第七十七話 一難去っても去りきらぬ不安 その二
お疲れ様です。
週末の夜にそっと投稿を添えさせて頂きます。
それではごゆるりと御覧下さい。
食料の入った木箱はこの木の傍に寄せて、調味料はここに動かしてっと……。
ふぅ!! やっと片付けが終わりましたよ……。
洗い終えた食器類や調理器具を荷物の中に片付け、額の大粒の汗を拭って一つ大きく息を吐いた。
七人分ともなるとやる事が多くて忙しいな!! 何かと仕事を見付け、行動する喜びを徐に感じている自分に呆れてしまいますけども。
竹の駆逐も終わった事だし、後は迎えが来る二日後までのんびりと過ごせばいいだけ。何も考えずに羽を伸ばせるかどうかはアイツ次第なのですが。兎に角、必要最低限の仕事は終えた訳だ。
それにしても……。
人を殺める筍、か。
マナの濃度がおかしいって言っていたよな??
多分その所為で筍が変化したのかしら??
奇想天外な筍が向こうの大陸で群生されても困る。只でさえ魔女やオークの対応に追われているのにそこへあんな物が来てみろ。それこそ一大事だ。
まぁ筍に足が生えている訳でも無いし、ましてや泳いで渡って来る訳も無いので。杞憂である事には変わりない。
さて!! 毛布を敷いて寝床の準備をしないと。
忙しなく準備に取り掛かり、再び訪れた妙な忙しさに喜びを感じていると。
「ウ゛ゥゥゥゥ……」
背後の森の中から獣の唸り声が聞こえて来た。
へ!? な、何!?
暗き闇に眼を凝らすが見えて来るのは何処までも続く漆黒のみ。
しかし、唸り声は止むことは無く、徐々にその大きさを増していく。
「だ、誰だ!? ルーか!? 驚かすのは止めろよ!!」
俺が声をかけても返事は帰って来ない。
唸り声がピタリと止むと静寂が周囲を包み、それがかえって不安と焦りを増長させた。
「グァァアア!!」
「わぁぁぁぁっ!!」
突然、背後から叫び声が聞こえると同時に二本の何かが俺を押し倒した。
驚きと、地面に押し倒された衝撃で息が止まってしまう。
「…………。へへ――ん!! 驚いた??」
「ルー……。お願いしますから普通に帰って来て下さい」
土臭い香りから逃れる様に仰向けに寝返りを打つと。
木々の合間から覗く星空を背景に、一頭の狼が嬉しそうに尻尾を左右に大きく振り。此方の胴体の上に圧し掛かっていた。
風呂上りのお陰であの形容し難い獣臭が拭い去られ、代わりに温泉の香がふわぁっと美しく生え揃う灰色の毛から周囲に漂う。
「えへへ。驚くかなぁって!!」
「死ぬほど驚いたよ。寿命が縮んだらどう責任取ってくれるんだ」
「せ、責任!? そ、それは……。うん、順序を踏まえて……。あ、お父さんにも言わなきゃ」
餌を追いかけて空を舞う燕の飛翔の如く、忙しなく左右に瞳を揺れ動かしてそう話す。
こらこらお嬢さん?? 何の話だと考えているのですか??
「所で」
「何??」
「いつまで乗っているの??」
風呂上りの所為か。フワフワの毛に熱さが籠って少々暑いのですよ。
動く気配が無いのでさり気無くこちらの思いを伝えてみた。
「え?? 乗ってたら駄目なの??」
「駄目では無いけど……。顔が近い」
体臭は温泉さんの御力で拭い去った。しかし、彼女の口内までその力は及ばず。
ハッハッと楽しそうに呼吸を続けている所為で此方の顔面に恐ろしいまでの獣臭が吹きかかっているのですよっと。
「ふぅむ?? 顔を舐めて欲しいと??」
「一字一句合っていません」
「そうして欲しいなら早く言ってよ!!」
大きな顎をぐぅんっと天へ掲げ、そして太い前足で此方の両肩をガッチリと拘束すると常軌を逸した臭いが襲い掛かって来た!!
「い、いやぁぁああ!!」
な、なにこれ!?
く、臭過ぎやしませんか!?
「フンフンフンフン!!!!」
「お、お願いします!! や、やめ……。ウ、ウプッ。止めてぇぇ!!」
唾液と獣臭が混ざり合った液体が顔一面に広がり、何処に顔を向けても強烈な匂いが鼻腔を刺激してしまう。
全方位から襲い掛かる獣特有の舌のざらついた感触が皮膚を刺激し、それから逃れる様に顔を背けても長い舌が追い駆けて来る。
この地獄から逃れる為に瞼を閉じても、彼女の舌は強制的に瞼の中へと侵入。
鼻腔処か、眼球の奥から獣臭を捻じ込んで来た。
ご、拷問だ。
これは間違いなく罪人に行うべき拷問ですよ!!
ま、不味い。
胃の中から何か酸っぱい物が込み上げ……。
「まぁ!! 何をしていますの!!」
間近に迫った狼の顔で何も見えないが、声色から察するとアオイが到着したらしい。
「何って……??」
「レイド様に寄りかかり、剰え舌でお顔を舐めまわす何て……。うらや、いえ。烏滸がましいですわ!!」
怒りの感情を含ませた足音が接近し、そして。
「離れなさい!!」
「い――や――!!」
横着な狼さんの尻尾を掴み、何処かへと引っ張って行ってくれた。
た、助かった。後数秒遅れていたら吐瀉物を地面の上に撒き散らしていたからね……。
水を張った桶に手を突っ込み、ネッチョネチョの涎を洗い落とす為。男らしい洗顔を続けていると残りの女性陣が温泉から帰って来た。
「ふぅ!! ただいま!!」
「おふぁえり――」
腹ペコの龍へ洗顔を続けながら言葉を返す。
「ん?? 天体観測の為に徹夜に備えるものの。夕方前から襲い掛かって来た強烈な眠気を覚ます為に、必死こいて洗顔を続けるアライグマみたいにして何してんのよ」
ぱちゃぱちゃと顔を洗うアライグマさん、ね。
想像するとちょっと可愛いな。
「どこぞの横着者の襲撃があってさ」
粘度の高い唾液を洗い落とし、手拭いで懸命に獣臭を振り払う。
うん。
気にならない程度には落ちたね。
「あ――、お惚け狼に襲われたのか。災難ね」
「まっ、そういう……」
手拭いで顔を拭き終え、何気なくアイツの顔を見つめたら言葉が途切れてしまった。
湯上りで頬がぽぅ朱に染まり。深紅の髪は朝露を帯びた様に濡れて艶やかな色を放つ。
しっとりと湿潤で白い肌に、まだ体が熱いのか。額の汗が端正な顔を伝う。
こうして改めて見ると、普段の馬鹿騒ぎ具合からは想像出来ない端整な顔なんだけどなぁ。
勿体無い。
「何よ、人の顔をじろじろ見て」
「別に?? お腹空いた顔してるな――って思っただけさ」
此方の意図を悟られまいと適当に誤魔化す。
「良く分かってるじゃない!! 夜食作ってよ!!」
お、おっとぉ。
冗談で言ったつもりが予期せぬ的を射てしまったようだ。
ですが!!
既に食器は片付け終えたのです!! 今日はもう食事は作りません!!
「さっきやっと片付け終わったんだから、無理です。食料箱の中に確か腐りか……。コホン……。パンがあったから。それを慎ましく、太い木の根っこに噛り付くネズミみたいに齧ってろ」
「ちぃっ。役立たずめ」
ごめんなさい。
貴女にだけは言われたくありません。
「あれ?? 食料どこ??」
「そこの木の根元。火に近いと痛むからな」
少し離れた木の根元を指差してやる。
「あぁ、あそこね――。よっと……」
龍の姿になると柔らかく吹く風に乗るように荷物の元へと、小さき翼を羽ばたかせ飛んで行く。
「パンはどこかなぁっと!!」
木箱の中に顔を突っ込み、大好物を漁る犬が如く。赤き尻尾を揺らす。
何だか間抜けな後ろ姿だよなぁ……。
「レイド、お風呂入って来た」
「主、今戻ったぞ」
「いや――。良い湯だった!!」
食料を漁る卑しき龍を余所に、温泉から戻って来た三人へと視線を移した。
「お帰り。いい湯だったようだね」
皆等しくこれでもかと肌が潤っている。
ここの湯は美肌効果でもあるのか?? 目の置き場所に苦労しちゃうよ。
「もう完璧だ!! ほぅら、あたしの肌もツルツルだぞ??」
ユウが悪戯な笑みを浮かべ、此方の胸元に体をトンっと預けて来た。
頭の先から女の匂いが強烈に届き、ついつい狼狽えてしまいますよっと。
「そ、そうだね」
どうして湯上りの女性はこうも馨しい香りを放つのでしょうかね。
甚だ疑問が残ります。
「お!! いい反応するね!! もう一押しか!?」
「押さないで結構。俺は温泉に行って来るよ」
ユウの頭をポンっと叩き、適当に荷物を抱えて温泉へと向かう。
「寝ないで待ってるから、いつでもあたしの毛布の中に入って来ていいからね――!!」
絶対入りません。
何故かって?? それは右横の彼女の姿を見れば一目瞭然ですよ。
「バルルルルルルゥッ!!!!」
鼻頭にこれでもかと皺を寄せて俺を睨みつける一匹の龍。
恐らくアレは言葉よりも態度で表したのでしょう。
天幕に一歩でも足を踏み入れてみろ、顎をブチ砕き。一生飯を食えなくしてやる!!
テメェの命を消す事は、蝋燭の火を消すよりも容易いんだからな!?
と、いう意味ですからね……。疲労を滲ませた溜息を吐き尽くし。
「レイド様ぁっ。ご一緒させて下さいましっ」
右肩に飛び乗って来た横着な黒き甲殻を備える蜘蛛さんの胴体を掴み。
「あはぁ――んっ。夜の帳に相応しい曲線ですわ――」
夜営地の方角へと若干強めに投擲して温泉へと向かって行った。
◇
お風呂用の装備一式を抱え暗き森を進む。鳥の歌声は聞こえないものの、虫達の矮小な歌声を耳で掴み取り。人間以外の生き物が確認出来ただけでも少しほっとしてしまうのですが。
自分の足音だけが響くのはちょいと不気味に聞こえてしまう。
手帳に記されていた事件もあり、心の中で何とも言えない恐怖にも似た感情が生まれてしまっていた。
事件は収束したんだし。恐れる心配は無いのだけれども……。やっぱちょっと不気味、だよな??
温泉を見付けると手短に服を脱ぎ捨て乱雑に地面へと放り、そして勢い良く湯へと飛び込んだ。
「うっは――。最高だよ。こんな広い温泉なのに独り占めとはね」
少々お行儀が悪いですけども、四肢を伸ばせるだけ伸ばして湯に浮かぶ。これも一人で入っている時ならではの行為だ。
筍騒動は一段落したとは言え、何か腑に落ちない。
この島に居る限り、その漠然とした気分は晴れる事は無いだろう。
マイが探してくれたのは良いけども、何処かに存在していないだろうか……。アイツの事だ。大いに有り得る。
そして、腹ペコになったアイツが。
『ここなら大丈夫よ!!』 と。
ニッコニコの笑みで掘り返して食べ尽くす。
そこから悲劇が始まり……。
「やめやめ!! 休みを満喫するんだ」
暗い妄想を振り払い、沈んでしまった気分を晴らそうと大袈裟に声を出す。
やはり休暇よりも体を鍛えるべきだったな。
もっと時間があれば師匠の所へお邪魔出来たのに……。
師匠へリューヴ達も紹介したいし。時間が出来たのなら一度赴こう。
師匠に教えを請い、体を酷使して痛めつけ、そして己が糧とする。
うん、実に理にかなった休暇だよね??
…………。
皆に却下されて当然だな、休暇の意味を少々履き違えている。
休暇本来の意味は体のみでは無く精神も休ませなければならないから。
その休暇を満喫する為に此処に訪れたってのに、あんな訳の分からない物を見付けて……。
でも、まぁ襲って来なかっただけましか。
筍に四肢が生えて歩いて来る様を頭の中に思い描く。
「とんだ化け物だな」
自分で想像したのに何だが、思わず笑えてしまう。
滞りなく駆除して正解だよ、余計な心配事は排除されるべき。それに……。この島で命を散らした方々の無念も滞りなく晴らした。
湯から立ち上がると。月明りに照らされ、薄っすら見える灰の山を見つめる。
事件は解決しましたので、何も心配する事無く静かに眠っていて下さい。そう心の中で小さく呟くと湯から出て、颯爽と着替えを果たし。
便意を我慢しながら、お手洗いを探し求める足取りで夜営地へと向かった。
あの筍はここで発生した物なのか……。それとも誰かが持ち込んだ物なのか??
マナによる変異も考えられるし。
頭の中で幾つもの考えが浮上し、複雑に絡み合う。纏まるようで纏まらない、そんな苛立ちにも似た感情が湧いて来てしまった。
はい、お終い!! もう事件は解決したのだから考える必要は無いの!!
自分に無理やりそう言い聞かせ、中途半端に濡れた頭を拭きつつ夜営地へと帰還を果たした。
シンっと静まり返った夜に相応しい音が周囲を包むのですが。
「ガラッピィ……」
右手に見える天幕の中からアイツの鼾がこの静寂を台無しにしてしまっている。
よくあの鼾の近くで眠れるな。鼾被害者の会の方々をちょいと尊敬しちゃいますよ。
まぁ、何事も慣れが肝心と言われているのであの鼾に慣れてさえしまえば。逆に静寂が物足りなくなるのだろう。
中央に燻ぶっている火に新たな薪をくべ、濡れた頭を乾かそうとその近くに何とも無しに座った。
薪に火が付くと柔らかいオレンジ色が揺らめき、先程浮上してしまったざわついた心を癒してくれる。
うん、落ち着いて来た。
「…………。眠れないのか??」
「あれ?? リューヴ、起きていたのか」
天幕の中から一頭の狼さんが姿を現し、俺の隣に腰を下ろす。
「あの鼾が五月蠅過ぎて眠れないのだ」
「あ、あはは。お疲れ様……」
ユウ達は慣れているだろけども、耳の良い狼さん達にはまだまだ時間が必要でしたね。
「そういえば……。主は狐の大魔から指導を受けていると言っていたな」
「あぁ、そうだよ。素晴らしい御方だ。石と聳え立つ山の違いの様に、師匠の強さはその道を極めた者の心さえも容易にへし折る。それだけじゃないぞ?? 海よりも深い懐の深さに、的確な指導方法……」
稽古中に気を抜くと死んでしまうのが偶に瑕ですが……。あ、それと食事の量もね。
「そして、誰しもが羨む美しい金色の尻尾。師匠に出会えて強さが数段階上がった、そして心の持ち様も変わった。本当に良く出来た御方だよ……」
ふふ、目を瞑れば直ぐにでも思い出せるぞ。
『き、貴様ぁ!! 儂との稽古中に膝を着くとは何事じゃぁぁああああ!!』
っとぉ!!
これじゃない!!
『ふふ、まぁ良く出来たと褒めてやらぬことも無いぞ??』
そ、そうそう。これですよ、コレ。
たまぁに柔らかく笑みを零してくれるのが堪らなく嬉しいのだ。
あの笑みの為に苦しい稽古を続けていると言っても過言ではありませんね。
「ほぅ。それ程の者なのか」
玩具を目の前にした子供の様に、翡翠の瞳がキッラキラに光り輝く。
「何度も挑んでは軽く跳ね返され、叩きのめされる。性格は……。えぇっと。ちょいと難がありますけども。実力はお墨付きだよ」
「是非とも真剣に手合わせ願いたい……」
真剣は止めといた方が良いと思うよ??
頼めば喜んで引き受けてくれるだろうけど、数分後には激しく後悔する事になるからさ。
「よし!! 夜更かしは体に良くない。そろそろ寝ようか」
どうせ明日もどこぞの食いしん坊に朝早くから叩き起こされてしまうのだ。
十分な休息を得る為にも早めの就寝を心掛けるのが賢明です。
臀部に付着した砂を手で払い。そして、顎先をクイっと此方に向け続けているリューヴの頭を優しく撫でてやった。
お――。
ルーの毛並よりちょいと硬いけど、フワフワですね。
「頭を撫でてくれるのは嬉しいのだが……。そ、その少しばかり恥ずかしい」
困った様な、嬉しい様な。何とも言えない表情の顔をこちらに向けて話す。
「あ、ごめん。いつもルーにやっている癖かな」
「うむ……。では私も休もう」
「おやすみ、ゆっくり休んでね」
「フガッピィ!! バルル……」
「はぁ……」
今も喧しい鼾が放たれる天幕の中へと、耳を垂らして進んで行く一頭の狼さんを見送ると毛布の上に寝転がり体を弛緩させた。
明日の朝食は何にしようかな……。
徐々に放熱量が減少する炎を眺めながら、休暇中に考えるべきでは無い悩みに苛まれる。
意図せぬ長い瞬きを続けていると、薪の火が消失し。漆黒の闇が周囲を包んだ。
まっ、釣った魚を適当に捌こう。
幸い、まだまだ食料は沢山残っているんだし。魚が釣れなくて飢え死にする心配も無い。
「ふわぁぁ……。おやすみなさい」
大きな欠伸を放ち、寝返りを打つと。
『わっり。遅れた』
遅刻の常習犯である睡魔が俺の意識を刈り取りにやっと訪れて来た。
それに身を預け心地良い眠りの世界へと発つその時。
「…………」
鼾が収まり、静まり返った夜営地の中に布が擦れる音が儚げに響く。
誰かが花を摘みに出掛けたのだろう。
案の定、静かな足音を立てて森の奥へと遠ざかって行った。
明日は今日よりも素敵な出来事が起こりますように……。
意識が遠退く刹那に明日への願望を放ち、甘い吐息を漏らして夢の世界へと旅立って行った。
最後まで御覧頂き有難う御座いました。
それでは良い週末をお過ごし下さいませ。