第百八十話 妖艶な刀の威力 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
目に見えぬ存在程恐ろしく感じてしまうのは己の心が自己防衛の役割を果たす為に、敢えて恐怖心という感情を高めてしまう結果なのだろう。
真夏の会談を聞いた後、一人部屋でまぁぁっくらな天井を眺めて居るとその闇の中に存在しない筈の恐ろしい顔が浮かんで見えたり。
何も無い穴の奥深くから亡者のおどろおどろしい怨嗟の声が聞こえたり、目を瞑って頭を洗っている時に誰かの手がそ――っと己の手に添えられた錯覚だったり。
その例は数えだしたらキリが無いが問題の根幹は己の恐怖心が見せた幻なのだ。
何だ、恐怖心の大本は幻なら怖がる必要は無いじゃないか!! と。
俺達の置かれている状況を理解していない根本的な問題を履き違えた大馬鹿野郎は妙に甲高い鼻歌でも歌いながら恐怖心が去るまでのんびりと過ごすであろう。
もしも俺が勘違い野郎と同じ行動に至ったのなら恐らく……、と言いますか十中十。御先祖様が暮らす世界へと無理矢理送り込まれてしまうのでそれは叶わない。
恐怖心を抑える方法は気の抜けた鼻歌ではなく。
「はぁぁ――……。もしもここでくたばっちまったら美女が抱けなくなるのかよ。こうなると分かっていたのなら可愛い子達ともっと素敵な一夜を過ごすべきだったぜ」
性欲を沸々と刺激するすんばらしい女体を想像する事でも無く、恐怖心に占拠されてしまった心に闘志を灯して臆病な心を燃やし尽くす事なのだっ。
「不能の奴がよく言うぜ」
未だ鳴り止まぬ生理的嫌悪感を与える百足の移動音が響く前方の暗い穴を注視しつつ、左隣りで警戒を続けているフウタに向かって悪態を付いてやる。
「うっせ。俺様のそ、そのっ……。ふ、ふ、」
はぁい、もう少しですからねぇ。頑張ってお母さんに症状を伝えましょうねぇ――。
「ふぅ――……。下降の一途を辿っている御柱がそそり立つ様な上昇気流を見付ければきっと回復するだろうさ」
「その上昇気流はこの大陸では見つかりそうに無いけどな」
俺の体を治療という名目で滅茶苦茶にしたルクトはゆっくり休めば治ると言っていたけどさぁ。御柱の不能はやっぱり精神的な部分が大いに影響していると思うんだよ。
男の子の心は頑丈に見えてその実結構繊細ですので。
要は己の自信をものの見事に打ち砕いてしまった世界最高峰の性技を越えるナニかが今の彼には必要なのだ。
例えばぁ……。男の本能を滅茶苦茶に刺激するすんばらしい体の持ち主が現れるとか??
しかし、その体の持ち主を見付けたとしても他所の領地に住む龍の女性に手を出す訳にはいかぬ。
それがきっかけとなって全面戦争になったら俺達の体なんてあっと言う間に消し炭になってしまいますからねっ。
「だよなぁ――……。はぁっ、取り敢えず俺様達の様子をコソコソと嗅ぎまわっている化け物百足を退治してうんめぇ空気をたらふく吸いたいぜ」
「そりゃ御尤も。よぉ、相棒。何か良い策はあるかい??」
俺の背を完全完璧に守ってくれている彼の背に問う。
「策、か。こういう時に誂えた様な策はあるぞ」
おぉ!! それは良い事を聞いた!!
「何だよ!! 聞かせてくれ!!」
「俺の生まれ故郷の砂浜を覚えているか??」
「忘れもしないさ。命辛々到着したら速攻で化け物みたいにデカイ蟹に襲われたからな」
こちとら死ぬ思いでバタ足をして砂浜に着いたってのに、待ち構えていたのは美女の抱擁じゃなくて蟹のドデケェ鋏だったし。
あの時、判断を見誤ったらこうして相棒達と出会う事も無かったんだよなぁ。
恐ろしくも懐かしい光景が強張っていた双肩の力をフっと弱めてくれる。
「お、おいおい。ハンナの故郷にもコレと似たような生物が棲んでいるのかよ」
「強さと大きさは全然比較にならないから安心しろって。それにその蟹は強い魔力を感じると砂の中から絶対に出て来ないし」
「それだ」
はい?? 急にどうしたのかな??
ハンナが静かに俺の方へ向かって振り返る。
「顔を出さなのなら『餌』 でおびき出せばいいのだっ」
おぉ!! 単純明快ながら野生の本能を刺激する作戦か!!
「でもさ、戦闘中なのに奴は餌に食いついて来るかね」
俺が持って来た食料はもう殆ど底を付き始めた古米と森の中で獲れた果実と残り物の鹿肉で作った燻製。
このどれかが奴の食欲に反応すればいいんだけど。
「餌に食いつくというよりも弱き者を屠る為に顔を出さざるを得ないといった感じだな」
「え?? それってぇ……」
「そうだ。ダン、魔力を極力抑えて俺の目の前の穴に立て。奴が貴様の体を両断しようとする刹那を狙いすまして俺が刃を研いでおく」
「ぜっっっったいに却下!!!! し、しかも何で俺が態々危ない餌役を担当しなきゃいけないんだよ!!!!」
警戒態勢を一時解除。
大型の魚を釣る為の生餌の役割を果たせとふざけた台詞を吐いたハンナの背にまぁまぁ硬い拳を捻じ込んでやった。
「ギャハハ!! 適任じゃねぇか!!」
「ふっ、安心しろ。某達が背中から守ってやるから」
「安心出来ないっつ――の!! 何で俺が餌役を……」
他人事みたいに笑うフウタとシュレンを睨み付けると俺の真正面の穴からふわぁっと饐えた臭いが漂って来やがった。
この臭いの強さはマジで洒落にならない奴だ!!
「ギギィィイイイ!!!!」
ほ、ほらね!! 俺の予想通り穴の闇の中から突如として鉱石百足の大きくて恐ろしい顔が現れたし!!
し、しかも!!
「どわぁぁああああああ――――ッ!!!!」
今度は妙にべたべたする液体を吐きかけて来やがった!!
突如として放射された濃い緑色の液体を命辛々躱すと野郎は再び闇の中へ姿を消してしまった。
「くっさぁぁああ!! 何だよこの臭い!!」
シュ――っと甲高い音を奏でながら白き湯気を放つ粘着質の液体を見下ろす。
「ベッシム殿が言っていただろう。溶解性の液体を吐くと」
シュレンが珍し気に液体の残り滓を見下ろしつつ話す。
「岩が溶ける液体って結構ヤバくね??」
「フウタの言う通りだ。これからは炎の放射だけじゃなくて溶解性の液体にも注意を払わなくちゃいけない。だが!! 今の襲撃によって俺は馬鹿な相棒よりも更にイイ作戦を思い付いちゃったんだよねぇ――!!」
恐怖心を霧散させる為、敢えて仰々しく両手を広げて陽性な声を出してやる。
「話せ」
あ、うん。
今からそのつもりだったから態々命令口調で話さなくてもいいだぞ、このほぼ童貞野郎の白頭鷲めが。
「奴が顔を出す刹那にものすごぉぉくくせぇ饐えた臭いがしたんだ。だから百足の襲撃に備えて穴の前に鼻の利く者を配置。ついでに敢えて魔力を抑えておけばその穴から出て来る可能性が高まる。奴が餌に釣られて出て来る穴を特定出来れば……」
「容易に攻撃を加える事は出来るな」
ハンナが静かに大きく頷く。
「勿論、鼻の利く者が配置されている穴から絶対に出て来るとは限らないけどそれでも何もしないよりかはマシさ。ってな訳でぇ!!!!」
新しい玩具を見付けた子供の様な煌びやかな瞳を浮かべてフウタとシュレンを見つめる。
「ちっ、話の流れからしてそんな気はしていたけどよぉ……」
「頼むって。ほら、今度大きな街に行ったら美味しい物を奢ってあげるからさ」
「足りねぇ――」
こ、このっ!! おねだり上手さんめ!!
「某は正面の穴の前に身を置く。饐えた臭いが届いたのなら直ぐに叫ぶが故、構えておけ」
シュレンが鼠の姿に変わると四つの足を巧みに動かして穴の前へと移動してくれた。
「ほぉぉっら、恐れを知らぬシュレンは四の五の言わないで俺の作戦に従ってくれたぞぉ――?? 忍ノ者は意外と怖がりなのかしらねぇ――」
「わ――ったよ!! 従えばいいんだろ!? 従えばぁ!!」
はいっ、良く出来ましたっ。
横着な息子が嫌々ながらも親の言う事を聞いてくれた時に感じる母親の心情を胸に抱いてそう言ってやった。
「言っておくけどマジで危なかったら逃げるからな!!!!」
フウタが壁を伝い、闇が蔓延る天井にポッコリと空いている大きな穴に向かいつつ叫ぶ。
「はいはい、分かっていますよ――。その判断はフウタに任せますからね――」
「畜生……。貧乏くじはいつもダンが引くってのに何で今日に限って俺様が引かなきゃならないんだ」
うふふ、幸運を司る駄女神様は俺の日頃の行いを見ていたのですよ。
横着坊主共の飯の世話、無理矢理やらされている洗濯に天幕内の掃除等々。
毎日の徳の積み重ねが漸く実を結んだとでも言いましょうかね!!
偶には安全な場所から戦いを見守るのも乙なものさ。
だが、此処で油断すると灼熱の火炎で焼死若しくは溶解性の液体でぇ……、溶けて死ぬに当て嵌まる死因って何て呼べばいいんだ??
溶解死?? それとも焼け爛れて死ぬのだから焼死になるのかしら??
いずれにせよ恐ろしい死が待ち構えている事に変わりは無いのだからこのまま集中力を高めて行きましょう。
「「……」」
相棒と背中合わせで互いの死角を無くしつつ穴の中の無尽蔵に続く闇を見つめていると、何処かの穴から奴の移動音が徐々に高まって来やがった。
この部屋中の空気を悪戯に揺らす気色の悪い音の音源は一体何処だ……。
「シュレン!! 何か感じるか!!」
穴の前でキチンとお座りして奴の登場を待つ小鼠の背中に問う。
「饐えた臭いが仄かに香る位だ」
ふむ、という事はだよ??
残る穴は三つなのだからそのいずれかにあのドデケェ頭が登場する可能性がグンっと高まった訳だ。
シュレンの前の穴に割いていた注意力を他の穴に向けた刹那。
お疲れ様でした。
一万文字を超える長文となってしまいましたので前半後半分けての投稿になります。
現在、後半部分の編集作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。