第二百四十三話 何事も分相応が大事
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
空の多くは美しい青を探すのが困難になる程の広大な灰色の厚い雲が覆い尽くしている。
曇天。
その言葉が良く似合う空模様の下で普段と然程変わらぬ速度でウォルの街の中を歩み続けているとこの空に不釣り合いな明るい声が俺の鼓膜を刺激した。
「鬱陶しい曇り空だけどよぉ!! カワイ子ちゃん達が沢山居るから目移りしちゃうぜ!!」
九名で構成する隊の最後方で忙しなく街の方々へ視線を送り続けているフウタの声が本来の活気を取り戻した街に響く。
「いらっしゃいませ――!! 当店自慢の整体を受けてみませんか!! 旅の疲れは是非当店で癒して下さいね――!!!!」
整体と簡素に書かれた看板の前で客達の注目を集めようとしている男性店員。
「当店名物のぜんざいは如何ですか――!! あまぁい小豆にフワモチのお餅が良く合う!! お腹が空いたら当店に足を運んで下さ――い!!!!」
腹の空く香りを醸し出す店の前で藍色の前掛けを華麗に着こなす女性店員がその体躯に不釣り合いな声量で街を行き交う人々の鼓膜を心地良く揺らす。
先日まで漂っていた淫靡な空気は払拭されその代わりに街本来の明るさが俺達の隊の士気を高めてくれる。
街とは本来こうあるべき。
舌が満面の笑みを浮かべてくれる素晴らしい甘味のぜんざいを提供してくれる飲食店の姿が後方へと向かって徐々に遠ざかって行く様を、後ろ髪を引かれる思いで見送りながらそう考えていた。
「ハンナ様……、先生。除染作業が終わりましたのならあの店に立ち寄ってから帰りましょうか」
俺の直ぐ左隣。
美しい白色の髪を嫋やかに揺らしているフォレインが俺の心を見透かしたかの様な声色を放つ。
「むっ、まぁ……。時間が余ればそれも一考だな」
いかん、これでは俺が食欲を制御出来ない幼子と思われてしまうでは無いか。
戦士足る者、己の欲を御せぬ様では駄目だ。
だがしかし……。あのぜんざいは俺の心の水面を揺らす程の強烈な威力を持つ。
多少なりの揺らぎなら許容範囲では無かろうか??
「んだよ――、ハンナ。あれだけ朝飯食ってもまだ足りねぇのか??」
フォレインの言葉を拾ったフウタが此方を揶揄う。
「ふんっ、好きに捉えろ」
「誰だってあぁんな美味しそうな匂いを捉えれば注目しちゃうでしょ」
「フィロの言う通りじゃ!! わしも甘味をきょうじゅしたいぞ!!!!」
「五月蠅いわねぇ。あんた達の声は無駄にデカイから頭に響くし、余計に始末が悪いのよ」
「何よエルザード。これから作業なんだし、もう少し元気の良い声を出しなさいよ」
「明るい声を出して労力が減るのならあんたみたいに馬鹿デカイ声を出してやるわ」
此処の場面であの馬鹿が居れば隊は直ぐに喧噪に包まれるのであろう……。しかし、アイツは現在遠方でマリル殿が心血を注いで制作した傷薬を汗水垂らしながら売っている。
喧噪の種火は俺が想像しているよりも早く鎮火し、マリル殿が歩みを止めると隊全体が街の通りのほぼ中央で停止した。
「私はこれから町長さんのお家へ足を運びます」
彼女が通りを左折した先へと視線を送る。
その先は明るさが蔓延る街の主大通りとは違い何処か寂し気な影が漂っていた。
「ハンナさん達はこのまま直進して農業地帯へと向かって下さい」
「俺達はこの薬剤を空中散布してそれから田畑へと翼を駆使して風を送れば良いのだな??」
右脇に抱える薬剤が大量に詰まれた麻袋へと視線を送る。
「仰る通りです。既に担当者の方が田畑にいらっしゃると思いますので散布する前に簡易的な説明をして下さいね。では皆さん、これからは私では無くハンナさんの指示に従って行動して下さい」
「了解した。皆の者、行くぞ」
「えぇっ!? 俺様が隊長じゃないの!?」
「貴様に隊の全権を渡すくらいなら某が引き受けるぞ……」
シュレンの呆れた吐息を漏らす様を捉えて一呼吸を置く。
そしてマリル殿から隊の全権を譲渡されると気を引き締めて覇気のある声を放ち、歩みを強めて通りを進み始めた。
「田舎町の飯屋だったのに意外と美味しかったよな」
「うん!! ぜんざいの甘味がまだ舌に残っているもん!!」
「えぇ――、まだ作物は出来ていないの?? 折角取引に来たって言うのにさぁ」
「申し訳ありません。作物が出来るまでもう少し時間が掛かりますのでそれまで待って頂ければ幸いです」
「そっか、うん。この街の農作物は味も良いし首を長くして待っているさ」
街を行き交う人々や店先で取引を行う者共の表情は朗らかでありそのどれにも陽性な感情が容易く読み取れる。
街の事情を知らぬ者はこの陽性な雰囲気が過去から現在までこの街に流れているのだと考えているのだろう。
誰しもが双肩の力を抜いて温かな吐息を漏らしてしまう柔らかな空気は俺達が勝ち取ったものだ。
幸せな時間は有限でありほんの少しの違和感若しくは隙を招いただけでそれは瞬く間に崩壊してしまう。
この街の住民達は先の事件によってそれを痛い程理解した。
もう二度とあの様な事件を起こさぬ為にも住民達は細心の注意を払い違和感を捉えようとし、有限である幸福な時間をこの街で過ごすのであろう。
俺も……、いいや。俺達も彼等に倣い皆が笑みを自然と零すこの幸せな時間を噛み締める様に享受すべき。
「んぉう!! 姉ちゃん!! この店ってそっち関係かい!?」
「うふっ、違うわよ――。従業員は変わっていないけど健全な整体を提供するお店だからねぇ――」
「むぅ……。どの店にも狐関係の物が売っていないではないか。せっかくわしら狐一族が守ってやるとせんげんしてやったのに」
「あんた本当に馬鹿なの?? 餓鬼の言う事を真面に聞き受ける訳ないじゃん」
「やかましいぞ!! あほ淫魔めが!!」
「あぁ!! フォレインあの店見た!? めっちゃ美味しそうなおにぎりが売っていたわよ!?」
「恐らく違う街から買い取った米を使用して店を営業しているのでしょう。後、右腕が引き千切れてしまうのでもう少し大人しく引いてくれれば幸いですわ」
「シュレン先生。とうちゃくまでひまだからねずみのすがたにかわって」
「断るっ」
直ぐ後ろから聞こえて来る仲間と生徒達の心温まる声を背に受けつつ俺は一人静かにそう確信した。
だが、己の大好物も食い過ぎれば嘔吐してしまう様にこの言葉の数々も耳に受け入れ過ぎると陽性という感情よりも憤怒という感情に置き換わってしまう様だ。
「おいハンナ!!!! さっきすれ違ったカワイ子ちゃんの胸元見たかよ!? あぁんな大盛早々見付からないぜ!?!?」
「知らんっ」
無意味に叫び住民に迷惑を与え、地を踏み鳴らして旅人達の顰蹙を買い、剰え俺の左肩を激しく叩く大馬鹿者の横っ面に憤怒を籠めた激しい一撃を見舞ってやろうとすると。
「お待ちしておりました――!! こっちですよ――!!!!」
広大な面積の田畑の直ぐ近くに居る住民が俺達を見付けて大きく右手を振ったので鉄拳を収め、彼の下へと速足で向かって行った。
「待たせたな」
浅く日に焼けた男性に向かって簡易的な挨拶を済ます。
この男がマリル殿が言っていた担当者だろう。
「いえいえ!! マリルさんから段取りは既に伺っておりますので早速作業を開始して頂いても宜しいでしょうか??」
「あぁ、分かった」
右脇に抱えていた麻袋を足元に置き皆から少し離れた位置で魔物の姿に変わり、準備運動の代わりとして両翼の翼を一度二度大きくはためかせた。
両翼が生み出す強烈な風が地面から砂塵を舞い上げ地上付近で滞っていた土の匂いが鼻腔に侵入する。
汗と血と鉄の匂いが混ざり合う戦場独特の匂いでは無く、天然自然の香りが体内に入り込むと除染作業に対する意欲が上昇した。
ふむっ、今日の翼の動きも好調だな。これなら瞬く間に散布し終える事が出来そうだ。
「ちょ、ちょっと!! もう少し抑えて頂けますかぁ!? 皆さんの給水用のやかんが吹き飛んでしまいますのでぇ――!!!!」
むっ、少し逸ってしまった様だな……。
担当の男性が俺の翼から発生した強烈な風から守る様に足元にある複数のやかんを大事そうに両手で抑える。
「あはは!! ハンナ先生、やる気があるのは分かるけども――少し抑えた方が賢明よ??」
既に龍の姿に変わったフィロが大きな口から鋭い牙を見せつつケラケラと笑う。
「ふんっ、準備は出来たか!? 早速行くぞ!!」
僅かばかりの羞恥を誤魔化す様に薬剤が大量に収まっている麻袋を持って既に待機している者共へと声を掛けた。
「おっしゃあ!! ちゃちゃっと散布しちまおうぜ!!」
「承知。某とミルフレアとフォレインはハンナの背に、フウタとイスハとエルザードがフィロの背に。この二班で広大な田畑に薬剤を散布するぞ」
「よぉぉっし!! ハンナ先生よりも早く散布を終えてやるぞ!! フンフンッ!!」
「はいはいっと、ほらそこの無駄に準備運動を続けている阿保龍。もう少し縮こまりなさいよ。乗り難いでしょ」
「シュレン先生といっしょ。だからねずみのすがたにかわろう??」
「貴様……。時と場合を考えろ。これから某達は任務行動に移るのだぞ」
威勢が良いのは喜ばしい事なのだがこれから俺達は大量の体力を消費しなければならないのだ。
少しは体力を温存するという考えは持たないのだろうか……。
「ハンナ先生、失礼しますね」
誰にも悟られぬ様に小さな溜息を吐いているとフォレインが大変静かな所作で俺の翼に足を乗せて背に乗り移り、嫋やかな速度で腰を下ろす。
「ふふっ、相変わらず素敵な羽毛ですわね」
そして見方によっては淫靡に映る所作で俺の羽を撫でると背の肌が少しだけ泡立ってしまった。
「フォレイン、これから某達は任務行動に移る。ハンナの羽毛を撫でたい気持ちは分かるが集中しろ」
「ハンナ先生のはねもいいけど私はシュレン先生の毛並がいい」
「分かった!! 後で変わってやるから某の袖からいい加減に手を離すのだ!!!!」
「おい、そこの馬鹿狐。右翼側から散布するって段取りなのに何であんたは左翼側に居るのよ」
「お主の近くに居るとばかが移るからじゃ!!」
「本物の馬鹿に馬鹿って言われるとかなり凹むわねぇ……」
「何じゃと!?」
「テメェ等うっせぇぞ!! さっさと俺様の指示に従いやがれ!!!!」
「あぁうっざい!! くすぐったいから私の背中で無意味に走り回るな!!!!」
こっちもかなり五月蠅いが向こうに比べればまだマシなのかもな。
これ以上の喧噪は悪戯に作業時間を伸ばしてしまう蓋然性があるのでさっさと散布し終えてしまおう。
「行くぞ」
両翼を静かに動かして雲が覆い尽くす空へと向かって飛翔し、旋回行動を続けつつ田畑から絶妙な距離を取った。
「先ずは手前の田んぼに散布する。準備は良いか??」
「あぁ某達は既に準備を終えている。高度を下げて田の上を通過してくれ」
シュレンの四角四面の言葉を空中で受け取ると地上付近に出来るだけ影響を与えぬ様に高度を落とし、そして失速寸前の速度を保ったまま水を張ってある田の上を通過すると。
「よし!! 散布を始めるぞ!!」
「分かりましたわ」
「うん、まかせてっ」
忍ノ者の声を皮切りにマリル殿が心血を注いで制作した薬剤が美しい曲線を描き田んぼに降り注いだ。
細かい灰色の粒子は真冬の粉雪を彷彿させる様に風に揺られながら徐々に高度を落とし、田んぼの水面に音も無く降り注ぐ。
その様を捉えると恐らくこの田んぼの所有者であろう。
「「「「おおぉぉおおおお!!!!」」」」
俺達の作業の邪魔にならない様に畦道で此方の様子を見守っていた者達から驚嘆の声が俺の鼓膜をそっと刺激した。
彼等の瞳には驚きと喜び、その両方が入り混じる陽性な感情が籠められており己の昂った感情が抑えられぬのか右手を天に向かって突き上げて歓声を上げている。
自分達の田畑が力を取り戻す機会が漸く訪れたのだ。喜びの声を抑えろという方が無理であろうさ。
地上で俺達の様子を見守り続けている彼等に視線を一つ送り、広大な面積を誇る田んぼに同じ要領で散布を繰り返してある程度の量を散布し終えると四角の角に足を突き立て両翼に力を籠めた。
「ふぅ……。では風を送り込むとするか」
シュレン達を地面に降ろして両翼から逞しい風を田んぼに向かって放つ。
強力な嵐の風、までとはいかぬが春の横着な風を彷彿させる勢いの風を田んぼに送り込むと水面に中々の高さと猛々しさを誇る凪が発生。
田んぼの対角にまで行き届かせる強さの風を暫くの間送り続け、そして田んぼの一面全てに薬剤を均一に行き届かせると満足の行く吐息を漏らした。
よし、これでこの一面はマリル殿の薬剤によって大地の力を取り戻すであろう。
一連の作業を終えるまで掛かった時間は十分程度の軽いモノだが……。
「有難う御座います!! では、次はあちらの田んぼに散布をして下さいねぇ――!!!!」
そう、問題は田畑の量だ。
俺達が終えた仕事量は氷山の一角でありまだ散布し終えていない田畑は数えるのも億劫になる程だ。
「あぁ分かった。シュレン、行くぞ」
「承知。この勢いで全ての田畑に散布してやろう」
「シュレン先生の言うとおり。あっちのおばかな龍にまけないようにね??」
馬鹿な龍??
小さな体を駆使して翼から俺の背に乗ろうとするミルフレアの姿から少し離れた位置で作業を続けているフィロ達へ視線を送ると。
「どぉぉおおおおおおりゃぁぁああああ――――ッ!!!!」
「「「「ワァァアアアア――――ッ!?!?」」」」
「あんた馬鹿なの!? 住民達が転がって行く風を送り込むんじゃない!!!!」
「テメェ!! マジでいい加減にしろよ!? 何事にも程度ってもんがあるだろうが!!」
「その通りじゃ!! このままじゃ田んぼの水が全て溢れ出てしまうぞ!!」
田んぼの畦道に太い両足を突き立てた深紅の龍が暴圧的とも見える勢いの風を送り込んでいる様を捉えてしまった。
俺までとはいかぬが神々をも恐れさせる龍の翼が生み出す暴風は田んぼを見守っていた住民達を吹き飛ばす圧を保ち、それを受けた田んぼの水面はまるで大荒れの海を想像させる程に酷い凪が生じていた。
あの馬鹿め……。彼等の為と想うその心は認めるが分不相応の風は了承出来ないぞ。
「あ、あはっ。ごめんって。風を送る時ってどうしても心にグワァ――って感情が湧くからつい」
「つい!? ついでテメェは俺様達の仕事をおじゃんにするつもりか!? このクソド貧乳龍めが!!!!」
「こ、こ、この卑猥野郎!! 言って良い事と悪い事があるでしょうが!!!!」
フウタの揶揄いを受けて激昂した龍の瞳に憤怒の炎が灯ると、空を統べる龍の翼を駆使して忍ノ者へと強烈な風を送り込む。
「や、止めろ!! こっちに向かって風を……。おわぁぁああああっ!?!?」
「わ、わしも居る事を忘れる……。ンギャアアアアアァァァァアアアア――――ッ!!!!」
そしてそれを正面で真面に受け止めてしまった馬鹿共は先の住民と同じく細かな石と背の低い草が生え揃う畦道の上を中々笑える速度で転がって行ってしまった。
「ふふっ、地面の上を転がる彼等を見つめるのは愉快ですわね」
「うんっ、いい思い出になった」
空中から彼等のふざけた景色を見下ろす生徒達が明るい笑みを浮かべて陽性な声を出す。
「フォレイン、ミルフレア。お主達がいつか世界へ旅立つ前にあの馬鹿龍を御す術を会得しろ。さもなければ世界に混沌と破壊を招く事態に陥るぞ」
「俺もその意見には同意する。アイツの気紛れで隊が壊滅的状況に陥る可能性があるからな……」
良かれと思った事が隊に悪影響を及ぼしそこから彼女達の絆が綻ぶ蓋然性もある。
彼女達の身を案じる為、普段の指導に加えて精神的な面を鍛える特別指導も施すべきだろうか??
だが、それは俺達の仕事では無く彼女達の師でもあるマリル殿の役目であろう。
「大丈夫ですわ。彼女の手綱は私がしっかりと持っていますので」
「フォレインの言うとおり。私達が目を光らせておけばだいたいのことはすんなりいくからね」
「某はその大体を越える事態を危惧しておるのだぞ……」
シュレンが己の袖を引っ張り続ける幼子の手をやんわりと振り解く様を捉えると視線を正面に戻した。
あちらの仕事量は俺が想像している以上に少なくなる恐れがあるので俺がそれ以上の仕事量をこなす必要がありそうだな。
ダン、其方の首尾はどうだ??
俺達の方は想定している以上の時間が掛かりそうだぞ……。
奴が居るであろう方角の遥か彼方の地平線へと刹那に視線を送りもう何度目か分からない溜息を吐く。
己に課せられた使命を果たす為に高度を落とし、そして相も変わらず農地地帯のほぼ中央で無意味に喧噪を振り撒いている龍達を尻目に俺達は着々と作業を進めて行ったのだった。
お疲れ様でした。
本日は二話連続投稿になります。
現在、次話の編集並びに執筆作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。




