第百八話 名も無き戦士達の功績
お疲れ様です。
本日の投稿なります。
それでは御覧下さい。
死の間際。
人は何を思うのだろうか。
愛する家族を残してこの世を去る事に断腸の思いを叫ぶのか。成し遂げていない事に嘆き胸が張り裂けそうになるのか。将又、確実に訪れる死に対して救われない悲しみの涙を流すのか……。
無意味な人生など無い。数多多くの人は口を揃えて言うが、成し遂げてこそ初めて報われる死もある。
栄えある死、無意味な死。
それは残された者が判断するのか、それとも己自身が死の間際に断固たる意志と共に判断するのか。
客観的、主観的。
死の価値とは相対する視点から判断すべきなのかも知れない。
深く険しい森の中、二人の人間がその死の間際によって重要な選択肢に迫られていた。
「た、大尉。じ、自分は……。どうやら此処までの様です……」
額、四肢、腹部。
体の至る所から出血が目立つ男性兵が女性兵へと今にも事切れそうな声色で話す。
「――。そうか」
男性兵の肩を担いでいた女性兵は至極冷静な声色で男性兵の体を労わる様に太い木の幹へと預けた。
「こ、故郷の家族に……。これを届けて、下さい」
余程大切に握り締めていたのだろうか。男性兵が胸元から深く刻まれた皺が良く目立つ一通の紙を女性兵へと差し出す。
「分かった」
女性兵は冷酷な瞳でそれを預かり、己が胸へと仕舞った。
「自分は……。特殊作戦課の栄えある任務に帯同出来て……。誇らしかったです」
「私もだ」
「た、大尉は何度も作戦に参加されて……。ゴフッ!! はぁ……。はぁ……。何度も帰還して……。あんな化け物相手にも怯む事なく……」
「もういい。それ以上話すな。死を早めるぞ」
「良いんです。もう自分は長くありませんから」
男性兵が弱弱しい笑みをふと浮かべる。
しかし、それでも女性兵の顔色は変わる事は無かった。
「憧れだったんです。特殊作戦課の任務に参加する事が……」
「自ら望んで死地へ赴く輩はそうは居ない。お前は立派な兵士だ」
「あ、有難うございます。最後に褒めて頂いて……。さ、最後の願い。聞いて頂けますか??」
「何だ」
男性兵が暫し迷った後、人間味溢れる感情が欠如した女性兵の顔へとこう話した。
「わ、笑って下さい。任務中、誰が最初に大尉を笑わせられるか。賭けていたんですよ」
「それがお前の願いか??」
「はい……」
女性兵が暫し迷った後、まるで硬い鉄を折り曲げたかの様な。ぎこちなく、堅牢な口角の角度を浮かべた。
「そ、それは笑顔では無くて。作った笑みですよ……」
「笑う事には慣れていない」
「へ、へへ。先に逝った仲間に良い土産話が出来ました」
「そうか」
「あぁ……。帰りたい……。温かい家に帰りたい……」
男性兵が宙へ向かって手を伸ばすと、女性兵がその手を確と掴む。
「ごめんな?? 俺、帰れないよ……。息子が成長した姿、見たかった……」
そして、操り人形の糸が切れたかの如く。男性兵が素晴らしき生の活動を停止した事を見届けると女性兵は静かに祈りを捧げその場を去った。
「また私一人、か。願わくば、優秀な兵士と任務を遂行したいものだ……」
彼女が残した台詞は静かな風に乗って森の中へと消失。
鳥達の囀り、風が揺らす葉が擦れ合う環境音が響く中。木の幹の麓に残る骸はいつまでもそこに存在し続け。やがて土の養分となり、木の成長の糧となった。
◇
高価な長机を取り囲む十名の重鎮達が放つ圧が空気に質量を持たせ、息をするのも一苦労する重い空気が広い室内に充満していた。
「つまり、マークス総司令殿は現状維持を最優先するという事で宜しいのですね??」
一人の壮年の男性が重苦しい空気を払拭する様にしゃがれた声で話す。
「西に存在する敵勢力は沈静化の一途を辿っている。これ以上何を望むというのか??」
その問いに歴戦の勇士を彷彿とさせる瞳でマークス総司令が答えた。
「問題はその原因です。現在、不帰の森南南西に敵勢力が集結しているとの情報もありますが……。何分、情報が錯綜しています。特殊作戦課の者が不帰の森へと突入を……」
マークス総司令の隣。
彼の右腕であるレナード大佐が口を開くと同時。
「し、失礼します!!」
この部屋に似つかわしくない身分の男性が室内に鎮座する者達の了承を得ずに入室を果たした。
「そ、総司令!! 帰還報告です!!」
その者が彼に一通の手紙を渡すと。
「し、失礼しました!!」
素早く頭を垂れ、瞬き一つの間に部屋から立ち去ってしまった。
「ほう……。これは、また……」
「総司令。手紙には何んと記載されていましたか??」
壮年の男性達が犇めき合うこの部屋の中。
見方によっては場違いにも映る若い女性の声が静かに響く。
「――――。特殊作戦課の一人が不帰の森から脱出したとの報告だ」
「「「…………っ」」」
おぉ……。
どよめきにも似た溜息が刹那に響いた。
「だが、調査範囲は指令内容の三分の一にも満たない僅かな範囲だったようだな」
「あの森には危険しかありませんからねぇ……。帰還しただけでもヨシとしたら如何ですか??」
体の線が細く痩せ切った男性がそう話す。
「不帰の森の中。敵の正確な位置と敵性勢力を把握する事が今回の任務……。本懐を成し遂げずに散った同士の無念を晴らす為。乾坤一擲となる手を考える事が現在の課題ですね」
至極冷静を努めた精一杯の声色を一人の男性が放つと、室内は再び重苦しい沈黙に包まれた。
そして、この重苦しい沈黙を破ったのは一人の若い女性の声であった。
「その点に付きまして。私から提案があります」
「――――。シエル皇聖。貴女は本作戦に参加する権限はありません」
レナード大佐が鋭い視線を以て彼女の発言を御す。
「まぁ提案する位良いじゃないですか。して、シエル教聖?? その提案とは??」
痩せ細った男性が厭らしい笑みを浮かべて話す。
「この場では進言出来ません。特殊作戦課の指令であられる彼に直接進言させて頂きます」
「分かった。では、本日の作戦会議は此処迄。解散……」
マークス総司令がこれでもかと眉を顰めて席を立つと、それを見計らってシエル教聖が彼の下へと進み行く。
「今、宜しいでしょうか」
人に警戒心を与えない当たり障りの無い笑み。
しかし、今の彼の心理状況では気に障る笑みに映った。
「どうぞ」
「貴方も心当たりがあるのでは無いですか??」
「心当たり??」
「えぇ、たった一人で不帰の森を横断。類稀なる身体能力で襲い掛かる暗殺者を撃退。しかも、その暗殺者は鷹の目を……」
「――――っ」
『それ以上余計な事を話すな』
レナード大佐は周囲に存在する者共に対して、情報漏洩を懸念したのか。
鋭い瞳で彼女を御した。
「御安心下さい。彼の情報は此処に居る全ての者にとって周知の事実ですから」
「それで?? 貴女は私に一体何をしろと」
「簡単な事です。適材適所と呼ばれている様に、それ相応な任務には相応な人材を派遣すべきです。そして…………」
彼女が少し間を置き。
人の神経を逆撫でする角度で口を開いた。
「貴方には拒否権はありませんから……」
彼女が静かに浮かべた笑み。
それに対し、彼は心に湧き起こる烈火の憤怒を抑え込みながら受け止めていたのだった。
◇
摩訶不思議な体験をした為か、いつも通りの辟易する人波についつい郷愁を感じてしまう。長くそして危険に満ちた任務を終えて王都に戻り最初に感じたのは正しく、その事であった。
普遍な調査では無く、魂の交換という特殊な経験は確かに勉強になった。
左腕の骨は移動中に主治医である賢い海竜さんのお陰で完治出来ましたが、己の命を危険に晒してまであのチンプンカンプンな経験をすべきかどうかと問われたら確答は出来ません。
ただ、こうして無事に帰って来られた事に対して素直に感謝すべきなのでしょう。
パンを美味そうに頬張り目を輝かせている男性、甘味に舌鼓を打ち目尻を下げ笑顔を振り撒く女性。忙しそうに肉を焼き、客を呼び込む店員。そのどれもがこうも愛おしく感じてしまうとは……。
日常生活の有難みを痛感しつつ王都中央。
本日も活気溢れる屋台群を眺めていた。
『はわぁ……。ただいまぁ、私の楽園』
だらしなく口元を開け、馨しい香りに誘われ惚けている腹ペコ龍も俺と同じ気持ちのようだな。
感情の共有は喜ばしい限りですね。
「やっと懐かしい光景が見えて来たな」
危険な任務を終えて、命辛々辿り着いた第二故郷。
コイツも少なからず郷愁の想いを抱いて見つめている筈さ。
『そうねぇ。何から食べようか迷う所だわ……』
全然違いましたね。
こいつの頭の中は飯の事で埋め尽くされている。
郷愁、懐かしむ、旧懐。
そんな感情は食欲と言う生物の生存本能の前に消え失せてしまった様だ。
「はぁ、まぁいい。今から本部に向かって任務の詳細を伝えるよ。その後に宿の予約を取って来るからそれまで自由行動で」
『分かったわ!! さぁ、どれから攻めようか。腕の見せ所ね……』
前へ飛び出そうと逸る気持ちを抑え込む様に拳をぎゅっと握っている。
人の姿のコイツに翼が生えていたのなら、本能の赴くままに翼が稼働。体の中にひっそりと潜む制御心とは裏腹に突撃を開始してしまうだろうな……。
良かった。
人の姿で居てくれて。
『マイちゃん!! 美味しい物探そうね!!』
『頼むぞ?? おまえの鼻が頼りなんだ』
ルーとユウもこの光景を前に食欲を多大に刺激されている様ですね。珍しくお馬鹿さんの龍と等しく煌びやかに瞳を輝かせて中央屋台群を見つめているのが良い証拠さ。
『肉!! マイちゃん!! 私お肉が食べたいっ!!』
『わ――ってるわよ!! 肉は食うに決まっているから、次なる手を考えているのよ!! この全知全能の神を越える私は!!』
神様。
もしも居るのであれば、アイツに裁きの雷を食らわしてやって下さい。
そうすれば愚かな者でも悔い改めると思いますので……。
『全く。大人しくするという事は出来ないのでしょうか』
眼前に広がる道路の上を進む馬車の群れを待つ彼女達の後方。
焦燥感に駆られた彼女達の背後を険しい瞳で見つめながらアオイが言葉を漏らす。
「まぁそう言うなって。久しぶりに帰って来たんだ。偶には羽を伸ばしたいと思うのが人の心情さ」
その伸ばし方がちょいと問題あり、なんだけど……。
「カエデ達はどうするんだ??」
『図書館に行く』
うん、これも想像通り。
『では私も相伴しましょう。リューヴはどうします??』
『肉を取るか、それとも静寂を取るのか……。実に悩ましい……』
おや??
いつもならアオイ達と一緒に図書館へと赴くのに。
これでもかと眉を顰め。
『えへへっ。お肉っ、お肉っ!!』
『肉汁滴るお肉ちゃん――。今から私が食べにい――くからね――!! ちょいと腰を据えて待ってってねっ!!』
『マイ、頼むからその変な歌で念話を放つは止めてくれ。頭がどうにかなりそうだ』
昼下がりの屋台群突入班と、図書館班を交互に睨みつけていた。
出来ればもう少し眉の力を抜いたら??
通行人さん達が怖がって近付けないよ??
『では何かあったら念話で連絡を下さい』
カエデが北大通へと続く道へ進もうとすると。
「は――い!! お待たせしましたぁ!! 通過してくださぁぁああい!!」
本日も交通整理に勤しむ男性が大声を放ち、屋台群への通行を許可した。
『よぉしっ!! 皆の者!! 我に続けぇ!!』
『お――っ!!』
『んじゃ、レイド行って来るわ』
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
『へへ、ありがとっ』
快活な笑みを残して人波に紛れて行くその刹那。
『んむむむむっ!!!! ルー!! 待て!! 私も行く!!』
お肉さんの誘惑には勝てなかったのか。
リューヴが慌ただしくもう一人の自分の下へと駆けて行ってしまった。
「余程肉の味に飢えていたんだな……」
『ケダモノですからねぇ。では、レイド様っ。私も行って参りますわね』
ちょいと男心を擽る笑みを残し。
「…………」
前方で足を止めて此方を睨みつける海竜さんの下へと進もうとしたのですが。
『はぁんっ。足が縺れてしまってぇ……』
大変わざとらしい所作と声色で躓く振りをして、此方の胸元へポスンっと顔を埋めてしまった。
「アオイ、人が見てる……」
『んふっ。今、蓄えているのですわ??』
蓄えている??
『こうして……。すんすんっ……。はぁっ……。レイド様の香を肺に一杯閉じ込め、寂しさで倒れない様にする為ですっ』
「暗い深海へ向かって素潜りに挑戦する勇気ある冒険者さんじゃないんだから。ほら、カエデが待ってるぞ」
待っている、では無くて。
今にも恐ろしい魔法を詠唱してしまいそうなので。早く離れてくれれば幸いです。
彼女の頭をコツンと叩いてそう言ってやった。
『むぅっ。レイド様?? 妻の頭を叩くのは宜しく無いのですわよっ??』
ぷっくり頬を膨らませて話すその可愛らしい姿。
普段は凛とした出で立ちで冷静さを滲ませる性格なのですが……。その裏表の差がこうも心に驚きを与えるのですね。
勉強になりました。
「はいはい。以後気を付けます」
『ふふっ。それでは、ごきげんよう』
背筋がゾクリと泡立つ妖艶な笑みを浮かべ、破裂寸前にまで魔力が高まっている分隊長殿の下へと向かって行った。
「それじゃ、また後で」
さてと!! お見送りも終わった事だし。
我が本部へと帰還報告に向かいましょう!!
一つ息を大きく吸い込んで、若干の疲労を滲ませた溜息を漏らし。人で溢れかえる西通りを抜け本部へと馳せ参じる為に歩みを速めた。
最後まで御覧頂き誠に有難う御座いました。
冒頭で登場した大尉ですが、随分と先の話になりますが。第三章のとある御使いの話でガッツリ本編に絡んでくる予定です。
大変冷える夜が増えましたので体調管理には気を付けて下さいね。
それでは皆様、おやすみなさいませ。




