第二百四十九話 彼の名は その二
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。
七ノ月の太陽の光量の強さは只じぃっとしているだけでも体力を悪戯に削り肌を焦がす。
その威力はリーネン大陸のそれに比べれば可愛いモノ。しかし嘗めて掛かると夏バテという大病の元となる病を罹患してしまうが……。
森の木々や枝の葉が太陽光を遮り快適な温度と湿度を保ってくれるので此処ではその心配は無用の長物だ。
一呼吸すれば心が安らぎ、二呼吸すれば体の疲労が和らぐ。清らかな森が放つ空気は目に見えぬが素晴らしい効用を体に与えてくれる。
乙女の純白にも勝るとも劣らない清らかな空気と大変穏やかな気候と湿度。
俺達はそんな素敵な天然自然に囲まれた中で生活を続けているのですが、本日はちょいと勝手が違う。
「ったく。歴戦の種馬もドン引く命中率だよなぁ」
頭上の鼠が重い溜息混じりに話し。
「貴様の手癖の悪さがマリル殿に迷惑を掛けているのだぞ」
真正面の相棒が目元をキッと尖らせて俺を睨み。
「某もハンナの意見に同意しよう。将来を鑑みず行動した結果がこれだ」
お尻がやたら可愛い鼠ちゃんが真っ黒のお目目で俺を見上げて苦言を吐いた。
「い、いやぁ――。まさかこんな短期間でデキると思わないじゃん?? そ、それにあぁいった雰囲気の中で断るのは男として情けないというかぁ……。女々しいというか?? 兎に角!! 俺に過失は無くこれは避ける事が出来なかった運命だと思う訳です、はい」
素敵な空気と環境の森の中とは違い、俺達が過ごす簡易家屋の中の空気は一触即発の空気によく似た殺伐としたモノが漂っていた。
数多多くの悪鬼羅刹をぶった切って来た歴戦の勇士をも慄かせる圧を放つ二人に睨まれたら誰だって尻窄んじまうって……。
「んで?? お前さんはこれからどうするつもりだ?? ってかこの焼き菓子うっまっ!!」
俺の頭の上で器用に前歯を動かしつつ焼き菓子を齧り続けているフウタが問う。
「俺としては取り敢えず子供が生まれるまでは此処から動けないから……。そうだなぁ、子供が生まれて暫くの間は皆と一緒に生活を続けようと考えているぞ」
あの地図の最後の印の謎は解けていないが取り敢えず目ぼしい場所の調査は終えたし。
それと何より、子供を置いて世界中を旅するってのは父親失格だと思うんだよね。
「皆……。それはつまり某やフィロ達という意味で合っているか??」
二枚目の焼き菓子を器用に前足で掴むシュレンが話す。
「あぁ合っているよ」
ってか器用に掴むね?? お前さんの体よりも一回り大きな焼き菓子だぞ??
「貴様は忘れているかも知れないが俺は二年という期間を得て旅を続けている。来年の夏頃には一度里に帰らなければならないのだ」
「忘れていねぇよ。だからさ、子供が生まれてから此処で暫く暮らして。んで一旦ハンナの里へ戻る。それからの行動は未定って感じかな??」
腕を組みつつ何も存在しない宙を見つめてそう話した。
「それが妥当な線かぁ。俺様達も暫くの間は一緒に居られるけどよ、区切りが一旦ついたらカムリに帰らなきゃいけないし」
フウタが頭上から肩口に降り、そして俺達が形成する輪の中央に鎮座している焼き菓子に向かってタタっと駆けて行き。
「へへ、止まらねぇや」
俺の頭上に再び戻るとカリカリカリカリという耳障りな音を奏でつつ咀嚼を再開させた。
「お主の未来予想図は理解出来た。しかし、地図の印の調査はどうするのだ??」
焼き菓子の半分を平らげたシュレンが小さな鼻をヒクヒクと動かしつつ問う。
まだまだ舌が甘味を欲しているのか、小さな口から時折舌がペロっと現れて口回りに付いて居る焼き菓子の残り滓を舐め取っている。
「それは育児と同時進行で進めるよ。ある程度の調査は終えたけども手がかりが全く無い状況だし、手探りで進めなきゃいけないんだよねぇ――……」
足をだらしなく投げ出して様々な感情を籠めた吐息を吐き尽くした。
マリルさんはこの地に化け物の様な存在は一切確認出来ないと言っていた。俺達がこれまでに調査した場所には必ずと言って良い程ヤベェ奴等が居たって言うのに……。
つまり、最後の丸印は化け物とか魑魅魍魎とかの類では無くそれ以外の存在がこの素敵な森の中に居るのでは無いでしょうかね??
それだとマリルさんが言っていた事と矛盾しないし、地図の印の形が違うのも納得出来る。
只、この森を調査しようにも面積が広大過ぎて何処から手を付けて良いのやら……。
最初の一歩さえも踏み出せぬ状況が続いているのですよっと。
「滅魔の類が存在しないとなると……。それ以外の存在を印したのではないか??」
相棒が四枚目の焼き菓子を勢い良く齧りつつ尋ねて来る。
「俺も今、それを考えていた所だよ。取り敢えず一段落したら西側からゆ――くりと調査しようぜ。勿論?? お前さん達の目的である訓練と強さを求める事も忘れていないから安心しろよ」
「了承した。では暫くの間はこれまで通りという事だな??」
「そういう事。何か悪いな……。お前さん達の予定を急に狂わせちゃって……」
口の中で焼き菓子の甘さを反芻しているのであろう。
小さな顎を懸命にモゴモゴと動かしているシュレンに向かってそう言ってやった。
新しい命を授かる事自体に何も後ろめいた思いは無い、しかし相棒達の進むべき道の妨げになるのでは無いかという思いがここ数日俺の心をモヤモヤとさせているんだよねぇ。
だが、話を聞いている分には彼等も俺の子供に興味津々の様で??
「ダンの子供か――。一体どんな奴に育つんだろうな??」
「先ずは基礎鍛錬の繰り返しだな。基礎体力があればその後の厳しい訓練にも耐えられる筈だ」
「その意見には同意だ。シュレンが基礎鍛錬を、俺が細かい技術指導を担当しよう」
未だ見ぬ子供に想いを膨らませてアレコレと想像に耽っているのが良い証拠さ。
色々想像するのは勝手だけどね?? 俺の子供に滅茶苦茶な指導を施そうとするのなら絶対止めてやっからな??
それにそっち方面に興味が無い子供だったらどうするんだよ。
毎日毎日鍛えられて居たらいつかグレちまうだろうし……。
早くも親馬鹿が発動してしまいそうな意見の交換を交わしている三名の野郎に何とも言えない気持ちを籠めた視線を向けていると、簡易家屋のやっすぅい扉が強烈な音を立てて開かれた。
「おっじゃましま――っす!!!!」
「じゃまするぞ!!」
此処は貴女達の実家でも無くて俺達のお家なのよ??
もう少し嫋やかにそして慎みを持って扉を開けなさいっ。
「お帰り。もう走り込みは終わったのかい??」
大量の汗を額から流すフィロとイスハにそう言ってやった。
雀も寝惚けている早朝。
眠気眼の生徒達に相棒がと――っても怖い顔で数時間の走り込みを強要した。
その理由は何でも??
『今日は俺がマリル殿から指導を持つ様に頼まれている。最近、貴様等の足腰の弱さが気に入らん。だから今日の訓練は日が頂点に昇る頃まで走って来い』
基礎中の基礎の体力不足が否めない、だそうな。
当然生徒達からの文句は必至。
『『『えぇ――ッ!?!?』』』
フィロ、イスハ、エルザードから文句の声が出て来ると相棒の眉の角度が更に鋭角になり武士も慄く圧を身に纏った。
『文句があるのならこの場で叩き潰す。途中まで俺が飛んでついて行くからな?? 楽をしようなどと思うなよ!!!!』
生徒達が南へ向かって走って行くその頭上で数時間監視を続け、彼は踵を返すと一足早く帰還。
俺達と合流をし終えると簡易家屋内で男達だけの相談事に参加していたのですっ。
「疲れ過ぎて死にそうよ!!」
「そうじゃな!! じゃがまだまだ走れそうじゃ!!」
へぇ、何時間も走って来たのにこの二人にはまだまだ余裕が見受けられるな。
隊の前衛を務める者は嫌でも体力を必要とする行動を強要されるのでコイツ等はその最低限の体力を備えていると思った方が良いのかもね。
「ってか男同士で何を話していたのよ?? アァァアアアアッ!! その焼き菓子は何!?」
「わしは腹ペコじゃからな!! 一つ貰うぞ!!!!」
「相棒と街に出掛けた時に買った奴だよ。それよりも他の三名はまだ到着していないのかい??」
物凄い勢いで焼き菓子を二つ三つ強奪して行ったお馬鹿さん二人に問う。
「ふぉ?? そうふぃえば遅いふぁね」
「あふぁつらはあしこふぃが軟弱ふぁからのぉ」
「物を口の中に詰めながら話すんじゃねぇよ」
頭上のフウタが呆れた口調でそう話すととても小さな音を立てて扉が開かれた。
「只今戻りましたわ」
「はぁ――っ!! 最悪ッ!! 何で私が馬鹿みたいに走らなきゃいけないのよ!!」
「ふぅ――……。もううごけない」
体力馬鹿二人から遅れて約十分後に残りの生徒三名が簡易家屋に帰還。
疲労の証拠である大量の汗をしっとりと濡れた手拭いで拭きつつ室内に入ると筋疲労が残る足を休める為に力無く床に座り込んだ。
「おふぁえり――。随分とおそふぁったじゃない」
フィロが焼き菓子を食みながら今も息も絶え絶えのエルザードに対してのんびりとした口調で話す。
「あんた達が馬鹿みたいに速過ぎるのよ」
「きたえ足りないしょうこじゃよ――」
「はぁ――……。頭に栄養を送る代わりに体に力を与えているから速いんでしょ。あっ、そっか――。だから馬鹿なんだ――」
「き、きさまぁ!! 言って良い事と悪い事があるじゃろうが!!!!」
走り込みを終えたばかりだというのに三本の尻尾をフッサフサと揺らす元気一杯な少女が激昂するものの、淫魔のお子ちゃまはどこ吹く風。
「おっそ――……。はぁ、まだまだ暑さが取れないわ」
エルザードが風に揺れる柳の様にイスハの怒りを受け流すと我関せずといった感じで右手の平で熱が残る顔にパタパタと風を送り続けていた。
また始まった……。マリルさんが居ないとコイツ等はす――ぐに暴れるから質が悪いんだよねぇ。
彼女達の指導者である彼女は現在ハーピーの里に主張中なのでその代わりじゃあないけども、強面白頭鷲ちゃんがいつもより三割増しで眉の角度を尖らせて指導者らしい言葉を投げかけた。
「貴様等、少し静かにしろ」
「はいはいっと。んで?? 野郎共四人が揃って何の話をしていたのよ」
エルザードが竹製の水筒から水分を補給しつつ問う。
「俺達のこれからの行動について色々相談していたんだよ」
「あ――、そっか。ダン達は武者修行の途中だったわね。マリル先生を孕ませて好き勝手に行動出来なくなったから話し合いをしていたのね」
あっと言う間に焼き菓子を食べ終えたフィロがそう話す。
「そういう事。マリルさんはレオーネさんに色々と報告やら助産師の紹介をして貰いに行っているし……。今の内に行動を決めようとしていたのさ」
「ハンナ先生。これからの行動はお決まりになりましたか??」
フォレインが相棒の直ぐ側に座り直すと彼の横顔だけを直視しつつ問う。
「あぁ俺達は暫くの間は此処で己を鍛えつつお前達の指導も務める。そこの馬鹿の子が生まれてもそれに何ら変わりは無い」
馬鹿を付ける必要はあったのかしら??
甚だ疑問が残るばかりですわっ。
「ほっ、よかった。シュレン先生がいなくなったらさみしいもん」
「某もいつかは故郷へ帰る。それまでに某の体を掴む癖を直せ」
「やっ」
お尻の可愛い鼠ちゃんを小さな御手手で包み込む少女の柔らかな笑みを受け取ると心に朗らかな感情が生まれた。
今は同じ道を進んでいるが、シュレンが言った様に俺達はいつかそれぞれの前に現れた道へと進む事となる。
約千年生きると言われている魔物が進むべき道は大変長きに亘るモノとなり、俺達が進んで来た道の距離はそれに比べるととても短い。
しかし、例え短い距離だとしても共に進んで来た道の距離は何事にも代えがたい価値があると思う。
この短くも素敵な道で得た様々な経験を糧にして俺達は独自の道の先にある終着点へと向かって行くのだ。
「んで?? そこの甲斐性無しの種馬。マリル先生との結婚式の段取りはどうなってんのよ」
フィロが休日の居間で寛ぐお父さんの姿を模して俺を睨む。
「結婚式用の礼服は持っているから問題無いんだけど……。問題なのは指輪かな??」
南のリーネン大陸で大蜥蜴の王様と謁見した時に着用した礼服を着れば問題無いのですが、此処アイリス大陸では結婚相手に指輪を送る習慣が根強く残っている。
先の狸ちゃん達の件で奴等から巻き上げたお金やリーネン大陸で得た収入のお陰で余裕を持って指輪を購入出来るのだが……。
どういった指輪を彼女に贈ればいいのか現在迷い中なのですっ。
「某達の国ではそんな習慣は無いぞ」
「あぁ、俺の国でも無いな」
「別に贈らなくてもいいんじゃね?? そういった類の装飾品ってすべからく値が張るんだしよ」
「郷に入っては郷に従えと言われている様に習慣に従うべきなんだ。それに指輪を贈る事が男のケジメなんだよ」
頭上で丁寧に毛繕いを続けているフウタの尻を指先で突きつつこういった習慣に無頓着なむさ苦しい野郎共に習わしの大切さを説いてやった。
「相棒、悪いけど時間が出来たら指輪を街に買いに行きたいから付き合ってくれるかい??」
「はぁ――……。面倒だが付き合おう」
此処は友人の結婚を祝う為に喜んで頷く場面なんですよ??
今の溜め息は必要なかったと思いますっ。
「じゃあ私達はマリル先生と一緒に結婚式用のドレスを買いに行きましょう!!」
フィロが笑みを浮かべつつポンっと柏手を打つ。
「何で私達も行かなきゃいけないのよ」
「ほら、先生の服を選ぶ感覚って壊滅的じゃん?? だから私達が一肌脱ぐのよ」
渋るエルザードに唐紅の髪女性がそう話すと。
「「「「あぁ――…………」」」」
この場にいるほぼ全員が彼女に同意の息を与えた。
結婚式の主役が冒険者丸出しの格好で登場したら式場に招かれた客達は全員目を丸くしちゃうだろうし……。
その蓋然性を払拭する為にもフィロの言う通りに行動した方が賢明だよな。
どうせなら俺も可愛くて綺麗なマリルさんの左手の薬指に指輪を嵌めたいもの。
「じゃあそっちは任せるよ」
「了解――っと」
さて!! これからのある程度の行動は決めた事ですし、腹を空かした雛鳥の昼食を用意しましょうかね。
「っと、急に立つなよな」
「はは、わりっ」
重い腰を上げて扉の方へ向かって行くとエルザードの声が俺の背を叩いた。
「結婚指輪の内側にはさ、誰から誰に贈ったものだっていう証拠として頭文字を刻む風習があるんでしょ?? マリル先生の名前と家族名は知っているけどダンの家族名は何て言うのよ」
「あ――そっか。マリルさんや相棒達は知っているけど、お前さん達は知らないのか」
扉へと向かう足を止めて軽やかに振り返り俺の名を告げてやった。
「俺の名前はダン。ダン=ヘンリクセンだ」
ふふっ、小説の中に出て来る超カッコイイ登場人物が放つ決め台詞みたいに言ってやったぜ。
自己採点で百点満点を付けられるであろう口調と決め顔でそう話すものの。
「普通――過ぎてつまんないわね」
「じゃなぁ。もっと凝った名前かと思ったぞ」
「普遍的な家族名ですわね」
「シュレン先生のなまえのほうがかっこいい」
「特徴が無さ過ぎて秒で忘れそうな家族名じゃん」
生徒達から返って来たのは辛辣な台詞の数々であった。
「はいはい!! ど――せ俺の家族名は普通過ぎてつまらないですよ!!」
今は亡き両親から受け継いだ名前を馬鹿にされれば誰だって憤るだろうさ。
「あはは!! ごめんって。普通過ぎる家族名だったからつい揶揄っちゃったのよ」
「ちっ、昼飯が出来たら呼ぶから直ぐに来なさいよね!!!!」
ケラケラと警戒に笑う生徒達を尻目に簡易家屋の扉を開いて清涼な空気が漂う外に出た。
はぁ――、木々の合間から覗く太陽ちゃんも苦笑いを浮かべている様に見えるぜ。
『彼女達はまだ幼いが故、大目に見てやれ』
分かっていますよ――っと。
指導者の立場である俺は我慢をしなきゃいけないって事もね!!
「おい!! 早く飯を作れって!! あぁんなちゃちな焼き菓子じゃ俺様の腹は満たされないんだからな!!
「……っ」
「無視かコラ!? 俺様の有難い言葉を無視するとは一体どういう了見なんだよ!!!!」
とても小さな右前足で俺の頭を無意味にペシペシペシペシ叩く阿保鼠の言葉を無視しつつ、清らかな空気が漂う森の空気を突っ切って母屋へと向かって行ったのだった。
お疲れ様でした。
過去編の投稿を始めてよ――――やく!! 過去編主人公のフルネームを書く事が出来ました!!
彼の家族名からして、そしてこれまでの話の流れの中でピンっと来た人は多く居ると思います。そう……。彼こそが現代編の主人公の父親であると、本話で確定させる事が出来ました。
何を今更分かり切った事を……。と、考える読者様もいらっしゃる事と思いますが私的にはこの事を確定付ける為にどうしてもこの話を投稿しなければならなかったのです。
さて、お盆休みも終盤に差し掛かり日常が戻って来る読者様もいらっしゃる事と思いますが。充実した御盆を過ごせましたか??
私の場合は……、可もなく不可も無くといった感じでしょうか。新しく購入したZIPPOが先日届きまして、今は自分好みのヒンジ調整に四苦八苦している最中で御座います。そしてお盆休み中は少々羽を伸ばし過ぎまして次話のプロットが全然書けていませんので次の投稿は少し遅れますので予めご了承下さいませ。
いいねをして頂き有難う御座いました!!
それでは皆様、お休みなさいませ。




