第三十一話 ささやかな贈り物
お疲れ様です!!
本日の投稿になります。
是非とも寛いだ姿勢で御覧下さい。
初夏……。いいえ。
もう既に夏の陽射しと呼ぶべき強力な光に体温を温め続けられながら、中央屋台群の中のそれと比べると半分以下の人通りの北大通を進む。
此方の通りを行き交う人達はどことなく真面目そうな印象を受けますよね。
公的機関が多い所為でしょうか??
二足歩行を行う動物が快適に進める人通りの少なさに気分が高揚してしまいます。
この高揚感には今現在向かっている目的地の存在が多大な影響を与えているのは自明の理ですけどね。
額から頬へ。
小指の先程の汗が流れ落ち、それを白のローブの袖で拭うと。正面から見慣れた服を着用した女性が歩いて来た。
「…………」
今、すれ違った女性はレイドと同じ服装でしたので。軍属の方なのでしょう。
黒髪で、ちょっとだけ鋭い瞳。
真面目そうで仕事は出来そうな印象だった。
厳しい顔を浮かべ、書類の山を抱えて……。
彼女もそして彼も公務という名の激務に携わる身。
多忙なのは当然でしょう。只、彼の場合は頑張り過ぎる傾向が見られます。
一度、機を窺って少しは休みなさいと伝えるべきかな?? まぁ……。言っても聞く耳を持つかどうか分かりませんがね。
『カエデ。もう少し歩みを遅らせたら如何ですか??』
直ぐ右隣りを歩くアオイが話す。
誰だって大好物を目の前に差し出されたら歩みを速めてしまいますよ。
『これが普通』
私の意思はアオイに合わせて歩みを遅らせようとしても、体は正直ですね。
紙の香りを嗅ごうと躍起になり。
吹き荒れる一陣の風も驚きを隠せない速度で北上を続けていた。
『本当に本が好きなのですわねぇ』
『本も好きだけど。どちらかと言えば文字が好き』
作者が違えば作風も違う。
異なる教科であれば、異なる知識が更なる知的好奇心を刺激してくれる。
真、素晴らしいです。
文字という文化は。
知的生命体が生み出した至高と呼べるべき文化。そして、永遠に保存されるべき財産です。
これから私を迎えてくれる至高の文化へと向かい、逸る気持ちを抑えつつ進んでいると。
漸く件の建造物を視界が捉え、北大通を若干乱雑な歩幅で横断。
正面にどっしりと腰を据えて利用客を迎えている扉を開き、文化の宝物庫へと足を踏み入れた。
わっ……。
人、一杯。
正面に広がる閲覧席は既に満員。
大勢の利用客が椅子に座り、各々が文字という名の御馳走を貪り続けている。
それにつられる様に、鼻腔を擽る古紙の香りが早く文字を食らえと私の頭に命令していた。
やっぱり、此処は素敵な場所ですね。
絶対不可能だと考えますけど、住めないかな??
『レイド様ぁ――。どこに居ますかぁ――??』
アオイが念話を放つと。
『二階の閲覧席に居るよ』
直ぐに男らしい声が返って来た。
『んふっ。直ぐに行きますわね――』
アオイが私を置いてそそくさと、二階部分へと続く左手側の階段に進み始めてしまう。
此処は図書館なのですから、せめて。本を手に取ってから移動を始めても良いのでは??
フルンっと楽し気に揺れ動く白き髪を見送り、私は右手側に並ぶ本棚へと移動を開始した。
え――っと……。
どの本にしようかな??
どうやらこの本棚の列は教材関係の本が並べられていますね。
数学、倫理学、物理学、宗教学。
知識を高めるのも捨てがたいですが……。今はちょっと違う気分かな。
本棚の列を奥へと抜け、傷が目立つ木製の背の高い四角形の箱。そこに並べられている三日分の新聞を手に取り。
彼とアオイが待つ二階へと向かった。
先の事件が公になっているのかどうか気になりますのでね。
それと……。
人間達の間で起きた事件も知っておきたいのです。
石作りの階段を上り、本棚の合間を抜けて一階部分のそれと比べると一回り小さな閲覧席へと辿り着いた。
『お疲れ様』
今も報告書に向かって視線を落とし続けている彼の前の席に着き、そう話す。
『お疲れ。あれ?? 本じゃなくて新聞なんだ』
彼が羽筆を止め、視線を上げて。
『意外』
そんな意味を含ませた視線で此方を見る。
『人間達の間で起こった事件を知っておきたいですので』
先ずは三日前の新聞の一面から読み始めた。
ふ、む……。
汚職事件の話ですね。
新聞の一面はとある下院議員の贈収賄事件について書かれている。
貨幣文化が円熟した人間社会にとって、富を築くのは人生をより豊かにする為に必要な行為だと捉えられます。
しかし。
私腹を肥やすのは如何なものかと。
お金持ちになるのは悪い事ではありませんが、人として最低限の尊厳を保てと諭してあげたいですね。
『下らない事件ばかりだろうさ。それより、今日の新聞に俺達が携わった事件が掲載されているよ』
むっ!!!!
楽しみにしているのに……。先に言ったら駄目じゃないですか!!
机の上に置いた新聞から視線を上げ、ちょっとだけ眉を顰めて睨んであげると。
『さ、さてと!! 報告書を仕上げようかなぁ!!』
私の視線から逃れる様にサっと視線を反らして作業を開始してしまった。
ふふ、ごめんね??
ちょっと強く睨み過ぎましたね。
『ねぇぇ――。レイド様ぁ。そぉんな紙の相手を務めるのではなくてぇ。私の相手を務めて下さいましっ』
アオイがコトンっと彼の肩に頭を乗せると。
『は――いはい。後でねぇ――』
いつも通りの指先で彼女の頭を押し退ける。
『んふっ。辛辣ですわぁ――』
口ではそう言いつつも、大変幸せそうな表情ですね。
此処は知識を高める場所なのですから、出来ればそういった行為。並びに雰囲気は違う場所で行ってください。
勿論、絶対に許可しませんけどね。風紀の乱れは看過出来ませんから。
暫しの間。
彼が奏でる羽筆の音と、私と周囲の利用客が奏でる紙を捲る音が素敵に絡み合い。大変心地良い演奏が続けられた。
うん、素敵な音色ですね。
願わくば、時間が許す限り聞き続けていたいです。
本日分までの新聞を読み終え、静かに席を立つと。
『カエデ、何処に行くの??』
レイドが作業を続けながら問うてきた。
『新聞を返却してきます。それと……。先日話したイル教の聖書を探して来ます』
布教活動を続けるのであれば、図書館にも置いてあるでしょう。
宗教関連の本棚を探してみよう。
『ん。有難うね』
『いえ。これが私の務めですので』
有難う、か。
さり気なく口に出してくれた言葉が嬉しいです。
私が好きでやっている事なのに、それに対して労いの言葉を送って……。
家族と共に生活していた頃には早々感じませんでしたね、この感情は。
凍てつく冬の季節、鉛色の空の隙間から不意に降り注ぐ太陽の陽射しにも似た温かい陽性な感情を胸に抱き。ちょっとだけ高揚した足取りで本の海へと向かい始めた。
◇
強張って来た右肩の筋力を解す為、肩を一つグルンっと回す。
そしてついでと言わんばかりに首を左右に傾けると幾分か、楽になった気がしますね。
「ふわぁぁ……」
上半身の筋力を弛緩させた所為か。
意図せぬ大欠伸が口から放たれてしまう。
『眠いの??』
正面。
此処に来てからずぅっと本を読み続けているカエデが、本から視線を外さずに話す。
『まぁそれ相応に』
任務から帰還して直ぐに報告書の作成だからね。
疲れない方が不思議なのさ。後……。
「すぅ……。すぅ……」
俺の左肩に頭を乗せ、仮眠に興じる御方が俺の眠りを増長させてしまっているのですよっと。
浅い眠りに相応しい、気怠い前髪が彼女の顔に掛かるとどうだい??
男の性をググっと刺激するじゃあありませんか。
それに……。
アオイの体から放たれる優しい香りが心にイケナイ感情を持たせようと奮闘していた。
いけませんよ――。邪な心を持っては。
フルフルと顔を横に振り邪念を取っ払うと、仕事を再開させた。
『――――。イル教の本、見つからなくて残念だったね??』
『無い物は仕方がありません。布教活動の一環として、設置されていても不思議では無いと考えたのですがね』
『今度機会があれば、貸して貰うよ』
シエル皇聖に会う機会なんて早々無いと思うけど。
『彼女は超有名人ですからね。顔を合わせる機会は早々訪れないかと』
あら。
俺と同じ考えに至りましたか。
『だろうなぁ。と、言いますか。それ、全部読むつもり??』
彼女の前に視線を送ると、数十冊の本が横たわり積まれていた。
『私が好きな作者の過去作品です。まだ時間はあるから、ギリギリまで読む』
『探偵とか、刑事さん達が出て来る小説だろ??』
『ええ、そうですよ』
あれを全部読むのは不可能でしょう。
退館時間まで残り三十分だし。
――――。
あ、そうだ!!
『何処に行くのですか??』
アオイを起こさぬ様頭を優しく支え、机の上に放置。
静かに席を立つとカエデが声を掛けて来る。
『資料を探して来るよ』
『分かりました。アオイの様子は私が見ておきますので』
見る、と言うよりかは。
何となく見守るって感じですよね。
本から視線を外そうとしないし。
本棚の合間を進み、一階へと移動。
大分疎らになった一階の閲覧席の机の合間を縫って、受付へと到着した。
「御用件を受け賜わります」
薄緑色の制服に身を包んだ女性が周囲の空気を震わせない声色を放つ。
「えっと……。貸出用の図書カード?? でしたっけ。それを作りたいのですけど」
カエデには常日頃から世話になりっぱなしだからね。
ちょっとした贈り物じゃあないけど。
宿でも大好きな本を読めたら良いかなぁっと考えての行為です。
「畏まりました。では、身分を証明出来る物は御持ちですか??」
「あ、はい……。これで宜しいでしょうか??」
財布の中から一枚の合板を取り出す。
薄い鉄と薄い木の板の合板。
俺の氏名、生年月日、住所等々。薄い鉄を切り抜いて記し、それを薄い木の板と合わせた身分証だ。
軍に入隊し、卒業と同時に軍属の者であると証明する為に与えられた物だけど……。
これ、本当に便利なんだよね。
提示するだけで身分証の代わりになるし。
「拝見させて頂きます……」
彼女が合板を受け取り。
「――。はい、確認致しました。では、此方に記入をお願いします」
確認を終えると同時に彼女から差し出された紙に必要事項の記入を開始した。
え――っと。
使用者は二人まで可能なのか。
じゃあ、ここに俺の名前と。カエデの名前を記入してっと……。
己の名を書き終えた所で、大変聞き慣れた声色が頭の中に響く。
『よ――!! レイド!! カエデ達は何処――!?』
『二階の閲覧席だよ』
記入をしつつユウの声に返す。
『よっしゃ!! カエデ――!! お邪魔するわよ――!!』
『マイ、それは構いませんけど。絶対に私の邪魔をしないで下さいね??』
あはは。
読書を邪魔されると物凄く怖い顔するからなぁ、カエデって。
その彼女の名。
『カエデ=リノアルト』
自分の名前の下の記入欄に書き記すと……。
何だか……。
婚姻届け?? みたいな感じですよね??
下らない事考えていないで、さっさと書き終えちまおう。
颯爽と必要事項を書き終え、受付の女性に渡すと。
「レイド様、並びにカエデ様が御使用になられるのですね??」
「えぇ、そうですよ」
「畏まりました。では、作成しますので少々お待ち下さい」
彼女が背後の扉の奥へと消え、暫くすると。鉄をくり抜く力強い音が響き始めた。
カエデ、喜んでくれると良いな。
口喧しい皆を纏め、緩んだ空気をピシャリと引き締めてくれる。戦闘に至っては後方から的確な指示を皆に与え、戦局を有利に。しかも、移動中には食事の火起こし。風呂の世話等々……。
挙げ始めたら枚挙に遑が無いよ。
まぁ、火起こしについては時折。深紅の龍が。
『ふんがぁぁ!!』 っと。
小さな御口から炎を放射して点けてくれるけども。
何分、火力調整がね……。
「――――――――。お待たせしました」
おっ、出来たかな。
扉の向こう側から受付の女性が颯爽と舞い戻り、一枚の合板を渡してくれる。
黒鉄を器用にくり抜き、俺とカエデの名が黒鉄に刻まれ。薄い板にしっかり組み合わせてある。
うん、頑丈そうで何よりです。
「貸出期間は二週間、貸出可能な本数は五冊までです。借りたい本を此方へと御持ちになって頂き、カードを提示して下さい。返し忘れ、並びに図書を紛失された際は速やかに申告して下さい。それと……。万が一、図書を窃盗された際は相応の賠償額を請求させて頂きます」
「了解しました。有難うございますね」
彼女に礼を述べ、図書カードをズボンのポケットへと仕舞い。
ちょっとだけ陽性な感情を胸に抱いて二階の閲覧席へと向かった。
『ん――。何かさぁ……。人がスヤスヤと寝ている時って、横着したくならない??』
『そうねぇ。その意見には大賛成よ!!』
階段に差し掛かると、何やら不穏な声が響き始めた。
『つ――わけで!! にしっ。マイ、串あっただろ?? それ貸してっ』
『う――いっ!!』
まさかとは思いますけれども。
心地良い仮眠を興じているアオイの眠りを妨げるつもり??
『こうしてぇ……。プルンっと丸みを帯びた唇の中に差し込んでぇ』
『ユウ!! 甘いわよ!! 歯茎!! 歯茎にブッ刺せ!!!!』
どうやら俺の不安は大的中ですね。
ユウが悪い笑みを浮かべ、アオイの隣に座り。
長い串を彼女の口の中へと入れる瞬間に鉢会ってしまいました。
『驚いて怪我したらどうするんだよ……』
大きな溜息を吐き、先程まで着席していた席へと戻る。
『大丈夫だって――。軽くだから。ってな訳で!! 失礼しま――っす』
静かに、そして慎重にアオイの口の中へと串を差し込むと……。
『んっ……。んんっ!? な、何ですの!?!?』
口の中の異物に驚き、ガバッと上半身を起こす。
『ぷぺっ!! こ、これは……。串??』
『あははは!! アオイ――。串咥えて寝ちゃったのかぁ――??』
『そ、そんな訳ありませんわ!!!! あ――んっ。レイド様ぁ……。お化け乳が横着しましたのぉ』
左腕に己が体を絡め、寝起きなのか。
普段のそれよりもちょっとだけ温かい双丘へと此方の腕を誘い込む。
『楽しい横着で結構ですね。さて!! 皆さん、そろそろ退館時間ですからね。宿に帰りますよ――っと』
大変な柔らかさを醸し出すお肉の山から左腕を引き抜き、そのまま撤収作業へと取り掛かった。
『んぅっ。擦れ具合が……』
何の擦れ具合ですか。
『では、本を片付けてきますね』
カエデが静かに言葉を放ち。数十冊の本を手に取り、立ち上がる。
『あ、カエデ。ちょっと』
それと同時。
颯爽と立ち上がって、彼女の前へと移動した。
『何ですか??』
きょとんとした顔でシパシパと瞬きを繰り返して此方を見上げる。
『えっと……。はい、これ。図書カードだよ』
『図書カード??』
そりゃあいきなり合板を渡されたら目が点になってしまいますよね。
『この図書館は貸出業務も行っていてね?? それを受付の司書さんに提示すれば最大五冊まで本が借りられるんだ』
『えっ!? 本当ですか!?』
お、おぉ……。
嘘は付いていませんけど……。
『最大、二週間まで貸出可能だけど。ほら、俺達は長居出来ないからこの街に滞在している間だけ使用出来ると考えてくれればいいよ』
『や、やった!! 有難う!! レイド!!』
え、えぇ。
そりゃどうも……。
まさかここまで喜びを炸裂するとは思いませんでしたよ。
年相応にぴょんと嬉しそうに一つ跳ね。
『で、では!! 早速取捨選択作業に取り掛かります!! わっっ、どうしよう!! この本も読みたいけど……。こっちも捨て難いですね!!』
机の上に本を置き。
ふんす、ふんすっ、ふんすっっ!! っと。
出会ってから初めて三回連続の鼻息を放ってしまった。
余程嬉しかったんだろうなぁ……。たかが合板一枚で大袈裟だよ。
でも、折角の贈り物だ。
贈答者の正直な気持ちとしては、嬉しい限りですね。
子供に欲しがっていた玩具を贈った親の気持ちで嬉しそうに困惑する彼女の姿を眺めていると……。
『ふぅ――――んっ!! カエデにだけ!! あげるんだぁ――!!』
ユウが冷たい瞳で此方をジロリと睨んでしまう。
『カエデにはいつもも世話になっているからね。そのお礼だよ』
『では、本を返却してきますね!! つ、ついでに貸し出しもっ!!』
あら、行っちゃった。
本を抱えて本棚の合間に颯爽と駆けて行く。
『じゃあ、あたしにも何か頂戴よ!! いつも重たい荷物運んでいるだろ!?』
ん――。
それなら……。
『帰りにココナッツに寄って行こうか。そこで好きなだけ買ってあげるよ』
外食して、ちょっとだけ豪華な夕食にしてもいいけども。
何分、此方のお財布事情がね……。安月給で申し訳ありません。
『ははぁん。ユウ、言質取ったわね??』
『あぁ、勿論さぁ……』
し、しまった!!!!
『好きなだけは駄目だ!! 相応の量にしなさい!!』
凶悪な胃袋を持つ龍の存在を忘れていた!!
『いいや、駄目だね!! あんたは今、好きなだけって言ったから!!』
『その通りっ!! 腹がはち切れる量の御飯を買って……。買いまくってやるからな!!』
『レイド様ぁっ!! 私には婚約指輪を是非ともっ!!』
一人に対して与えると皆にも当然その権利が生まれる訳だ。
今度からは気を付けましょうね……。
こうして人生経験が積まれて行くのだと、思い知らされ。先人達も、行ったであろう過ちに猛省し。
此方の胸元へどさくさ紛れに飛び込んで来た白き髪の女性の細く、柔らかい肩を優しく掴んで押し退けてあげた。
最後まで御覧頂き有難う御座います。
今日も大変暑い日でしたが、体調管理には気を付けて下さいね。