第八十七話 つい最近にも感じてしまう懐かしき思い出 その二
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。
夜鷹も鳴く事に疲れた頃。
この森に住む生物にとって待望の静寂が訪れた。普段の静寂とはかけ離れた喧しさに辟易していた事でしょうね。
リンっと慎ましく鳴く虫達の歌声。
森の上部の隙間から覗く美しい夜空。
眠りに就く前の相応しい環境下なのですが……。いつもは額に汗を浮かべて速攻訪れてくれる睡魔さんが訪れにいた。
何度も寝返りを打つ度に覚醒してしまい、遂には眠れない事に対して憤りが募ってしまう。
「はぁ……」
ちょっと散歩でもして来るか。
軽い運動をすれば、睡魔さんも満面の笑みで俺を迎えに来てくれるだろうさ。
巨大な溜め息を吐き尽くし、何処までも暗闇が続く森の奥へと進もうと立ち上がると。
『どうした??』
うつらうつらと首を上下に揺れ動かしていたウマ子の円らな瞳が俺を捉える。
「眠れないからね。散歩に行って来るよ」
『余り遠くへは行くなよ??』
「はは、有難うね」
甘える嘶き声を放つ彼女の体を優しく一つ撫で、踏み心地の良い地面をおかずに深夜の散歩を開始した。
月明りが木々の隙間を縫って地面を照らし、小さな虫の歌声が耳に届き心を落ち着かせる。
うん、空気も澄んでいて美味い。
日常の喧しさが嘘のようだ。こうして何も考えずに歩くのも偶にはいいよな。
時折、此方の進行を妨げる横着な木の枝さんに横っ面を叩かれながら進んで行くと。
「おぉ――……。こりゃまた綺麗だ………」
澄み渡った水面に浮かぶ泡沫の月が現れた。
その上には等間隔に蛍光色を点滅させる蛍が踊り、上空から差し込む青い月明かりが幻想的な演出を施していた。
「あれ?? ここって……」
今の今まで気が付かなかったけど……。
そうだ、確か此処って俺が水浴びした泉じゃないか。
その後マイに出会って、ウマ子に顔を噛まれたアイツは此処で……。
「ははは……。懐かしいなぁ」
湿った草が生い茂る水辺に座り、あの日から今日までの記憶を楽しむように凪の無い水面を見つめる。
「あれからちょっとしか経っていないのに色んな事があったな」
独り言のように話す。否、完全に独り言だ。
魔物達との出会い、師匠との特訓、そして任務にイル教。
任務開始前までは凡そ想像も付かない事に巻き込まれている。巻き込まれるとは言えないかな??
パルチザンに入隊したのは魔女達と戦う為、そして孤児院の人達から受けた恩を返す為。
自分で決めた行動だ。
それが偶々、マイ達と出会いこうして今も行動を共にしている。
俺一人じゃ太刀打ち出来ない事も、仲間とならどんな困難でも乗り越えられる。正直、マイ達と行動していると……。楽しいし、もっと強くなろうと考えさせてくれる。
彼女達の力の前では俺の力はチンケな蟻程度の物だろう。
いつかは……。並んでみたい。
そして。恥ずかしくてとても言えないが、皆とこの先もずっと行動出来れば良いなと考えている。
しかし、彼女達にもそれぞれに人生がある。それを無理強いするのは俺の我儘かな??
風光明媚な光景に魅了され、体を弛緩させながら複雑な心境を抱いていると背後から人の足音が聞こえて来た。
「…………。こんな所にいたの??」
「え??」
この静かな雰囲気に誂えた静かな声の方に振り向くと、人の姿のマイが若干眠たそうな眼で俺を見下ろしていた。
「何だか寝れなくてさ。歩いている内にここに着いたんだ」
「ふぅん。物音がして、あんたの姿が見当たらなかったから驚いたわよ。私に黙って夜食を食い散らかしているかと思ったわ」
お前さんと一緒にしないでくれ。
「こんな時間に食べたら余計眠れなくなっちまうよ」
そう言いたいのをグッと堪え、違う言葉に置き換え。俺の隣に腰掛けたマイへと言ってやった。
月明りに照らされた深紅の髪が輝きを帯び、その髪一本一本が柔らかい風に靡いている。
眉に掛かった髪をスっと、耳に掛ける所作が酷く似合っていた。
「ん?? 何??」
「いや。別に……」
その何でもない仕草に心の中がざわつく。
この雰囲気がそうさせているのだ。
真の姿のコイツは悪魔も慄く暴力の権化であり、世界最強の食欲も辟易する胃袋を持ちの御方なのですから。
急に雰囲気変わり過ぎだろ……。
「あれ?? ここ見覚えあるわね」
俺と同じ記憶に辿り着いたのか、キョロキョロと周囲を見渡して話す。
「ほら、お前さんと出会って。んで、此処に来てからウマ子にガッツリ食まれただろ」
彼女の涎に塗れ、辟易した龍の顔がふと脳裏を過る。
「あぁ、クソっ。思い出したら鼻の奥に獣くせぇ臭いが漂って来たわ」
言葉、悪いですよ??
「綺麗に頭、食まれていたもんなぁ……」
馬に頭を食まれる龍、ね。
いかん。あの光景を思い出すと変な笑いが飛び出て来そうだ。
「馬に食まれ、馬鹿みたいにデケェ乳に殺されかけ。挙句の果てには狼に目玉を舐められる……。此れだけ酷い仕打ちを受けている魔物は早々見つからないでしょうね」
「その大半はお前が悪いんじゃないか」
「はぁ!? あんたねぇ……。プッ、……。アハハ!! ま、まぁそうよね!!」
「ふふ……。ハハハ。懐かしいよな??」
お互い輝かしい記憶にあてられたのだろう。
腹の奥から込み上げて来る陽性な感情を何の遠慮も無しに解き放ち、更に互いに浮かべる笑みがそれを増長させた。
「はぁ――、笑った。――――。ここであんたと出会って今の旅が始まったのよね」
「旅というか、任務だな。俺が飛び出さなかったらこうして一緒に行動していないよな??」
「そうねぇ。庇って貰わなくても勝てたけどさ、あんときのお礼まだ言っていなかったわよね??」
「お礼?? 罵倒じゃないのか??」
「失礼な奴め。……………………、ありがとうね。私を庇ってくれて」
周囲の虫の鳴き声より小さく、そして風に消え入りそうなか細い声で話す。
感謝と羞恥、そして幾つもの感情が入り乱れ。ぽわっと朱に染まった表情が赤い髪に良く似合っている。
毎度そうやって人に対して慎ましい礼儀を贈れば一人の大人として立派に成長出来るのに。
勿体無い。
「どういたしまして。俺も言わせて貰うよ、命を助けてくれてありがとうな」
「べっ、別にお礼を言わなくてもいいわよ。私の善意であんたを助けた訳だし……」
此方の瞳から逃げるように明後日の方角へ顔をプイっと背けてしまう。
「そいつはどうも。お蔭様で今日まで生き永らえているよ」
「普通の人間ならとっくに死んでいるわよ。もっと感謝して、私を神として崇めなさい!!」
「大袈裟過ぎるだろ、それは……」
龍の契約。
この力から得られる治癒力や力の片鱗が無ければ、路傍の荒れ果てた石コロの様に無残な姿に変わり果てていただろう。
それ程魔物達やオーク共の力は強大であり、たった一人の人間では逆立ちしても勝てぬのだ。これは決して覆せない道理。
その道理を覆せる力を付与された事は果たして、僥倖として捉えるべきなのか……。
「――――。ねぇ」
「何だ??」
不意に訪れた静寂の後、マイが話しかけて来る。
「その……、あんたはさ。龍の契約を受けて後悔していない??」
「後悔?? どうして??」
「ほら、力とか治癒力とか普通の人間とはかけ離れた力を持っているわけじゃない??」
「まぁ、そうだな」
何だ??
言い難そうにマゴマゴしているな。
気持ち悪いと言ったら奥歯が頬から飛び出してきますので、言いませんけども。
「それに……。寿命も延びているし……」
あぁ。
そういう事。
「今いる友人や知り合いの殆どが俺より先に旅立つだろうな」
「…………、寂しく無い??」
マイが静かな水面を見つめて話す。
その目元はいつもの活気を失い、どこか寂し気に映った。
「生物は生きている限りいつかはその活動を停止する。それが伸びただけだ。でも確かに、友を見送るのは心苦しい。それがこの先暫く続くと思うと……」
トア、ハドソン、馬鹿騒ぎが大好きな同期の連中、レシェットさん、オルテ先生、アヤメ。
彼等が人である以上、誰もが俺よりも先に旅立ってしまう。
悲しい現実だが……。
「そっか……。そう、だよね」
「でもマイ達と同じ時間を過ごせる訳だし、寂しいとは思わないよ。それにさ、寿命が長くなるとやる事が増えて良い事ばかりじゃないか。この世界は広い。俺達が知らない土地や食べ物を探すのもいい。だから、後悔とかしていないよ」
横着を働いて親に叱られ、シュンっと萎れてしまった悪ガキにそう話す。
長い人生、楽しい事ばかりではない。幾百、幾千もの苦難がこれから待ち構えていると思うと心が萎えてしまうが。
苦しい時、悲しい時。
どんな時でもコイツの馬鹿げて明るい雰囲気が負の感情を吹き飛ばしてくれると考えると多少は楽になるさ。
まぁ、度を越えた明るさは要りませんけども。
「そ、そうなんだ」
俺の答えに安心したのかふぅっと大きく息を漏らし、天を仰ぐ。
「らしくないな。もっと堂々としていろよ」
「うっさい。私なりに思う事もあるのよ」
それもそうか。
偶然とは言え、了承を得ず。自分の意思で一人の人間を魔物に変えてしまったのだ。
複雑な思いを抱いていると言えば当然でしょう。
しかし、その……。何んと言いますか。
「……。この泉、魚泳いでいないかな??」
普段はお茶らけて馬鹿みたいに飯を食うってのに、隕石が落下してきて人の脳天に直撃する位の確率の低さですが。
偶に真面な事を言うよね。
その変化に驚いてしまうこっちの心情も理解して欲しいものさ。
「ま、これから暫く共に行動する訳だ。改めて宜しく」
がら空きの彼女の手に向け、右手をすっと差し出す。
「ん。足を引っ張らないように」
「いつも一言余計なんだよ」
マイが俺の手を握ると。女性らしく柔らかい手の感触と、生きている生物が持つ温もりが手を通して体の奥へと染み渡った。
目の前に映るのは一人の女性。
彼女の外見からして誰が魔物であろうと看破出来ようか。魔物と人間、その両者の間に構築された忌むべき高き壁は破壊し尽くされるべき。
その為にも、奴らを根絶やしにしないと……。
「さてと、そろそろ戻りましょう」
マイが俺の手をパッと放し、私について来いと言わんばかりに夜営地の方へと向かう。
「そうだな。明日も早い訳だし」
彼女に倣って立ち上がり、臀部に付いた土を払う。
「もう直ぐユウの里に到着かぁ。え、えへへ――。ユウの母ちゃんの手料理。楽しみだなぁ……」
小さな口の端から零れ落ちてしまいそうな涎を、ジュルリッ!! っと口内に戻して話す。
「余り迷惑かけるなよ。それと、ボーさん達の屋敷に滞在するとは言っていないからな?? もし、向こうにその気が無かったら直ぐにでも出発するから」
飯を強請りに伺うみたいで厭らしいだろ。
「え――!! そんな話聞いていないわよ!!」
「今初めて言ったからな。大体お前は……」
他愛の無い会話を続けながら森の中を普段通りの速度で歩む。
夜鷹がこの森の中で聞きなれない声を受け、何事かと思いそっと目を開けるが。
「あ、そ、そうだ――。ユウの部屋に忘れ物しちゃったからぁ。受け取りに行かないと――」
「安心しろ。出発前に手荷物は全て確認しておいた」
「ぐ、ぐぬぬぅ……。じゃ、じゃあ!! ユウが都合良くお腹が減るからぁ……」
「ユウはお前さんみたいに都合良く腹は減らないんだよ」
「てめぇ!! 誰が年がら年中食いしん坊万歳だ!!!!」
「いてぇ!! 人の顔を勝手に殴ってはいけませんと習わなかったのか!?」
「あぁ――、習っていないねぇ!! 気に食わねぇ野郎が居たら好きなだけぶん殴っていいって教えられて育ったのさ!!」
二人の男女が時折笑みと、理不尽な暴力を交えながら話す姿に呆れつつ嘴を開いて大欠伸を放ち。
彼等の姿が見えなくなると再び静かに目を閉じて、再来した睡魔の力に抗う事無く心地良い夢の中へと飛翔して行った。
最後まで御覧頂き有難うございます。
それでは、素敵な日曜日の午後をお過ごし下さいませ。




