第百二十九話 軋轢の雪解け その一
お疲れ様です。
祝日の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。
それでは御覧下さい。
湿気と暑さを含んだ深い緑の空気から一転。
カラリと乾いた空気と冷涼な微風が吹く薄暗い洞窟内をいつものそれと比べて何倍もの遅さで進み行く。
腫れぼったい頬、ミシミシと痛みを放つ脇腹、そして鉛に変化してしまった我が両の足。
偵察の任務へと赴き、素晴らしき戦果を勝ち取っての帰還でこの状態ならまだ我慢出来る。
だが、残念な事にこの悩ましい状態は一人の女性の暴力によるものだから素直に首を縦に振る訳にはいかんのですよ。
「お――。広い空間に出たわねぇ」
他人様の御家だってのに相も変わらず堂々と肩で風を切る様に先頭を歩き。
「ン゛っ!? 給仕の姉ちゃんみっけ!! 今日の夜御飯は超絶怒涛盛りで頼むわよ!?」
先日、俺達の食事の世話をして下さった女性を見つけると同時。
頼むから遠慮してくれと懇願してしまう台詞を放ってしまった。
「御免なさい。慎ましい量で構いませんから……」
件の彼女へ、痛む腰を庇いつつそう話す。
「いえいえ。アオイ様の御友人ですからね。い――っさい!! 遠慮なさる必要はありませんよ??」
やっぱり……。怒っているよね??
「えへへ。やった!! 今日はお腹一杯で眠れそうね!!」
「では、私は夕食の準備があるので失礼しますねっ」
赤き髪の女性の満面の笑みを捉えると。
「……っ。今日こそは、一度で済ませてみせるんだからっ」
柔和な角度の瞳がキっと尖り、己の決意を小さく漏らして通路の先へと進んで行ってしまった。
「皆様。フォレイン様へ帰還の挨拶を」
「あ、はい。分かりました。皆、行こうか」
シオンさんが手本にしたくなる声量と声色でそう話すと、此の地を収める女性が体を休めている部屋へと続く通路へと進み出した。
「ちゃちゃっと挨拶を済ませて、さっさと飯を食いたいわね」
「あのな――。此処はアオイの家なんだぞ?? お前さんの家じゃないんだからもう少し空気を読めよ」
ユウさん!!
彼女への御忠告、有難う御座いました!!
「へ――い、へいへい」
俺が言ってもどうせ右耳から左耳へと言葉が流れて行き、一文字も空っぽの頭の中には留まってくれないからね。
こういう時は本当に有難いですよ。
洞窟へ戻る前。
先ずはフォレインさんに挨拶と報告を兼ねて謁見しようと皆で意見を纏めた。帰還するなり、主の承諾も得ずに堂々と休むのも気が引けるからね。
不帰の森の中の敵前線の正確な位置、並びに変異若しくは強化された種類の豚共とその対処方法。
人間達だけではなく、此の地を守る彼女達にとっても大変有意義な情報が入手出来た筈。
フォレインさんもきっと柔和に口元を曲げて下さる事だろうさ。
「フォレイン様。只今戻りました」
シオンさんが女王の間に続く立派な扉を叩き、俺達の存在を知らせる。
「――――。どうぞ、お入り下さい」
暫しの沈黙の後、背筋がぞくりと泡立つ妖艶な女性の声色が扉の隙間から漏れて来た。
何気無く放った声でも体がこの先に居る人物は危険だぞと察知したのだろう。
「失礼します」
シオンさんを先頭に立派な扉を潜り抜け、女王の間へお邪魔させて頂くと。
「皆様。長きに渡る偵察の任、大変御苦労様でした」
美しき白い髪を気怠そうに流した前髪、そしてその白い髪を後ろに纏め。俺が贈らせて頂いた簪で髪を留めていた。
「御母様、只今戻りましたわ」
アオイが普段よりも硬い口調で言葉を放つと、地面へ片膝を着く。
彼女の所作を合図に俺達も彼女の姿勢を倣って……。
「ふわぁぁ……。あぁ、ねっみぃ……」
『馬鹿野郎!! 片膝着いて、頭を垂れろって!!』
女王様の御怒りを買う前に横着者の頭を掴み、半ば強制的に俺達と同じ姿勢へと移行させてやった。
「何すんのよ!!」
「申し訳御座いません……」
片膝を着きながら器用に俺の背中をバシバシと叩く女性を無視して、フォレインさんへ謝罪の言葉を述べる。
何で俺がお前さんの粗相を謝らなきゃいけないんだよ!!
「いえいえ、お気になさらず。所で……。レイドさん、その顔の傷は??」
小さな御顔をカクンっと傾げ、敵ではなく味方から受けた頬の傷跡を眺める。
「強敵との戦闘で傷を負ってしまいまして」
「まぁ……。後で湯にでも浸かって傷を癒して下さいね」
「有難う御座います。アオイ……」
「これが調査の結果ですわ」
アオイが立ち上がり、フォレインさんへ。完成した地図と出会った個体の情報が記載された紙を手渡した。
「ふむ……。徐々に西へと下がっていますね」
それを受け取ると、俺達の苦労の結晶体を満足気に目を細めて見つめていた。
「恐らく、此の地で懸命に戦い続ける戦士達の功績かと考えます」
シオンさんを筆頭にして勇気を胸に戦う戦士達が敵の前線を押し下げたのだろう。
アイツ等も彼女達の力には敵わないと悟ったのさ。
「それもあるでしょうけど、それ以外の理由の方が強いでしょうねぇ……」
それ以外??
何の事だ??
「それ以外と仰りましたが……。何か心当たりでも??」
「う――ん。憶測で物事を話す事は好きではありませんので。はっきりと分かったらお伝えしますわ。私の胸中を知りたければ……。うふふ、夜にでも我が部屋へお越しください。ベッドの上で朝まで語り合いましょう」
その目は止めて下さい。
鋭い蜘蛛の複眼に捉えられた様な錯覚が、背筋にぞくりとした感覚を与えてしまっていますので。
「では、御母様。私達はこれで。さ、レイド様!! 行きますわよ!!」
「ちょっと!!」
アオイがフォレインさんから資料を奪い取ると、俺の腕を掴み強引に引っ張り立たせてしまう。
「フォレイさん!! 失礼します!!」
「は――い」
少々失礼な態度で去るものの、フォレインさんは柔和な笑顔でこちらを送ってくれた。
――――。
「…………。シオン」
「何でしょう??」
娘達が去ると、周囲の空気を震わせない様。静かに口を開く。
「前線は私の予想通り西へと下がっています。そして変異した個体も確認出来ました」
「そのようですね」
彼女は静かに、そして私の意図を汲む様に頷いてくれた。
「その日は近いです。兵の鍛錬、そして迅速な連絡手段の確保を怠らないように心掛けなさい」
「畏まりました」
「それと、恐らくアオイ達は数日の内に発ちます。それまで世話を頼むわ」
「――――。寂しくなりますね」
愛しむような、そんな優しい視線を通路の先に送りつつ話す。
「えぇ、でもレイドさんはきっとここに帰って来てくれますわ。私達はその日を、首を長くして待ちましょう。彼、良い体していると思わない??」
やれやれといった感じで長い吐息を漏らしている彼女へ向かって悪戯な笑みを浮かべてやった。
「フォレイン様。彼はアオイ様の伴侶ですよ??」
「私は気にしないわ。こんな素敵な贈り物を頂いて……。この想いはいつかお返ししないと」
「お戯れを。それでは失礼致します」
シオンが一つ小さく溜息を吐き、少し急ぐ様にして部屋を後にした。
しかし。こうも早く変異種が現れるとは……。
一度、彼女達と話し合った方が良いかも知れないわね……。
嬉しい知らせと、不都合な知らせ。同時に受け取るのは骨が折れますわ。
「ふぅぅ。肩が凝る話ばかりで疲れますねぇ」
右肩に優しく手を添えて疲れを解き解そうとするが、己自身の手では全く効果が現れない事に少し憤りを覚えてしまう。
どうせでしたら……。折角の機会ですし。殿方の力強い手で癒して貰いましょうか。
硬く閉ざされた先に居る素晴らしき力を持った雄の背へと淫靡な視線を向け、長く甘い吐息を吐いた。
――――。
「どわっ!!」
突如として背筋に悪寒が走り思わず声を上げてしまう。
此処に来るといつも妙な感覚を味わってしまうな……。きっとそれだけフォレインさんの力が強い証拠なのだろう。
「如何致しました??」
唐突な声を受けたアオイが不思議そうに此方を見上げている。
「いや、ちょっと寒気が」
「??」
不思議そうに首を傾げているその様は。
己自身が理解出来ない事象をカクンっと首を傾げて眺める子犬の様で。見ている者に愛苦しさを与えるには十二分の威力を持つ姿であった。
「風邪、で御座いますか?? それでしたら私がぁ。体の芯まで温もりを与え、邪な病を払い除けてみせますわっ」
さり気なく距離感を消失させて此方へとすり寄って来ますが。
「だ、大丈夫。今年はまだ一度も風邪を引いていないから」
その所為で酷い目に遭ったので、どうか御勘弁して下さい。
二度目の攻撃は恐らく耐えられそうにありませんからね。
「風邪の予防として、私を召し上がって下さいましっ」
人間を食べたらお腹を壊してしまうのでご遠慮願います。
剥き出しの岩肌の通路に肩を擦り付けながら進んでいると。
「――――。アオイ様。レイド様が困惑していらっしゃいますので」
いつも通り気配を隠したシオンさんの声が突如として背中から発せられたので、思わず飛び上がってしまいそうだった。
「ふんっ……」
シオンさんの鋭い視線を受けると、アオイが正常な男女間の位置へと身を置いてくれる。
「皆様、もう間も無く食事の準備が整いますので食堂へとお越し下さい」
彼女、いや。ここの住人の人達には頭が下がる思いだ。何から何まで世話になって……。
「申し訳ありません。世話ばかりかけて」
「いいんですよ。レイドさんは恩人でもあり、アオイ様と夫婦になるお方ですから」
さも当然に耳を疑いたくなる話を口にしてしまう。
いや、だからそんな約束を交わした覚えは無いのですけど……。
龍とミノタウロスに耳を破壊されて、本来の言葉とは別の言葉に置き換わって聞こえる様になっちゃったのかしらね??
「お腹空いた――。早く食べようよ――」
ルーが腹に手をあてがい、空腹の様を分かり易く表している。
「動いた分の力を取り戻さなきゃ。ううっし、派手に食うわよぉ」
そして、コイツは……。
えぇっと……。腹ペコなのに、どうして両肩をグルグル回しているのかな??
「あのなぁ。少しは遠慮したらどうだ??」
食前の軽運動?? をしているマイに言ってやる。
「私の胃袋に遠慮って言葉は無いのよ」
左様で御座いますか。
「卑しい豚ですわねぇ……」
「はぁ――?? アンタ、ダレニモノイッテンノ??」
お腹が減り過ぎて可笑しな言葉になっていますよ??
「アオイ様!! 御友人に対してその様な御言葉使いはお止め下さい。私は常々申しておりますよね?? 友は家族と同じ位に大切なものであると。アオイ様はこの地を収めるフォレイン様の血を受け継ぎ……」
う――ん……。
何となく、だけど。アオイがシオンさんの事をちょいと毛嫌いするのは理解出来ないでもないかな。
家族にガミガミと自分の生活態度を訂正されるのって結構堪えるみたいだし。
家族を持った事の無い俺にとっては何となくでしか理解出来ないけどね。
通路を進みながらシオンさんの口撃を受け続けていると。
「――。分かりました!! 食事は結構です!!」
アオイが珍しく声を荒げて通路の先へと小走りで向かって行ってしまった。
「アオイ様……」
久しぶりに会って言いたい事が山ほどあったけども。
一気苛烈に放出してしまい、しまったって顔ですね。
「へっ、雑魚が。前髪姉ちゃん!! アイツの分の飯は私に回してね!!」
「皆で食べるから御飯は美味しいんだよ。シオンさん、食事は先に始めていて下さい。アオイを説得して連れ戻して来ますから」
「よ、宜しくお願いします」
キチンとお辞儀をしてくれたシオンさんへ軽く頷き、怒り心頭の余韻を残して立ち去ってしまった彼女背を追い始めた。
◇
通路を駆け抜け広い空間へと戻って来るが……。左右を見渡しても白き髪の女性の姿は何処にも見当たらず、彼女を探す俺の姿を不審に思ったのか。
「「「??」」
数名の女性達が訝し気な表情で此方を見つめていた。
いかん、見失ったぞ。
「あの、すいません」
女王の間へ続く通路の警備を続けている二名の兵士の内、一名の女性へ優しい口調で話し掛けた。
この通路から出て来たって事は、彼女達はアオイの姿を見ている筈だからね。
「はいっ。如何なされましたか??」
衛兵足る厳しい表情から一転、女性らしく柔和な瞳で此方を捉える。
「アオイ……。アオイさんを見ませんでしたか??」
「アオイ様でしたら自室へお戻りになられましたよ。こちらの通路になります」
女性の兵士が案内してくれたのは右隣りの通路。
他の通路と変わりない道であった。
「先に進むと左右に扉が見えて来ます。左側がシオン様のお部屋で右側がアオイ様のお部屋になります」
「有難う御座います!!」
礼を述べ、早速彼女部屋へと向かおうとしたのだが……。
「あ、レイドさん」
急に呼び止められたので思わず転んでしまいそうでしたよっと。
「はい?? 何でしょう??」
「タオル……。いえ、毛布等は必要でございますか??」
「毛布??」
突拍子もない質問に間の抜けた声を出してしまった。
何だろう??
アオイが休むのに必要だから持って行けという事だろうか??
「夜伽……、でございますよね?? 男女で肌を合わせられるのに必要かと思いまして」
「そ、そんなんじゃありませんよ!!」
ま、全く!!
どんな間違いをしたらその答えに行き着くのですか!?
しかも!! 此処はフォレインさんが治める大事な御家なんですからね!!
他人様の家で堂々と愛娘に手を出す訳がないでしょうに!!
あ、いや。
此処じゃなくて、違う場所でも駄目ですけども……。
「??」
では、何をしに行くのだ?? と。大変不思議な顔をしてこちらを見ていた。
「それでは、失礼しますね!!」
少々不躾な声色を放つと、大股で目的地へと進み始める。
喧嘩別れをしたまま出立するのは後味が悪いからね。
その助力程度なら余所者である俺が手を差し出しても構わないだろうさ。
彼女が姿を消したであろう、蝋燭の明かりが怪しく光る洞窟内の通路を慎ましい速度で進んで行った。
最後まで御覧頂き有難うございます。
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