第百三十八話 艶やかな雌蕊 その一
お疲れ様です。
本日の投稿なります。
それでは御覧下さい。
ずぅっと乗っていたいと我儘な思いを生み出す馬車に別れを告げて硬い石畳の上に足を降ろすと、城壁に囲まれた街の中に現れた高き壁を見上げた。
城壁の中にも壁がある事に先ず驚きましたね。高さは……。城壁と比べて少し背が低い位あろう。
漆黒の壁が主大通りの終着点に立ち塞がり訪れる者達を決して通さないぞとドンと腰を据えて待ち構えていた。
「はぁ。大きな壁ですね」
どうして高い建築物を見上げる時って口が開いちゃうのでしょうか。
馬鹿みたいに口を開いて田舎漢丸出しの姿で堅牢な壁を見上げながらそう呟いてしまう。
「この街を建造する際、この壁も同時に作られたようです。今は教団が利用させて頂いておりますが以前は有力者の方が利用していたらしいですよ??」
ほぉん。
教団の力がデカくなったから金の力で利用するに至った訳か。
お高い壁の頂点から正面に視線を戻すと、壁の真下に存在する城門を捉えた。
その傍らには門番を務める教団関係者だろうか?? 白いローブを身に纏った男性二人が門の脇に大変硬い表情で務めを果たしている。
所持する武器は……。右手に鉄製の槍と、左腰に長剣が収められている鞘が確認出来た。
純白のローブで彼等の体型は分かり辛いが出で立ち、そしてしっかりと重心の座った姿勢から察するに最低限の武を習得した者でしょうね。
全くの素人に守衛は務まらないと思うし。
「さ、行きましょうか」
「あ、はい」
シエルさんが間近の門へ向かって歩き始めたので慌てて此方もそれに倣い、移動を開始した。
「「お帰りなさいませ、シエル皇聖様」」
門番両名の美しい角度のお辞儀に迎えられ。
「どうぞ、お入り下さい」
「し、失礼しますね」
彼等そしてシエルさんの後ろ姿に小さなお辞儀を放って彼女達の本拠地へと足を踏み入れた。
高き壁の下を潜り抜けると、左右に大きく開いた空間が出現。
正面に白を基調とした木造二階建て建築物がその存在感を多大に放ち、左右対称の造りで左右へと広く建てられ。その幅は眼前に広がる空間一杯にまで及んでいた。
門から広い空間へと続く石畳の道が直ぐに左右へと別れ。その先にはこれまた二階建ての建造物が確認出来る。
正面の純白とは違い、質素な木目を利用した建物で正面の建物と城壁内の景観を損なわない様にひっそりと佇んでいた。
大変高貴な街の中にこれ程の敷地と立派な建物を有するのか……。
莫大な資金を有する宗教団体のなせる業が景観を通して直接語り掛けてくるようですね。
例え俺が死ぬまで四六時中働いたとしてもだよ?? 目に映る全ての物を購入する事は叶わず、それ処か。人一人がやっと立てる敷地面積ですら購入出来るかどうか怪しいものですよっと。
「正面に見えるのが教団の本部です。残り二つの建物は教団幹部の寝所として利用しています」
「あの大きさで寝所ですか?? かなりの人数が利用出来るのでは??」
「此処には常時五十名程の幹部が在住しております。彼等は地方から寄せられる信者の意見、財源の管理、入信者の指導方針等を纏め。此処で方針を決めて施行に至っています」
正面の教団本部へ続く磨き上げられた石畳の上を歩きながらシエルさんが話す。
「要はここが教団の頭脳、と解釈しても構いませんね??」
「えぇ。それで構いませんよ」
彼女の少し後ろを歩く俺の方へと目配せをして頂き、小さくコクンと頷いてくれる。
道沿いに美しく咲き誇る花の花弁、大変踏み心地の良い石畳と敷地を埋める緑の芝生。
イル教の持つ莫大な資金と力に圧倒されつつ目的地である本部前に到着すると、美しい木目の扉の前に二人の女性教団関係者が静かに立っていた。
「「お帰りなさいませ、シエル皇聖様」」
二人同時に同じ台詞と、全く同じ角度で静々と頭を垂れ。この屋敷の主人の帰還を迎える。
「只今戻りました。彼は大切な客人よ?? くれぐれも粗相の無いように」
「畏まりました。では、お入りください」
二人の女性がそれぞれ左右の扉を開けると、思わず溜息が漏れてしまう空間が出迎えてくれた。
「広いですね……」
溜息を零すのはこれで一体何度目でしょうかね??
一切の装飾を加えない言葉を漏らしてしまう程の広々とした空間だ。
真正面に両開きの豪華な扉、そして左右の通路へと続くであろうと思しき箇所にも扉が見られ。
左右の壁際に設置された階段の先にも二階部分へと続く扉が設けられていた。
室内に居るという閉塞感を一切覚えさせない背の高い天井の下に五つの扉、か。
一体これだけの建築物を建てるのにどれだけの金が必要だったのやら。
貧乏気質な為か、先程からずぅっと銭勘定が頭の中に浮かんでいますよ……。
「正面の扉は会議室へと続きますので。本日は此方へお越しください」
物珍しそうにキョロキョロと見渡す俺に対しそう話すと。シエルさんが右手側の扉へと進む。
「分かりました」
彼女に従い、開かれた扉の奥へと進んで行くと此方の予想通り。大変長い廊下が御目見えした。
一切の埃の香が含まれない澄んだ空気の廊下にはお金持ち御用達の赤い絨毯が敷かれ。右手の高価な窓枠から、陽の光が差し込み赤い色をより際立たせていた。
幾つかの部屋を通り越し、何時まで経っても到着しないのではないか??
そんな下らない杞憂を湧かせてしまう廊下を進んで行くと漸く目的地に到着したのか。
シエルさんが静かな歩みを止めた。
「こちらが私の執務室になります。少々散らかっているかもしれませんが、御了承下さいね??」
「あ、いえ。自分は気にしませんよ」
俺の何気ない言葉が気に障ってしまったのか。
「もう。女性の部屋へ入る前にそんな事を言っちゃ駄目ですよ??」
小さな胡桃を頬張ったリスの頬のぷっくりとした膨らみを己の頬で表現してしまった。
この場合、どう言えば正解なのでしょうか??
『散らかっていても気にしないよ』
これじゃ今言った言葉とほぼ同じ。
『少しくらい散らかっていた方が落ち着くさ』
うん、多分これが正解ですね!!
今度女性の部屋にお邪魔する機会があれば是非とも使用してみよう。
まぁ、女性の部屋に入る機会があればの話だけどね……。
「では、お入り下さい」
「失礼します」
彼女が扉を開き、頼りない肩幅に続いて中に入ると正面の大きな机を視界が捉えた。
恐らくあそこが執務机なのだろうが……。
既視感を覚えてしまう量の書類の山が積み上げられ、所狭しと机の上を覆ってしまっている。
「はぁ……。もうこんなに書類が……」
シエルさんがそれを見付けるとほぼ同時に大きな溜息を吐き、机の奥に備えられている座り心地の良さそうな椅子へと静かに着席した。
「大変ですね。これだけの書類に目を通すのですか??」
机の前に立ち、何とも無しに書類を見下ろすとそこには数字の羅列、施行関係の文字、難しい題目の施策や誘致関連の言葉。
眺めているだけで頭痛の花を咲かせてしまいますよねぇ……。
書類作成の苦労をこの身を以て理解している為、多少なりとも彼女に同情してしまった。
「では、先の任務の報告書について。幾つか御伺いしたい事があります」
っと。
早速本題ですか。
「はい、了解しました」
背骨一つ一つを天へと向けて直角に伸ばし、執務机の前で直立不動の姿勢を取った。
「ふふ、そんなに畏まれますと此方まで肩が凝ってしまいます。私とレイドさんは直属の部下と上司ではありませんので……。御怪我の事もありますし、あちらのソファでお掛けになって話してくれれば結構ですよ??」
「任務行動中ですのでその様な姿で御話するのは……」
「では命令します。休んだ姿勢で話して下さいっ」
有無を言わさず命令ですか。
この人の機嫌を損ねてしまったらどんな仕打ちが襲って来るのか計り知れない。それに、彼女が話す通り怪我の余韻そして負傷した所為か。
大人しくしていた風邪の欠片が徐々に膨れつつあり、普通に立っているのも結構辛かったのです。
「了解しました。では、失礼します」
素敵な木の香りが漂う室内の壁際には一体お幾らですかと問いたくなる大きさのソファが置かれており。
命令という単語に敏感に反応してしまう体に従って静かな足取りで向かい。大変静かな所作で腰を下ろした。
おぉっ!!
柔らか過ぎず尚且つ硬過ぎず。腰にも体にも優しい柔らかさに臀部と体が驚いちゃいましたよ。
「レイドさんへ質問を伺う前に、一通り質問を纏めますので少々お待ち下さいね」
そう話すと、恐らく俺が心血を注いで作成した報告書の複製紙へ視線を落とした。
彼女の端整な顔の両の目が左から右へと流れ、耳に届くのは己の呼吸音と紙が擦れる心地良い乾いた音。
「「……」」
何とも言えない静寂が室内に漂い、彼女の仕事の邪魔になるとは分かっていながらもついつい口を開いてしまった。
「――――。その書類全てに捺印するのですか??」
「えぇ。それが私の仕事ですから」
「大変ですね……」
これは俺の素直な感想ですね。
積み上げられた書類を足元から崩し、頂へと登る辛さを知っているからこそ心に浮かんだ素直な感想が零れたのでしょう。
帰って来て早々あれだけの紙の山を見れば誰だって溜息の一つや二つ付くだろうさ。
「これだけの大所帯です。それなりに問題も多く抱えていますから、その分やる事も多くて……」
「その分だと、休日は殆ど取れないのでは??」
「そうなんですよ。休みの日も会いたくも無いある程度の地位を御持ちになった方々との会食、講演会への出席。正直、やる事が多過ぎて体が三つ程欲しいですね」
あらまぁ……。
シエルさんの多忙に比べれば俺なんか可愛いもんだな。
「偶にはどこか静かな所で思いっきり羽を伸ばすのも良いですねぇ……」
書類から視線を外しふぅっと大きく息を漏らした。
「例えばどんな風に、ですか??」
「そうですねぇ。海なんかいいかも。潮気を含んだ風に身を当て、押し入るさざ波の音を聞き、それを子守歌代わりにして眠る……」
現実の問題から逃れる様に大きな御目目を閉じ、頭の中で楽し気な想像を膨らませている。
「それと、美味しい食事もあれば完璧ですね」
「いいですね!! どこか美味しいお店知っています??」
海、そして海鮮料理でピンときたお店と言えば。
「イーストポートの街にある、松葉亭ってお店がお勧めですよ。そこのお店の炊き込みご飯がもう絶品で……」
あそこの御飯は本当に美味しかった。思い出すだけで体が反応して涎を分泌してしまう程ですからね。
ほら、目を瞑れば直ぐに浮かんでくる……。
小さな御釜の中に横たわる秋刀魚と出汁が染み込んだふっくらモチモチの御米達。
秋刀魚の身を解して御飯と絡めて口に運べばあら不思議。
口内に楽園が出現するではありませんかっ。
「松葉亭ですか……。機会があれば窺ってみようかしら??」
「是非そうして下さい」
「――――。連れて行って下さいます??」
「え??」
あの素敵な味と光景を思い出すのに必死になっていたので、小鳥も思わず小首を傾げてしまう声量の言葉を聞き逃してしまった。
「いいえ。お気になさらず。それより、本日は態々御足労頂きありがとうございました」
こちらに体を向け、頭を下げるので俺も慌ててそれに倣う。
「あ、いえ。此方こそ……」
「今日此方にお呼びした訳は、先の任務についての事です。この記載された内容について、レイドさん御自身から直接仰って頂けますか??」
「あの森の中で見た内容を口頭でお伝えすれば宜しいのですよね」
「はい、宜しくお願いします」
「了解しました。私は長きに亘る移動の末、不帰の森北端へと到達。そこから……」
先遣隊の方々が己の身と引き換えに得た情報を頼りに南下。
そして、蜘蛛の方々とオーク共が激戦を繰り広げていた内容を口頭で説明する。
勿論、これはアオイ達と考えた嘘の報告なのですけどね。
敵の姿は真実だとしても、たった一人の兵士があれだけの戦力に立ち向かえるとは考え難い。
その考えから捏造した情報を口頭で伝えている最中。
「……」
シエルさんの表情は真剣そのものであり、偶に小さく頷いては俺の言葉を大事に咀嚼していた。
「……。以上があの森で得た情報になります」
「――――。ふぅむ。オーク達に立ち向かう魔物、ですか」
全て話し終えると、何やら考え込む仕草を取る。
その考えに添える形で己なりに考えた言葉を放つ。
「自分なりの考察ですが、奴らは不帰の森内部で生を謳歌する魔物達によって東への進行を妨げられている可能性が高いです。恐らくそれが敵に大きな影響を与えて敵前線を西方へと押し下げたかと」
「そう考えるのが無難ですね。所でレイドさん、態々口頭で報告する必要はあるのかと考えませんでしたか??」
全く以てその通りです!!
思わずそう口走ってしまいそうでしたが。
「報告書に記載された情報は見方によっては味がしませんからね。経験した者から直接聞いた方がより現実実がありますので恐らくそういう事かと……」
本当は疑っていたのでは無いのですか??
そう言えたらどれだけ楽か。
「レイドさんの仰る通りです。人類の運命を左右しかねない情報ですからね。直接伺った方が信憑性は増します」
「つまり……。自分は疑われていたと??」
そりゃそうだ。
十四名もの尊い命が奪われたあの忌まわしい最前線からたった一人で帰還したと思われているのだから。
「そう、なりますね。私は職業柄多くの人と会う機会があります。中には嘘と虚栄でドブの様に濁った瞳の方もいらっしゃいます。嘘を付く方の瞳は大抵淀み、濁っている。しかし、先の任務の内容を説明するレイドさんの瞳は透き通った水面の様に澄み渡っていました」
そう話すと、手元の書類を机の端の角度にキチンと合わせ此方を見つめる。
「レイドさんの瞳、声色、そして呼吸。全ては真実を語る目だと私は確信しましたよ」
「有難うございます。態々此処まで足を運んだ甲斐がありますよ」
これでもうこの街へ足を運ばなくて良いと考えると、背に翼が生えたみたいに気分が楽になりますからね。
「私からの質問は以上です。レイドさん、貴方が持ち帰ってくれたこの情報は人類にとって大変有意義な情報となりました。本当に……。お疲れ様でした」
「有難う御座います」
深々と頭を下げて礼を述べてくれた事に対し、此方も彼女に負けじと頭を垂れて礼を述べた。
さてと、これにて任務はお終い。
次は個人的な任務活動を開始するとしましょうか。
自分なりにある程度纏めておいた質問を放つ為、大きく息を吸い込み彼女へと問いかけた。
最後まで御覧頂き有難う御座いました。
秋が過ぎ去り、冬の足音へと変わった夜。
そこかしこに体調を崩す理由が転がっていますので、体調管理には気を付けて下さいね。




