第二百五十五話 突如として終わりを告げる素敵な日常 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
「すぅ――……。ふぅぅ――……」
己の口から漏れ出た吐息が外気に触れると形容し難い霞の形に変わり、森の中にそっと吹く微風によってそれは瞬き一つの間に空気の中に消失する。
額から零れ落ちて来る汗が頬を伝い顎先に到達するとこの星の重力に引かれて森の大地へと落下。
とても小さな雫が地面に落下して微かな形跡を作るよりも早くわしは越えるべき壁へと向かって突貫を開始した。
「ずりゃぁぁああああ――――ッ!!!!」
下腿三頭筋、大腿筋の力を全て駆使して相手を己の間合いに収めると空気の壁を破壊し尽くす威力を持つ右の拳を振り上げてやった。
「おっそ。もうちょっと工夫しろよなぁ」
フウタが上半身を逸らしてわしの攻撃を躱すと呆れた笑みを浮かべて此方と距離を取る。
わしの攻撃を見切る慧眼に卓越した体の扱いに思わず唸ってしまうが、今は指導中の身じゃ。
あの高みへと昇る為にわしは一切気を緩めぬぞ!!
「お主相手に工夫など必要ないわ!! ねんいりにねった策も圧倒的な攻撃の前では無意味じゃからな!!」
「それはそれ相応の実力を持った奴が言う台詞だぞ?? 可愛い狐ちゃんの絵が刺繍された下着を吐いているジャリ餓鬼が言う台詞じゃねぇっつ――の」
「こ、こ、この阿保ねずみがぁぁああ――!! わしの拳でその空っぽの頭を粉々にくだいてやるわぁぁああああ!!!!」
もう何度目から分からない突撃を開始して阿保面のフウタを攻撃範囲に捉えると、壁と見間違わんばかりの拳の連打を見舞う。
どうじゃ!? 筋肉だけでは無く付与魔法を加えたわしの連撃は!!!!
拳と拳の間に草の細い根も入り込む余裕すらない連撃がフウタの眼前に迫るが……。
「速さは合格点をあげるよ。でもな?? 攻撃と攻撃の間に隙が多過ぎて実戦じゃあ使えねぇなぁ――」
阿保ねずみはわしの攻撃の一つ一つを丁寧に、そして余裕を持って躱してしまった。
こ、これだけ速く打ってもフウタには全て見切られてしまうのか!?
わしの拳は空気の相手をするのはもう飽きたと泣き叫んでおるのじゃぞ!?
我に肉を与えよと咆哮し続けている拳の声に従い、微かに隙が見えたフウタの横顔の隙に向かって乾坤一擲となる一撃を繰り出すものの……。
「はい、楽勝ッ!!!!」
肉の感触に飢えている拳は奴の目の前を通過。
「何っ!? ギャンッ!?!?」
もう肉はお腹一杯だと辟易した顔を浮かべているフウタの拳がわしの腹部に直撃した。
「うぇっ……。ゲホッ!!!!」
拳が体に当たった刹那に呼吸が停止して訪れる嗚咽感、キラキラのお星様が目から飛び出して頭がフラフラと揺れ動く不協和感、お腹の中がグルグルと蠢くこの嫌悪感。
ダンの奴はハンナ先生に殴られ過ぎた所為でもう慣れた!! と軽快な笑みで言っておったがわしはいつまで経ってもこの感覚に慣れそうにないわい。
「お前なぁ……。なぁん回同じ手に引っ掛かるんだよ。ダン達も言っていただろう?? 隙に容易く誘われるなって」
地面に両膝を着いて嗚咽しているわしを真っ赤な忍装束で身を包むフウタが見下ろしつつ、ヤレヤレと言った感じで話す。
「ゴホッ!! はぁ――……。それは分かっておるのじゃが、ど――も手が止まらぬというか……。気持ちがはやってしまうというか」
「まっ、教え始めた当初に比べれば速さも威力も増しているし。その辺の魔物程度なら余裕でブッ倒せるだろうさ」
「わしはうぞうむぞうの相手に興味は無い!! そう、強敵に勝ってこそほこれるのじゃよ!!」
前半部分は嬉しいが後半部分は余計なのじゃよ!!
「ば――か。あんたも実力的にはその有象無象の連中に含まれているのよ。分を弁えた行動をしなさいよね」
「何じゃと!?」
あの阿保淫魔めが!!
シュレン先生との指導中なのに余所見をするばかりか、わしをからかう等言語道断じゃぞ!!
「エルザード。貴様も某やマリル殿に比べれば稚拙であると忘れるな」
シュレン先生が黒頭巾の中からものすごく怖い瞳で阿保淫魔を睨み、咎める。
ククク……。いい気味じゃ。
シュレン先生や、そのままその阿保淫魔をこっぴどく叱ってやっておくれ。
「へいへい。言われて通りに練習しますよ――っと」
「なはははは!! なんじゃ、お主もうぞうむぞうではないか!!」
「何ですって!?」
「あ――、もううるせぇ!!!! 散歩に出掛けているミルフレアを呼び戻して来い!!!!」
「ちぃ……。帰って来たら覚えておけ。この阿保淫魔めが」
「返り討ちにしてやるわよ。ほら、だっさい狐柄のパンツを履いた奴はさっさと何処かへ消えなさい」
何でマリル先生はあの馬鹿者を弟子に取ったのじゃ!!
アイツが此処に来てからというもののろくなことが無いわ!!!!
「ぐぬぬぬぅぅぅぅうううう!!!!」
親の仇を見付けた時よりも鋭角に眉を尖らせて馬鹿淫魔を睨み付けるとフウタに言われた通りに南の方角へと出発。
「ふんっ!!」
開けた空間から高密度の緑の中に足を踏み入れると一人勝手に鼻息を荒く漏らして緑を掻き分けつつミルフレアを探し始めた。
わしが此処に来てからかなりの日数が経つが……。まだこの拳は強者を越えぬのか。
「……っ」
ハンナ先生達よりも一回り以上小さな己の拳を見下ろすと何だかむなしい風が心にそっと吹いて行く。
これまで積み上げて来た武が低いから拳が小さく見えるのだろうか?? それとも彼等との圧倒的な力の差を如実に感じているからか??
「いや、そのどちらも感じているからむなしく思えるのじゃろうて」
ハンナ先生はこう仰っていた。
『この世界の武は正に天井知らずだ。俺の強さもその尺度で測れば微々足るモノやも知れぬ』
ハンナ先生で微々足るモノならわしらの強さは塵芥同然ではないか。
「むぅ……。いやいや!! 魔物は千年生きると言われているからのぉ!! その間に武を積み上げていけば自ずと天辺が見えて来るじゃろうて!!」
己の弱さに項垂れるな、下を向くな。上を見ぬ者は決して強くなれぬのだぞ!?
「そうそう。何事も前向きに捉えるべきじゃっ」
己の実力不足は見方を変えればどれだけでも強くなれる証拠なのじゃよ。弱さに悲観して俯いた者から脱落して行くのは目に見えている。
それを力に変えて目に見えぬ強さという階段を上って行けばいいのじゃ。
「ぬふふ――……。そう考えると今からワクワクしてくるぞ」
いつか、そういつか……。
ハンナ先生達の力やマリル先生の聡明さを越える実力を身に着けて天下無双の武士となり、強大な力を誇る数多多くの戦士を打ち倒す己の姿を想像すると高揚感がジャブジャブと湧いてくるぞ。
それに?? レイドが阿保淫魔の毒牙に掛からぬ様に守ってやらねばならぬ使命がわしには課せられているからな!!
強さを極め、万人を受け止められる大きな器となり、マリル先生の子を守る守護天使にならねばっ。
守護天使では無く守護狐か。
この際どちらでも構わぬがわしが淫魔の毒牙からレイドを守りつつ、それまで得た経験を生かしてレイドを鍛えてやらねばなぁ……。
三本の尻尾を左右にピッコピコと揺らしつつとても明るい未来予想図を想像していると両の鼓膜が微かな音を捉えた。
「むっ?? おぉ、此処に居たのか」
その音の出何処に向かって進み、わしと同じ位の背丈の草を掻き分けて進むとミルフレアが地面にしゃがみ込んで何やら深く観察している様を捉えた。
「何をしておるのじゃ??」
「うん?? えっと、小さな虫を見てた」
む、虫ぃ??
「何処じゃ?? あ――、この黒い虫か」
地面には何処かへと向かおうと懸命に六本の足を動かしている黒き虫の存在を確認出来た。
「こんな小さい体なのにちから強くすすんで行くのがすごい」
恐らくこ奴はシュレン先生に相手にされなくて寂しいのじゃろうて。
彼はエルザードの指導に付きっ切りじゃったし。
「虫の観察は後でせい。フウタとシュレン先生がお呼びじゃぞ」
「シュレン先生が??」
ほらな?? シュレン先生という単語を受け取っただけで両の瞳の物凄い明かりが灯ったし。
小さな体からはとても想像出来ない力強さで立ち上がり北の方角へと進もうとする。
「あまり焦るなよ?? お主の体はまだ出来ておらぬ。焦って転ぶのが目に見えておるわ」
「イスハも私とあまりかわらないじゃん」
「何を言う!! この鍛え抜かれた足を見ぬか!!」
左足を軸にして背の高い草に目掛けて右上段蹴りを放つと、右足がシュパッ!! と軽快な音を立てて草を容易く切り裂いた。
ふむっ!! 技の切れ、威力の速度も申し分無しじゃ!!
「むいみに自然をきずつけるとマリル先生におこられるよ??」
「そ、そうじゃったな。今のは見なかった事にしてくれ……」
指導でクタクタに草臥れた後にマリル先生の説教は体に堪えるからのぉ……。
「ふふ、うん。ひみつにしてあげる」
「うむっ!! それじゃ出発…………。むっ??」
ミルフレアの笑みを受け取り北の方角へ向かおうとすると南方向から何名かが歩いて来る音が聞こえて来た。
わしら以外の者がこんな深い森で一体何をしておるのじゃ??
「「……」」
刻一刻と強くなっていく足音に対してミルフレアと共に強烈な緊張感を保ったまま待機していると、その音の正体が木々と草々を分けて現れた。
「あら?? 魔物の魔力を感じて接近してみれば……。随分と可愛いお子様ですね」
先ずわしらの前に現れたのは一人の大人の女性じゃ。
背丈はそうじゃな……、マリル先生よりも少し高い位で積載されている筋肉量は世に蔓延る普遍的な女性よりも一段多いといった感じじゃな。
魔力を感じるという事はこ奴はわしらと同じく魔物なのじゃろう。
可愛らしいというよりも綺麗に整った顔であり、弧を描く眉の下には黒き瞳。そして背に伸びる黒みがかった翡翠の長髪は木々の合間から差し込む光によって微かに煌めていていた。
外見からして二十代後半の女性はわしとミルフレアを捉えると微かな笑みを浮かべていた。
「しかし冬の季節だというのに酷い緑だな」
「……」
それから微かに遅れて大人の男性と寡黙な一人の少女が現れる。
黒髪をキチンと整えた男性の体は特筆すべき特徴が見当たらぬ中肉中背であり、白きローブを身に纏いつつ服に付着した草や埃を顰め面で振り落としている。
それを見つめている寡黙な黒髪の少女の瞳は何処か寂し気……、いいや。無感情と呼ぶべきか。
特に感情が籠められていない瞳の色で男性の所作を見つめていた。
大人の男性と寡黙な少女の体からは魔力は一切感じられず、正真正銘の人間といった感じじゃな。
「ふぅむ……。まだ先の様ですね」
「何じゃお主ら。この森に一体何の用で来たのじゃ」
わしらの存在を無視しつつ左右に視線を送っている男性に問うたのじゃが。
「私達はこの森に興味があって探検しているのですよ?? その道中に薬に使えそうな薬草が無いか探していたんですけど……。迷っちゃったんです」
黒みがかった翡翠の長髪の女性が彼の代わりに答えてくれた。
むぅ――……。声色に怪しい感じはしないし。それにこの女性から感じる魔力も微々足るモノ。
わしらの愛する土地に不穏をもたらすとは到底思えぬ。
「ふむっ、仕方が無い!! わしが人が居る場所まで案内してやる!!」
フウタやシュレン先生の下へ案内してそれからこやつ等のしょぐうを決めるとしよう!!
万が一、此処でおいたを働くのならわしらが成敗すれば問題無しじゃ!!
「助かります。それでは可愛い狐さん、森の案内をお願いしますね」
「うむ!! この尻尾を目印にして付いて来い!!」
「ふふっ、モフモフでとても可愛いですよ」
「なはは!! そうじゃろう!? わしの尻尾は狐一族の中で最も美しいと評判じゃからな!!」
狐一族の長い歴史の中で史上最も美しいと呼ばれている至高の尻尾を無意味に左右に動かしつつ、照れ隠しの要領で速足となって森の中を突き進んで行った。
お疲れ様でした。
一万文字を越えている為、前半後半分けての投稿になります。
現在、後半部分の執筆並びに編集作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。




