第百九十九話 見知らぬ土地での行動は慎重に
お疲れ様です。
本日の投稿になります。少々長めの文となっておりますので予めご了承下さいませ。
大量の砂塵を含んだ春に吹く横着な風とは真逆の大変清らかな風が頬を撫でて後方へと流れて行く。
一切の不純物が含まれてない空気の味は、それはもう何物にも代えがたい程に美味く時間が許す限りいつまでも咀嚼していたい気分にさせてくれる。
体を弛緩させ、頭上から降り注ぐ陽光を浴び、そして鼻からスンっと高価な空気を肺に取り込むと心が溶け落ちてしまう。
木々や草々、矮小な虫等。多様性に富んだ生物が暮らす大地とは違い天空には己に外的要因を与えてくれる物体はほぼ存在せず。自分という存在がどういったものか改めて知るのにうってつけの場所なのかも知れない。
ほら、良く聞くでしょ??
仙人は自分を高める為に人里離れた山に籠り己が何者かを探求すると。
不必要な感情や卑しい感情を全て捨て去り純粋無垢な己へと昇華させる。
相棒のフッカフカの羽の柔らかさをお尻で堪能しつつ、とぉぉっても高い空の中は自己鍛錬若しくは自己探求に最も適した場所の一つであると断定してやった。
「おい、ダン!! 禁忌の森はまだ見えてこないのかよ!!」
家事に疲れたお母さんは素敵な午前の時間を堪能したいというのにどうして君はそうも元気なのでしょうかね??
一日前までは干乾びた鯵よりも酷い乾き具合だったのに。
「もう直ぐ見えて来るさ。今は……、あぁ。ルッテの街の近くだな」
相棒の背の上を四つん這いの姿勢で移動して、空と羽の境界線から地上を見下ろすと小さな街が見えた。
「この速度なら後三十分程度で森が見えて来る筈。そのまま南進すれば人がおいそれとは足を踏み入れてはイケナイ禁忌の森の上空に到着するぜ」
「素朴な疑問なのだが、どうして禁忌の森と呼ばれているのだ??」
相棒の羽の中から小さな鼻をひょこっと覗かせたシュレンが話す。
「人や魔物がよせばいいのに湧き起こる好奇心を抑えられずあの森に向かって出発するんだけども。それから待てど暮らせど冒険者は帰って来ない。アイツは用意が足りなかったから帰って来なかったのだ。俺はアイツとは違う!! 用意周到で出発しても力が無ければ意味が無い。俺は鍛えに鍛えた戦士なのだ!! 等々。幾人もの冒険者が鼻息荒く出発して行ったけど帰って来たのは無言の知らせ。 つまり、どれだけ用意周到にしても。どれだけ体を鍛えてもあの森に足を踏み入れたら最後、二度と帰って来られない。意思と感情を持つ者は足を踏み入れる事さえも禁忌とされた森。それが名前の由来さ」
おやっさんも口を酸っぱくして言っていたもんなぁ。
生まれ故郷の街に嫌気が差してアイリス大陸中に出稼ぎに行こうとしていた時。
『お前が何処に行って稼ごうが構わないが、あの森にだけは絶対に足を踏み入れるなよ!?』
おやっさんは目くじらを立ててしつこい位に釘を差して来たし。
まぁまぁ、ちょいと様子を見るだけなら構わないだろ?? と。
ニィって口角を上げて揶揄ったら本気の拳が飛んで来て目を白黒させたものさ。
信憑性や根拠の無い眉唾ものの類の話なら鼻で笑い飛ばしてやるのだが。クソ真面目な人が注意……、じゃあないな。警告をするという事はよっぽどの事なのだ。
愚かで浅はかな思考の持ち主はこの警告を無視して向こうの世界へと旅立ち、賢い者は警告を十二分に咀嚼して危険に近寄らず普遍が跋扈する世界に居残り続ける。
この例に倣って俺も危険から十分な距離を取って観察を続けたいのですけども。
「おぉ!! 何それ!! めっちゃ楽しそうな場所じゃねぇか!!」
「危険が蔓延る森、か。某の索敵能力を鍛えるのに適した場所なのかもしれぬな」
「ふっ、命を落とした者達は鍛錬不足であったのだろう。素人が背伸びをするからそうなるのだ」
「だよなぁ!! 危険上等!! 死神様も大歓迎!! 龍一族と対等に渡り合った最強最高の俺様達に恐れるモノは何もねぇ!!」
大変言い難い事ですけども……。貴方達が放つ言葉の数々と雰囲気は帰って来なかった者達の特徴とものの見事に一致しておりますよ??
此処で注意を放ってやりたいがコイツ等は俺の言う事を全く聞きやしないので無視します。
はぁ……。怖いもの知らずの息子達を持つお母さんはきっと俺とほぼ同じ感情を持って子供の行動を見守っているんだよなぁ。
「ダン!! どうしたんだよ!? 辛気くせぇ顔をして!!」
「あ?? これからの予定を頭の中で纏めていたんだよ」
俺の頭を右前足で無意味にペシペシと叩いて来る鼠にそう言ってやる。
「聞かせろ」
あ、うん。今から伝えようとしていた所なんだよ??
だから態々命令口調で聞くんじゃねぇ、このほぼ童貞のすっとこどっこいめが。
「食料や生活物資は街に立ち寄って買い揃えたから問題無い。禁忌の森に到着したのなら相棒が着陸出来そうな場所探して……。んで、安全が確保出来そうな場所で野営を設営。そこを中心として捜索範囲を広げて行く。これでどうだい??」
「んぉっ!! 今日もいい硬さ具合だぜ!!!!」
俺の頭を叩き続ける小さな前足を払いつつ問うた。
「それで構わん」
「某も同意しよう」
「俺様も賛成するぜ!!!!」
三人ともお母さんの意見に納得したのか、各々が静かに頷いてくれる。
「んじゃこれで決定っと。食料や物資が不足し始めたら街に戻る。多分というか、ほぼ確実に滅魔に繋がる情報がある筈だからそれを発見したら詳しく調査してみるか……」
地図に刻まれた印の法則からして恐らく禁忌の森の中にはそれに関連するナニかが存在する。
それを発見出来れば御の字であり、それ以上は踏み込もうとは思わない。
そりゃそうだろう。何かがきっかけで理の外に存在する化け物がこの世に生まれ落ちてしまったら洒落にならんし。
無防備なまま蜂の巣を指で突っつこうとする馬鹿はこの世に……。
「調査というよりも手で触れたら直ぐ復活しそうじゃね!? くぅ!! 超強力な化け物と対峙すると思うと今からワクワクが止まらねぇぜ!!」
基、直ぐ近くに居ましたね。
「フウタ、頼むからそれは止めてくれ。ここは俺の生まれ故郷であり愛している場所なんだからさ」
俺達だけが死ぬのならまだしも、生まれた街の友人達や各街の知り合い達が亡き者になるのは許されないのだから。
「冗談だっつ――の。俺様はそこまで能無しじゃねぇ」
どうだか……。
「能無しというよりも、不能じゃねぇか」
呆れた溜息を吐いてずぅっと遠くの青を眺めてやった。
「う、う、うるせぇ!! こ、これはきっと使い過ぎちゃったからそうなったの!!」
円らな瞳をキュっと大きく開いて引き続き右前足で俺の頭を叩く。
ガイノス大陸から全く人気が無いアイリス大陸海岸線に到着すると早朝の買い出しに備えて各々は床に就いた。
晴天に恵まれた朝を迎えて天幕を抜け出し、突き抜ける青空に向かってぐぅっんと背伸びをしていると天幕の中から萎えに萎えた一人の男が這い出て来た。
『ダ、ダンぅ……。お、俺様……。人生二度目の屈辱を味わう破目になっちまったぜ』
彼は涙目になりながら地上に向かって項垂れているもう一人の自分に指を差す。
『ま、まぁ。ゆっくり休めば治るだろう。さ、さぁって!! 買い出し向かう為に相棒達を起こさなきゃなぁ!!!!』
母犬にこっぴどく叱られた子犬よりも情けない顔を浮かべているフウタを尻目にグースカと眠り続けている相棒達を起こして行動を開始。
近くの田舎町にお邪魔させて頂いて必要な物資を揃えて今に至るのです。
「使い過ぎというよりも使われ過ぎじゃね??」
「だよなぁ……。はぁっ、伝家の宝刀も錆び付いてちゃ意味がねぇし。森の中の新鮮な空気を吸えばいつか治るだろう」
それで治るのなら御の字だけども……。もう一人の君が元気の欠片も見出せないのは恐らく心因的なモノであると主治医は判断するでしょうね。
ほら、男としての自尊心を傷つけられたとか。途轍もない恐怖心を植えられたとか。
世界最高峰の性技を持つ女王様と世界最強の性欲を持つ巨龍に好きな様に体を弄られたら誰だってそうなるって。
鼠の姿のままで右前足を器用に動かして己の股間付近をキュッと抑えるフウタを憐れみを含めた視線で眺めて居ると相棒が一際鋭い声を上げた。
「森が見えて来たぞ」
「おぉ!! 到着したのか!!!!」
相棒の白が目立つ超絶カッコイイ後頭部の先に濃い緑の海が見えて来る。
地上からは何度も見た事があるけどもこうして俯瞰して見るのは初めてだ。東の果てから西の果てまでずぅっと続いて行く緑の景色は正に壮観の一言に尽きるぜ。
「このまま十分程度南進してくれ。恐らくその辺りが地図に印された場所だから」
手元の簡易地図を見下ろしつつ相棒にそう伝えてやる。
「了承した」
「んぉっ!! すっげぇな!! 森の終わりが見えねぇぞ!!」
「大陸をほぼ横断する深い森か。某の里の近くにも深い森が存在するが流石にここまでの広さでは無い」
鼠二頭が相棒の背から落ちぬ様に地上へ向かってそ――っと顔を覗かせて森を見つめている。
「あんまり深く覗き込むなよ――。落っこちても知らねぇぞ」
「大丈夫だって!! 例え落ちたとしてもハンナが助けてくれるし!?」
「この高さなら例え落下しても死にはせん」
「いやいや!? そこは友人の身を案じて任せろって声高らかに宣言する場面だろ!?」
フウタが相棒のちゅめたい言葉に反応して円らな瞳をキュっと見開いて憤りの声を放つ。
それからヤレお前は友人に対して辛辣過ぎる。ヤレ貴様は生活態度を改めるべき等々。
聞いていて鼓膜が辟易してしまう言葉の応酬がふっわふわの羽の上で繰り広げられ、お母さんは貴方達の家事で疲れているんだからもう少し静かに喧嘩をしなさいよと注意を放とうとした刹那。
「――――。んっ?? 何だ??」
地上付近に強力な一つの魔力と中々の強さの二つの魔力の存在を掴み取った。
俺達が接近すると強力な魔力の持ち主は蛍の淡い光の明滅を彷彿させる様に、そっと静かにその力を抑え込んだのだが……。
もう二つの中々の強さを持つ魔力の持ち主達は蝋燭の炎を吹き消す様に、見方によっては無理矢理に映る所作でその存在を消した。
「俺達の接近に気付いて魔力を抑え込んだのか」
相棒も今の所作が気になったのか。大きな頭を森へ向け、鋭い視線を浮かべて森を見下ろしている。
「最初に消えた魔力の奴はちょいとやべぇな」
「あぁ、某でもあそこまで器用に魔力を抑え込む事は出来ぬ」
「魔力の使用に長けた魔物じゃねぇの?? 丁度いいや。そろそろ目的地だし、今の人達に話を聞いて捜索を始めようぜ」
帰還する事がほぼ不可能である森の付近で生活している若しくは移動中である魔物達からこの付近の情報を入手するのも悪くない。
それと何より超絶危険な森の中を無知のまま手探りで捜索しようとすれば行き着く結果は見えて居ますのでね。
「分かった。では……、あそこに着陸するぞ」
相棒が森の中に微かに存在する開けた空間に向かって鋭い嘴を差す。
「了解。さっきの人達を驚かせる訳にはいかないからゆっくり着陸しろよ!?」
こいつの場合はしつこい位に釘を差しておかないと常軌を逸した速度で着陸行動に移っちまうからな。
「五月蠅いぞ。それ位の分別は俺でも付く」
嘘くせぇ……。
「「「……」」」
俺と同じ考えに至った二匹の鼠ちゃんと共に猜疑心に塗れた瞳で相棒の後頭部を見つめていると彼は言葉通りのゆるりとした旋回行動を始め、森の木々の合間を巧みにすり抜けて清らかな空気が漂う森に着地した。
「ふぅっ!! 到着っと!!!!」
相棒の体の上から軽やかに下りると柔らかい吐息を漏らして俺達を取り囲む森を見渡す。
ん――……。そこまで不穏な空気は漂っていないし。森の茂みの中から超巨悪な野生生物が襲い掛かって来る気配も無い。
龍一族が住む大陸の力の森の様に体の構造がイカレタ飛蝗もいなければ、地面から肉を食らおうとして襲い掛かって来る砂虫も居ない。
強いて言うのであれば空気が美味いふつ――の森って感じですな。
「んだよ。身構えていたのに何も襲い掛かって来ないじゃねぇか」
俺とほぼ同じ考えに至ったフウタが小さな鼻をヒクヒクと動かしつつ周囲を見渡す。
「今までがおかし過ぎたんだよ。これが普通なの」
「周囲に脅威は感じられぬ。荷物を纏めて先程感じた魔力の場所へ移動するぞ」
シュレンが人の姿に変わると地面に置かれている荷物へと向かって進んで行く。
「せっかちな野郎だぜ。折角新しい場所に到着したんだから色々と見て回ればいいのによ」
お尻が可愛い鼠ちゃんに倣ってフウタが人の姿に変わると無防備且無警戒なまま開かれた空間と森の境目に向かって歩いて行く。
「お――い、フウタ。お前さんも自分の荷物は自分で持てよ――」
「うっせぇ!! んな事言われなくても分かっているんだよ!!!!」
怪しいものだ……。
お前さんの場合、少しでも甘い顔をしようものなら鼠の姿に変わって俺の肩に留まり移動の疲労を軽減しようとしますからねぇ。
口の悪い不能鼠さんを尻目にテキパキと荷物を纏め、己の背嚢の中にこれでもかと物資を詰め込んでいると。
「んっ!? よぉ!! ダン!! 変な色の蕾を見付けたぜ!!!!」
相も変わらず自分勝手な行動を取っているフウタからお呼びの声が掛かるがそれを盛大に無視しつつ作業を続けて行く。
「あっそ。相棒、その木箱の中身は何だっけ??」
「必要雑貨が詰まっているぞ」
「あぁ、そうだったな」
「テメェ!! 無視すんな!!!!」
うるせぇなぁ……。此処は人様の土地なのかも知れないのだからもう少し静かに叫びなさいよね。
「――――。あのね?? 珍しい虫を捕まえてウキウキしているのは十二分に理解出来るけども、お母さんは家事で忙しいの。そういう事はお兄ちゃんかお父さんに見せてあげなさいっ」
「ほらっ!! これだよこれ!!」
俺の言葉をほぼ無視した彼が指差したのは大変こゆぅい紫色の花の蕾と思しきものだ。
地面から立派な茎が生えてその蕾を支えておりその周囲には同じ蕾が幾つも確認出来る。
「色自体はまぁ珍しいけども、特段気に掛ける必要は無さそうだな」
「いやぁこれだけ濃い色だとさ匂いも気になるじゃん?? どれ、試しに……」
フウタが蕾に向かってそ――っと顔を近付けてスンスンっと匂いを嗅ぐ。
「どうだ??」
「ん――……。特に変わった匂いはしねぇな。押し花に適した普通の花の良い香りって感じだ」
「普通の花って事が分かったからお前さんもさっさっと作業に加われ」
お馬鹿さんの後頭部をピシャリと叩いてやるとその反動で彼の鼻頭が蕾と軽い抱擁を交わす。
「いってなぁ。別にいいじゃねぇか。例え小さな情報でもその積み重ねが大事なんだぜ??」
そりゃ御尤もです。見知らぬ地の無知は死に直結しますからねぇ。
危険で溢れ返るこの冒険に出てから何度そう思った事やら。
「至極同感するよ」
相棒とシュレンが作業を続けている場所へと向かって踵を返しつつ口を開く。
「おっしゃ!! じゃあ俺様も折角だから荷物の纏め作業に加わってやるぜ!!」
「折角の意味が分からん。大体なぁ……」
いつも通りの軽い冗談を交わそうとしてフウタに向かって振り返った刹那。
『……ッ』
先程、フウタと鼻頭が接触した蕾の急激な変化が視界に飛び込んで来やがった。
ヤ、ヤダ。急にどうしたのかしら……。フウタの鼻頭が臭過ぎて機嫌を損ねちゃったのかしらね。
子供の小さな拳よりも小さな蕾が炭火に炙られる餅の様にプっく――と膨張して行くと、夥しい数の針が花弁と思しき花びらの内側から鋭い先端を覗かせる。
その数は秒を追う毎に増え続けて行き今となっては花弁全てを覆い尽くす程の数にまで膨れ上がり、このまま時が進めばどうなるのか。
それは火を見るよりも明らかであった。
「フ、フウタッ!!!!」
これまでの得た経験によりアレは物凄――く不味いとの判断に至った俺は彼の服を万力で掴み、此方側へと思いっきり引っ張ってやった。
「うぉ!?」
彼を引き寄せた反動で前に出た左半身に沢山の針が飛来。
「いてっ!!!!」
頑丈な革製の茶の上着の装甲は俺の体をキッチリと守ってくれたのですが長袖から覗く左手の甲までは守れず、左手の甲にチクっとした刺痛を感じてしまった。
「何だよ!! 急に引っ張って!!」
「ほら、アレを見てみろよ」
左手の甲に突き刺さり俺の皮膚を美味そうに食む二本の針を引き抜きつつ件の蕾があった場所を顎で差してやる。
ん――、針自体の威力はそこまでの様だな。
指先で軽く引き抜けば驚く程にスっと引き抜けたし。
「は?? んぉ!! 蕾が粉々に砕けてら」
「さっき与えた衝撃がきっかけとなって爆ぜたんだろう」
自爆花の種子を採取した経験が今になって役に立つとは……。
よもや蕾が爆ぜて人に危害を加えるなんて普通の人は思わないだろうからね。
「もう触るんじゃねぇぞ」
「テメェが俺様の後頭部を叩いたからぶつかったんだろうが!!」
フウタが俺の頭を軽く叩くと嬉しい痛みが生じる。
「はは、わりぃわりぃ。さてと!! 荷物を纏めましょうかね!!」
俺達の様子を冷めた様子で見つめている相棒達の下へ向かって一歩前に踏み出すと、何やら温かな雫が両の瞳から零れ落ちて来た。
ん?? 涙か??
俺も日和ったもんだなぁ。たかが一発の揶揄いを受けただけで涙を流すなんて。
「俺様の荷物は何処に置いたっけなぁ――。おう?? どうしたよ。やたらと手の甲で目元を拭って」
「いや、何だか涙が止まらねぇんだけど……」
フウタの声を受け止めて両手を下ろすと。
「ッ!?!?!?」
彼の目がカッ!! と大きく見開きそれと同時に驚きを隠せない様子でぱっかぁんと口を開いた。
「お、おい!! 大丈夫か!?」
「涙が流れ出る位で大袈裟だって。多分、さっきの針に変な作用が含まれていたんだろうさ」
「馬鹿野郎!!!! 両手を見下ろしてみろ!!!!」
はい?? 両手??
彼の声に従い両手の手の甲に視線を落とすとそこには彼が目ん玉を見開いて驚いてしまった原因が深々と密着していた。
「え……?? 血……??」
両手の甲には深紅の血液が付着しており、激しく擦った所為か深紅は手の甲一杯に広がっている。
今も意図せず流れ出て頬を伝う温かな液体をそっと指で掬うと、その血液の出元は俺の両目であると確定付けられてしまった。
「血涙が何で出て来る……。ゴ、ゴフッ!!!!」
目玉の違和感に続き喉にも違和感を覚えてせき込むと今度は口から大量の血の混じった唾液が出て来やがった。
針の直撃を受けた数十秒後に襲い掛かるこの症状……。
う、嘘だろ?? あの蕾の針には毒が含まれていたのか!?
「ダ、ダン!! しっかりしろ!!!!」
「お、おう。ちょ、ちょっとだけ休めば治るから。だ、大丈夫さ……」
未だに流れ続ける血涙、口から意図せずとも飛び出て来る血の塊。そして体全体を覆い尽くす虚脱感。
襲い掛かる痛みに耐え切れなくなった二本の足は自重を支えきれず、重力に引かれた体は緑の絨毯へと崩れ落ちてしまった。
「ダン!! 何があったのだ!!!!」
「フウタ!! 説明しろ!!」
「あそこの蕾から針が出て来て、それを受け止めたらダンが倒れちまったんだよ!!!!」
いつもは鼓膜が酷く痛んでしまう程の相棒達の叫び声の音圧は今となっては何だか遠い彼方から聞こえて来る風の音の様に酷く頼りない。
地面に映る緑をぼぅっとした瞳のままで観察して行くと徐々に薄い黒色のカーテンが視界を覆い始めた。
あぁ、畜生……。新天地に到着して速攻でこんな酷い仕打ちを食らうとは思わなかったぜ。
見知らぬ地での無知は死に繋がる。
この経験を全く生かし切れていない自分に強烈な憤りを感じてしまうよ。
『その人はだ、大丈夫ですか!?』
『誰だ!! テメェ等は!!』
『うっさいチビ助ね。態々こっちから声を掛けてあげたんだから有難く思いなさいよね』
『餓鬼にチビって言われる筋合いはねぇぞ!!!!』
『うわっ、うっざ。ねぇ先生、こんな野郎共放っておいて帰ろうよ』
『ちょ、ちょっと待って下さい!! この人、絶海の蕾の針に刺されたんですか!?』
『知っているのか!?』
『強力な毒針を持つ花です!! で、でも毒針に刺されたら即死する筈なのにどうしてこの人は……』
『死にかけているコイツの治療を頼めるか!!』
『え、えぇ。一応、解毒効果のある薬草はありますけど。今は手元にありません』
『分かった!! 此方の素性は移動しながら説明させて頂く!! 金なら幾らでも渡してやるからコイツを助けてやってくれ!!!!』
『はい!! 分かりました!! 皆、薬草の採取は中断して家に帰りますよ!!』
相棒の悲壮感溢れる声と鼓膜がウフフと笑みを浮かべてしまう大人の女性の柔らかい声を聞き取ると視界が完全に闇の中へと消失。
それと同時に体全体に感じる痛みが消えて硬い筈の地面が何だか超高級ベッドの柔らかさに変わった。
このままこの柔らかさに身を預けてふかぁい眠りに就ければどれだけ楽だろうか。
そう考えていたのですが……。
『先生。本当にそいつらを連れて行くの??』
『今は時間がありません!! 失われて行く命を見捨てる事は出来ないから!!!!』
『はぁっ、本当にお人好しなんだか。おら、そこの野郎共。そこの死にかけている男を担いで私達の後に続け』
『そこの貧乳絶壁女!! 俺様達に命令するんじゃねぇ!!!!』
『誰が残念無念だってぇ!? 頭思いっきりブッ叩いて更に背を縮めてやろうか!?』
『上等だごらぁ!! 忍ノ者の実力を嘗めんじゃねぇぞ!!!!』
鼓膜に届くのは微睡む意識を強烈に現実に留めてしまう程の音量であり、夢の世界から俺を迎えに来てくれた睡魔さんも思わず顔を顰めてしまった。
あ、すいませんね。態々迎えに来て頂いて。ですがもう少々お待ち下さいませ。
この音量は早々止む事はありませんので……。
物凄く険しい表情を浮かべている彼若しくは彼女にヘコヘコと頭を下げていると、体が何か妙に硬い肉に接触。
心地良い縦の揺れを感じると頃合いを見計らった様に睡魔さんが漸く俺の意識を夢の世界へと運んでくれた。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
俺の意識が運ばれるのは本当に夢の世界なのかと。
無言を貫き続けている睡魔さんにこの事を尋ねても帰って来るのは無言の答えのみ。
問答無用で俺の知らない世界に運ばれて行く最中、猛烈な不安感だけは決して胸の中から消失する事は無かったのだった。
お疲れ様でした。
さて、いよいよ過去編最終編となる話が始まりましたがプロットの進行具合が芳しくありませんね……。
大雑把な話の流れは既に出来ているのですが細かい所に苦戦している次第であります。
過去から現代に繋がる大事な話ですのでそこはキチンと書き上げたいので妥協は許されない。勿論、これまで書いて来た過去編の御話も現代に繋がるのですが、この最終編はよりその接合具合が強烈なのでそれが壁となっている状況ですね。
目先の問題を一つずつ丁寧に解決して果てし無く遠い頂に向かって愚直に進んで行きましょう。
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それでは皆様、お休みなさいませ。




