第二百五十二話 降誕 運命の子
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
夏のうだるような暑さが世間に強烈な禍根を残して過ぎ行き。肌が喜々とした表情を浮かべる涼し気な空気が漂う秋がそっと静かに訪れると人々は双肩の力をフっと抜いて少し前の夏を思い返し、笑みを漏らして秋空を見上げる。
辛く苦しい暑さによってこれまで手付かずであった趣味に走る者が現れるのもこの季節特有の傾向だ。
読書、絵画、執筆、天体観測等々。
その趣味は枚挙に暇が無いけれども、秋という季節は趣味に没頭するばかりでは無く夏の暑さによってヤラれてしまった体調を整える時期であるとも捉える事が出来る。
人々は秋の味覚を求めに山へ海へ、田畑の実りを興じようとして街中の店を右往左往する。
それでは飽き足らず己が今、一番食べたい物を探し求めて大陸を縦横無尽に移動する猛者も現れる事であろう。
秋という季節は人々の活気を、興味心を多大に刺激する力を有しているのだ。
俺も古くから言い伝えられている秋の力に突き動かされて趣味に没頭し、秋の実りを興じようとして何処かへと出掛けるかと思われていたのだが、体と頭は素敵な空気が漂う森の中を決して動くべきでは無いと決断していた。
その最たる理由は俺達の眼前に広がっている。
『落ち着いて呼吸を繰り返して下さいね――!!』
『そうそう!! 焦らず下腹部に力を入れて行きましょう!!』
母屋の壁の隙間から助産師さん達の慌ただしい声が漏れて森の木々の葉を微かに揺らす。
その声色は人に安心感を与えてくれる確かな力が含まれているのだが……。
『せ、先生!! 本当に大丈夫!? 顔、真っ青よ!?!?』
『そこの貧乳龍五月蠅いわよ!! 手が空いたのなら温かいお湯を桶に張れ!!!!』
『先生!! わ、わしは何をすればいいのじゃ!? 』
『貴女は乾いた布を用意しなさい。私は桶のお湯を魔力で上昇させますわ』
『イスハ、そこじゃま。わたしがせんせいの手をにぎってあんしんさせてあげるから』
マリルさんの弟子である生徒達の声は混沌、混乱、狼狽等々。
助産師さんとして本日の出産に助太刀に参られた彼女達とは百八十度違うモノであった。
だ、大丈夫かな……。アイツ等を室内に置いておいて……。
マリルさんの体もそうだが、彼女が産もうとしている我が子の身を案ずる血の繋がった父親としては気が気じゃないのが本音だ。
息の掛かる距離に居る友人達も俺と同じ気持ちを抱いている様で??
「お、おいおい。ジャリ餓鬼共が居て大丈夫なのかよ」
「マリル殿は何事も経験だと言っていた。某達は彼女の言葉を信じて待てばいいのだ」
「例えそうだとしてもあの喧噪は許せん。俺が一言二言注意を放つべきだろうか??」
「相棒。フィロ達に注意を放とうとしてくれるその気持は有難いんだけどさ、その物騒な剣は仕舞っておきなさい」
相棒が左の腰から愛用の剣をス――っと抜く様を捉えるとちょっとだけ眉の角度を鋭角にして咎めてやった。
「マリル殿の出産に悪影響を及ぼすのは目に見えているだろう。貴様は我が子が無事に生まれて来る事を望んでいないのか??」
「勿論望んでいるさ。でも……、マリルさんは己の身を挺して生徒達に良い経験を提供しようとしている。それを止める権利は俺達にはねぇよ」
相棒にそう話すと相も変わらず騒々しい母屋へと視線を送った。
ヤキモキする気持ちを抱く今現在から遡る事数日前。
もう間も無く生まれて来る子を労わる様に己の腹部を優しく撫でるマリルさんと出産に付いての段取りを決める際。
『この子を産む際、生徒達に立ち会わせようと考えています』
『マリルさんがそう言うなら止めませんけど……。本当に良いんですか?? 確実に五月蠅くなって出産に集中出来ませんよ??』
『それは勿論理解しています。彼女達には生命の素晴らしさを感じて貰いたいんです』
マリルさんが己の腹部から俺に視線を移すと本当に優しい笑みを浮かべてそう言ってくれた。
彼女の想いを無下に出来ないと判断した俺は苦渋の決断として生徒達の同席を許した。
いつか、そういつか……。
生徒達が母親になる時、マリルさんが身を切る想いで提供してくれた素敵な経験が役に立つ時が来る。
刹那的な時では無く悠久の時を超えて現れた出産という事象に慌てる事無く対応出来る様、本日あの母屋では超特別授業が行われているのだ。
先を見据えたマリルさんの先見の明に感心する一方で、首を四十五度に傾けてしまう存在も同席している事を忘れてはいけない。
『マリルさんっ!! 後少し頑張って下さいね!! ほら、ヒッヒッフゥ――!! ですよ!!』
『そこの鳥の女王!! 出産の邪魔だから脇に退いていなさい!!!!』
『そこまで言う必要は無いでしょう!?』
『レオーネ様!! 申し訳ありませんが間も無く頭が見えますので少し下がってくれれば幸いです!!』
『あ、はい……。大人しく下がっていますねぇ……』
特別授業を受けている生徒達だけならまだしも一匹の鳥の女王様は引きずり出すべきでしょうかね……。
俺達の子に何かがあったら貴女は責任を取れますか??
そう声を大にして言ってやりたいが同席を許可したのは他ならぬマリルさんだし、此処は一つ静観を貫きましょう。
「……ッ」
便意を我慢した鶏の様に得も言われぬ感情を胸に抱いたまま母屋の前を右往左往して、時折その動きを止めて母屋へと視線を送る。
その無駄な動きを何時間続けた事だろうか??
「おい、いい加減に落ち着けって」
「これが落ち着いていられるか。お前さんも父親の立場になったら分かる筈だぜ」
フウタの呆れた声に返答をすると遂に俺達が待ち望んでいた輝かしい命の声が森の中に鳴り響いた。
「オギャァッ!! オギャァッ!!」
「「「「ッ!!!!」」」」
赤子の鳴き声が鼓膜に到達するとほぼ同時に俺達は顔を見合わせ。
「や、やったなダン!!!!」
「おうっ!!」
煌びやかな笑みを浮かべるフウタが右手をスっと上げたので彼の手を思いのままに叩き乾いた音を奏でてやった。
マリルさん、口喧しい者共に囲まれながらの出産お疲れ様でした。
今は未だ喧噪鳴り止まないと思いますが、今日はこれからゆっくりと休んで下さいね。
未だ見ぬ彼女の疲労困憊な姿を想像していると俺の想像よりも早い勢いで扉が開かれ唐紅の髪の女性が満面の笑みで日の下に現れる。
「ダン!! もう入っていいわよ!!」
あの笑みからして出産は完全完璧に行われた様だな。
「そうか!! よ、よし……。じゃあ我が子と対面するとしますかね」
母子共に無事な姿を捉える為、妙に早い動悸を収めつつ中々の人口密度を誇る母屋に足を一歩踏み入れた。
「し、失礼しま――っす」
血の独特の鉄の匂い、温かな湯気から放たれる水の香、出産の奮戦を彷彿とさせる大量の汗の臭い。
生命の力強さを感じさせる生の匂いが漂う部屋の中央。
ハーピーの里から態々お越し下さった助産師さん達と生徒達に囲まれ、静かな呼吸を続けて椅子に座り寛いでいるマリルさんが抱く赤子の姿を捉えると俺は思わず息を飲んでしまった。
「すぅ……。すぅっ……」
彼女の胸の中で眠る赤子はこの世の幸せを一杯に詰め込んだような安心しきった様子で静かに眠り。
「……」
我が子を抱くマリルさんは本当に優しい笑みを浮かべて赤子を見下ろしていた。
もしも赤子を抱く者が男性なら赤子はあそこまで静かに眠らないであろう。それだけ母親という存在は赤子にとって大きな存在なのだ。
刹那に聖母と見間違ってしまったマリルさんの下へ一歩、また一歩進んで行く。
「ダンさん。おめでとう御座います。元気な男の子ですよ」
「え、えぇ。有難う御座います」
出産に使用した大量の布を片付けている助産師の方からお声を頂くと愛の結晶を抱くマリルさんに声を掛けた。
「マリルさん、お疲れ様でした」
たった数言に数百の労いの意味を含ませた言葉を放つ。
「有難う御座います。ほら、お父さんですよ??」
赤子の体を大切に抱いたまま小さな体を一つ上下に揺らすものの、我が子の目は開かず安眠を続けている。
「な、撫でても良いですか??」
「余り乱暴にしなければ大丈夫ですよ??」
「で、では失礼して……」
この世に生まれ落ちたばかりの我が子の黒髪にそっと静かに手を添えると……。
「やわらかっ!!!!」
え!? 赤ん坊の髪の毛と頭ってこんなに柔らかいの!?
茹でた卵よりも柔らかいフニっとした触感を手の平で捉えると思わず驚き手を離してしまう。
び、びっくりしたぁ……。余りの柔らかさに触れただけで壊れてしまうんじゃないかって想像しちゃったじゃん。
「ふふっ、お父さんは怖がりですね――」
「俺の力で触れたら壊れてしまいそうですからね……」
そりゃあおっかなびっくりしてしまいますよ。
この世に生まれ落ちて数十分後の産まれたてホヤホヤの体を傷付ける訳にはいきませんし。
「先生!! もういいでしょう!? 私にも触らせて!!」
「フィロ!! ずるいわよ!! 私が先だって言ったじゃん!!」
「退け!! 阿保淫魔めが!! わしが頬をつつくのじゃ!!」
「私達は此処で静観しましょうか」
「うん。あのうるささにかこまれたくないもん」
俺が撫でるまで待機していたのだろう。
此方が数歩引くのを合図として我が子が口喧しい連中にあっと言う間に囲まれてしまった。
「相棒は触らなくていいのか?? お父さんが触っても良いって許可を出すぜ??」
「い、いや。俺は触れるのが少し恐ろしい」
「某も同意しよう。この力で触れたら傷付けてしまう恐れがあるからな」
「んだよ、だっせぇ連中だなぁ。俺様が一丁触れてやらぁ!!」
フウタが鼻息を荒くフンッ!! と漏らすと今も生徒達に悪戯を仕掛けられている我が子の頭の上にそっと手を乗せた。
「おわっ!! な、何コレ!? 柔らか過ぎてぶっ壊れちまいそうだぞ!?」
俺とほぼ同じ所作を取り瞬き一つの間に俺達の下へと踵を返して来た。
「ははっ、勇み足で向って行ったのに速攻で帰還かよ」
「う、うるせぇ!! しっかし……。本当に可愛いな」
フウタが目元を柔らかく曲げて赤子の寝顔へと視線を送る。
「まっ、この中じゃお前さんが一番早く子供を作りそうだし?? 今の内に赤子との接し方を勉強しておいた方がいいんじゃない??」
「だなぁ――。ほぼ童貞と本物の童貞の野郎からは暫く吉報は聞けそうにねぇし」
フウタが揶揄い混じりに相棒とシュレンに視線を送るものの。
「う、うむ……。あれは間違いなく戦いを生業とする戦士が触れて良いものでは無いな」
「某も同意だ。何だあの脆弱な装甲は……。戦士の指先が刹那に触れただけでも壊れてしまいそうだぞ」
両名の視界は俺の赤子に独占されており、生命の神秘に困惑するばかりであった。
あ、あはは。二人共面食らってら。
それもそうだろう。戦う事しか頭に無い連中には女性の生命力の強さと赤子の神秘は理解出来ないだろうし。
狼狽えるばかりの二人の姿を捉えつつ笑い出すのを必死に堪えているとイスハが三本の尻尾を左右にフッサフサと揺らしながら此方に駆け寄って来た。
「ダン!! この子の名は決まっているのか!?」
「あぁ、勿論さ。昨日の晩、相棒達と深夜まで命名会議をしていからな」
簡易家屋の中で夜虫が鳴く事を止め、お月様が熟睡する頃まで緊急命名会議は続けられていたのだ。
『蛙の子は蛙というから、カエルで良いだろう』
『テメェ!! ふざけんじゃねぇ!! 適当にも程があるぞ!!』
相棒が特に興味を持たぬ表情のままで適当な名付けをしたので取り敢えず左肩をぶん殴ってやった。
『その通りだぜ。俺様ならそうだな……。アイラン、ボタンって感じかなぁ』
それはまぁまぁ可愛い名前だけれども。
『魔力の鼓動、生体反応から生まれて来る子は男って分かってんだから女の名を付けるなって』
マリルさんから伺った所、お腹に居る子は男の子と断定されてしまったのです。
「「「「……」」」」
むさ苦しい野郎共が体の前で腕を組み中々出て来ない名前に唸っているとシュレンがふと口を開いた。
『シシオウマル……。クロガネオウ……。フジミマル……。ガシャドク……。これらの名を某は薦める』
シュレンが満足気にしみじみと、そして深々と大きく頷く様を捉えた俺達は口を揃えてこう言ってやった。
『『『いや、それは無い』』』
大体、名前から戦いを彷彿させちゃあ駄目でしょう??
それに物凄く物騒な名前だから勿論門前払いですっ。
『ふ、ふんっ!! 某は一応薦めたからなっ!!』
俺達に可愛い鼠のお尻を向けてプリプリと怒る彼を尻目に夜虫が鳴き疲れる頃まで名を考えていたのさ。
「へぇ、じゃあ名前を聞かせて貰おうかしら」
マリルさんの後方から彼女の肩越しに我が子を見下ろしつつフィロが問う。
「俺達の子の名前は…………。レイドだ」
山程ある候補の名から選んだ子の名前を告げてあげると。
「レイド……。うんっ、良い名前ですね」
どうやらマリルさんもお気に召してくれた様で??
相も変わらず柔らかい笑みを浮かべながらレイドの頭を嫋やかな所作で撫でていた。
ほっ、良かった。此処でシュレンが推薦してくれたフジミマルやらふざけた名前を公表したら罵詈雑言、非難の嵐だっただろうし……。
「レイドか――、良い名前じゃん。というか先生。レイドの魔力の源って異常に低くない?? それに何だか妙な感じがするしっ」
エルザードがレイドのプニプニの頬を人差し指でちょいちょいと突きながら話す。
「恐らくダンさんの人の部分を多く継承している所為でしょう。その妙な気配はもしかしたら……。ダンさんの抵抗力を継承しているかも知れません。体が成長すれば発現するかも知れませんが……。今はそれを断定出来ない状況といった所ですね」
ほ、ほう??
良く分からないけども俺の息子は魔力の源が弱くて尚且つ聖樹ちゃんから受け賜った抵抗力の欠片も継承しちゃったのかしらね??
「あぁ、それなら納得出来るな。コイツは俺様達と違って元人間だし」
「そのぉ――……。人の部分が多いと何か成長に弊害を齎す恐れはあるのです??」
俺の所為で子の成長に悪影響を及ぼす可能性があるのなら洒落にならないからね……。
「いいえ、特にありませんよ。只、魔力の源が小さいと魔力の扱いに苦労する恐れはありますけどね」
はぁ――……。良かった。
その程度の弊害なら何の問題も無いでしょう。
「それにしても滅茶苦茶可愛い……。ねぇ、先生。この子私に頂戴?? 魔力の扱いに不慣れなら私が色々と教えてあげられるし。それにさ!! 今の内に将来の相手が決まっている方が色々と便利じゃない!?」
「ふふっ、気が早い子ね。どうする?? レイド。エルザードお姉ちゃんが貴女の事を貰ってくれるってさ」
マリルさんがレイドを優しく左右に揺らしながら問うものの。
我が子は心地良い夢の中でスヤスヤと眠るばかり。
「ねぇいいでしょ!? レ――イドっ。エルザードお姉ちゃんが貴方の将来のお嫁さんだからねぇ――」
淫魔の子が中々に綺麗に纏まった唇をレイドの頬にムチュっとくっ付けると。
「……っ」
本当に良く見ないと分からない程に彼の口角が僅かに上がった。
「ほ、ほら!! 今の見た!? 私の口付けで笑ったわよ!?」
「ば――か。良い夢を見ているから笑ったんだよ」
「某も同意しよう」
「あぁ、その通りだ。大体、その子は俺達が鍛えに鍛える予定だ。結婚に現を抜かす暇も無い程に鍛えてやるぞ」
「あ、相棒。わりぃけどそれはちょ――っとばかし時期尚早じゃない?? 後、エルザード。お前さんには俺の子はやらんっ」
「はぁっ!? 何でそうなるのよ!? 近い将来世界最高峰の美貌を持つであろう私が娶ってやろうって言ってんのよ!?」
「貴様!! 俺が指導を施してやると言っているのにその言い草は何だ!!」
「あ――!! 一気に話し掛けるな!!!!」
俺の口はたった一つしかないから一気呵成に話し掛けられても対応出来ないの!!
それに赤子の安眠を妨げる喧噪はお父さんとして容認できませんっ!!
たった数名が放つ喧噪に新しい生命が生まれた室内が飲まれ込んで行く中。
「五月蠅いお兄さん、お姉さん達ですね――。私達は離れた位置から見学していましょうね」
「それをお薦めしますよ。赤子が居る部屋で湧き起こる喧噪じゃあありませんし」
「ですね。ささ、レイドちゃ――ん。もう少し大人になったらハーピーの女王様が世界最高速の飛翔をみせてあげますからねぇ――」
「レオーネさんの飛翔は危険過ぎるので付き合わせる訳にはいきませんねっ」
「あぁ!! もうちょっと位撫でさせて下さいよ!! 本当に撫で心地が良いんですからぁ!!」
「「「「はぁ……」」」」
助産師達が疲労を籠めた溜息を吐くものの、その微かな音は瞬く間に周囲の喧噪に飲み込まれて掻き消されてしまう。
彼と彼女の幸せの結晶である赤子の周りにはこれから先もずぅっとこの様な喧噪が渦巻いて行くのだろうと、彼女達は人知れずそう確知したのであった。
お疲れ様でした。
此処からの話の流れなのですが一話挟んだ後。一気に過去編終盤へと突入致します。
これまで沢山の文字を打ち続けて来ましたがもう間も無く終わりを迎えると思うと何だか感慨深いものを感じます……。しかし、まだ書き終えていませんので予断を許さない状況が続きます。
何とか来月中には書き終えようと画策している次第であります。
いいねを、そしてブックマークをして頂き本当に有難う御座いました!!
読者様の応援が執筆活動の励みとなります!! これからも皆様の期待を裏切らない様に精進させて頂きますね!!!!
それでは皆様、引き続き良い週末をお過ごし下さいませ。




