第七十話 急襲、月下美人 その一
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
それでは御覧下さい。
頬から伝い落ちて行く雫を手の甲で拭い去り、小さく吐息を漏らした。
「よし、これで片付けは完了っと」
調理器具一式を片付けると毛布の上にだらしなく寝転がり何とも無しに空を見上げた。
木々の隙間から月明りが優しく差し込むと眼球を柔らかく刺激し、森の木々の葉が風に揺られ擦れる音が悪戯に眠りへと誘う。
本当に良い所だよなぁ、この島。
静かで、涼しくて、綺麗で……。
只、唯一の気掛かりと言えばカエデとアオイが言っていたマナの濃度だけか。
賢い二人が注意をしているけれども上陸後にこれといった変化は見当たらない。と、言う事はだよ??
余程の事が無い限り快適に過ごせるって訳さ。
いわくつきって言っていたけど……。
あれはきっと、この島に余所者を上陸させない為の口実なのでしょう。こんなに過ごし易い島なら余所者達がこぞって押し寄せて来てもおかしくないもの。
「ふぁぁ……」
日頃の疲れからか、意図せずとも欠伸が出てしまう。
このまま寝てしまおうか。でも折角だし、湯にも入っておきたい。
相対する事象にもどかしくなっていると、森の奥から何やら競い合うような歩みの音が聞こえて来た。
「レ――イド!!」
「は?? どわっ!!」
茂みの中から元気娘が突如として現れ、ダランと弛緩させていた体の上に豪快に着地する。
「ね!! どう?? 肌艶々になったよ!!」
その様ですね。
シャツから露出された肌はしっとりと水分を含み、それは殻を割った茹で卵の様にツルンと美しい光沢を纏っていますので。
「離れなさい!! ケダモノめ!! レイド様ぁ…。私のぉ美しい肌をご堪能して下さいまし……」
「ちょ、ちょっと!!」
アオイがルーを邪険に押し退け此方の体に無理矢理覆い被さると、飼い主に甘える子猫の如く。しっとり艶々の肌を擦り付けて来た。
長襦袢の胸元を大胆に開き男心を大変擽ってしまう白い肌が露出しており、風呂上りの火照った体温の所為もあるのか。
体内の心臓がドクンと五月蠅く鳴り響いてしまう。
「アオイちゃん!! 退いて!!」
灰色の髪の女性が白い髪の女性を押し退ければ。
「まぁ!! この子ったら!! 生意気にも程がありますわよ!?」
それに応戦して白い髪の女性が灰色の髪の女性を少々乱暴に退かしてしまう。
これが頑是ない子供の年齢の御遊戯なら微笑ましい笑みを浮かべて見上げてあげるのですが……。体の上で繰り広げられている無益な戦いは生憎大人の女性達なのです。
お嬢さん達!!
距離感ですよ!! 距離感!!
全く……。はしたない。
どんな教育を受けたのか御両親の顔を見て……。
『うふっ?? 呼びました??』
アオイの母親。
蜘蛛の女王様の淫靡な笑みがパっと頭の中で浮かんでしまった。
フォレインさん。
貴女の娘さんは本日も元気良く己の好きな様に行動していますので、御安心して下さいね。
「大変申し訳無いのですが……。体の上での争いは控えて頂けますか??」
顔に覆いかぶさって来た元気娘さんの太腿らしき四肢を押し退けてそう話してやった。
「あっつ――……」
「ちょっと源泉に近寄り過ぎたなぁ……」
「水分の補給を……」
「この暑さ。思考に支障をきたしています……」
おやおや。
あちらの四人は湯あたりですか??
夜営地に到着するなり方々へと散開すると、地面にへたり込んでしまった。
水分不足で倒れたら大変だし、行動に至りましょうかね。
「ちょいとごめんよ――っと」
「あんっ。レイド様っ?? 私の足を大胆に触るなんてぇ」
誰だって瞼の上に足を置かれたら退かすでしょうに。
「マイ、水だ」
水筒を手に取り、一番近いマイに渡してやる。
「あんがとぉ……。んっんっ……!! ぶはぁ……!!!! イギガエッダ!!」
乾いた砂漠を横断してきたのか?? あっと言う間に竹製の水筒が空っぽになってしまった。
後、今の何語??
「レイド、あたしにも……」
「主、申し訳ないが……」
「くれないと呪います」
カエデさん??
火照ったお可愛い顔で、サラっと脅迫しないで下さい。
「はいはい。少々お待ち下さいねぇ――」
海竜さんが大きな木の桶に溜めてくれた水の中に人数分の水筒を沈め、水で満たす。
そして素早い所作で各々に水筒を配り終えた。
「ぐはぁ!! うめぇ!!」
「はぁ……。助かった」
「潤いました。これで肌も艶々になります」
そりゃ結構で御座います。
さて!!
俺もそろそろ温泉に浸かりましょうかね!!
一日の疲れを洗い落として、明日に備えて早く眠りたいのが本音ですから。
「皆早く寝ろよ?? 俺は風呂に入ってから寝るから。北へ向かって直進で良いんだよな」
深紅の髪と同じ位に頬が赤く染まっているマイを見下ろしながら話す。
「おう。それで良いわよ」
「了解。じゃあ行って来る」
皆へ出発の合図として軽く手を挙げると、ぽっかりと口を開けて待つ暗き森の中へと歩みを進めた。
「いってらっしゃ――い!! 先に寝てるね!!」
「ユウ――。腹、借りるわね――」
「あっついからのんな!!!!」
「な、何よ!! 折角私が風呂上りの世界最高な香りを届けてやろうとしてんのにぃ!!」
「世界最低の汚物の香りの間違いでは??」
「ぶ、ぶ、ブチのめすぞクソ蜘蛛がぁぁあああああ!!」
あの人の口調と行動は慎ましい事を知らないのかしらねぇ。
静かに休みたいって時にギャアギャ騒がれるのって結構堪えるんだよね……。皆さん、お疲れ様です。
背後からずぅぅっと鳴り響く狂暴な龍の雄叫びに背をグイグイと押され、一路北へと向かって行った。
◇
少しだけ湿気を含んだ踏み心地の良い土を踏みしめ、時折にゅっと足を伸ばして歩行者の隙を窺う横着な木の根元に注意しつつ北上を続けていた。
女性陣がのぼせるまで浸かる温泉、か
先程、彼女達の服の隙間から少々大胆に覗いていた潤いを帯びた肌が温泉の効能を証明していた。
きっと肌だけじゃなくて疲弊した筋肉や関節にも素晴らしい効果を与えてくれるのだろうさ。
ふふ……。
こりゃあ期待大だな!!
しかぁし。
浸かり過ぎては逆に効果は薄れてしまう。それに俺がのぼせても誰も助けに来てくれない。ここは分相応の入浴時間にしよう。
確か、直進でいいんだよな。
暗い森を一人、月明かりを頼りに進んでいる所為か。少しばかり不安になってくる。
道を間違えていたらどうしよう……。夜明けまで一人森の中を彷徨い歩き、此方を発見してくれた狂暴な龍が俺の首根っこを掴み。
腰に手を当て、子供のちょっとした大冒険の失敗を叱る母親の面持ちを浮かべる海竜さんの下へと連行され、耳が痛くなるまで説教を食らいたくはない。
恐ろしくも何処か笑えてしまう自分の姿を想像していると、あの温泉特有の香りがふわっと漂って来た。
「お?? この匂い……」
卵が腐ったような匂い……。温泉が近い証拠だな。
匂いの元を辿り、手探りで森を進むと不意に温泉が現れた。
月明りに照らされた水面に蒸気が揺らめき、こちらを手招きしている様に見えてしまった。
「こりゃいいや!!」
素晴らしい速度で服を脱ぎ、爪先からゆるりと湯の温度を確認するように湯に入れて行く。
うん!! 丁度いい!!
膝から肩まで湯を味わうように浸かると、ついつい口から甘い吐息が漏れてしまった。
「はぁぁぁ……。良い湯だ」
頭上に光輝く月を眺め、レフ准尉が若かりし頃に気付き上げた石壁に背を預ける。
目を瞑ると、体の中に湯が染みて来るのを感じてしまった。
これほどの湯、師匠の所以来かな??
向こうも、そしてこちらも白濁の湯。硬度はこっちの方が若干硬い、かな??
只、残念な事が一つだけある。どこぞの誰かが暴れたらしいので少しばかり湯の中で土が舞っていた。
「んっ……」
腕を伸ばし、筋肉を解しつつ己の皮膚を何気なく見下ろす。
しっかし傷が増えたなぁ。
所々に痛々しい傷跡が残っている。これは師匠に殴られた時に出来た傷跡だろ?? そしてここは龍の契約の時に……。
腹と背を撫で傷跡を確認する。
ここの傷跡だけは誰から見ても容易に酷い傷跡だと確知出来る程明瞭に残っており。他の傷跡とは比べ物にならない位に良く目立つ。
人前で服を脱ぐのが少々億劫になるのはこの大きな傷と、歴戦の失敗の跡が体に多々刻まれているから。
誰だって傷跡を見て気持ち良い感情を抱かないだろうさ。
まぁ。広い世界、探せばそれ相応の人数は居るとは思いますけども……。
命が助かったんだ。一生消え去る事の無い傷跡程度で済んだ事を幸運に思いましょう。
ここで後三日。
良い温泉に美しい海。俺達以外には誰も居ないし、正に貸し切り状態だ。レフ准尉には感謝しないと。帰りにお土産でも買って行こうかな??
そんな事を考えていると、分厚い雲が月を隠し。己の手の先さえ確認出来ない程の暗闇が突如として訪れてしまった。
「真っ暗だな」
不意に訪れた暗闇に少しばかり不安になると、近くで水がチャプンっと少し強く跳ねた音が響く。
うおっ!?
びっくりしたぁ……。急に鳴るなよ……。
心臓に悪いったらありゃしない。
「明日は何をしようか。魚でも釣って、それを料理するのもいいなぁ……」
目を開けていても、閉じていても。見えて来るのは漆黒の闇。
これなら目を瞑っても変わらない考えに至ると。そっと瞳を閉じ、闇の代わりに美しい海を思い出す。
魚料理か。
刺身、焼き。どれも食欲を増進させる素晴らしい調理方法だ。まぁアイツはどの料理も美味そうに平らげるだろうけど。
『んもっほ――!! 美味しい魚ちゅわぁん!! 今から食べてあげるからねぇ!!』
――――。やめやめ。
温泉に浸かってまでアイツの為に料理をするなんて考えたくない。ここは無心で湯を楽しもう!!
しかし、それでも強烈に記憶の中に残るアイツの摩訶不思議な顔が浮かび上がり。必死に払拭しようと四苦八苦していると。
瞼に上空から降り注ぐ淡い月光を感じた。
お……?? 雲が晴れたか。
白濁の湯と緑の森の共演を満喫しようと目を開けると、そこには俺の予想だにしない光景が広がっていた。
「こんばんは。レイド様……」
ダランと壁に背を預ける此方の少し前。
一人の女性が嫋やかな体にタオル巻き付け、儚げに立っていた。
白く長い美しい髪、そして艶を帯びた妖艶な肌。その肌は月明りを反射して輝くと思わず息を飲んでしまう。
タオルの中から押し上げる形の良い双丘、そして獲物を狙う獰猛な野獣の欲求を孕んだ黒き瞳に見つめられると刹那に思考が停止してしまった。
彼女が着用する着物の背に刺繍された花。
『月下美人』
あの姿を花に例えると正にそれですね。
頭上から降り注ぐ柔らかい月光を浴びる様は月から舞い降りた姫君にも見えてしまった。
彼女の美しさは理解出来る。
万人が合格!! と。太鼓判を押す美しさですからね。
しかし!!
混浴は理解出来ません!!
な、なんで入って来ちゃってんの!?
月光の下の美人に見つめられ、口の中に発生してしまった大変御堅い生唾を喉の奥に送り込み。彼女の策略に嵌らぬ様、この危険な状況から逃れる術を確保しようと猛烈な勢いで次なる手を探し始めた。
最後まで御覧頂き、誠に有難うございます。
後半部分の執筆並びに編集作業を続けておりますので、次の投稿まで今暫くお待ち下さい。