第百四十七話 淫魔の女王様からの御指導 その一
おはようございます。
休日の午前中にそっと投稿を添えさせて頂きます。
長文になりますので、温かい飲み物でも摘まみながら御覧下さい。
朝の訪れを告げてくれる小鳥達の歌声が山の厳しい冷え込みが目立つ部屋の中で静かに響く。
優しい囀りで耳を楽しませてくれるこの音は朝に相応しい音色の代表格だと思う。しかし、ここで定説は通用しない。
「おら――!! 朝だぞ――!! 起きろ――!!!!」
鼓膜を激しく震わせて頭の中に直接響くこの音こそがこの場所に相応しいのだろう。
叶わぬ願いですが、もう少し優しく起こして下さいませんかね??
土中で何年も過ごす蝉の幼虫がこの騒音聞けば夏が来たと勘違いして、慌てて土から這い出て脱皮してしまうだろうさ。
「ほら、さっさと起きる!!」
メアさんが鉄の鍋をけたたましく叩きながら平屋に入室すると襖の向こう側で心地良い睡眠を享受している者達を一切の容赦無しに叩き起こす。
もうそんな時間か……。
昨晩、長湯し過ぎた所為か体が布団から中々出たがりませんね。
リューヴと扉越しに会話を楽しんだ後、彼女へ対する謝罪文を考えついつい長湯をして湯あたりしてしまった。
平屋に到着後、頭を下げに下げてお許しを請うた所。
『べ、別に。私は気にしていないっ』
狼の姿のままで顔をフイっと反らしてお許しの言葉を頂けた。
誇り高い狼の彼女に対しては決して口には出来ませんが……。あの時の顔を反らす仕草を例えるとするならば。
愛犬と激しい喧嘩した後。
飼い主さんが優しい声で喧嘩してごめんね?? と謝ったのに。本当は声を掛けてくれて嬉しんだけど怒ってしまった手前、尻尾を振る訳にはいけない天邪鬼な犬に見えたのは内緒にしましょうかね。
湯あたりそして謝罪と。布団の中に留まろうとするのは訓練以外の事で苦労したのが響いているのかしらね。
「も――。静かにしてよぉ……」
「頭に響く――」
ルーの珍しく憤りを含めた声色と、ユウの微睡む声が欄間から零れ落ちて来た。
「もう起きている人もいるんだぞ!!」
「えぇ……。だぁれぇ??」
「もう一頭の狼とカエデだ!!」
ほぉ。
流石と言うべきか、早くも本日の訓練に向けて準備を整えているのか。
俺も見習わなきゃなぁ……。
「レイドも起きろって!!」
「分かっているよ。今起きるから……」
起こしてくれるのは有難いですけども。異性の部屋を開けるのですから、一言二言あっても宜しいのでは??
上体を起こして、犬も驚く程大きな口を開けて欠伸をすると僅かに体が反応。
覚醒の欠片を無理矢理膨らませ、強引に布団の外に這い出ると最後の最後まで布団の中に残ろうとする我儘な素足を畳みの上に突き立ててやった。
うん!!
筋肉痛も、痛む関節も無い!!
我ながら頑丈な体に驚いてしまいますよ――っと。
「マイ!! 起きろっ!! それにアオイも!!」
寝惚けている者共を続々と叩き起こす姿は、悪鬼羅刹を退治する鬼神の如く。
あれだけ激しく鉄の音を聞かされた誰だって起きるでしょうに……。
「五月蠅いですわねぇ……」
アオイが目を擦りながら上体を起こす。
そして、憤りを含めた声を上げた。
「ほら!! 顔洗って走る準備!!」
「ん――……」
「ほら、起きて行くぞ??」
平屋の出口に向かうついでに、寝惚けているアオイへ話しかけてやった。
「レイド……。様??」
ぽぅと呆ける顔で俺を見上げるその目元は虚ろで口は半開き。
凛とした彼女とは正反対の姿に陽性な感情が込み上げる。
「あはは!! 寝惚けているアオイの顔、久々に見たな」
明るい声で揶揄ってやると。
「こ、これは……」
真っ赤に染まった御顔で布団の中に潜って行ってしまった。
「…………。余り見ないで下さいましっ」
布団から目元だけをひょこっと覗かせ、何とも言えない羞恥に塗れた顔でそう話す。
「いいんじゃない?? 普段見られない顔を見られて俺も嬉しい……。いってぇ!!」
肩のお肉に大変大きな蜂の針が刺さったような鋭い痛みが発生。
何事かと思い振り返ると、そこには狩人も弓矢を落として逃げ帰ってしまう恐ろしい顔を浮かべたリューヴがいた。
ごめん。物凄く怖いからもう少しだけ眉の角度を曲げて下さいませんか??
「主、おはよう」
「あ、はい。おはようございます……」
アオイに挨拶しただけなのに何で怒られなきゃいけないのだろう。
まだ昨晩の出来事を引きずっているのだろうか……。
「くあぁあぁ。仕方ない、行くとしますか……」
「そうだね。あれ?? マイちゃんは??」
ルーがマイの布団の方を見て声を上げる。
「もしかしてもう出発したと……。うっわ……」
不審に考えたルーが布団を捲ると。
「バラッビィ…………」
そこには想像の斜め上を遥かに超えた寝姿の女性が朝の空気が漂う大部屋に御目見えしてしまった。
素敵な訓練着が中途半端に捲れそこから覗く腹を指先でガリガリと掻き毟り。
余程布団の寝心地が良いのか、粘度の高い涎が頬を伝い落ちて枕では無く敷布団を大きく侵食。
素晴らしい夢を見ているのか、溶き卵も思わず合格点を叩き出してしまう程だらしなく目尻を下げていた。
ひっでぇ寝癖だな……。
普通の女性はこんな寝相はまず浮かべませんよ。
「マイ――。行くぞ――」
「ボブガっトン!? んぁっ……?? 朝??」
ユウの声を受けた若い女性擬きさんが汚い寝相と寝顔のまま起き上がると。
「あはは!! マイちゃんきたな――い」
「もう少し綺麗に寝ろよ」
「ふ、主の言う通りだな。マイ、今の貴様の顔は我々とは別種の生き物の顔だぞ」
皆一様に口を開けて朝一番に相応しい清々しい笑い声を放ってやった。
「ん――……。何、笑ってんのよ??」
「は――。朝からかましてくれるな。口元拭けよ、すんごい涎垂れてんぞ??」
「……。ンバっ!?」
ユウの声で我に返り慌てて腕で口元を拭くが。
時すでに遅し。俺達の記憶に確と貴女の寝顔と寝相は刻み込まれてしまいましたよっと。
「マイ、先に行ってるからな」
「うっせぇ!! 早く出て行け!!!!」
何も怒鳴らなくても良いのに。怒鳴り声に背を押され平屋を出ると、東の空か登り始めた暁の光が目の奥を刺激した。
うむ!! 快晴ですね!!
朝も早い時間の所為か空気が澄んでいる。胸一杯にそれを取り込むと体内にやる気が満ち溢れて来たぞ。
はぁ。
街の空気とは違い、ここの空気は美味いなぁ……。
埃っぽさ、そして土埃も無く。街で穢れた肺が清く洗浄される様です。
「レイド、おはよう」
「おはよう、カエデ。早起きだな」
井戸の側で体を解している彼女へ歩み寄りながら声を掛けてあげた。
「桶に水溜めておいたよ??」
「お、助かる!!」
冷たい水の中に手を突っ込み、襲い掛かる水の冷たさに覚悟を決めて豪快に顔へ掛けてやった。
「くぅ――!! つめて――!!」
「はい、手拭い」
「ん、ありがと」
手拭いがあるであろう場所に手を伸ばす。
これかな??
指先に感じる確かな手拭いの感触を掴み取り、豪快に顔をワシャワシャと拭いてやった。
「はぁ、目が覚めた」
「そう?? 良かったね」
「このまま走り込みだろ??」
「二十周はちょっと長い……」
「まぁ折角ここに来たんだ。どうせなら体を虐めておこうよ。あ、ちょっと腕引っ張って」
走り込みに備えて体を解す為、カエデに腕を引っ張って貰う。
「これくらい??」
「ん、そうそう。所で、空間転移の進捗状況は??」
出来ればもう少し引っ張って貰いたいですけども。
力が弱い彼女に頼むのはちょいと憚れ、そして引っ張る力が弱いと話すとムキになって不必要に引っ張って筋を痛めてしまう恐れもあるので今くらいが丁度良いのです。
「それが全然進まない。対になる魔法が多過ぎて、処理が追い付かないのが現状……」
「そっかぁ。まぁ焦る事もないでしょ、気長にいこうよ。ん、ありがと」
眠りこけていた体の筋線維が徐々に過熱を始め、早く負荷を与えろと雄叫びを放つ。
筋疲労のお時間の開幕までもう間も無くですので、もう少々お待ち下さいませ。
「ここで過ごす間に覚えてみせる」
ふんすっ!! と。普段のそれに比べて二割増しの強い鼻息を荒げた。
「根を詰め過ぎても駄目だからな??」
「善処する」
そうは言っても……。
カエデの事だ、絶対無茶をしそうな気がする。負けず嫌いな面もあるからなぁ。
「よぉ!! お早う!!」
「カエデちゃんおはよ――!!」
「ふぁ……。あぁ、ねっみぃなぁ――」
「カエデ、おはようございます」
「早く走り込みを終わらすぞ」
一部は覚醒したようだが、若干一名が覚束ない足取りでぶつくさと文句を垂れていた。
「マイ、そろそろ起きろよ?? 今から皆で走るんだから」
「分かってるわよ。顔洗って起きるから……。せぇ――のぉっ!!!! ふんがっ!!」
桶に顔を近付けるとコイツは何を考えたのか。豪快に水の中へ顔を突っ込むではありませんか。
もうちょっと行儀良く洗いなさいよ。
「ぶっは――!! 気持ちいいわね!!」
端整な顔を横に振ると朱の髪と肌から離れた水飛沫が太陽の陽光を反射。
犬の洗顔方法に似た行為に何だか呆れてしまうものの、それと対照的に輝く髪に一瞬だけ魅入ってしまった。
「マイ、手拭い」
「お、ありがとね」
カエデから手拭いを受け取り、男勝りな拭き方で顔を拭く。
そうそう。これこそがこいつに似合った拭き方だな。
「よっしゃ。起きた!!」
「目覚めが良いな」
「誰だって顔を洗えば起きるでしょ?? さて、走る前の準備運動ね!!」
そう言い残し、なだらかな斜面を下り訓練場へ向かって行った。
「俺達も行こうか??」
「うん、分かった」
カエデを誘って斜面を下り。既に訓練場へ集まった面子を前に声を上げる。
「さて、皆さん。朝の走り込みは二十周なので周回の数え間違いの無いように」
「今日も私が一着よ??」
「戯言を……。昨日は私が一着だったぞ??」
狼と龍の睨み合いが始まると。
「私が一番だったもん!!」
もう一頭の狼が待ったをかけた。
ふぅ――……。
こりゃ駄目だ。中々出発しそうにないし、さり気なく先陣を切りましょうかね。
「誰が一着でもいいよ。ほら、レイドの奴もう出発したぞ??」
「ぬぁ!! 待ちやがれ!!」
「マイ!! 抜け駆けは卑怯だぞ!!」
「待ってよ!!」
それぞれがそれぞれに似合った速さで走りだす。
肺に空気を送り、足を前に出し、地面を蹴る。単純な行為だが基礎体力及び心肺能力の向上。
この走るという行為には体力そして心を鍛える為の必要な要素が凝縮されている。
温まった血液が体を巡ると心臓が声高らかに歌い出す。
気持ちが良いなぁ……。
朝の清涼さも相俟って心が躍るようだ。
「おらぁ!! 道を譲りなさい!!」
はいはい。お先にど――ぞ。
心地良い気持ちを蹴破るかの如く、赤き稲妻が迫って来た。
「マイちゃん待ってよ!!」
「今日こそは確実に距離を開いて勝ってみせる!!!!」
朱の髪を揺らし、朝一番の鍛錬には不釣り合いな速度で駆けて行く背を灰色の二つの稲妻が追いかけていく。
足の速い稲妻三人衆は風となり、普遍的な速度で駆け続けている此方を颯爽と抜かして行った。
朝から張り切るなぁ……。
「よっと。はぁ、追いついた」
聳える山を引っ提げ、息を少々切らしてユウが俺の隣に並ぶ。
「ユウもあれを追従しなくていいのか??」
出来るだけ隣へ視線を送らないように話す。
昨日怒られたばかりですからね……。
「冗談。あたしは自分の速さで走るよ。それにこの後も訓練が残っているんだ。ここで体力を切らしたらそれこそ大事だろ??」
「まぁなぁ。今日はエルザードの指導か。どんな内容だろう??」
「ん――。魔法を担当するって言っていたから……。大方、あたし達に色々文句垂れるんじゃないの??」
「文句って。カエデ達にはありがたいかもな」
半周遅れているカエデ達へ視線を送る。
「何で??」
「ほら、俺達の中だと現状あの二人以上の魔力を有している人はいないだろ?? 今の環境で満足するんじゃなくて、上の者がいれば目指す目標が出来るじゃないか」
「あ――。そういう事か。あたし、魔法に関してはあんまり得意じゃないからなぁ……」
口をへの字に曲げて、逞しい腕を振りつつ話す。
「この機会に色々覚えればいいじゃないか。魔法が使えない身としては羨ましい限りだよ」
「覚えろって簡単に言うけどな?? 体力以上にきついんだぞ?? 魔力を消費して新しい魔法を覚えるのって。それに術式を間違って魔法陣が消し飛んだ日には……」
その状態で眉間に皺を寄せて話すの難しくない??
「具体的にどんな感じ??」
「そうだなぁ……」
口元に指を当て、考え込む仕草を取る。
「空腹で、死にそうな時に目の間に御馳走が現れたとする」
「ほうほう」
「いざ、食べようと舌なめずりを始めるがその御馳走が目の前から忽然と消える。そんな感じだ」
多分、絶望感を感じている事だろうと思うんだけど。
「いや、全く分かんないから」
ユウの頭の中を完璧に理解出来ないので素早く突っ込んであげた。
「う――。伝えるのが難しい……」
今度は頭を抱えながら俺と並走を続ける。口をへの字に曲げたり、眉を顰めたり朝から忙しそうですね??
「要はこういう事か?? 憎き敵を倒して生も根も尽き果て立ち上がる事さえも困難な時に新たな敵が現れる感じ??」
絶望感を例えるなら、凡そこういう事であろう。
「えっ?? 全然違うぞ??」
「違うの??」
「「…………っ????」」
意思の疎通が図れずに二人して困惑。目が胡麻よりも小さな点となり、小首を傾げながら器用に並走を続けたのだった。
◇
異様に膨れ上がった胃袋の重さに耐えきれず丁度良い塩梅の硬さの畳の上で横になりながら唸り声を上げる。
の、喉の奥から物が溢れて来そうだ。
腹八分に医者いらずという言葉はここでは通用しない。寧ろ、その逆。食らう者こそ、ここの覇者に成りえる。
多少は食えるようになって来てはいるが目の前の龍を見ればその自信は根底から覆される事となった。
「は、腹が重い……」
深緑の髪の女性が今にも泣き出しそうな顔を浮かべて俺と同じ姿勢を取って腹を抑えて唸っている。
「だらしないわねぇ。まだ食べられるでしょ??」
その様子を見かねてか。朱の髪の女性が焼いた川魚の尻尾を齧りながらそう話す。
う、嘘だろ。
あれだけ食べたってのにまだ食うのかよ……。
「マイちゃんまだ食べるの??」
呆れているのか、将又敬服しているのか。
ルーが目を丸くしてマイを見つめて話す。
「ん?? まだ入るから詰めておこうかなぁって」
「ば、化け物め……」
「ちょっとユウ!! 失礼よ!!」
ユウの気持ちは痛い程共感出来る。
俺とユウが悲鳴を上げながら茶碗十杯を平らげたのに対し、こいつと来たら……。
涼しい顔をして十五杯目だぞ??
おかずは今かじっている川魚で最後だから、馬鹿げた量の朝食の残りは一握りの白米のみ。
「あ、そうだ。最後はおにぎりにしよっかな。それともお茶漬けにしてサラサラと流し込むか……」
あれだけ食ったってのに特段苦しんでいる様子も見受けられない。それ処か、より美味しく食べる料理方法を考える始末。
一体アイツの胃袋はどうなっているんだ??
「皆さんほぼ完食ですねぇ」
モアさんが及第点といった感じの笑みを浮かべて食器を片付けにやって来た。
「御蔭様で。量は兎も角、味は良かったですよ」
モアさんの両手へ何気なく視線を動かし。何も装備していない事に対して安堵の吐息を漏らした後にそう話した。
「ありがとうございますっ!! 早起きした甲斐がありましたよ。………。話は変わりますがぁアオイさん、カエデさん。食が進んでいませんでしたね??」
恐ろしい速さでぐるりと首を動かして両者を捉える。
「朝は余り食が進みませんので」
「申し訳ありません」
カエデは特に食が細い。
以前よりは大分改善されたがそれでも小食だ。その彼女に対して許容量を遥かに超える量の飯を食らえと言うのだ。
走り、殴られ、叩き付けられるよりもカエデにとって食事の訓練が一番辛いかもね。
そして、アノ事も知ってしまったし……。
「一人、五杯以上食べる計算で作っていますのに……。御二人と来たら……」
空っぽの食器を積み重ねながら小さな溜息を吐く。
「これから徐々に量を増やしますから御心配なく」
アオイが及第点の台詞を述べ壁に背を預けて体を弛緩させ、少し離れた位置で苦しそうな表情を浮かべて腹を抑えていたカエデが彼女に倣って壁に向かって進もうとしたのだが。
「それは頼もしい台詞ですね。…………。カエデさん??」
「……っ!!!!」
カエデの進路を妨害すると、じぃぃっと藍色の瞳を覗き込んだ。
おおう……。
あの目だ……。
「な、何でしょう」
「貴女は二杯しか食べていませんでしたねぇ??」
「そ、そう?? 三杯は食べていたかも」
「いいえぇ。ちゃぁんと見ていましたからぁ」
裾から取り出した出刃包丁の横っ面でカエデの頭頂部をペチペチと叩く。
生鈍い音が響くと共に見ているこちらにも恐怖感が痛い程伝わって来るが、その反面。俺じゃなくて良かったなと心の底から安堵する自分もまた居た。
こっわ……。
沢山食べられる頑丈な胃袋に感謝しましょうかね。
「駄目ですよぉ?? 食べないとぉ。昨日聞きましたよね?? 夜には素晴らしいおかずを提供するとぉ??」
「そ、そうなの??」
「えぇ……」
見ている者に恐怖感を与える口元でそう話す。
「お昼をちゃんと食べないと、カエデさんにだけ特別料理を提供する事になっちゃうかもなぁ――??」
「ひ、昼には挽回致しますのでっ」
「今の言葉、決してお忘れにならないように……」
にぃっと笑い、大量の食器を持って平屋から去って行った。
「はぁ……。見ているこっちが怖かったよ」
微かに肩を震わせるカエデに言ってやる。
「真正面で見るこちらの方が数倍怖い」
「昼食べれそう??」
「頑張らなきゃいけない……。私、あんなモノ食べたく無いから」
ほぼ泣いている瞳で一呼吸置いてそう話した。
「あら?? 食事は済んだ所??」
モアさんとすれ違う形で、エルザードが明るい声を上げながら平屋に入って来る。
「死ぬ思いで平らげた所さ」
唸っている皆に代わり言ってやった。
「そう、御苦労さま。今から一時間後に訓練場に集合ね?? 遅れないよ――に」
手をヒラヒラと蝶のように動かすと踵を返して平屋を後にした。
一時間後か。
それまでにこの異様に膨れてしまった腹を何んとかしないと、真面に動けないぞ……。
頭の命令を受け付けない体に鞭を放って横の状態から縦に戻し。消化活動を早める為に今出来る最大限の活動を行う。
「おい、ボケナス。きしょい動きすんな」
ごめんなさいね。
腹が重過ぎて立てないからコロコロと転がる、若しくは腕立て伏せにも似た上下運しか出来ないのですよ。
そこは御了承下さいませ。
満足気に腹をポンポンと叩き、口元に長い楊枝を食わる彼女を無視して。
「レイド様ぁ。戯れでしたら私も相伴しますわぁ」
項にへばり付いた蜘蛛のチクチクとした毛の感触を強制的に味わいながら形容し難い運動を継続させていた。
――――。
きっかり一時間後、重い体は何とか動けるようにまで回復した各々が訓練場の中央に横一列に並ぶ。
初秋の陽射しにも強さが感じられ肌がじっと汗ばむ。
「なぁ??」
左隣りで綺麗な景色を睨みつけながらユウの肘が俺の横腹を突く。
「うん??」
「エルザード、一時間後って言っていたよな??」
「待っていればその内来るだろう。あの性格からして時間通りきっちり来るとは思えないし」
「そりゃそうか」
しかし……。待てど暮らせど彼女の姿は一向に現れなかった。
青い空の中に浮かぶ雲が待ちぼうけを食らっている俺達を何処か楽し気に笑いながら見下ろしている様に見えませんかね??
「おっそいわねぇ……。呼んで来た方がいいんじゃないの??」
腕を組み、苛立ちを誤魔化す為に貧乏ゆすりを続けているマイがそう話し。
「そう……、だな。ただ待っていてもしょうがない。悪戯に時間を浪費するのは無駄だからな」
マイの意見に肯定して師匠の部屋で休んでいるであろう我儘な淫魔の女王呼びに行こうと振り返り、その足で向かい始めた。
全く。
時間にいい加減なのは良く無いぞ。
仮にも大魔と呼ばれ、魔物から畏怖される存在。そして、俺達を指導する者としてそれは了承しかねる。
少しばかりの憤慨を感じ大股で訓練場の土を踏み均していると……。
「――――。ふふ、どこに行くのかしら??」
「どぁっ!?!?」
目の前の何も無い空間から突如として一人の美女が出現。予想だにしていなかった現象に五臓六腑がひっくり返りそうになってしまった。
「お、驚かすなよ!!」
「あははっ。ごめんね?? ずっとここにいたのに誰も気づかないからさ」
ペロリと舌を出して惚ける様がまぁ――、腹立たしい事で!!
と、言いますか。
ひょっとして透明になれる魔法を使用したの?? そうじゃなきゃ今の現象は説明出来ないし。
短時間で長距離の移動を可能とし、姿形さえも消失を可能とする卓越した魔法の使用者。
これで大変真面目な性格なら地面に頭を擦り付けてでも是非とも指導を!! と嬉し涙を流して請うのですがねぇ……。
「驚かされるこっちの身にもなってみろよ……」
「そう愚痴らないの。さ、皆お待たせ。本日の指導を始めるわよ」
横一列に並ぶ俺達の前に進み細い腕を組んだ。
「魔法の指導をしてくれるのはありがたいけどさ。具体的にどんな事をするのよ??」
マイが言う。
「そう焦らないの。薄っぺらちゃん」
「う、うす……!?」
それを遮ると続け様に本日の御品書きを話し出した。
「指導を始める前にあなた達が現在どの属性に長けているかそれと、どれ程の魔力の量を持っているかこちらで把握しておきたいのよ」
「分かりました。先生」
「「「先生??」」」
俺を除く全員が声を上げた。
「カエデは俺と同じように、エルザードに昨日弟子入りしたんだよ」
昨晩知った驚愕の事実を軽く説明してやる。
「色ボケ姉ちゃんに師事、ね。敢えて茨の道に進むとは。これから苦労するわよぉ??」
マイが揶揄う。
「厳しいのは歓迎します」
「ふふ、頼もしいわね。それじゃ各自その場に座って体の力を抜いて??」
「へいへい。よっこらせっと――」
「あ――。腹がおめぇ……」
エルザードの言葉を受け、マイ達が渋い声を放ちながらその場に座る。
「光よ、この者達の秘めたる力を示せ。魔力干渉……」
エルザードが右手をマイ達へ翳すと、手の先に紫色に光輝く魔法陣が浮かぶ。
そして淡く光る魔法陣から紫色の靄みたいな。
宙に漂う雲とでも言えば良いのだろうか?? その雲状の何かがゆるりと彼女達へと向かい、そして体を包み込むと紫色の雲が霧散。
代わりにマイ達の体が淡く輝き始めた。
「「……っ」」
各々が特に変わらぬ表情を浮かべているのに対し、カエデとアオイだけが気難しそうな顔を浮かべて目を瞑っている。
何だろう??
痛みや違和感を覚えているのだろうか??
藍色の髪の女性と白色の髪の女性の表情に注目しながら経過を離れた位置で一人寂しく観察し続けていた。
最後まで御覧頂き有難うございました。
此処から先はプロット段階で削ったシーンになりますので、お時間がある方は何とも無しに眺めて下さい。
カットシーン。
~二日目の朝食の光景~
ユウとの他愛の無い会話を繰り広げていた所為か、辛い筈の走り込みも気付けば終了を告げていた。
その所為か、両の足はまだまだお代わりを所望していますけども。これからの厳しい訓練に備えある程度の体力を温存しておく必要がありますので彼等には大人しくて貰いましょう。
汗を拭い、井戸から汲んだ水で喉を潤す。
この水がまた堪らなく美味いんだよなぁ……。正しく、枯れた大地に降り注ぐ恵みの雨だ。
「それで?? 今日は誰が一着だったの??」
斜面で息を荒げて大の字で寝ている三人に聞いてやった。
「「私!!」」
「私だっ」
まぁ凡そ想像出来てしまう返答でしたね。
「ちょっと。言い掛かりは止めなさいよ」
「言い掛かりとは何だ。どう見ても私の右足が先に着いたではないか」
「リューそれは違うよ?? 私の左足が最初に着いたんだから!!」
先程までの草臥れ果てた様子は何処へ。際どい判定の誤差を互いに譲らず熱き視線を衝突させて己こそが一着であると主張していた。
「あらあら――。皆さんお元気ですね――」
「お早うございます、モアさん」
「はいっ。おはようございますっ」
元気な笑顔で返してくれるのは嬉しいのですけども……。
彼女が両手で持つ御櫃が存在感を放ち、これから俺達が立ち向かうであろう敵の存在をまざまざとお披露目していた。
あれ、全部食うのか……?? 朝一番なのに??
「うひょ――!! うっまそう!!」
俺の気持ちを代弁……、じゃないな。
裏切る形でマイがモアの下へ駆け寄る。
「誠心誠意込めて炊き上げました。しかもぉ……。採れたての生卵もありますからね??」
「本当!? はぁ……。癒されるわぁ……」
まだ卵を目にしていないのに、この表情。
想像だけで軽く飯の三杯くらい食えるんじゃないのか??
「生卵?? それをどう食べるの??」
ルーが不思議そうに首を傾げて話す。
「ふふん?? 素人のあんたには玄人である私が朝食の時に説明してあげるわよ。美味過ぎて腰を抜かさないようにね??」
「う――ん。マイちゃん程大袈裟じゃないよ」
頭上に輝く太陽もウンウンと頷く笑みを浮かべ、ケラケラと笑う。
「黙れ小娘めがっ!!」
「びゃっ!!」
お前さんも十分小娘だろう……。
「はぁ……。やっと終わりましたわ」
「暑い……」
少しの和やかな雰囲気に不釣り合いな声を受けて振り返るとアオイとカエデが顰め面を浮かべ、そして軽い汗を流しながらやって来た。
「はい、お疲れ様」
大変美味い水を入れたコップを二人に渡してやる。
「ありがとう」
「レイド様が汲んでくれたお水……。大切に頂きますわっ!!」
水が勢い良く喉を通過して行く様が此方からも確認出来た。
それだけ体が渇いていたのだろう。
「良し、皆も揃った事だし。朝食にしようか!!」
「賛成!! ほら、さっさと行くわよ!!」
朱の髪の女性が誰よりも先に勢い良く平屋へと駆け込んで行く。
飯の事になるとこれだもんな。
「マイちゃん待ってよ!!」
「腹減ったなぁ」
一部は軽い足取りで。
「あの量、御覧になられました??」
「見た。多いと言うより、常軌を逸している……」
一部はこれから始まる狂宴を予感し、足取り重く平屋へと入って行った。
――――。
俺達が予想していた通り、朝食は目を覆いたくなる程の量であった。
これでもかと盛られた生卵の山、黄金色に輝く卵焼き、塩気を含んだ山菜の漬物、焼き目が素晴らしい川魚。
何より主役の存在が大きい。
御櫃の中に聳え立つ、幾多の登山者の挑戦をも跳ね返して来たであろう標高を誇る山脈の白米。
俺達は不可能に挑戦する冒険者だ。
味は良いのだが、その量が問題なんだよなぁ……。
溜息にも似た吐息を口から漏らす。
「さ、皆さん。御遠慮なさらず召し上がって下さい」
「残さず食えよ?? ちゃんと私達が監視しているからな」
モアさんとメアさんの監視の目が光る中、食事が始まってしまった。
「「「いただきま――す!!」」」
先ずは山菜でもかじって腹を起こすか。
取り皿に漬物を乗せ座布団へと戻る。
「レイド様。丼をお貸しくださいまし」
「ありがとう」
右隣りのアオイへ呆れるくらいに大きな丼を渡してあげる。
「いえ。これも正妻の務めですから」
勝手に婚約関係を決めちゃ駄目ですよ――っと。
そんな事を思いながら山菜を口に運ぶと。
「おぉ。美味いな」
シャキリとした感触が歯を、そして口内を喜ばせる。
程よく効いた塩味が塩分を失った体に丁度良いや。
「レイド様――っ。御持ち致しましたわ」
「ん、どうも」
「いえっ」
満点中の満点の笑みでこちらに渡してくれる。
彼女の笑みと卵焼きをおかずにして……。
白米をかっこむ!!!!
「お――。レイド、飛ばすなぁ」
「ふぉうでもしないふぉ。ふぇらないからな」
料理の向こう側で白米を食らうユウへ向かって言ってやる。
「マイちゃん。生卵取ったけど、これからどうするの??」
「ふふん?? 目ん玉見開いてよぉく御覧なさい」
マイの卵掛け御飯の指南を口の中へ白米を放り込みながら何んとなく見つめていた。
「いい?? 先ずはこうやって御飯の中央に窪みを作るのよ」
「こう??」
見様見真似で彼女に倣う。
「上手いじゃない。窪みを作ったらお次は生卵を割って、中身をこの窪みに入れるの」
卵を器用に割ると黄金の輝きを放つとろりとした黄身が現れ白い布団の上に鎮座した。
「おぉ!! 上手!!」
「ふふん?? 玄人である私の熟練の技よ。ほら、ルーもやってみなさい」
玄人ねぇ。
本物の玄人は一々指南等せず、見て覚えろという構えでしょうに。
「んしょっと……。あ、ちょっと殻が入っちゃった……」
「駄目ねぇ。一発で綺麗に入れないと。殻はここの皿に置いて、問題はここからよ」
「問題ぃ??」
間の抜けた声でマイに問う。
「そう。黒き魔王の登場よ……」
陶器で出来た醤油入れを手に持ち、その小瓶を見つめながら大袈裟に話す。
「ま、魔王??」
「そう。彼の匙加減でこの料理の味が決まると言っても過言じゃないわ」
大袈裟なんだよ。
「素人であるルーは味を見ながら、魔王を継ぎ足せばいいわ。しかし、私は玄人……。故に一発で決めなきゃいけないの……」
真剣な表情で陶器と丼の中を見つめる。
「ふぅ……。行くわよ!!」
黒が黄金を侵食。それは円を描く様に満遍なく注がれ、見ているこちらにも食欲を湧かせる。
う、うぅむ……。美味そうだな……。
玄人と言うだけはあるかも。
「ここっ!! ふぅ――……。いい仕事したわぁ」
ヤレヤレ、今日も中々の手前だったなと。手の甲で額を拭い安堵の息を漏らした。
「……。こんな感じでいいかな??」
ルーが彼女の所作に倣って同行動に移り。己の茶碗をマイに見せる。
「む……。悪くないわね。次の行程よ、白米と黄身、そして醤油を味が均一になるよう混ぜるの」
器用に箸を扱い、白米達を混ぜて行く。
「おぉ――。綺麗な色になって来た」
「でしょう?? これくらいでいいわね。後は心行くまで……。食べるのみ!!」
満を持して、溢れ出る涎を喉の奥へと流し込み艶を帯びた白米を口の中へと豪快に頬張った。
「あふぁらぁぁ……。さ、さいっこう……」
目尻をトロォんと下げ、波打つ口元が美味さを代弁し、口角の上げ具合が卵かけ御飯の完成度を上手く表現していた。
「んっ!! 美味しい!!」
ルーもその味にご満悦のようだ。
目を輝かせ、箸が止まらない御様子。
瞬く間に米が胃袋に収まって行く。
「後はおかずを摘まみながら食べるのも良し!! このまま卵かけ御飯のみを食すのも良し!! 気分で変える事ね」
「はぁ――い!!」
いかん。
見ていたら俺も食べたくなって来た……。
座布団から立ち上がり、生卵を取りに向かう。
「何だ、レイドも食べたくなったのか??」
ユウが箸を咥えやって来る。
咥え箸はお行儀が悪いですよ??
「あれだけ美味そうに食っていたらそりゃなるだろう。ん?? リューヴも??」
「私は、あれがどんな味か気になっただけだ。他意は無い」
少しだけ恥ずかしそうに、そして俯きがちに生卵を手に取ると少々速足で座布団へ戻って行った。
気にする必要ないけどなぁ。
窪みを作って……。卵をっと。
彼女の手本に倣う様に先程の行程を思い出しながら作り上げて行く。
「こんな感じかな」
黒き魔王、じゃなかった。
醤油をタラリと垂らせば完成っと。
「おぉ……」
見れば艶やかに光沢を帯び、早く私達を口に放り込めとせがんでいる。
その懇願を受け入れ、優しく迎えてあげた。
「……。うんっ!! 美味い」
醤油の塩気、卵のまろやかさ、そして米の温かさと甘みが口の中で互いに手を取り合う。
こりゃいかん。
幾らでも食べられそうだ。
「んふっ。美味しい……」
ふと横目でリューヴを見れば大変ご満悦の様子。
お肉が大好物である彼女が珍しく口元をクニャクニャに緩めていた。
よぉし。
このまま一気に白米達を制覇してやりますかね!!
勢い良く心の袖を捲ると一気呵成に食事を進めた。




