第二百三十三話 唐突に押し付けられた人命救助 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
粘度の高い塵と砂塵が混ざり合う地上の濁った空気とは違い青き空の中は今日も澄んだ空気が静かに漂う。
正面から流れ来る空気を肺に取り込み己が力に変えると左右の翼を大きく上下に動かして高度を上げる。
高高度の空気の純度は俺が想像するよりも清らかであり心に湧く微かな炎の熱量を下げてくれた。
まだ夜も明けぬ時間に無理矢理叩き起こされれば誰でも怒りを覚えるだろうさ。
俺の心に微かな憤怒が湧いているのは大馬鹿者の突然の来訪だけでは無く、朝食という一日の始まりを迎えるのに大切な行動を省いた事も含まれている。
中途半端な怒りと空腹。
この二つの相乗効果によって俺の心は清らかな空の中で微かに燻ぶっているのだ。
まぁこの心はこれから始まるであろう実戦に向けて誂えた様なものなのかも知れぬ……。
満足した胃袋と森の清らかな空気によって弛緩した柔らかな心のまま戦いに向かえば己の命はそこで消失してしまうのだから。
何事も分別が大事。
美しい空の中で一人勝手にそう解釈していると背に乗るフォレインが静かに口を開いた。
「ハンナ様……、先生。間も無く目的地上空に到着します」
ほぅ、地図上では森とかなり離れていたが意外と近い距離だったのだな。
「了解した。エルザード、手筈通り上空から魔力感知を行い奴等の住処を割り出すぞ」
「はいは――い。分かっているって」
淫魔の子の軽快な声を受け取ると再び正面の地平線の果てへと視線を送った。
俺の安眠を妨害した馬鹿曰く。
『相棒!! お前さんには狸の住処を急襲してケイナーさんを救出して貰いたいんだ!! んで、救出した彼を此処へ運んできてくれ!!』
マリル殿と訪れた街は狸一族が実効支配しており、彼等は狸共の悪事を暴いて街を元の姿に戻す事に躍起になっていた。
証拠が揃ったのなら奴等を叩き切るなり殴り付けるなりにして街から追い出せば話は早いのにと俺が言えば。
『出来るだけ穏便に事を進めたいのさ!! ね!? そうですよね、マリルさん!!』
『ダンさんの仰る通りですっ。ハンナさんとシュレンさんにはご迷惑を掛けますがどうか御助力頂ければ幸いです』
彼等は俺の考えた案では無く最も生温い方法で街を救出しようとしていた。
目には目を、暴力には暴力を。
面倒で回りくどい方法では無く俺達魔物を取り囲む摂理の縮図に従い行動すれば良いのに……。
だが、横着者達にも情けを掛ける彼等の姿に俺は少なからず同意しているのもまた事実。
あの大馬鹿者と行動を共にする内に甘さが移ってしまったな。
これから始まるのは実戦だ。心にしがみ付く甘さを捨てて心に修羅を宿して臨むとしよう。
「ハンナ、奴等の住処を割り出したら某達が先頭に出て行動を起こすぞ」
シュレンの緊張感を持った声色が空気の流れを割って耳に届く。
「勿論だ。俺とシュレンが道を開きフォレイン達は後方支援に力を入れろ」
大雀蜂一族以来の実戦となるが、己の生死を掛けた本物の戦いを経験したからか。
「はいっ、ハンナ先生の指示に従います」
「ハンナ先生達が勝手に暴れるから楽出来そうだわ」
その声に緊張の色は見当たらなかった。
彼女達も成長しているのだと頷きそうになったのだが……。
「シュレン先生、もぞもぞしないで。つかみにくい」
ミルフレアの手厳しい声を捉えた途端に頷きを止め、その代わりに首を捻ってその姿を捉えてやった。
「いい加減に離せ。某はこれから本物の戦いに臨むのだから」
「まだとうちゃくしないからいいでしょ??」
「そういう問題では無い。某が言いたいのは心の構え方なのだっ」
一人の少女の小さな両手の中にすっぽりと収まったままで言っても説明力が半減するぞ……。
シュレンもあの馬鹿と同じで甘さが抜けていないと言うか、優し過ぎるというか。
この隊を一つに纏める為にも此処は一つ、隊長である俺が手厳しい言葉の一つや二つを投げ掛けて弛緩した空気を引き締めてやるか。
「ミルフレア、シュレンを放せ」
「やっ」
悪鬼羅刹も慄く声色を放つものの、頑是ない少女は俺の言葉をたった一言で流してしまった。
「あはは!! ハンナ先生もミルフレアの前じゃ形無しね!!」
「ふんっ、好きに言え」
「わわっ!! ちょっと!! もう少し大人しく速度を上げてよ!! 落ちそうだったじゃん!!」
エルザードの軽快に笑う声を受け取ると大人げないとは思うがいつもより大袈裟に翼をはためかせて乱雑に速度を上げてやった。
すると……。前方遠くの地上に家屋の塊が見えて来た。
美しい草原の中に建て並ぶ家屋の塊は違和感を覚えると言えばそうだが、人の営みが行われている大陸なのだから当然とも見える。
あの場所に俺の予定を狂わせた馬鹿狸共が潜んでいるのだろうか??
そう考えて地図を手に持つ蜘蛛の子に声を掛けた。
「フォレイン、あの集落がそうではないか??」
「地図の地形と丸の印の位置からして恐らくその通りでしょう。エルザード、ハンナ先生が高度を落としますので魔力感知をお願いします」
「はいはいっと」
よし、では手筈通り作戦を開始するか。
淫魔の子の軽快な声を受け取ると徐々に高度を下げて眼下に見えて来た集落の上空を旋回する。
自然の中に突如として出現した人口建築物の群れは人に違和感を覚えさせるが東西南北に街道が続いている為、人若しくは魔物が住んでいるのであろう。
十前後の建築物が身を寄せ合う集落の上を二度、三度旋回し終えるとエルザードが静かに口を開いた。
「――――。魔力反応なぁ――し。此処には人しか住んでいないわよ」
「そうか、では次の地点に移動を開始するぞ」
たった一度で狸共の隠れ里を発見するという僥倖は起こらなかったか。
この下らない事件が起こらなければ今日は己の剣を磨く為に有意義に時間を使おうとしていたのに……。
「ハンナ先生。マリル先生の我儘に付き合って頂き感謝します」
フォレインが俺の背に生える毛を嫋やかな所作で撫でつつ言う。
「気にしていない。それにあの馬鹿も彼女の考えに賛同していたからな」
「ダン先生も??」
「あぁ、出来る限り事を荒立てない様に問題解決に臨みたいと言っていたぞ」
俺の貴重な睡眠時間及び訓練の時間を割いてまでこの捜索は必要なのかと己に問いかけると、真面目な俺は人一人の命と街の運命が掛かっているのだから言われた通りに行動すべきだと声を大にして叫んでいる。
それに狸一族の戦力は不明だが、それ相応の命のやり取りが行われる本物の実戦に身を置く事が出来るのは貴重な経験だ。
ケイナーを捜索し街の安寧を取り戻すと共に己の実力も磨く事が出来る。
一石二鳥では無いが行動に移る価値があるとしてあの馬鹿者の願いを致し方なく聞き受けたのだっ。
「マリル先生は甘い所があるからねぇ――。ん?? フォレイン、その鞄の中身は何??」
「ハンナ先生の為にと思って携帯食としておにぎりを持参しました」
ほぅ!! あの鞄の中身は握り飯か……。
俺の貴重な時間を奪った狸一味を切り捨てたら腹を満たし、それからケイナーとやらを目的地にまで運んでやろう。
「へぇ、よく考えているわね。ハンナ先生?? おにぎりが楽しみ過ぎかも知れないけども、ちゃんと前を向かないと集落を見落とすわよ」
「ふ、ふんっ。俺はお前達の安全確認をしていたまでだっ」
エルザードに心の内を見事に看破されると頭を普段通りの位置に戻してやった。
「ふふっ、御安心下さいませ。ハンナ先生の分は私が命に変えましてもお守り致しますので」
握り飯程度を守る為にそこまでの覚悟は不要。
そう口に出そうとした刹那に次の目的地が見えて来た。
「エルザード、次の目的地が見えて来たぞ」
「はぁ――いっ。ちゃちゃっと確認するからもっと高度を落としなさ――い」
マリル殿の指導は素晴らしいのだがもう少し処世術について厳しい指導を施すべきだぞ。
「……」
淫魔の子から指示を受け取ると先と同じ要領で高度を落とし、獲物を狙う猛禽類特有の鋭い目を光らせて旋回を開始し続けていると。
「――――。魔力反応あり。数は五つで……、それ以外に一人の人間の反応があるわ」
エルザードが微かに口角を上げて俺達が求めている答えを告げた。
ほぼ何も無い平原に孤立する集落に五つの魔力反応とたった一つの人間の反応か……。
「了承した。では降下するぞ」
確証は無いが限りなく大当たりに近いであろうと判断した俺は集落の外れの美しい草々が生え揃う緑の地上に降下し、背に乗せている者達を下ろすと人の姿に変わり愛剣を手に握った。
お疲れ様でした。
現在、サッポロ一番塩ラーメンを食しながら執筆並びに編集作業を行っておりますので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。




