うへ――。痛そう」



 ユウが顔を顰め……。てはいませんね。


 因果応報、報いを受けて当然だと平常心を保ったままの表情で話す。



「いって――!!」



 ベゼルが前足を器用に動かして打撃箇所を抑えて悶え苦しんでいると。



「おい、早く立てクソ犬がぁ!! この世に生を受けた事を後悔させてやる!!!!」



 黒犬へ目掛け、何の遠慮も無しに朱が襲い掛かった。



「くっ……!!」



 地獄の亡者も大人しくしているからそれ以上睨まないで下さい!! と。


 深く頭を垂れてしまう凶悪な顔を浮かべて接近するマイから四本の剛脚を活かして思ず唸ってしまう速さで距離を取る。



「お、まぁまぁ速いね――」


「欠伸が出る速さだ」


「リュー。ワンちゃんなんだから大目に見てあげなよ」



 ルーとリューヴにとってはあの速さもそこまでなのかな。


 まぁ、俺も感想としてはそこそこの速さだと断定出来るけどね。


 マイやリューヴの速さに慣れ過ぎた所為か??



「この速さについてこられるかな!?」


 嘲笑い、距離を取りつつ反撃の姿勢を整えているが……。


「…………、おい。どこへ行く??」


 彼の速さの更に上を行く速さでマイがベゼルの進行方向の先に突然出現。


「どわぁっ!?」



 大型黒犬は目を白黒させて移動を停止させてしまった。



「ユウ、今の見えた??」


「ん――。何んとか」



 流石だな。


 影が動く位にしか確認出来なかったぞ。



「ちぃっ!! ま、まだ速く動けるからな!!」



 再び怒れる悪魔から距離を取るが……。




「よぅ……」


「くっ!!」



 マイの速さはそれを上回り、彼の行く先々に現れ恐ろしい顔で睨みつけた。



「ま、まだまだぁ!!!!」

「――――。よぉ」



「ひぃっ!! おかしいだろ!! 何だよ!! その馬鹿みたいな速さは!!」


「あ?? 御望みならもっと速くしてやるぞ??」



 想像したくないなぁ。


 逃げた先々に怒り心頭の龍が現れるのは……。



「こ、このぉ!! 攻撃力なら負けんぞ!!」



 速さでは勝ち目が無いと判断したのか足を止め、自分の半分以下の大きさの女性へ襲い掛かろうと重心を落とした。



「その小さな頭蓋、噛み砕い……。グぇッ!?!?」



 そして、鋭い牙で噛み砕こうとしたのか大きく口を開けたのだが……。


 マイの手がそれより素早く彼の喉元を掴み、怒りで増幅した力をぶつけていた。



「し、しふ!! しんふぁいます!!!!」


「あぁ……?? 何ぃ?? 聞こえな――い」



 苦しさから逃れる為に数本の足をバタつかせるベゼルに対し、生気を失った目で只々苦しむ姿を茫然と見つめていた。


 乾いた声が観戦している俺達にさえも恐怖を抱かせる。



「こふぉの!!!!」



 精一杯の抵抗か、前足でマイを打つが……。



「かっゆ」



 横面を打たれても微動だにしなかった。


 こえぇ。


 とても女性が浮かべる表情とは思えませんよ……。



「さぁ……。あの世に行く準備は出来たかしら??」


「ひ、ひぃ!!!!」



 左手に黄金の槍を召喚し、口に捻じ込もうと大きく引く仕草を見せた。


 これは不味い。


 本当に止めを刺しそうな勢いだな。



「誰かぁ!! こ、この化け物を止めてくれぇぇええええ!!」


「アハハハハ!!!! い――い声で鳴くじゃないかぁ。えぇ?? もっと悲壮感溢れる声を聞かせてくれよぉぉ……」



 訓練前の死体処理は士気に関わるし、何より。エルザードの所有物を奪う訳にはいかないからね。



「マイ、そこまで」


「コイツも十分懲りただろうしさ」



 ユウと協力して後ろからマイを羽交い絞めにする。



「離せ!! こいつをこの世から消し去ってやる!!!!」


「「まぁまぁ――」」



 必死の思いでベゼルから引き剥がし、元居た位置まで引き離す事に成功した。


 何て馬鹿力。


 ユウと一緒じゃなきゃ思わぬ反撃を食らい、硬い大地と仲良く抱き合っていた所ですね。



「げほっ。おぇぇ……。し、死ぬかと思った……」


「相変わらず阿保じゃのぉ。さて、児戯も終わった事じゃし。今日の訓練内容を発表するぞ」



 師匠が苦しそうに咽るベゼルを尻目に話を始めた。



「レイド」


「はい」


「お主はベゼルの相手をせい」


「自分一人で、ですか??」


「ゴホッ!! オフッ!! はぁ――。若くて可愛くて巨乳の女の子の汗で喉を潤したぁ――いっ」



 今も苦しそうに咽て、下らない妄想に耽る犬へ視線を動かす。


 アイツの頭の中には反省という二文字の言葉は存在していないのだろうか??


 今し方そのふざけた行為によって死にかけたってのに……。



「そうじゃ。まだ新しい龍の力に慣れておらんお主にうってつけの相手じゃ」


「分かりました。宜しくな、ベゼル」


「あ、あぁ……。オエっ……」



 まだ苦しそうだな。


 大丈夫かな??



「他の者は儂直々に相手をしてやる。組手方式で、儂が一本取ったら次の者と交代じゃ」


「私達が一本取ったらどうすんのよ??」



 まだ怒りが収まらぬのか。悶え続けているベゼルに厳しい視線を向けているマイが話す。



「安心せい。それは天と地がひっくり返っても起こらん」


 飄々と、そして余裕の笑みを浮かべながら話す。


「ぐぬぬぬ……。今日こそ一本取ってやるんだから!!」


「なはは。その意気じゃ。死ぬ気で掛かって来ぬと怪我をするぞ??」



 あっちは師匠と一日中組手かぁ。


 滅茶苦茶疲れそうだけど、ちょっと羨ましいな……。



「よぉ。小僧」


「ん?? どうした??」



 ベゼルがやっと立ち上がり、此方へ少々頼りない足取りで向かって来た。



「さっきはありがとよ。危く死に掛けたぜ」


「どういたしまして。アイツを揶揄うのは金輪際止めておいた方がいいと思うよ??」


「そうする。命が幾らあってもたりやしねぇ」


「はは、それには同意するよ。今日は宜しくな」



 手を前に出し、握手を求めると。



「ふん。俺が相手をするんだ。半端な覚悟で向かって来るなよ??」



 俺の右手にちょんっと右前足を乗せてくれた。


 砕けた性格で人を小馬鹿にする奴だけど、根は優しいんだな。



「よっしゃあ!! じゃあ早速始めるかぁ!?」



 四つの足をガバッと広げ、今にも飛び掛かって来そうな前傾姿勢を取るのですが。


 その前にっと。



「えっと、ベゼル。一つだけ聞きたい事がるんだけど良いかな??」



 遊び相手を見つけて堪らなく嬉しそうに尻尾を振る彼に問う。



「ん?? 何??」


「さっきからずぅっと気になっていたんだけど……。頭のたん瘤はどうして出来たの??」



 そう、その点がずっと気掛かりだった。



「あ、これ?? いや、聞いてよ。実はさぁ……」



 彼の口から出て来た言葉に俺は思わず耳を疑ってしまった。


 彼曰く。


 深夜、俺に夜襲を掛けようと画策していた横着者の淫魔の女王様から別行動を取り師匠の母屋へと向かった。


 その理由は何んと、あの黄金に輝くモコモコの尻尾を好き放題する為だそうだ。


 大変羨まし……。じゃあなくて!! 愚行にも程があるぞ。


 意気揚々と母屋に侵入してモフモフの尻尾に飛び掛かろうとした刹那。



『クソ戯けがぁぁああ!!』



 超激烈な踵が頭頂部に直撃。


 死に至る一歩手前の一撃を受けて今もたん瘤の腫れが引かないそうな。



「よく生きていたね??」



 師匠の一撃はこの身を以て知っている。


 そして、人体の中でかなりの硬度を誇る部位が直撃したんだぞ?? 頭蓋が砕けて、破裂してもおかしくないってのに。



「夜這いに人生賭けてっからな。早々死にやしねぇって」



 もっと違う方面にその熱意を向けたら如何だろうか??



「よし!! 話はこれで終わりだ!!」


「あぁ、宜しく頼む!!」



 距離を取り、互いに構えを取って対峙した。



 ふぅ……。


 先ずは龍の力を出すより、相手の出方を窺おう。


 足を肩幅に開き体を斜に構え、左手は顎の下。そして、右手は左手の同位置。


 心に澄みきった水面を映せ……。


 澄み渡り、風に靡く波紋も無く、一糸乱れぬ不動の心。これこそ、極光無双流の極意なり。



 訓練中に大怪我は御免被りたい為、集中力を高めていくと此方の雰囲気が変わった事に気付いたのか。



「む?? イスハの旦那と同じ構えか」



 先程までのお茶らけた雰囲気が霧散。


 巨躯に相応しい圧と構えを取った。



「一応、弟子ですから」


「へぇ、それなら……。手加減しなくても良さそうだな!!」



 来た!!!!


 真っ直ぐ小細工無しに向かって来ると疾風の如く俺の間合いに入り鋭い爪の連撃が開始された。



「くっ……!!」



 巨躯から繰り出される攻撃は遠目から見たよりも想像以上に早く、こちらに反撃のきっかけを生ませない。


 視線を切れば立ち処に爪の餌食になってしまうであろう。



「ほら!! どうした!? 避けてばかりじゃ俺は倒せないぞ??」



 そうは言うけども。


 繋ぎ目の無い攻撃の連続に防戦一方だからさ。


 如何せん隙が見当たらない。攻撃を避けながら隙を窺うか……。



「おらぁ!!」


「あぶねっ!!!!」



 右足の一撃が振り下ろされ、目の前の空気が消し飛ぶ。


 今の攻撃が直撃したら肉が深く切り裂かれて全治十日の大怪我だな。



「さっきからひょいひょい避けやがって!!」



 おっと、少しだけ攻撃に乱れが生じて来たぞ。


 見た目通りに短気な奴だな。


 それならこちらにも付け入る隙が生じるかも。



「このっ!! おらぁっ!!!!」


 当たらない事に苛立ちを覚え始め、打ち終わりが雑になって来た……。


 右利きなのか、右前足の空振りの後に大きく体が流れている。


 よぉし!!


 反撃開始と行きますか!!



「くたばれ!!」



 よしっ!!


 これ見よがしに大きく腕を振り上げ、鋭利な爪で空気を切り裂く。


 半身で躱して……。


 ここ!!


 右足が振り下ろされると同時に、相手の右側に鋭く踏み込む。



「ふんっ!!」



 そして、がら空きの胴体へ左の拳を鋭く突き上げてやった。


 黒い毛を通して拳に確かな硬い感触を掴み取るが……。



「いって。俺に一撃当てるとは良い根性だ」


「はは。そりゃどうも」



 ありゃま。


 まるで効いていないな。


 こいつにしたら矮小な大きさの生物からの拳だ。蚊に刺されたみたいなもんだろう。



「お礼に……。こいつをくれてやるよ!!」


「へ?? どわっ!!」



 目の前で黒い毛が回転すると胴体に鋭い衝撃が走る。


 爪に意識を集中させ過ぎた所為で、尻尾の存在を忘れていた。


 そのまま後方へ弾き飛ばされ。



「ぐぇっ!!」



 地面に叩きつけられると同時に腰と全身に衝撃が走り、刹那に息が詰まってしまった。



「いてて……」



 痛む体に鞭を入れ、立ち上がる。


 足は……。


 うん、動く。まだいけそうだ。



「ほぉ……。今のを受けて立つか」


「頑丈なのが取り柄だからさ」


「そのようだな。さぁ、続きだ!!」


「ちょっ……!!」



 間髪入れずに黒い影が襲い掛かる。


 全く……。


 もう少し、加減ってもんを知れよ……。


 猛烈な連撃を必死に躱しながらそう心の中でぼやいてやった。



「――――。なぁ」



 一進一退の攻防を続けていると、ベゼルが不意に攻撃の手を止めて此方と距離を取って口を開く。



「何だ??」


「奥の手があるんだろ??」



 奥の手。


 恐らく龍の力の事だろう。ベゼルが何故知っているのかは理解出来ないが、恐らく。師匠かエルザードに聞いたのだろうさ。



「一応あるけど……。まだ使い慣れていない力だからな」


「この際だ、見せてみろよ。そのひょろい姿で俺様の相手は務まらないだろ??」



 ひょろいって……。


 いきなり本番で使うより、今の内から練習しておいた方が得策かもね。



「分かった。少しの間、集中させてくれ」


「ん――。ゆっくりで構わんぞ――」



 ふふ、優しい奴め。



「ふぅ――……」



 息を吐き、肩の力を抜き、龍の力の片鱗を右手に集中させる。


 えっと……。


 昨日は確かこんな感じで力が宿ったよな??


 体の中に秘めたる力を想像し、以前の発現と同じ方法で右腕に力を一点に集中させた。



「んっ!!!!」


「うえ。おいおい、とんでもねぇ力だな」



 ベゼルの怪訝な声が正面から届くとほぼ同時に右腕に熱が宿り、迸る熱波が体を伝う。


 あっつ!!


 以前と比べると段違いの熱量に思わず顔を顰めてしまった。



「これが奥の手だよ。初めて組手で使用するから加減が分からん。危険だと判断したら止めるからな」



 話している間にも熱が高まって行く。


 それはまるで体内に籠る熱を早く放出しろと言わんばかりだ。



「余裕だって。俺が小僧相手に負ける訳ないだろう」


「よし、行くぞ!!」



 足に力を溜めに溜め、ベゼルとの距離を消失させる勢いで大地を蹴飛ばす。


 感覚的には走り出すつもりであったが……。



「おわっ!!!!」



 どうやら新しき力はかなりの横着者らしいですね。


 想像以上の加速度を得た体は疾風となり、勢い余ってベゼルの体にぶつかってしまった。



「っと……。おいおい、男に興味は無いのだが??」


「すいまふぇん……」



 ちょいと硬めの黒い毛に顔を埋めて話す。


 強過ぎる力も考え物だな。もう少し抑えながら力を引き出しましょうか……。



「まぁ……うん。焦らずに、な??」

「ふぁい……」



 己の失態から生じる羞恥を誤魔化す様に、毛に埋もれたまま話す。



「よし!! 気を取り直してもう一度だ!!」

「お、おう!!」



 俺から距離を取り、態々仕切り直してくれた。


 すいませんね、ドジで……。



「見た感じ、地に足が着いていないからなぁ。俺の速さに付いて来い。先ずはそこから始めよう」


「了解だ」



 ベゼルが足に力を籠めて脚力を開放すると、瞬き一つしている間にその姿が消えた。



 速いな……!!


 でも……。全く目で追えない訳ではないぞ!!



 力を解放する前はその動きさえ追えていたかどうか疑問が残る。


 だが今ははっきりと黒き影を視線は捉えていた。


 よし、いけるぞ!!



「おぉ!! 俺の足についてきたな!!」


「余裕、とまではいかないけど何んとか追えているよ」



 彼と同じく脚力を解放してベゼルの剛脚に並走する。


 背景が目まぐるしく移り変わり、風が加速によって質量を持ち激しく肌を刺す。



 これが……。


 マイ達が見ている光景か……。


 いや、正確に言えばまだ入り口に立っているだけに過ぎない。もっと、もっと先の光景を見てみたい。


 そして、彼女達と同じ光景をこの目で確かめてみたい!!



 激しく移り変わる景色の中に溶け込む黒き影を追い続けていると、その影が急停止。



「足は追いついた。じゃあ、攻撃はどうかな!?」



 振り向き様に鋭利な爪の閃光が迸った。



 見えているぞ!!



 襲い掛かる一閃を屈んで躱し、一段階も二段階も速くなった剛脚で得た加速度で懐に潜り込んだ。


 絶好の位置だ!!



「ふんっ!!!!」



 右腕に力を籠め、灼熱の業火を宿した龍の拳を左脇腹に突き刺す。


 黒き毛を突き抜けた拳が硬い皮膚を確実に捉えた。



 おぉっ!!


 何て心地良い感覚だ……。


 拳の人差し指から小指の第一関節が肉を食らって歓喜の雄叫びをあげてしまう。



「ぐえっ!!」


「あ、ごめん!!」



 やべ……。力加減を考えないで打っちゃった……。



「ったく。手加減しろよなぁ」



 痛そうに踏鞴を踏み、俺から数歩下がりながら話す。



 これが、新しい龍の力か。


 自分が打った拳の威力に驚き、一回り太くなった黒き龍殻を備える龍の腕を見つめた。



「良い拳だ」


「そりゃどうも。でも、大丈夫?? 骨、折れていない??」



 器用に脇腹を擦るベゼルに尋ねた。



「あぁ?? 余裕――。こんなの舐めてりゃ治るって」



 そこまで舌が届くのか疑問は残るが、症状は軽度の様だ。


 よし、それならもっと力を籠めても大丈夫そうだな。



「じゃあ、もっと強く打たせて貰うぞ??」


「へ?? それはちょっと……。お、おい!! 話を聞けって!!!!」



 慌てふためく彼に向かい、再び突撃する。


 蛇の女王に会うまでにこの力を扱えるようにしておかないと……。


 息を荒げ、溢れる力の胎動を御し、龍の逆鱗を叩き込む。


 己の体と自問自答を繰り返しながら拳を、烈脚を打つ。



「馬鹿野郎!! もっと加減しやがれ!!」


「その練習を今しているんだよ!!」



 この力……。まるで暴れる牛の上に乗った様だ。


 御しながら戦うのは苦労するなぁ。


 もっと力を解放してみたいとは思うが、これ以上は御する自信が無い。


 分相応。


 先ずは、確実に制す事が出来る範囲で動こう。


 過ぎたるは猶及ばざるが如しってね。



「いでぇっ!! 強く打ち過ぎだ!!」


「ごめん!! でも、もうちょっと付き合ってよ!!」


「こっちに来るな!! あっちで練習してろ!!」



 引きつった顔で俺から逃げていく黒犬を追いかけ、時に追い抜かし。


 片方は嬉々とした、そして片方は辟易。お互いに違う意味での大量の汗を流しながらそんな事を考えていた。




最後まで御覧頂き有難う御座いました。


週末は大変冷える予報ですので体調管理には気を付けて下さいね。


それでは皆様、お休みなさいませ。


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