第二百五十話 大事の前の小事 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
体内の肺ちゃんが喜々として喜ぶ清涼且澄んだ森の空気と違い、俺達を取り巻く今現在の空気は人々が踏み鳴らす石畳から巻き起こる埃と微かな塵が含まれたモノであり肺ちゃんは。
『こんな空気要らないっ!!』 と。
声を大にして森の空気を所望しており両足も肺ちゃんの意見に頷き踵を返そうとしているのだが、それを強烈な意思で制御して目的地へと進んで行く。
アイリス大陸一番の大都会であり王都でもあるレイモンドの主大通り沿いには数えるのも億劫になる人々が蠢き、車道には今も沢山の馬車や沢山の物資を乗せた荷馬車が北へ南へとせわしなく移動し続けている。
レイモンドの人口は確かぁ……、三十万人を優に超えているので南のリーネン大陸の王都とほぼ同じ規模だ。
規模は同じでも密度的にはこっちの方が楽かな。
向こうの王都で跋扈しているのは大蜥蜴が主であり彼等が肩を並べて歩けばもうそれだけで人口密度がギュンっと上昇して人の姿で歩いている俺達は肩を窄めて歩かなければならないが、此処レイモンドで歩道の大半を占めているのは人若しくは人の姿をしている魔物なので密度的には楽に歩ける。
只、向こうに比べれば楽なだけでありこの密度に不慣れな者或いは人混みが嫌いな者にとってこの歩道は苦行に相当するのである。
「あっつ――……。ねぇ、この人混み何んとかならないの??」
徐々に縦に伸びつつある隊の後方からフィロの苦言が耳に届く。
「先生が超強烈な魔法を詠唱して歩道上の人間と魔物達を一掃すれば歩き易くなるわね。でもどうせしないだろうし、試しに私が魔力を上昇させてこのうざったい密度を少しでも緩和してあげましょうか??」
「エルザード、冗談でもそんな事を言っちゃ駄目よ?? ほら、よく見て御覧なさい。こうして人々は文化を後世に紡ぎ発展させているのよ」
エルザードの恐ろしい発言に対し、マリルさんが隊の雰囲気を少しでも良い方向へ向けようとして柔和な声を出す。
彼女の声につられてそこかしこに視線を送ると。
「いらっしゃいませ――!! 当店自慢の甘味を享受して行きませんか!! 井戸で冷やした甘い西瓜は絶品ですよ――!!」
「うちの陶器は他所と違って使い易さ抜群!! 滑らかな手触りに手に吸い付く感触に感動する事間違い無し!!!!」
「皆さんお腹が空いていませんか――!! うちのパンでお腹を満たしてあつぅい夏を乗り気ましょう!!!!」
南大通り沿いには膨大な数の店が歩道沿いに併設されており、軒先に出た店員さん達が北へ南へと向かう人々の注目を少しでも集めようとして声を枯らし汗を流しながら客引きを行っている。
イイ感じに経年劣化した木造建築物から漂う小麦が焼ける香り、近くの田畑で採取された季節の野菜の生の匂い、そして店の硝子越しに映る中々に価値の高そうな陶器の数々。
歩いているだけでも嗅覚だけじゃなくて視覚も楽しませてくれるのは流石、大陸一の大都会であると納得出来るものさ。
唯一の不満点は人の多さだけ。
それを我慢出来れば素晴らしい効用を与えてくれるのだが、我慢出来ぬ者にとっては只の苦行である様だ。
「くそ……。人の往来が邪魔過ぎて真面に歩けないぞ」
俺の直ぐ左隣。
視線一つで心の弱い者なら気絶させられるであろう眼力を放つ相棒が舌打ちと共に巨大な溜息を吐く。
コイツはリーネン大陸でも人混みに対して悪態を付いていたし、少しは慣れたかと思いきや全然慣れていない様子だ。
「んだよ、ハンナ。相変わらず人混みが苦手なのか?? んひょう!! ダン!! 今の子見たか!? すんげぇ巨乳だったぞ!!!!」
右前足で俺の頭を無意味にペシペシと叩くフウタがそう話すと。
「某もこの人混みは苦手だ。ダン、すまぬな。懐を借りて」
お尻の可愛い鼠ちゃんが上着の懐からニュっと顔を覗かせて礼を述べてくれた。
「これを慣れる方がどうかしているぞ」
「お前さんは田舎生まれの田舎育ちだからなぁ――」
さてさて!! 上下にたわわぁんっと動くお胸ちゃんを探しましょうかね!!
心此処に在らず。
そんな感じで気の抜けた台詞を吐きつつフウタが見つけてくれたお胸ちゃんの大きな女性を探そうとして後方に視線を送ると。
「……ッ」
「ひゃぁっ!?」
大変こわぁい顔を浮かべているマリルさんとバッチリ目が合ってしまった。
こ、こっわぁ……。何、あれ。視線だけで人を呪える奴じゃん。
「お、おほん!! さて皆さん!! 我々はもう間も無くそれぞれの目的地付近に到着しますので隊を分けようかと思います!!」
東西南北に広く伸びる主大通りが交わる街の中央へと視線を移しつつ先程の失態を誤魔化す様に敢えて大きな声を上げた。
畜生……。双肩の筋力を困らせる双丘を持つカワイ子ちゃんがどんどん遠ざかって行くぅ……。
何で視線で追っただけで呪われそうな視線を受けなきゃならないのだ。
「分かりました。私達は式用の服を購入してきますねっ」
普段通りの声色でマリルさんがそう話すがよぉぉ――く聞くと語尾や言葉の節々に棘がある。
ちょっとだけカワイ子ちゃんに目移りしただけで肝が大変冷えてしまう冷徹な視線を浴びせられてしまう。
もしも、綺麗なお姉さんに声を掛けて手を繋ぎましょう等とふざけた要求をしたのなら俺の体は恐らく上空一万メートルまで送られ恐怖の自由落下を体験してしまうだろうさ。
あぁ、結婚というのは本当に恐ろしい拘束魔法だぜ。
これからずっと目に見えぬ鎖に拘束され続けてしまうのかと思うとちょいとばかし肩身が狭い思いを抱くが……。
「退いて退いて――!!!! 荷物の運搬の邪魔だよ――――!!!!」
「先生!! アレは何じゃ!! 足の超速い黒猫が氷箱を運んで行ったぞ!!」
「あっちはみけねこだった」
「あれは大陸各地で大活躍する黒猫運送の従業員ですよ。あの氷箱の中にはイーストポートから凍らせた魚が入っています。魚だけじゃなくて手紙や小さな物等々、多岐に渡る荷物を各地へと送り届けているのです。彼等が居なければ流通が滞り経済に打撃を与える事でしょう」
「へぇ――。生活の根幹に魔物の力が影響しているのねぇ。人間だけの力じゃあ発展にも限界があるものね」
「エルザード、魔物は人間と違い身体能力や魔力に優れています。それを最大限活用して人間達と共に経済や文化を発展させているのです。我々魔物が力を翳せば人間達を制圧するのは容易い。しかし、我々の力はそういった蛮行に決して使用されるべきではない。共に手を取り合い明るい未来へと向かうべきなのですよ??」
「はいはい、その言葉は耳にタコよ。私達淫魔にとって人間は只の餌兼生殖道具だと思っていたけどこうして文化を目の当たりにすると先生の言っている事も強ち間違いじゃあないなっと思ったわね」
「ふふっ、それは良かった。貴方達が私達の手を離れて巣立って行くその時。私の考えをもっと深く理解してくれれば幸いね」
マリルさんの温かな表情を見つめると家族ってのも悪くないなぁっと頭では無くて心が判断してしまった。
人生の先輩の誰かが結婚は人生の墓場、終着点、汚点だと声を大にして叫んでいたがそれは恐らく幸せの定義の相違から生まれる言葉なのだろう。
ある男は自由に行動出来る事を幸せの定義だと位置付け、ある女は金銭的余裕を幸せの定義だと位置づける。
この場合、男は行動範囲を広げる為に金銭を得ようとし女は余裕を持って暮らそうとして金銭を確保しようとする。
男はもっと自由な時間をくれと叫び、女はもっと金銭を蓄えよと叫ぶ。
こうした幸せの定義の相違が結婚という人生の出来事を悪いモノであると決定付けてしまうのだ。
俺もこの例に嵌らぬ様、今の内に彼女の幸せの定義をしっかりと咀嚼して反芻しようとしますかね。
そうじゃないと上空一万メートルじゃあなくて海底一万メートルという地獄すら生温い水圧下に送られてしまう蓋然性があるので……。
「……」
俺がさり気なぁくマリルさんの御顔に視線を送ると。
「……っ」
彼女は頭上で光り輝く太陽にも負けずとも劣らない明るい笑みを送ってくれた。
う、うぅむ……。今のニコっていう笑みはどういう意味でしょう。
『先程程度の横着なら許容範囲ですよ??』 という意味なのか。将又。
『それ以上の行動は決して許しませんよ??』 という意味なのか。
これから家庭を持つ身として妻の感情を表情一つで汲まなければならないので微妙な判定を看破出来る様に精進して行きましょうかね。
「じゃあ俺達はこっちに用があるので」
東方向に伸び行く広大な主大通りへと視線を向ける。
向こうも向こうで馬鹿みたいに人通りが多いな……。相棒が狭さでプチっと切れない様にしっかりと手綱を握らないと。
「では私達は此方ですので。集合時間は予定通り、午後四時頃に南門を出た所で集合しましょう」
「了解ですっ。危ない人について行っちゃあ駄目ですからね??」
揶揄いがてら右の口角をニっと上げてあげると。
「ふふっ、そちらも女性ばかりに目を送っていたら駄目ですよ」
マリルさんは俺よりも的確な揶揄いを正中線のド真ん中にぶち込んで来た。
「え、えぇ。善処致します」
別れ際まで釘を差されるって……。俺ってそんなに信用無いのかしらね。
「なはは!! 先生の言う通りじゃ!! お主は女性に目がないからのぉ!!」
「そこの馬鹿狐。阿保みたいに笑っていないでさっさと行くわよ」
「誰が阿保じゃ!! このクサれ淫魔が!!!!」
あっちもあっちで苦労しそうだなぁ。心労祟ってマリルさんが倒れなきゃいいけど。
「おう!! いつまでぼ――っと突っ立ってんだ!! 此処で立っていても物は買えねぇんだぞ!?」
「はいはい、それじゃあ行きましょうかね――」
「元気がねぇ!! もっと覇気ある声で応えろや!!!!」
「はぁ――い!! それでは皆さん!! 慌てないで通行して下さいね――!!」
俺の頭を無意味にペシペシと叩く変態鼠の反応もそこそこにすると交通整理の兄ちゃんの指示に従い街の中央を横断。
南大通りと然程変わらぬ人通りが蠢く東大通りの歩道をのんびりとした歩調で進んで行く。
「ダン、貴様は一体何処へ向かっているのだ」
相棒が店先に置かれている夏の果実に視線を置きつつ問う。
「ん?? 俺が向かっているのは大通り沿いの装飾店じゃあなくて一本、二本裏路地に入った店なんだけどさ。その店は通り沿いに比べて二割、三割安いんだよ」
恐らく、というか確実に店の土地代やら賃借料等で通り沿いの品はまぁまぁ値が張ってしまう。
それに比べて裏路地の店は賃借料を抑えられる為、通り沿いの店よりも安く客に提供出来る。
最寄りの店よりも態々数十分歩かなきゃいけないけどもこれからの生活を考えると節約は必至なのさ。
まぁお金が無くなってもリーネン大陸に戻ってグレイオス隊長かゼェイラさんに幾らか工面しておくれと頼めば大丈夫なんだけども、俺と相棒が立ち寄ったのなら必ず引き留められてしまうので可能であれば今あるお金で色々と工面すべきだ。
「余所者はついつい身近な店に足を運んじまうだろうしなぁ。んひょう!! ダン!! アレ!! アレを見ろって!! すんげぇ良いお尻のカワイ子ちゃんだぞ!!」
何ですと!?
「何処……、ってぇ!! 相棒!! 街中で剣を抜くんじゃない!!」
フウタの声に従い振り返ろうとすると相棒が目にも留まらぬ速さで抜剣して鋭い切っ先を俺の喉元に当ててしまった。
何度経験してもこ、この鉄のヒヤリとした感触は慣れる気がしねぇよ。
「貴様が馬鹿な行為に及ぶ前に止めてやったのだ」
感謝しろと言わんばかりにそう話すと静かに剣を左腰に収めてくれる。
「あ、あのねぇ。止めようとするなら言葉でもいいじゃん。ほらお前さんの行為で周囲の人々がびっくりした顔を浮かべているだろう??」
「「「……ッ」」」
普通の人よりも頭一つ大きな背の男性が突如として剣を引き抜いて隣の男性の喉元に付き付ければ誰だって驚愕の表情を浮かべるであろう。
「はぁっ……。すっごい美男子ねぇ……」
「う、うん。あれだけカッコイイ人なんて早々見かけないものね……」
基。
一部の女性陣を除いた人々は今も瞳に驚愕の色を深く滲ませて彼の無駄にデカイ背を見つめていた。
「大体、この人混みを通ってまでその指輪を買う必要はあったのか??」
相棒が真正面からずぅっと途切れずに流れて来る人の波を睨みつつ話す。
彼が睨みを効かせてくれるお陰で人の波が左右に分かれてくれるので多少は歩き易い。可能であればその鋭角な眉の角度とこわぁい目を維持して貰いたいものさ。
「前にも言っただろ?? この大陸には結婚する際に相手の薬指に嵌める指輪を贈る習慣があるって」
「だったら俺が付いてくる必要も無かっただろうに……」
この子ったら……。いつになったら団体行動に慣れるのかしらねぇ。
「まぁそうブスっとした顔を浮かべるなよ。ついでだしさ、お前さん達にも指輪を買ってやるから」
買い物に付き合ってくれたお駄賃じゃあないけどもその代わりに品を贈るのも悪くない考えだし。
「俺様の故郷にはそういう風習はないけどよぉ――。まっ、あったらあったで使うかも知れないし。貰っておくかぁ」
俺の提案に対しフウタは好感触。
対し。
「俺は要らん」
「某も不要だ」
堅物二人は首を縦に振ろうとはしなかった。
「相棒、故郷に帰った時にクルリちゃんに指輪を贈ったらきっと喜んでくれると思うぜ?? ほら、お土産だ――とかいってついでに渡しちゃえばいいんだよ」
「むっ……。それなら……、まぁ……」
「それとシュレン。お前さんもいつか想う人が現れるかも知れないし。こういった物は一つや二つ持っておくと便利だぜ??」
「そ、そうか……。それなら所望しよう」
全く、堅物野郎の首を縦に振らせるのは苦労するぜ……。
大体、驕ってやるって言ってんだから素直に有難うって言えばいいのにさ。
「あっちのカワイ子ちゃんのお胸はまぁまぁでぇ……。ン゛ッ!?!? 本日最高峰の標高を持つお姉ちゃんはっっっっけ――ん!!!!」
「ど、どこだ!? ってぇ!! 流石に胴体に突き刺しちゃあ駄目――――ッ!!!!」
「ッ!!!!」
左隣から強襲した恐ろしい鉄の塊を命辛々回避すると両目に大粒の涙を浮かべて大都会の中には不釣り合いな大絶叫を放ったのだった。
お疲れ様でした。
これから後半部分の執筆並びに編集作業に取り掛かります。
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