第二百五十八話 自己犠牲の精神 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
何物にも代えがたい二つの輝かしい命を救う為に緑蔓延る森の中で両の足を懸命に動かし続けていると、己の肺が悲鳴を上げてこれ以上の走行は不可能であると私の意思に訴えかけて来る。
筋疲労で倒れてしまっては本末転倒だ、もう既に彼等の命は絶たれているのかも知れない。
頭の中に浮かび上がる負の考えが体を侵食し始めようとするがそれを払拭し、冬の冷たい空気の中で私は額に大粒の汗を浮かべて目的地へと向かって駆け続けていた。
「はぁっ……。はぁっ!!」
生命に満ち溢れる夏の森と違い冬の寂しい雰囲気が漂う森の中にはやせ細った幾つもの枝が存在し細い腕を懸命に伸ばして私達の行く手を阻もうとするが、我々は障害物を乗り越え続けて行進を続けている。
冷静な頭の中に浮かぶのは地面に横たわる彼等の惨たらしい死体。希望の心に浮かぶのは傑物に対して今も懸命に戦い続けている勇士の姿。
彼等の相対する姿が限界を迎えようとしている私の足に力を与えて只前へと進ませてくれた。
フウタさん……。シュレンさん……。どうか御無事で……
彼等は生徒達の命を救おうとして己の命を賭してくれた。
自分よりも他人の命を優先させる行為は次世代に命を紡ごうとする一個の生命体として相反する行為だ。
自然界に生きる生命体は己の命を優先させる行為を当然に選択する様に出来ている。それは生命体に与えられたこの世に生存するという自己防衛機能を発動させる為の普遍的な行為なのだから。
自然から与えられた行為に従い戦場から逃れても誰も咎めない。
それなのに彼等は己の権利を放棄する処か、生徒達を救おうとして死が蔓延る戦場に残ってくれた。
それがどれだけ大変な事なのか、どれだけ勇気が要る事か……。
彼等の心の内は見えませんが二人の心の空模様を想像するだけで私の心は闘志で真っ赤に燃え上がっていた。
「先生!! もう直ぐ到着するわよ!!」
「な、何ですの……。このふざけた魔力の圧は……」
森の中にある訓練場に近付くにつれて禍々しい魔力が私達の体に絡みついて来る。
それを初めて捉えたフォレインの足が微かに遅れた。
彼女が歩みを遅らせた理由はこれ以上進むと己の命が危ぶまれると無意識の内に判断した結果なのでしょう。
その影響は当然私の足にも及ぶ。
「二人共、強烈な警戒心を胸に宿して進みなさい。エルザード。その敵が展開した結界は此方の物理攻撃を無効化して反撃するモノなのですよね??」
戦場に向かって進むのを拒もうとする臆病な足を叱りつけ、己の心の内を悟られぬ様に四角四面の口調でエルザードに敵の特徴を問うた。
「そうよ!! 物理攻撃、魔法は無効化されて……。吸収した攻撃で周囲に衝撃波を生み出す代物よ。それに……」
「例の常軌を逸した触手の攻撃ですか……」
フウタさんの右目を切り裂き、シュレンさんの左手を切り落としたその威力に目が行きそうになりますが……。恐らくその敵はまだ己の手の内を曝け出していない。
触手の攻撃はあくまでも牽制用である可能性が高い。
本体から詠唱される遠距離魔法攻撃の威力とその範囲及び反物理結界の破壊方法、そして触手の活動限界時間。
これらを解明する事が勝利へと繋がる筈だ。
勝利へと繋がる道の中で最も障害となるのが我々の体力ですね。これらが尽きるのが先か敵が情報を曝け出すのが先か……。
全く……。
絶対不敗神話に挑む小説の中の主人公達の絶望的な気持ちが今なら理解出来る気がしますね……。
「フウタ達は私達を触手の攻撃から守る為に負傷した。だから……、私は彼等を救う為に舞い戻って来たのよ」
「うんっ、良い子。貴女の勇気ある行動は賞賛に値しますよ」
「ちょっ、こんな時に止めてよね」
再び前に出ようとして強い足取りで駆け始めたエルザードの濃い桜色の髪を撫でてあげた。
さぁ……、間も無く会敵しますよ。
此処から先は続々と現れる死へと繋がる選択肢の取捨選択を誤らぬ様、冷静な頭と勇気ある行動を以て勝利へと繋がる選択肢のみを取り続けましょう。
「二人共……。私の指示に従い、いつでも動ける様に態勢を整えなさい」
「分かったわ!!」
「分かりましたわ」
エルザードとフォレインに指示を与え、そして戦場へと続く最後の障害物を乗り越えて死地に到着すると私の両目は驚愕の事象を捉えてしまった。
「あぐっ……。く、く、クソがぁぁ……」
フウタさんの切り裂かれた右目から大量の出血が確認出来、それは今も留まる事無く大地へと向かって流れ続けている。
体中そして顔中に刻まれた傷跡からもかなりの血液が噴き出しておりそれは彼の真っ赤な忍び装束を更に深紅に染める程だ。
その怪我でどうして動けるのかと他者に疑問を抱かせてしまう傷を負っている彼は正体不明の女性に首を掴まれ宙に浮かされていた。
「……」
シュレンさんは私達が一歩踏み出せば手が届く位置で無言のまま地面に倒れており彼の左手首から先はエルザードの報告通り、そこに本来ある筈の左手は消失していた。
微かな魔力と生命反応は確認出来るが直ぐにでも治療を開始しないと生そのものが失われてしまうであろう。
そして、重傷のフウタさんの首を掴んでいる女性は……。
「フフフフ……」
天界に住まう戦を司る神々に向けて供物を捧げる様にフウタさんの体を浮かせ、右手から己の体に伝わる彼の朱の血液を恍惚に染まった顔で見つめている。
長髪の翡翠の髪に二十代後半の女性の端整の顔、背は離れた位置なので凡その数値しか測れないが恐らく私より高いであろう。
しかし私は敵の身体的な特徴よりもあの女性が纏う禍々しくおぞましい潜在魔力に思わず息を飲んでしまった。
な、何ですか……。あの黒に染まった重苦しい潜在魔力は……。
本人は抑えているつもりでしょうが潜在魔力値が高過ぎて体から自然と零れてしまっているその状態に対して呆気に取られていると。
「フウタ!! シュレン先生!!!!」
「ッ!!」
エルザードの悲壮な叫び声が私の体を通常の状態に戻してくれた。
い、いけない!! 私がちゃんとしないと!!
「エルザードはシュレンさんの怪我の治療を!! そこの貴女!! 彼はもう既に戦意を喪失しています!! その手を放しなさい!!」
「今直ぐに治してあげるから!!!!」
シュレンさんに治療を続けているエルザードの様子を横目で捉えつつ今もフウタさんの首を掴んでいる女性に対して叫んでやる。
「あら、そちらから態々御出で下さいましたか。初めまして、創造主様の悪しき心を受け継ぐ者よ」
女性が静かにフウタさんの首から手を放すと私に対して仰々しく頭を下げた。
「び、び、微乳姉ちゃん……。何でに、逃げなかったんだよ……」
よし!! 怪我は酷いけどフウタさんも生きてくれていましたね!!
「友人を死地に置いて逃げるのは指導者失格ですから。私の名前はマリルと申します。大変申し訳ありませんが何故彼等に攻撃を加えたのか、その理由をお聞かせ願いますか??」
シュレンさんの治療の時間を稼ぐ為に少しでも彼女の注意を逸らさないと……。
「申し遅れました。私はアンセスターシリーズの『是なる者或いは統率者』 イリシア=グランティと申します」
アンセスターシリーズ??
頭の中で何かに引っかかる単語に少々困惑していると。
「九祖が一体。亜人が最終決戦に臨む際に己の負の感情を消失しようとした。でも、それが強力過ぎて消せなくて……。そこから生まれたのがアイツなのよ」
今も治療を続けているエルザードが補足してくれた。
そうだ……。私が幼い頃、母親が枕元で九祖達の戦いの歴史を話してくれた時。神々の戦いに臨む際に亜人と呼ばれる者は不要な感情を捨て去ったと教えてくれましたね。
幼い頃の私は母親が寝かしつけてくれる時のお伽噺であると考えていたが……、こうしてお伽噺の中の登場人物が目の前に現れると母親の話は本物であると認めざるを得ません。
神話の中でしか登場しない怪物が我々の前に立ち塞がっている。
酔狂な者なら己の実力を測る為に立ち塞がる敵に向かって喜んで突貫を開始する事でしょう。しかし、此処は現実世界である事を忘れてはいけない。
下らない力比べの為に尊い人命を失われてしまう蓋然性があるのです。
私は此処に居る全員の命を守らなければならない使命があるので会話の途中でも集中力を途切らせません。
敵の一挙手一投足を決して見逃すな……。
軽く腰を落として両手を微かに開いては閉じ、必ず来るであろうその時に備え続けていた。
「私の代わりに説明をして頂き有難う御座います。我々の目的は現代に亜人様を降誕させる事……。その為には貴方の子が必要なのですよ」
「レイドが?? それ以前に亜人の肉体は既に消失し、魂は封印されているのを御存知ですよね?? 又、それらを守る守護者の事も」
「勿論です。各神器にはそれぞれ守護者が付いていますが私の本来の実力を以てすれば制圧する事は容易いでしょう。しかし…………」
「幻とも、既に消失していると言われている四つ目の神器の場所は知らないのでは??」
ダンさんの冒険のきっかけとなった地図には此処を含めた四つの場所に印を付けてあると教えてくれた。
一つは東のマルケトル大陸、一つは南のリーネン大陸、一つはガイノス大陸。
真実かどうかさえ怪しい本当に古い言い伝えでは神器は四つ存在していると考えられているので最後の一つは地図の情報からして彼女達も知らない筈だ。
「仰る通りです。まぁ長い時間を掛けて探索を続けますのでお気使いは結構で御座います。神器に封印された創造主様の魂を解放し、私の後方で待機している善の心を継承した子と貴女が現世に産み落としてくれた子。二人の運命の子が交じり合う時、亜人様はこの世に再び生を受けるのです!!」
イリシアと呼ばれる女性が口角を微かに上げて森の木々から差し込む陽光を見上げる。
その瞳は充実した満足感に染まっており、あの瞳の色からして彼女は目的を達成するまでその足を止める事は無いだろう。
そして彼女が進んで行く道の脇には本当に惨たらしい姿の大勢の死体が転がっている様を容易に想像出来てしまった。
イリシアが話した通りなら……。レイドを奪われてしまえば封印されし亜人がこの世に復活してしまう。
九祖に強い怨みを抱いてこの世を去った神と等しき力を持つ生命体が現代に復活すれば世界はどうなる事か……。その被害は筆舌にし尽くし難い。
世界は禍々しい炎の海に包まれ、海は荒れ狂い、夜空は迸る魔力の閃光によって白く染まる。
森羅万象に通じる理が狂った世界で人々は生きては行けない。
私が……、いいえ。私達が未曽有の厄災を此処で止めなければなりません!!!!
「さて、話が長くなりましたね。貴女の子は一体何処に居るのですか??」
「世界の理を狂わそうと画策する貴女に教える必要はありませんね」
「そうですか。創造主様の血を受け継ぐ貴女に対して手荒真似はしたくないのですがねぇ……」
イリシアがそう話すと彼女の足元に巨大な深紅の魔法陣が浮かび上がり、そこから多数の触手が這い上がって来た。
あれが……、エルザードが報告してくれた彼女の魔法ですか。
あの触手がフウタさんの右目を切り裂き、シュレンさんの左手を切り落とした。
彼等は私の生徒達の守る為に触手の餌食になってしまった。その恩を今此処で返します!!!!
お疲れ様でした。
現在、後半部分の編集並びに執筆作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。




