第二百六十一話 世界に終焉を齎す者 その二
そして、輝かしい人生の光を閉ざそうとする非情の赤が私の首を刎ねようとした時。
「マリルゥゥウウウウ――――――――――ッ!!!!」
何度聞いても聞き飽きない、どんな時でも活力を与えてくれる彼の叫び声が赤一色の世界に多色を齎した。
「ダ、ダンさん!?」
驚きの余りに硬く施錠を果たした口から素直な驚きの声が出てしまうがそれは直ぐに悲しみにの声へと変わってしまう。
「間に合って良かったです。生徒達を守りたい気持ちは分かりますがもう少しご自分の身を守る為に力を割く……。ゴフッッ!?!?」
彼の胸を貫いていた数本の触手が勢い良く引き抜かれると同時に大量の血飛沫が宙に舞い緑の大地を朱に染めたのだから。
「あ、くぁっ……」
「ダンさん!! お願い!! 立って!! 立って下さい!!!!」
ダンさんが力無く倒れるのを捉えると周囲の状況を確認せず只彼を救うべき行動に出た。
「どうして!! どうして私なんかを庇ったのですか!?」
抵抗力を持つダンさんでもこの出血量は不味い!!
今直ぐにでも出血を抑えないと!!!!
強力な魔力を籠めて治療を開始するものの胸に空いた穴から零れ出る血液は留まる事を知らず彼の服を、大地を、森の緑を朱に侵食し続けている。
「ダンさん!! 答えて!! 答えなさいッ!!!!」
「……」
左手で彼の頭を抱え右手で胸の治療を続けているが返って来るのは無言の答え。
私の腕の中に居るダンさんの体温は秒を追う毎に失われて行きその冷たさを肌で感じてしまう。
刻一刻と死の冷涼に染まる彼の体を見下ろしていると戦闘中にも関わらず両の瞳から温かな涙が溢れ出て視界がグニャリと歪んでしまった。
「アハハハ!! 人体の急所である心臓を貫かれて生きて居る生物が何処に居るんですか?? 本当に憐れですよねぇ……。貴女を庇わなければ彼は生き残る事が出来たというのに!!」
「ダンッ!? テ、テメェェエエエエ――ッ!! 俺様が直々にブチ殺してやらぁぁああ――――ッ!!!!」
「貴様ぁぁああああああ!!!! 俺の家族に手を出した罪を償って貰うぞ!!!!」
地面に倒れたダンさんを捉えたフウタさんとハンナさんが激昂したままケタケタと笑うイリシアへと向かって攻撃を加える。
「許さん……。許さんぞ!!!! 貴様は死すべき存在だ!!」
「シュレン先生やめて!! それいじょう魔力をつかったらしんじゃうよ!!!!」
シュレンさんの覇気のある声とミルフレアの悲壮な叫び声。
「こ、この野郎!!!! 龍の逆鱗に触れたらどうなるか教えてあげるわ!!!!」
「クソ戯けがぁぁああああ!!!! 儂の大切な師に手をあげてただで済むと思うなよ!!!!」
「阿保狐!! フィロ!! 感情に突き動かされるな!! あんた達の攻撃じゃ奴を倒せないのよ!! ハンナ先生達の助攻に回りなさい!!」
「マリル先生!! 撤退の準備に入りますわよ!? このままじゃ……。このままじゃ!!!!」
私の視界と思考はダンさんを只救う一点に絞られており、生徒達の混乱を極めた声も私の頭には入って来ずまるで何処か遠い世界の出来事の様に聞こえてしまう。
今後一切魔法が使用出来なくなっても良い。両腕が不能になっても構わない……。
だから……、私の魔力を全て使って貴方を救ってみせます!!!!
「くっ……。ウゥゥウウウウッ!!!!」
大量の魔力の放出により視界が激しく明滅し、頭が脳震盪を起こした時の様に感覚が狂う。
それでも私はもう殆ど生命の温かさを感じられない彼の心臓に向かって大量の魔力を伴った治癒魔法を詠唱し続けていた。
そして魔力の源が枯渇寸前にまで陥ったその時。
「――――――。マリルさん」
彼の口が僅かに動き蚊の羽音よりも矮小な音が私の鼓膜を微かに揺らした。
血液が通っていないダンさんの顔色は青白く、呼吸をする為に微かに唇が震え、私を捉えているのかそれとも景色を捉えているのか。瞳の焦点は定まっておらず只々一点を見つめている。
救いの神が見放した重病患者がマシに見える程に彼の状態は酷いモノであった。
「ダンさん!! 良かった!! 気が付いたのですね!?」
「も、もう治療は……。大丈夫です。俺はもう間も無く……、死にます」
「な、何を言っているんですか!! 私とレイドを置いて逝くのは許しませんよ!?」
今にも途切れてしまいそうな声を受け取ると悲しみの涙が更に溢れ出て私の顔を濡らす面積を増やしてしまった。
お願いします!! 神様!! どうか彼を連れて行かないでください!!!!
私の命を使っても構いませんのでどうか、どうか彼に今一度生命の輝きを与えて下さい!!!!
この世界に居る筈も無い神に祈ろうが彼の顔色は白一色に染まり行き体全身の筋肉が魂の抜け殻になる様に虚脱して行く。
「へ、へへ……。今際の際でも手厳しいで、すね。はぁっ……。はぁっ……。一つお願いがあります」
「嫌です!! 聞きません!!!!」
神が私の願いを拒絶するのなら漆黒の闇に潜む悪魔よ!!!!
私の願いを受け取りなさい!!
彼に命を与えなければ私は……、私はぁぁああ!! 地獄の業火など生温い炎を以て貴方達を滅却します!!!!
「俺の代わりに……。レイドと一緒に世界中を見て回って……。ゴフッ!! ぜぇ……。ぜぇ……。この世界の素晴らしさを教えてあげて下さいね」
「それはダンさんと私の約束でしょう!? 三人一緒じゃなければ約束を果たした事になりませんからね!!!!」
「は、ははっ。そうでしたね……。マリルさん、申し訳無い……。一緒に旅立つ約束を守れなくて……」
瞳の輝きが消失したダンさんが震える手で私の頬にそっと大きな手を力無く添える。
今まで何度も嬉しい温かさを与えてくれた手が何んと冷たい事だろう。
生命の温かさを感じられぬ彼の手が否応なしに死という概念を彷彿させてしまった。
「止めて……。止めてぇぇええええ!!!! お願い!! ダン!!!! 私を置いて逝かないで!!!!」
私はその手をしっかりと受け止めて声にならない声で彼の生を望んだ。
「お、俺の冒険は此処で終わりますけど……。マリルさん達の旅はま、まだまだ続きます……。む、向こうの世界でちゃんと見届けますね……」
「だ、駄目……。駄目ですよ……。お願いだからそんな事……。ヒグッ!! ウゥッ!! 言わないで……」
まるで目に見えない悪魔の手が私の心を強力な力で握り締めているかの様に胸が張り裂ける程に苦しい。
他人から見れば、ダンさんの死は世界中に数多多く存在する生命体の内の一つの消失だと捉えるだろうが。私にとってはその数多を淘汰してでもたった一つの彼の命を救いたいのです……。
「マリルさん……。こんな時ですが、改めて言わせて貰います……。お、俺は……。貴女に会えて嬉しかった。そして……。そして………………。貴女を好きになれて本当に良かった……」
彼が最後の力を振り絞って温かな笑みを浮かべると私の頬に添えていた手の力が消失。
そしてそっと瞼を閉じて息を引き取ると安らかな寝顔を私に向けてくれた。
「う、嘘ですよね?? い、いつもみたいに私を驚かせるためですよね!?」
彼の体を激しく揺さぶってもダンさんは激務から解き放たれた時の様に静かに眠り続けている。
「何で……。何でぇ!? どうして私よりも先に逝くんですかぁぁああ!! 約束を破るのは許しませんよ!?!?」
出血が止まった胸を拳で叩いても彼からは何も返って来ない。
そう……。彼は私達を置いて手の届かない場所へと一人静かに旅立ってしまったのだ。
「嫌だ……。イヤ……。イヤァァァァアアアアああああアァァァアア――――――ッ!!!!」
その非情な現実が私の心を瓦解させてしまい、私は喉の奥の肉が張り裂ける勢いで叫んで彼の魂の抜け殻を大切に抱き締めた。
あぁ、ごめんなさい!! 貴方を守ってあげられなくて!!!! 私が弱い所為で貴方を死なせてしまった!!
後悔や自責の念が双肩に酷く重く圧し掛かり、精神が崩壊してしまいそうな悲しみが脆弱な体に襲い掛かった。
「ククッ……。漸く逝きましたか。即死してもおかしくない攻撃を受けても活動出来たのは頑丈な体のお陰か。残念ですねぇ……。あわよくばソレを実験体として色々調べたかったのに」
「……ッ!!」
イリシアの口から出て来た単語の一つ、『ソレ』。
ダンさんの素敵な存在をソレ呼ばわりした奴の声を受け取ると胸の奥にドス黒い闇が一杯に広がって行く。
今……、何て言った??
私の大切な人の亡骸をソレと言ったの??
「クスクス……。守る存在がなければ私を倒せたかも知れないのに。どうしてこうも非現実的な戦術を取ったのですかねぇ。まっ、私としてはそちらの方が助かりますけど」
許さない……。私の大切な人を奪ったお前は絶対にぃぃいいいい!!!! 許さないッ!!!!
お前の命を以て罪を償わせてやる!!!! 死よりも酷い痛みを貴様の体に刻み込んでやる!!!!
「……」
目に浮かぶ涙で視界が歪んだまま彼の亡骸を懸命に抱いていると胸の奥から強烈な鼓動が迸り四肢に震えが生じた。
ダン……。私の本当に大切な人……。貴方の居ない世界なんて色が消失した世界だ。
貴方と共に歩んで行けない人生は何て無価値なのでしょう……。
胸に渦巻く負の言葉が心をドス黒い闇に侵食して行き、その広大な闇の中からほんの小さな問い掛けが頭に届いた。
『彼女を殺したいの??』
えぇ、勿論よ。アイツを殺せるのなら温かな感情など要らない。
朧な声だが確かに鼓膜を刺激する清らかな声に向かってそう答えてやった。
『貴女にとってダンさんは本当に大切な人だったのね』
彼を取り戻す事が出来るのなら私は何だってする。その為なら神に反逆の狼煙を上げ、悪魔にだって心を売ってやる。
「マリ……殿ッ!! 止……るのだ!! 力を抑え……!!!!」
「微……ちゃん!!!! 暴……するな!!!!」
「先……!! それ以……力を……高め……ッ!!!!」
刻一刻と素晴らしい力が高まって行くに連れて素敵な闇の感情が胸一杯に広がって行く。
その途中でハンナさん達が私に向かって悲痛な声色で何かを叫んでいたが、今の私は心の闇に傾聴すべきだと判断。
彼等の叫び声は途切れ途切れに聞こえ、いつしか私の耳には心の闇の声しか届かなくなっていた。
『本当にそれでいいの??』
後悔はしない。
『貴女の切なる願いが世界を終わりに導くとしても??』
とても小さな……。私のたった一つの願いも叶えてくれない世界なんて不要よ。
『これが最後の忠告よ。貴女は……。世界の理を破壊して生命に満ち溢れる世界に終焉を齎す存在になっても構わないのね??』
その通りよ。私は彼を亡き者にしたこの世界を、自分をぉぉおおおおおお!!!! 決して許さない!!!! 絶対に認めない!!!!
『貴女の願いは聞き入れました。さぁ、行きましょう。腐った世界を闇に堕として虚無に還す為に……』
「ウ……。ウワァァアアアアアア――――――ッ!!!!!!!!」
虚無さえも慄く真の闇から伸び来る手に己の手を合わせると巨大な力が体全身を包み込む。
そして私の願いを叶える為に枯渇していた力が、魔力が再び輝きを取り戻した。
ダンさん……。貴方の命を奪ってしまった弱い私を許してね??
でも大丈夫、安心して下さい。
私が……、私がぁぁああああ!!!! この理不尽な世界の全てを破壊して元通りの世界にしてみせますから!!!!
両の瞳から零れ続ける血涙でその姿を歪める彼の亡骸を大切に、本当に大切に撫でてあげると私は決して揺るがぬ灼熱の決意を胸に秘め。
理の外側に居るクソの存在にも大きく劣る神や悪魔が叶えてくれなかった私の本当に小さく温かな一つの願いを叶える為に立ち上がったのだった。




