第二百五十一話 華燭の典 その二
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
部屋のほぼ中央に鎮座する長机には生徒達が食す料理の代わりに女性物の化粧道具が乱雑に置かれ、台所にはその役割を終えて静かに休む食器類が積み重なり、長机の脇に添えられている椅子には生徒達が陽性な感情を浮かべつつ私の顔を見つめていた。
普段とは少しだけ様変わりした部屋の中で私は椅子に腰掛けながら無意味に手を組んでは外し、時に視線を方々へと送り誰から見ても大変落ち着きの無い様子を醸し出していた。
ふ、ふぅっ……。
式に向けた髪型とドレスの着付けは終わったのですが、何だか物凄く落ち着かないですね。
「……っ」
頭からすっぽりと被る純白のベール越しに己の服をさり気無く見下ろすと、胸元の白き薔薇が視線に飛び込んで来る。
ベールと薔薇は白でドレスは薄い桜色なのですが、敢えて薔薇を際立たせる為に赤色にすべきだったかしら?? それとも――少しお腹部分の布地に余裕を持たせるべきだったか……。
礼服屋の店員さん達が私の体型にピッタリと合う様に調整してくれたんですけども、挙式の後の食事を考えるとやはり余裕が欲しかったのが本音ですね。
ほら、プックリと膨れたお腹のまま食事を続けていたら格好悪いでしょう??
今更変更する訳にはいかないので此処は一つ、食事を控える事に専念すべきですね。
「へぇ――……。本当に綺麗ですね。もう直ぐ挙式が始まりますが何か不安な事はあります??」
っと、今は食事の事よりも目前に迫った挙式に集中すべきでした。
「特に不安な事はありませんが……。敢えて言うのであればランドルトさんの司会進行とハンナさんの見届け役ですかね」
女性らしいふわっとしたスカートをお召しになるレオーネさんの言葉を受け取ると面を上げて薄いベール越しに彼女の端整な顔を見つめつつ話す。
「あぁ――……。御二人共そういった行為は専門外ですからねぇ。ランドルトは言っていましたよ?? 私にこういった大役は似合わないって」
ハーピー一族を束ねる女王の間で狼狽える彼の姿を想像すると少しだけ強張っていた双肩の力がフっと抜けて行く感覚を捉える。
「ハンナさんもそんな感じでしたね。何故俺が貴様の見届け役を務めなければならないのだ!! って」
先日、ダンさんが挙式の段取りを決めている最中にそう叫んでいたっけ。
四角四面なハンナさんには不釣り合いかも知れませんがダンさんは恐らく……、ううん。見届け役はハンナさんじゃなきゃ駄目だと考えて無理を承知で頼んだのでしょう。
血は繋がっていなくとも本物の家族以上の絆で結ばれている彼に見届けて貰いたかったのだ。
「あはっ!! あの彼が狼狽える姿は是非とも見たかったですね」
レオーネさんが口角をこれでもかと上げて笑みを浮かべる。
「恐らく式の途中で岩の様に固まった表情を浮かべると思いますが、どうか大笑いせず柔和な笑みで流して頂ければ幸いかと」
周囲から湧き起こる笑みで固まってしまえば式の進行が滞る処か、一旦中断せざるを得ない状況に陥ってしまいますからねっ。
でもそれら全てが良い思い出になり、いつか己が生きて来た人生という道を振り返ると陽性な感情を抱かせてくれるのだ。
「分かりました!! どうですか!? 生徒の皆さん。本日の主役さんのドレス姿は!!」
ハーピーの女王様が部屋の方々で足を休めている生徒達に向かって意見を問う。
「中々良い感じよ!! 龍一族の中で最も感性に優れている私が言うんだから間違いなしッ!!」
「それはお主のしゅかんじゃろうが。マリル先生、良く似合っているぞ」
「わたしもシュレン先生とけっこんするときはかわいいドレスをきる」
「本当に良く似合っていますわ。そのドレスは恐らくマリル先生に着られる為に生まれて来たのでしょう」
「ん――……。まぁまぁなんだけどさぁ。胸部分がちょぉっと足りない感じだし。今からでも遅くないからもう少し盛っておく!?」
生徒達の反応は概ね良好なのですが、陽性な感情を抱かせてくれる台詞の中で決して聞き逃すべきではない台詞を捉えてしまった。
「皆、有難うね。そろそろ時間だから外に出なさい。後エルザード?? 今の発言は決して軽くは無いので挙式の後、一緒に術式の構築に勤しみましょうか」
「えぇぇええ――――ッ!? 何で晴れ舞台の日にキツイ指導を受けなきゃいけないのよ!!」
「なはは!! 身から出たワサビという奴じゃよ!!」
「ば――か。それを言うなら身から出た錆よ。何?? あんたの頭の中には脳味噌じゃなくて腐った山葵でも詰まっているの??」
「こ、こ、この腐れ淫魔めが!! わしが貴様を成敗……。むぅっ!?」
「はぁ――い、可愛いじゃれ合いはそこまでっ。私達は外に出て待っていますね――!!」
「放せ――――ッ!!!!」
今にもエルザードに襲い掛かろうとするイスハをフィロが御すと素敵な音が鳴り続けている式場へと向かって引きずって行った。
「それじゃ私も外に出ていますねっ」
「えぇ、宜しくお願いします」
本日も相変わらず素敵な喧噪を振り撒く生徒達の背を追う様にレオーネさんが部屋から退出すると鼓膜がキンっと痛くなってしまう様な静謐が漂い始める。
いえ、少し訂正しましょう。
静謐という言葉では無く浜に打ち寄せて来るさざ波の様に、静けさの中に言葉の数々が押し寄せては引いて行く感じですね。
『ほぉ……。相変わらず鍛えている様ですな』
『その鍛え抜かれた腕の筋力……。ランドルト殿も厳しい稽古の中に身を置いているのだな。今度時間があれば剣を交えてみたいぞ』
『宜しいので?? 実は現在、先の戦闘が行われた島で里の者を鍛えて居るのです。其方が宜しければ是非とも彼等に、そして私に指導を施して頂けたら幸いですね』
『お腹空いた――。ねぇ、ダン。先生が来るまで後ちょっとだし、その間につまみ食いしても良い??』
『駄目に決まってんだろ。そんな事したら後でドきつい指導が降りかかって来るぞ』
『少しなら構わんじゃろうが!! わしは朝から忙しくてなにも口にしておらぬのだぞ!?』
『だ――!! 止めろ!! それ以上近付くな!!!!』
『シュレン先生。わたしもドレスをきたらにあうかな??』
『世の中には分相応という言葉がある。お主がドレスを着るのは時期尚早だと万人が口を揃えて言うだろうな』
『…………っ』
『うっわ、シュレン先生。ミルを泣かせたわね』
『これはもう……、責任を取る為に彼女を引き取るべきですわ』
『そ、それとこれは関係無いだろう!!!!』
『ギャハハ!! んだよシューちゃん!! 戦う事は出来ても女の子を扱う事は出来ねぇってか!?』
ふふ、母屋の壁程度の厚さじゃ彼等の喧噪を防ぐ事は叶わないようですね。静けさの中に混ざるダンさん達の陽性な会話が私の心を何処までも温めてくれる。
もしも私の願いが叶うのであればこの素敵な明るさが一生消えません様に。そしていつまでもこの明るさの中で暮らして行きたいです……。
この世に存在せぬ神々に対して慎ましい願いを心の中で唱えていると。
「――――。マリル殿、時間ですよ」
ランドルトさんが大変たどたどしい所作で扉を開けて挙式の始まりを告げてくれた。
い、いよいよですか。
「ふぅっ……」
急激に上昇した拍動を抑える為。
胸の辺りに右手を添えて静かに呼吸を続けるものの、小説の中で主人公達の前に現れた強大な敵と対峙する時の様な強烈な緊張感は消えずに心の中で渦巻きうねり続けてしまう。
花嫁とは一見華やかな挙式の主人公にも映りますが当の本人達は皆等しくこの様な緊張感を抱いているのですね。
花嫁という立場に立って初めて理解しましたよ……。
「かなり緊張している御様子ですね」
私の心の空模様を見透かしたかの様にランドルトさんが優しい声色で話し掛けてくれる。
「かなりという言葉では到底足りない程に緊張していますよ」
「はは、その緊張感は今日という特別な日を迎えた者にのみ起こる事象です。マリル殿の固まった表情を捉えた者達は皆等しく笑みを浮かべるでしょう」
誰だってガチガチに緊張した花嫁が登場すれば自ずと口角が上がってしまう事ですものねっ。
「そうですねぇ……。ダンさんの顔だけを見つめていれば心の硬度は幾分か和らぐと思いますよ?? 彼もまたマリル殿と同じく緊張していましたので」
「そうなのですか??」
「えぇ、それはもう……。彼の皮膚は鉄で出来ているのかと錯覚してしまった程ですから」
「ふふっ、それは是非ともこの目に焼き付けてみたいですね」
お互いに極度の緊張感を抱いたまま式を迎え周りの者が私達の姿を捉えて陽性な笑い声を放つ。
様々な口から放たれるのは揶揄、祝福の数々。
今はそれら全てを、余裕を持って受け止める事は出来ませんが……。時が経ち心に余裕が生まれるとその時を思い出して笑い話へと変化する。
式場に居る全員とこの歯痒くも全く痛くない素敵で不思議な思い出を共有出来る事が花嫁の特権なのかも知れませんね。
「そうそう、ダンさんが御覧になられたいのはその笑みですよ。これ以上の遅延は挙式の進行に関わりますので……」
「分かりました。それでは参りましょうか」
ランドルトさんのいつもよりちょっとだけ硬い笑みを受け取ると重い腰を上げて皆が待つ扉の向こう側へと進む。
一歩、また一歩進む度に心臓が痛い位に鳴り響く。
でも……。全然痛くない。寧ろずっと感じていたい嬉しい心臓の叫び声だ。
「皆様!! お待たせしました!! 花嫁の登場で御座います!!!! 素敵な拍手でお迎え下さい!!!!」
先に扉の向こう側へと出たランドルトさんの覇気のある声が森と室内に響くと。
「「「「ワァァアアアアアアッ!!!!」」」」
周囲の森の木々で翼を休めていた鳥達が羽ばたいてしまう祝福の音が轟いた。
さ、さぁ行きましょうか……。安心しなさい。何も凶悪な敵を倒す訳じゃないのですからね。
ギギっと耳障りな音を放つ錆び付いた鉄の様な硬度に変化してしまった右腕を懸命に動かして扉に手を掛けて外の空気を室内に迎えると、思わず上半身が仰け反ってしまう拍手が襲い掛かって来た。
「「「「ッ!!!!」」」」
と、取り敢えず手筈通りお辞儀をしませんと……。
「……」
誰に対して放っているのか分かりませんが祝福の音を奏でてくれる式場に居る全員に対して静かに頭を垂れる。
そして自分でもちょっとだけ引いてしまう角度のお辞儀を解除すると、意を決して今も激しい音の波を奏でる万雷の拍手の中へと飛び込んで行ったのだった。
お疲れ様でした。
現在後半部分の執筆、編集作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。




