第百二十話 出立の朝 その一
お疲れ様です。
週末の深夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。
それではごゆるりと御覧下さい。
腸が煮えくり返る程の黒き憎悪。それは憎むべき相手に対して向けるモノもあれば、自分自身に苛立ちを募らせて我が身に向ける場合もある。
私の場合は……。
後者、ですわね。
優秀な血を与えられこの世に生を受けた。それに甘んじて鍛錬を怠っていた訳ではないのに、優秀な彼女に及びもしなかった。
彼女は出来ても、私には出来ない。
私にしか出来ない事は何一つ無かったのだ。
それが悔しくて、彼女が妬ましくて……。物心付いた頃からずっと私の側に居てくれる彼女を怨みさえした。
そう……。
それが原因で彼女を傷付けてしまったのだから……。
『アオイ様!! お止めください!! ま、まだその力はアオイ様には時期尚早です!!』
う、五月蠅い。
私は、今日こそ貴女を越えてみせますわ。
『うふふ……。そう、良いわよぉ。妾の力に酔いしれなさい……』
頭の中に絡みつく様な女の甘ったるい声が徐々に強くなって行く。それと共に優秀な彼女をも越える力がこの身に宿った。
『アオイ様!!!! そのままでは……。精神がもちません!! お願いします!! 此方へ、帰って来て下さい!!』
帰る?? 何処へ帰ると言うのですか。
御母様は優秀な貴女が側に居れば事足りて、私等必要にされていない。里の者達もきっと心の中では私を見下しているのでしょう。
そう……。
優秀な血統を受け継いでいるのに、貴女に及ばない私を蔑んでいるのです。
『貴女の想いを、妬みを、そして心の奥で抱いている己自身の憎悪に身を委ねなさい……』
えぇ、分かりましたわ……。
この力、存分に解放させて頂きます。
『お止めください!! アオイ様っ!! くっ!!』
私の小太刀が彼女の愛刀を容易く弾く。
手に受ける感覚はいつものそれとは桁違いに軽く、それはまるで幼子の戯れを相手にしている様だ。
荒ぶる風よりも速く、腕に宿る力は堅牢な大地をも容易く破壊し尽くせる程の熱が。そして、体内に収まり切らない私の素晴らしき魔力が大気を震わす。
これが……。
受け継がれし大魔の力、なのですわね。
ふふ……。あはは!!!!
素晴らしいではありませんか!!
優秀な彼女が私の足元にも及ばないとは!!
私の両腕から繰り出される小太刀の斬撃を必死の想いで防いでいたが。近接戦闘では勝ち目が無いと考えたのか。
此方との距離を取り、愛刀を鞘に納めてしまった。
『アオイ様。お許し下さい……。貴女様を正気に戻す為、私は死力を尽くしますっ!!』
足を肩幅に開き、腰を落とし。
左手は鞘にそして右手は目貫に沿って優しく握る……。
最速の抜刀術を私に??
良いですわ。穿てるものならお好きにどうぞ……。
『ふぅ――……。咲き誇れ、我が刃。そして、風よ!! 渦巻き天へと轟け!!』
彼女を中心に風が渦巻き、周囲の落ち葉、花弁が吸い込まれて行き美しき花吹雪が出現した。
今にも炸裂しそうな彼女の魔力と脚力に心が震える。
あぁ、早く……。妾にその技を見せておくれ……。
『はぁぁぁぁ……。行くぞ!! 鞘走れ我が想い!!!! 疾風の太刀……。羅刹花吹雪!!!!』
花弁がハラリと舞い落ちると同時。
彼女の姿がこの世から消失した。
この力を以てしても見失う程の常軌を逸した付与魔法の威力と彼女の抜刀。
血反吐を吐く研鑽の末に手に入れたのでしょうが……。
今の私にはそれに対抗……。いいえ、凌駕する力を備えているのですわ。
『貰ったぁぁ!!』
鞘走る怪しき光。
背筋が凍る恐ろしき刃が我が身を穿つかと思いきや……。私の眼が捉えたのは峰であった。
私の体を両断するのではなく、峰打ちですか。
貴女のそういう所が…………。
『大っ嫌いなのですわ!!!!』
『なっ!?』
右の小太刀で彼女の刃を打ち払い。
『あぁぁぁっ!!!!』
彼女が中段の構えに戻る前に小太刀二刀を素早く、そして己の憎悪を切り刻むべく我武者羅に振り回してやった。
『うぐっ!?!?』
小太刀の切っ先に微かに掴み取った肉の感触が何んと心地良い事か……。
彼女の鮮血が宙へと舞い、私の顔に到達すると。冷たい心に温かい雨が降り注ぐ感覚を覚えてしまった。
何んと素敵な温もりなのでしょうか。
さぁ、貴女の温もりで私を温めて……。
『うぅ……』
額を抑え、地面に情けなく片膝を着く彼女の前へと歩む。
すると、洞窟の入り口から母親が静かに姿を現し。私の素晴らしき姿を憐れんだ瞳で見つめた。
『アオイ、シオン。私が責任を取るわ……』
彼女に授けた技で私を倒そうというのですか。
宜しいですわよ?? 御母様。
今の私は貴女をも越える力を手に入れたのですから。
彼女とほぼ同じ形で深く腰を落とす肉親に対し、小太刀二刀を構えた。
『疾風迅雷の太刀……』
風の力と雷の力を合一させたのか。
御母様の周囲に竜巻が発生し、漆黒の渦から青白い雷が迸る。
『フォレイン様っ!! 相手はアオイ様ですよ!?』
『いいえ、違います。アレは……。もう私の知る優しいアオイではありません。修羅に堕ちた獰猛な獣です……』
優しい?? 私が??
弱く、情けない私を御母様は嫌っているのでしょう??
私は……。私はぁ!!!!
負けない!! 誰にも負けてはいけないの!!
強くならなければならないの!!!!
『う、うぁぁああああ!!!!』
激しい憎悪が膨れ上がり、もう自分が自分である事さえ理解出来ない。
今、信じるべきなのは頭の中に響くこの声のみ。
『いいわよぉ。そのまま、そぉぉう……。そのまま力を解放しておくれ……』
良いですわ。
この力、想うがままに解放しましょう……。
『貴女をそこまで追い詰めてしまった私を許してね……。雷光旋風閃!!!!』
大木を薙ぎ倒す強風が収まり、鼓膜を穿つ雷鳴が轟くと同時に私の意識は霞の奥へと消失したのだった。
――――。
「…………。はぁ、またこの夢ですか」
猛烈な喉の渇きと、鼓膜を悪戯に刺激する激しい動機の音で目を覚ます。
「久方ぶりに自分の部屋で静かに眠れると思ったら……。これですもの」
己の失態が憎い。
自分の弱さが憎い。
レイド様達と共に行動している時には感じる事が無かった。心の奥底に閉じ込めていた負の感情が一気苛烈に吹き出してしまう。
きっと彼女と再会してその想いが首を擡げて出てきてしまったのでしょう。
やり直せない過去が本当に……。重たいですわ。
何処にも向けようの無い苛立ちと負の感情を抑え込もうと膝を抱えていると。
「アオイ様。朝食の準備が整いました」
乾いた音と共に一日の始まりを告げる声が届いた。
「えぇ、分かりましたわ」
いけませんわね……。
今日からレイド様の大切な任務が始まるというのに……。
気持ちを切り替えて臨みましょう。それがレイド様の為になるのだから。
◇
深い眠りに就いて、大変心地良い夢から中々覚めずに他者の声掛けで現実の下に帰って来る事もあれば。
誰からも声を掛けられる事も無く、極々自然に目を覚ます事もある。
本日の目覚めは後者でしたね。
本格的に任務が始まる事もあってか、ちょいと緊張感を持ってベッドの中にお邪魔した所為もあるのだろう。
「んっ……。ふぅ――……」
長きに渡る移動の疲れも栄養補給と久方ぶりの静寂の中で睡眠を摂取出来た所為か、頗る体調が良い。
疲れも取れたし、正に言う事無しだな。
意識は覚醒していても体は未だ微睡んでいるので軽く体を解し終え、夏服の軍服に着替えを果たして部屋を出た。
さてと。
先ずは今日の天気を確認しなきゃな……。
天候次第で雨具を用意しなきゃいけないし。
何とも無しに薄暗い通路を出口に向かって進んでいると、此方にお住まいの方々から朝に相応しい御挨拶を頂く。
「あ、レイドさん。おはようございます」
「はい、おはようございます」
今し方すれ違った彼女は両手一杯に麻袋を抱え。
「おはようございま――っす!! まだ朝ご飯は出来ていませんよ――??」
「おはようございます。天候の確認の為に外へ行こうかと考えていまして」
「朝靄が残っていますけど、概ね好天に恵まれていますよ――」
「そんな事よりぃ……。私を食べて下さっても構いませんからね?? こっそり部屋を教えますからっ」
「「「抜け駆け禁止っ!!!!」」」
そして出口へと繋がる通路ですれ違った女性達は哨戒任務の帰りなのか。
若干腫れぼったい瞼と、眠そうな面持ちで足を引きずる様に洞窟の奥へと進んで行ってしまった。
あ、あはは……。
皆さん外見とは裏腹に元気そうで何よりですよ。
若い女性特有のキャピキャピした笑い声を背に受け、先程聞き受けた通りの朝靄が残る早朝の空の下へ躍り出た。
ふぅむ。
東の空は明るく輝き、上空一杯に広がる空も雲一つ見当たらず青く晴れ渡っている。
天候が崩れる恐れも無い事に一つホッと胸を撫で下ろすのだが……。
「ハァァ!!」
「甘いですよ??」
「くっ……」
何故貴女達は朝も早くから元気溌剌と動き回っているのですか??
灰色の髪の女性と、黒髪の女性が薄い朝靄が残る大地の上でこの時間帯に不相応な動きをしていれば誰だって首を傾げようさ。
「まだまだぁ!!」
「良い動きですね!! ですが、直線的過ぎます!!」
素早いリューヴの踏み込みに対しシオンさんは確実にその軌道を見切り、必要最低限の動きで彼女の剛拳を容易く躱している。
卓越した選別眼、全方向に対応出来る立ち構え、そして襲い掛かる獰猛な獣の圧に気劣りしない勇気ある魂を持っていなければ成し得ない業にほぅっと思わず一つ大きく頷いてしまった。
「いけいけ――!! 後少しでシオン様に当てられますよ――!!」
「シオン様は右利きですからね――!!」
「死角に移動して!! 違う!! そっちじゃない――!!」
哨戒任務の帰り、若しくはこれから向かうのか。
女性の兵士さん達が二人の熱き戯れを取り囲み、四方八方からリューヴへ声援を送っている。
それに呼応して彼女の動きもより素早さとキレを増して来た。
「ふっ!! はぁっ!!」
瞬き一つの間にシオンさんの懐へと侵入。
そして、右拳に熱き想いを乗せた昇拳が彼女の顎先へ向かって伸びて行く。
「っと!!」
彼女の筋肉の動きで攻撃がせり上がって来る事を予想していたのか。
半歩下がって昇拳を躱す。
しかし……。
強面狼さんもそれは承知の上だったらしい。
「見切った!!!! そこだぁっ!!」
その場で左足を軸に素早く半回転。
長槍を彷彿させる下半身に装備した長き右の槍でシオンさんの胴体へ向かって雷撃を放った。
おぉ!! 当たるぞ!!
「――――。はいっ、及第点以上の攻撃でしたねっ」
「何っ!? ぐぁっ!!!!」
襲い掛かる右足よりも先に宙へと舞って華麗に回避。
そこから更に宙で回転して、回し蹴りとはこう打つものですよ?? と。
激烈な足技に対して、華麗な足技を見舞った。
お、おいおい……。冗談だろ??
何だよ、今の動きは……。
「くっ……。流石、女王の右腕を務めるだけの実力はあるな」
赤く腫れあがった左の頬を抑えてリューヴが立つ。
「いえいえ、それ程でも。リューヴ様も中々の御手前でしたよ?? 私以外の者であれば確実に胴体を射貫いていたでしょう」
シオンさんのお墨付き、か。
リューヴ良かったじゃないか。褒めてくれたぞ??
「リューヴさん凄い体術ですね!! 少し教えて下さいよ!!」
「私にも指南して頂こうか」
「ズルイです――!! 私が先なんですからぁ!!」
「あ、いや……。わ、私は人に指導するのは慣れていないのでなっ」
若い女子に囲まれてしどろもどろになる新米兵士って感じの出で立ちだな。
珍しく真っ赤に顔を染めて恥ずかしがっているし。
女性らにもてはやされて四苦八苦している狼さんを眺めていると、聞き慣れた嘶き声が背後から届く。
「おはよ、ウマ子。良く休めたか??」
まぁ、この声だと御機嫌斜めだろうけどね。
『休める訳なかろう。朝も早くからギャアギャアと騒ぎおって……』
大きな鼻をブルっと大袈裟に鳴らし、円らな瞳を無理矢理キッと鋭く尖らせて俺を睨んでしまった。
「俺を睨むのはお門違いだって。体、借りるぞ」
地面の上に生える草をポフっと食んでいる彼女の胴体に背を預け。
「わぁっ。リューヴさんの体、凄い引き締まっていますね」
「本当だぁっ。あはっ!! 此処は柔らかいねっ!!」
「何処を触っているのだ!!」
体の至る所に指、若しくは手を添えられ。今にも憤死寸前にまで猛烈に真っ赤に染まった彼女の端整の顔を眺めていた。
「――。あら?? レイド様、おはようございます。随分と御早い起床なのですね??」
汗一つかいていないシオンさんが此方へ、相も変わらずの無音歩行で歩み来た。
「おはようございます。本日出発しますからね、天候の確認の為に外へ出たのですよ」
ウマ子から背を外し、失礼の無い様。キチンと姿勢を整えて話す。
「本日は……。あぁ、真に良き天候に恵まれていますね。爽やかな蒼天が大変美しいです」
細い顎を蒼天へ向けてクイっと上げ、東の空から降り注ぐ陽光を浴びた黒髪が煌びやかに輝く。
こんな綺麗な人があぁも華麗に戦えるのか。
俺もまだまだ未熟故、シオンさん。そして更にその上に鎮座している師匠の下へと辿り着く為には一体どれだけの厳しい鍛錬を積まなければならないのか。
全く。
気が遠くなるよ。
「如何為されました??」
俺の視線に気が付いたシオンさんが蒼天から此方へと長き前髪を向ける。
「先程拝見させて頂いた華麗な動きに見惚れてしまいまして。シオンさんの様な強さを手に入れる為の時間を考えて愕然としていたんですよ」
「私の力は……。そうで御座いますね。地道な鍛錬で得たのは確かです。しかし、努力だけでは到達出来ない領域があるのですよ??」
「厳しい鍛錬でも到達できない領域??」
「それは大魔の力で御座います。例え死の寸前まで鍛錬を続けたとしても、血の違い。血統とでも申しましょうか。気高い血統にはどう足掻いても勝てぬのです」
何だろう。
ちょっと寂しそうな声色だな……。
「それはあくまでもシオンさんの主観ですよね?? 自分の考えは違いますよ。例え、力及ばずとも。例え、血統が劣っていたとしても。最後に勝利を掴む者は諦めない者です」
「諦めない者、ですか」
「その通りです。最初からそう決めつけていたら勝てる戦いも勝てません。血反吐を吐いてまで得た技を信じれば、自ずと勝利の尻尾を掴み取り。例え技が打ち破られたとしても、相手の闘志に負けない強き心を持てば勝利は此方に微笑みます。そう、本当に大切なのは心で負けない事です」
若造が何を偉そうに……。そう考えるかも知れませんが。俺の場合は正しくこれに当て嵌まる。
周りに居るのは大魔の力を受け継ぎし者共。対し、此方は……。
日々見せつけられる力の差に心が何度折れかけた事か、そして何度奮い立たせてくれた事か。
いつの日にか彼女達に追い付いてみせるぞと魂が震え、例え泥水を啜ってでも倒れはしないと心に誓って日々精進しているのです。
それを矢面には出さないけど、ね。
「有難う御座います、レイド様」
「そ、そんな!! 頭を上げて下さい!!」
急に頭を下げるものだから慌てちゃうよ!!
「今の御言葉。私の心に強く響いたのでお礼を述べさせて頂きました。大切なのは諦めない事……。うん……。いつの間にか忘れていた言葉ですね」
シオンさんもあの力を得る為に相当な鍛錬を積んだのだろう。
その苦しい鍛錬に身を置く中で忘れてしまった、のだろうか??
彼女の程の手練れが初心を忘れるとは思えないんだけどねぇ。
「主!! 来ていたのか!!」
「あ――んっ!! リューヴさん行っちゃいや――!!」
色とりどりの花達に囲まれ、対応に困れ果てていた強面狼さんが情けない顔で此方に向かって駆けて来た。
「おはよ。大変だったね?? 色々と……」
「あぁ、全くだ!! 了承も得ずに、人の体を好き勝手に触って!!」
「ふふ、後で厳しい指導を施しておきますので御安心下さい。さぁ、皆さんっ!! お仕事に向かいなさい!!」
シオンさんが少々強めに柏手を一つ強く打つと。
「「「はぁぁ――い」」」
間延びした声で返答し、随分とのんびりとした歩調で森へと向かって行く。
「あらあらぁ?? 私は常々言っていますよね?? だらしない態度は技を、そして体を怠惰にしてしまうと……」
シオンさんの漆黒の髪が刹那にふわりと浮かぶと。
「「「わ、分かりましたぁ――!!!!」」」
あ、あはは……。
怒られる前に行動すべきでしたね??
大きなお目目の端っこに涙を浮かべて駆けて行くうら若き女性達の背中を見送り、反面教師じゃないけども。
上に立つ者の前では覇気ある行動を心掛けるべきだと、改めて痛感してしまった。
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