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第百十九話 額に刻まれし悔恨 その一

お疲れ様です。


本日の投稿になります。


それでは、どうぞ。




 大変痛む頬を抑えながら薄暗い通路を進んでいると、数名の方々が此方の様子を不審に思ったのか。



「「??」」



 ある方は小首を傾げ、またある人はパチクリと瞬きを繰り返して通り過ぎて行った。


 客人である方が頬を赤く染めて歩いていれば誰だって不思議と思うだろうさ。



「レイド様。大丈夫で御座いますか??」



 左隣で歩くアオイが憐れんだ瞳で此方を見上げる。



「大丈夫。口内の歯はちゃんと生え揃っているから」



 大体、何でお礼の品を渡しただけで強烈な張り手を横っ面に受けなきゃならんのだ。まぁ、でも……。ユウの張り手一発で済んで御の字なのかな??


 いやいや……。ここで納得するから駄目なんだよ。


 偶にはもっと強く言い返さなきゃ、男らしくない!!


 狼さんの鋭い牙の餌食になるよりも、張り手で済ませてくれて有難う!! と。声を大にして叫んでやらねば。


 ――――。


 何をどう抗おうが詰まる所、酷い目に遭うのは確定なんだよね。


 豪胆な態度になれない女々しい自分が恨めしい……。



 愚痴ばかり零していても痛みが楽になる訳じゃないし。夕食を摂って、明日に備えて早めに就寝しましょう。


 重い足取りで何となく皆の後に続き、本日の夕食が提供される食堂に到着すると。



「おっせぇ!! トロトロ歩きやがって!! 道草食ってる牛じゃねぇんだから!!」


「ユウちゃん!! 美味しそうな草でも悪い草かもしれないからね!! お腹壊すよ!?」



 既にマイとルーは席に着いており。今か今かと食事を心待ちにして、体を忙しなく動かしていた。



「あたしは牛じゃねぇっつ――の」



 いつも通りのやり取りにちょいと辟易しながらも、満更でも無い表情を浮かべたユウがマイの隣に座り。



「随分と早い到着だな」



 俺は食いしん坊の真正面の席へと着き、ほんの僅かな皮肉を込めた台詞を言ってやった。



「ふふんっ。褒めても何も出ないわよ?? 私は誰よりも素早く!! そして誰よりも多くの御飯を頂きに此処へ参ったのだ!!」



 何だかニッコニコの笑みを浮かべて嬉々としていますけども。世辞じゃなくて、皮肉なんだけどね。



 明るい笑みから机へ視線を落とすと。席の前には既に食器類がキチンと並べられており、蝋燭が淡く優しい光で周囲を照らして此れから始まるであろう素敵な夕食の雰囲気を装飾していた。



「くっは――!! 腹減ったぁ!! 私は今日!! 此処の食料を全て食らい尽くす!!」


「此処の食料はあたしの里から送られて来ているんだ。少しは味わって食えよ??」



「あらっ?? カエデ。珍しくお腹の音が鳴りましたわね??」


「今の音は私じゃ無くてマイの音です」


「はぁっ!? カエデ!! 嘘を付くな!!」



 皆もこの雰囲気に当てられて随分と陽性な声色を放っていますね。


 明日から始まる任務に対して気負っている影は微塵も掴み取れない事に安堵する一方。もう少し緊張感を持って頂ければ幸いだと思う自分も居る。


 緊張し過ぎても駄目だし、だらけ過ぎても駄目。


 難しい塩梅だよね。



「早く御飯が来ないかなっ」


「ルー、喧しいぞ。大人しく待っていろ」


「リューだって楽しみなんでしょ?? ほら、嬉しい時とか笑いそうな時とかさ。眉をピクピク動かして笑いを誤魔化すけど……。今も動いているよ??」



 飛び交う多くの会話の中でルーとリューヴの会話を拾い。


 左隣りに腰掛けているリューヴの横顔を何とも無しに眺めると……。



「……っ」



 ルーの言う通りだ。


 ピクッ……。ピクッと眉が微妙に動き、いつもは真一文字に閉ざされている口元がクニャクニャと波打ってしまっていた。


 お腹が減ると表情が崩れちゃうんだね。



「――――。主、それ以上観察したら先程よりも酷い目に遭わせるぞ」


「し、失礼しました……」



 ドスの利いた声を受け首が捻じ切れん勢いで正面へと戻すと同時。



「お待たせ致しました」



 給仕の方々が馨しい香りを放つ食材を御盆に乗せて、各自の手前へ流れる様な所作で置いて頂けた。



 ほぉ……。こりゃまたお腹が減る香りと光景ですね。


 大人の手の平でも手に余る大きさの茶碗に盛られた白米、琥珀色の液体に浮かぶ根菜類のスープ。そして、女性の小さな御口でも食べ易い様。賽子状に切られた肉汁滴るお肉さん。



 ぐっすり眠っていた食欲さんも慌てて布団を蹴飛ばして上体を起こしてしまう御馳走。



 もう既に口内は涎の大洪水に見舞われ、それが溢れ出ない様にゴクンっと。喉の奥に流し込んであげた。




「「「おぉ!!」」」



 マイの大きな声を中心に感嘆の声が食堂内に響き渡り、それが彼女達が受けている効用の大きさを示す。


 これを前にしてお腹が空かないのは無理な注文さ。


 否応なしに腹の虫が鳴く。


 この言葉に尽きます。



「じゃあ、皆食べようか。頂きます!!」


「「「頂きます!!!!」」」



 さぁ、素敵な食事の始まりですよ!!


 先ずは手前の匙を手に取ると魅惑的な琥珀色の液体を大事に掬った。


 ぷかぁっと浮かぶ人参さん、そして可愛い丸みを帯びたキノコちゃん達が早く私を口に迎えてくれと手招きをしている。



 まだだ……。焦るんじゃない。最初はスープのみを味わうべきだ。



 その誘惑を振り切り、慎重にスープを口に運ぶ。



「ふぅ……」



 舌に感じたのは程よい熱さと絶妙な塩梅の塩加減。


 野菜の甘味がスープに溶け出し、地面に水が染み込む様に。本当にゆっくりと素敵な旨味が体内の奥深くへと染み込んでいった。


 奥歯で人参を噛めばホロっと直ぐに崩れ落ち、大地の恵みを舌が感じ取り。キノコの丸みが口内を喜ばせる。


 味良し、風味良し、そして栄養価も高い。


 見事の一言に尽きますね。



「美味いっ!!!!」



 龍の舌も大変ご満悦のようだ。


 美味さに感激したのかどうか知らんが、己の太腿をパチンと一つ大袈裟に叩いて自分の驚きを表現していた。



「もう少し行儀良く頂いたらどうです??」



 皆の気持ちを代弁するように、カエデが小さく声を上げる。



「こんふぁおいふぃい物をふぁふぇふぁら……」


「もう結構です。口を開かないで下さいっ」



 あらまっ。


 海竜さんを怒らせちゃいましたね。



 むぎゅっと眉を顰め、小さな御口に似合った御米の量を運びながら悪い龍を睨んでいた。



 方々で上がる歓喜の咀嚼音、食器同士が触れ合う心躍る乾いた音。




 世界最高峰の楽器でさえも今の俺達が放つ音には敵わないだろうさ。


 明日からの辛く厳しい任務に向けて嬉しい手向けとなりましたね。



「アオイちゃん!! 美味しいよ!!」


「あぁ、体に染み渡り疲労を拭い去るようだ」


「どうしたしまして。最も、本日腕を揮ったのはシオンですが」



 強さの腕前じゃなくて、食事の腕前も見事な物だ。


 是非とも指南を受けてみたいものさ。



 賽子状のお肉の弾力を楽しみつつ咀嚼を続けていると。



「――――。アオイ様、呼びましたか??」



 突如としてシオンさんの声が室内に響いたので、お肉さんが驚いて口から零れてしまいそうでした。


 この人……。気配を殺す事を生業としているのかな??



「呼んでなどいませんわ」



 アオイが棘を含ませた声色で答える。



「アオイ様、客人の前でその様な態度はいけません。もてなしの心を持って対応すべきです」


「はぁ……。相変わらず、一言多いです事」


「シオンさん、このスープ凄く美味しいですよ!!」



 不穏な空気が漂い始めたのでこの空気を丸ごと変えてしまおうと画策し、敢えて大袈裟に声を放った。



 アオイも、もうちょっと大人になるというか。


 姉の様な存在って自分自身が認めているのだからシオンさんの話に耳を傾けるべきだと思うんだけどな。


 まぁ、家族内の関係について友人である俺が深く踏み入れるのはお門違いかもね。



「まぁ!! ありがとうございます。本日は腕を揮わせて頂きました」



 黒髪の長い前髪の下。薄い桜色の唇を柔和に曲げて笑みを浮かべる。



「この出汁は……。鶏ガラですよね?? それと野菜の甘味が溶け出して塩気と混ざり合い、見事な物です」



 舌と体が感じた事を素直に話す。


 これは一朝一夕で作れる料理では無い。食べる人の事を考えて作られている料理だ。


 アオイの事を真に想い、真心と丹精を籠めて作った。


 味を通してそれが理解出来てしまいますもの。



「褒めても何もでませんよ。料理の心得があるのですか??」


「レイドは私達の御飯をいつも作っているんだよ!!」



 食事が始まってから目尻が下がりっぱなしのルーが代わりに答える。



「まぁそうなのですか?? アオイ様、殿方のお手を煩わせては駄目じゃありませんか。あれ程申しておりましたのに。それに……」



 アオイを正面に捉え、厳しい口調で女性の何たるかをシオンさんが語ると。



「…………っ」



 彼女の顔が時を追う毎に険しい物へと変化してしまう。


 耳障り、鼻に付く。


 普段は至極冷静なのに、此処迄負の感情を丸出しにするアオイも珍しいな。


 アイツと喧嘩する時以外、の話ですけども。



 そして、遂に堪忍袋の緒が切れる寸前まで憤怒が膨れ上がってしまったのか。



「…………。レイド様、引き続きお食事をお楽しみ下さい。私は先に失礼させて頂きますわ」



 誰にでも分かり易い憤りを込めた言葉を発し席を立つと、扉の脇に立っていた給仕の女性は彼女の剣幕に押され慌てて道を譲った。




「アオイ様!! まだお話は終わっていませんよ!!」



 苛立ちが募る背中に向かって説くように叫ぶものの、彼女の呼びかけを無視して食堂を出て行ってしまった。



「全く……。フォレイン様の娘である事をもう少し自覚して欲しい物です」



 肩を落として大きな溜息をつく。


 久々の再会に小言を言いたくなる気持ちは大いに理解出来るし、それを聞かねばならないアオイの気持ちも理解出来る。



 家族って意外と難しい関係なんだな……。


 俺にも兄が居たのならこうして食事中に喧嘩でもするのだろうか??


 家族を持った事が無い者には到底理解が及ばない複雑な問題だ。



 アオイが出て行き、何となく場がシンっと鎮まり返るが。



「ガッフォッ!! ファッパッ!! ファンヌグゥゥ!!!!」



 深紅の髪の女性だけは食事の手を止める事は一切なく。


 意味不明な咀嚼音を放ちながら飯を食らっていた。



 空気を察するという細かい芸はアイツに無縁の代物でしたね……。



「ふぁ?? んんっ!! 前髪姉ちゃん。アイツって昔からあんな感じだったの??」



 アオイの後ろ姿を見送ったマイが猛烈に忙しなく動かしていた手を一旦止めて話す。



「マイ、言葉使いに気を付けろ」


「別に構いませんよ。寧ろ、親しみがあって私は嬉しですから」


「申し訳ありません……」



 彼女の無礼に代わって頭を一つ下げた。



「そう、ですね……。アオイ様は文句を言いつつも私の厳しい指導にはちゃんと従っていましたよ」



 懐かしむように宙を眺め、大きな溜息と共に言葉を漏らす。



「御存じの通りここは森に囲まれ世間とは隔離されております。女王の娘という事もあり気を許して話せる友人は……。いませんでした。同年代の子は兵士として、そして従者として教育を受けていますのでアオイ様は厳しい訓練より、友人を求めていたのかもしれませんね」



 言葉を切ると俯き、手持ち無沙汰そうに細い指で前髪に触れる。



「私は良かれと思って、毎日のように厳しい訓練を課して女王の跡継ぎに相応しいよう指導をしていました。その一つ一つが彼女の感情を殺して行った事に気付いたのは随分と後になってからです」



「ほぉん。あの我儘蜘蛛もそれなりの指導を受けていた訳なのね」


「マイちゃん。ちょっと空気読もうよ」


「うっせぇ!!」



 御免なさい、シオンさん。


 続けて下さい。



「ある日、訓練の最中にアオイ様は大魔の力を開放しました。恐らく、私に負けたくない一心からでしょう。私はアオイ様を止めようと死力を尽くしましたが歯が立たず、額に傷を負ってしまいました」



 そう仰ると前髪を一瞬だけサっと開き、額の中央に残る傷跡を此方に見せてくれた。


 あくまで俺の主観だけど。前髪を伸ばしてまで隠す様な深い傷跡じゃないけどな。



「この傷はアオイ様の思いに気付かなかった私の業です。それ以降隠す様にしました……」



 髪を直し、過去の悔恨を隠してしまった。



「しかし、私は本日大変驚きました」


「驚いた?? またどうして」



 ユウが声を上げる。



「はい。アオイ様にあのような表情があるのなんて私は知りませんでしたから。以前は風も凍る様な冷たい視線、感情の起伏さえ感じ取る事は出来ない。例えるのなら……。魂までも凍てつく氷のようでした。しかし、あなた達と共に行動するアオイ様は。 温かい春風を予感させる柔らかい笑みが良く似合う私の知らないアオイ様でした」



 声に陽性の感情が籠り、それと同時に俯きがちだった面を上げた。



「厳しい冬の氷を溶かし春の訪れを感じさせる素敵な笑顔、自分の気持ちが上手く伝わらずもどかしく思う顔、苦虫のように眉を顰め憤りを表す表情。そして……。レイド様を見つめる温かい視線。まるで宝石を散りばめたような表情に私は嬉しく思いました」



「ふぅん。アオイちゃんってレイド達と出会うまでは怖かったんだ」



「えぇ、フォレイン様はその事を踏まえあなた達に帯同するよう許可を出したのかもしれませんね。女王足る者、他人の気持ちを理解出来なければなりませんので。そして、こんなに素敵な御友人を御作りになられて……。フォレイン様も満足なさっている事でしょう」



「ゴホッ!! 友人??」



 マイが飲みかけのスープを吹き出しそうになって慌ててしまう。


 恐らく、アオイの友として認識された事に驚いたのだろうさ。



「違うのですか??」


「誰があんな奴と。アイツは私の天敵よ!!」



 ほら、当たった。



「そう言うなよ。アオイとは良い友人関係を構築出来ていると考えていますよ」



 時々ちょっと距離感を間違えてしまうのが偶に瑕ですけども。



「そうそう。あたしはアオイの友達だよ」


「私も友達!!」


「友人の一人として接しているつもりです」


「友か……。いい響きだ。アオイとは時折組手の相手を務めてもらう。中々手強い相手でな、何度も辛酸を舐めさせられたものだ」



「ふふふ。アオイ様もあなた達と付き合う内に本来の優しい心を胸に抱くようになったのですよ」



「うぐぐ……。でめぇら、何でそう簡単に認めるのよ」



 鼻頭にこれでもかと皺を寄せて俺達を睨む。



「ほぉら、心を開放するんだ。怖くないよぉ?? 感じた通りに言って御覧??」



 隣のユウがマイの肩をポンっと叩いて揶揄う。



「ま、まぁ――……。確かに?? 何かとちょっかいをかけては来るけど……。いないといないで寂しい?? かも?? それに、友達では無い事も言え無いかもしれないけど……」



 また見事に言葉を濁したな。


 アイツも心の何処かではアオイ事を友と認めているのだろうさ。


 それを矢面に出来ないのは恥ずかしさの裏返し、なのかな。



「天邪鬼なんですね」


「違うわよ!!」



 本当は友達想い、だけどアオイは認めたくない。


 シオンさんの言葉は正に的のド真ん中を射ていた。



「それよりシオンさん、先程会話の中で出て来た。『大魔の力を開放』 したと仰っていましたが具体的に説明して頂けますか??」



 カエデが冷静な声色でシオンさんに尋ねる。


 そう、俺もそれには引っ掛かっていた。



 訓練していた時のアオイは少なくとも今より力は劣っていた筈。


 それにも関わらず、マイとリューヴの背後を簡単に取るシオンさんが彼女に後手を取るとは考え難い。


 大変興味がそそられる内容なので、シオンさんの言葉を聞き逃すまいとして食事の手を止めて聴覚に神経を集中させた。





最後まで御覧頂き有難うございました。


本日の夜も冷えますので体調管理に気を付けて下さいね。


それでは皆様、お休みなさいませ。

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