第百六十六話 立つ鳥跡を濁さず その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
夜の闇と類似した暗さが蔓延るだだっ広い石造りの間。
壁に掛けられた松明は闇を打ち払おうと懸命に光り輝き、闇は彼等の明かりを嫌い肩を窄めて石造りの間の隅へと避難して行く。
閉鎖的な空間に居る事を紛らわせようと若干の土埃を纏った空気を鼻からスンっと取り込めば幾分か気持ちが楽になる。
肌に纏わり付く濃度の濃いマナが嫌悪感をより一層際立てるが今現在俺達は公務の真っ只中なので文句の一つも言わず己が果たすべき責務を処理し続けていた。
「どうだ?? ゲェイズ。何か気になる点はあるか??」
「う……、む。今の所は問題無いがこの条件は何とならんのか」
俺の正面。
黒く長い髪を後ろに纏め、大変気難しい顔で大切な書類を睨み続けている彼が一枚の紙を取ると此方に渡してくれる。
「あぁ、この殺人を絶対的に禁止するって奴か。行政側は闘技場での催しを利用して軍の強化、並びに王都守備隊の人員補充を考えているからな。大陸から押し寄せて来る腕の立つ者達が開催毎に死んじまったら尻窄んでそれ以降集まらない蓋然性があるし。それにその条件だけは絶対に譲らないって感じだったから仕方ないと思って諦めるんだな」
彼から受け取った紙を一読すると石畳みの床の上に乱雑に置かれている紙の上に重ねてやった。
「では優勝者と俺達が選んだ者以外の参加者と戦うのを禁ずるという条件もか??」
「それもほぼ同じ意味だろうさ。お前さん達はつまみ食い程度に考えているだろうが、向こうからしたら三つの獅子の頭に恐ろしい毒牙を持った大蛇と戦わなきゃいけないんだぜ?? 人若しくは魔物と戦う事を想定していたのに、いざ蓋を開けたら怪物でした――何て洒落にならんだろう」
「ダン!! 僕の事はもうちょっと可愛く言って欲しかったな!!」
胡坐を掻いて座る俺の膝の上に陣取るモルトラーニが憤りを表す様に一つポンっと跳ねる。
「あぁ、悪い。兎に角!! 優勝者並びにお前さん達が取捨選択した猛者達と一戦交えるのは闘技大会が終わった後だ。それ以外での戦闘は御法度。万が一条件を破ったのならその大会中は参加不可。そして無意味な殺戮を行った場合は全戦力を以てお前さん達を屠るそうだぞ??」
「ふんっ、そっちの方が面白そうではあるな」
「だよねぇ――。たぁくさんの大蜥蜴達を丸呑みするのも捨て難いよねぇ」
全く……。この子達と来たら……。
戦う事しか頭の中に詰まっていないのかしらね!! 親の顔が見て見たいですわ!!
「たった一度の過ちで数百年を棒に振り、ましてやこれまで幾度となく交渉して来たのが無に帰すんだぞ?? 俺だったらその選択肢は取らないね」
「あ、もぅっ。座り辛いから動かないでよぉ」
此方に背を向けて座っているモルトラーニがさり気なく体を預けて来たので上半身を右側に逸らし、わるぅい表情を浮かべているゲェイズを咎めてやった。
「ふっ、冗談だ。俺は知識の比べ合いが好きだからな。大会を利用して聡明な奴と出会うのが楽しみだ」
「お前さんが俺達に問いを提示した様に、大会中にもあれと似た問いを参加者に投げかけてもいいそうだぞ。何でも?? 戦いばかりじゃなくてある程度の知識を持った奴の選別に役に立つという事だそうだ」
ある程度の賢さを持ち、キマイラを満足させる事が出来る武力。
文武両道じゃあないけども、頭の中まで筋肉がミッチリ詰まった筋肉達磨よりも文武を両立させている者を採用した方が絶対役に立つだろうし。
「ふふっ、今から大量の問いを制作しておくか。闘技場の完成は確か約十年後だったな」
「建設の遅れが出ない限りはね。時折この奈落の遺産から出て街の様子を見に行けよ?? ここと外との時間の流れは全然違うんだし」
気が付いたら数百年経っていました――ってなったら洒落にならんだろうさ。
「それは慣れているから大丈夫だ。兎に角……、ふぅっ。これで交渉は終了だな」
「んっ、お疲れっ」
地面に散らばっていた書類を一塊にして此方に渡してくれたゲェイズに労いの言葉を掛けてあげた。
これにて俺達の請負も終了――っと。
後はこっちに居る大陸の人達に暫しの別れの挨拶を告げるという大仕事を終えるのみだ。
仕事が一段落したのにまた次の仕事がやって来る。社会生活における経済連鎖も残す所、後僅かだと考えるとちょっと寂しい気がするな。
「後は闘技場の完成を待つだけか――。ここでぼぅっとしていたらあっと言う間に十年経っちゃうからその点に付いては別に問題無いんだけどぉ」
「何だよ?? その意味深な目は……」
モルトラーニが此方にチラリと視線を送りつつ話す。
「今日で交渉は終わりでしょ?? ダン達は役割が終わったら北西のガイノス大陸に旅立っちゃうから寂しんだよ」
「仕方が無いだろ。俺は冒険の途中で此処に立ち寄っただけなんだから。あ、そうそう。ガイノス大陸で何か気を付ける事とか、絶対に近寄るべきではない場所ってある??」
大切な書類を己の鞄の中に仕舞い、さり気なぁく柔らかい臀部をグイグイと押し付けているモルトラーニの背を押しつつ問う。
「気を付ける事ねぇ……。お――い!! ランレルぅ!! ジェイドぉ!! 巨龍族ってまだ存在していたっけ――!!!!」
静かな交渉を続ける俺達からかなり離れた距離でワンパクをしている彼等に向かって叫ぶ。
「おぉぉおおおお!!!!」
「やるなぁ!! グレイオス!! もっと貴様の雄を見せてくれ!!」
「グレイオス殿!! 早く交代しろ!! もう俺の番の筈だぞ!!」
アイツ等……。俺達は交渉に来たのに何で素手で殴り合っているんだよ……。
元気過ぎるのも大概にしろよな。
「あ、はぁっ……。憤るハンナの横顔も好きっ」
そして若干一名は自分の世界から相棒の端整な横顔に囚われているし。
「あ――あっ、全然僕の話聞いていないや。これだから筋肉馬鹿は嫌なんだよねぇ」
「モルトラーニ。今、巨龍族って言っていたけどさ。そいつらの特徴とか他にも龍がいるなら教えてくれる??」
「いいよ!! 巨龍族ってのは文字通り馬鹿みたいにデカイ龍の事だね。僕達が生まれた頃に見た大きさはぁ……。そうだね、現在の単位で表すと翼長五、六百メートルって所かな??」
でっっっっか!! そしてこっわ!!!!
俺達が次に向かおうとしている大陸にはそんな怪物が空を飛び回っているの!?
「何だよその馬鹿みたいなデカさ。もう生物が持っていい大きさじゃないじゃん」
「あはは!! 僕もそう思うよ。でもそれよりも大きな翼を持つ個体も居たみたいだし。あ、でも安心しなよ。原始の時代から時間が経つにつれて小さくなっているから」
「それは……、多分だけど人と交わった結果だからかな??」
モルトラーニの言葉を受け取ると南の古代遺跡に描かれた壁画がふと脳裏を過って行った。
確か……、壁画には九祖の前に人と思しき姿のモノが集まっている場面があったよな??
彼等は人と交わい後世に命を紡いだ。その代償として世代を重ねる内に次第に力が弱まって行く……。
この星の始祖である九祖の子孫である者達は今現在どんな姿形をしているのか。楽しみでもあり恐ろし気でもあるな。
「正解だ。彼等は同種でも種を残せるが、血が濃過ぎると子が育たないまま死に絶えてしまう。閉鎖的な集落ではそれが顕著に目立つ。どの種族でもそうだが時折人と交わり、違う血を一族に迎え入れなければ種は存続出来ないのだ」
人間でも兄弟姉妹と交わると悲しい結果を迎えてしまう子が生まれると聞いた事があるし。その結果は魔物達でも変わらないんだな。
「巨龍族以外にも魔法を得意とする龍だったり、物理と魔法の両方を得意とする龍だったり。そして……、僕達の生みの親でもある創造主様を封印した憎き覇王の血筋も居るだろうねぇ……」
モルトラーニがちょいと背筋が冷えてしまう恐ろしい瞳を浮かべて宙を睨みつけた。
「覇王?? 何だそりゃ」
「亜人と残りの九祖が敵対した事は知っているよね?? 残り八体の九祖を率いたのが龍でさ。九祖を率いる隊長という意味で覇王の名を語っていたんだよ」
へぇ、そりゃ初耳だ。
次の大陸は龍が支配する場所だし、知っておいて損は無いよな。
「覇王の血を引く者は取り分け強いから気を付ける事だね!!」
「有難う、助かったよ」
モルトラーニの大変撫で易い頭をヨシヨシと撫でてやる。
「えへっ、どういたしまして。ねぇ――、今日でお別れなんだからさぁ。あっちの石柱の間で刺激的な事しない??」
彼が此方に向かってクルっと方向転換すると俺の首に両腕を甘く絡めて来る。
「俺は野郎とそういう事をする趣味は無いって前も言っただろうが。それと、此処に長く居座ると不味いんだよ」
「ひゃんっ」
甘い拘束を解除すると彼の軽い体を持ち上げて冷たい石畳の上に置いてやった。
「も――、酷い事するなぁ。女の子の体は大切に扱わなきゃいけないんだぞ」
「はいはい、次からはそうしますよっと。こらぁぁああ!! そこの筋肉馬鹿共――!! そろそろ帰りますよ――!!!!」
今も激しい汗を方々に撒き散らしている大男達に向かい、夕方まで友人達と遊び回っている息子を迎えに来た母親の口調で叫んでやった。
「ちぃっ、時間か……」
「ふぅ――……。グレイオス、時間が出来たのならまた来るといい。俺はここで己の雄を磨き続けているからな」
「あぁ!! また共に煌めかせよう!!!!」
大量の汗とムンムンな熱気を纏った二人の大男が激しく抱擁すると胃の奥から酸っぱいモノが込み上げて来やがった。
おえっ、可愛い女の子同士の抱擁なら大変絵になるのですが。むさ苦しい野郎二人の抱擁の場面なんて見たくねぇって。
「ハンナぁ。私を置いて行かないでぇ――」
「安心しろ。俺もグレイオス殿同様、機を見計らって戻って来る」
「そ、それって私にぞっこんって事かしら!?」
いいえ、違います。
彼はあそこの筋肉達磨と一緒で体を鍛える事しか頭の中に無いのです。
「じゃあダン。暫くの間お別れだね」
モルトラーニがニッと明るい笑みを浮かべて右手を差し出す。
「機を見計らって相棒と筋肉達磨を引き連れて戻って来るからな」
彼の小さな手を男らしい所作で握り締め、此方も負けじと明るい笑みを浮かべてやった。
「ふぅ――、良き時間を過ごしたぞ」
「俺はまだまだ鍛え足りない。グレイオス殿ばかりを相手にし過ぎだ」
一人は大変した満足した顔で、もう一人はまだまだ遊び足りない顔で此方に戻って来る。
さてと、荷物を纏めて出発しなきゃな。
「早く片付けしなさいよ――。ここの時間と向こうの時間の流れは全然……」
モルトラーニの手を離そうとした刹那。
「えへへっ、好き在り……。んっ」
「うぶっ!?!?」
大馬鹿野郎が俺の手をグイっと引き寄せ、此方の体勢を崩したのを利用して唇を奪いやがった。
「んはっ!! はぁ――、御馳走様でしたっ」
薄く焼けた健康的な肌に誂えた様な無邪気な笑みを浮かべて此方を見つめる。
モルトラーニが華奢な体躯の前に手を合わせ、クスリと笑えば明るい焦げ茶色の髪が楽しそうにフルっと揺れる。
その姿は何処からど――見ても十四、五程度の女の子なのだが……。如何せん、こいつの性別は不明だから外見的特徴から鵜呑みにするのは駄目だよな。
「あ、あのねぇ……。野郎とこういう事はしないって言っただろう!?」
「いいじゃん別に。これで二回目なんだしっ??」
モルトラーニがペロリと舌を出してお道化る。
「それに僕は女の子って何度もそう言っているじゃん」
「あぁ、はいはい。そうで御座いましたね――。よぅ!! 相棒!! 早く服を着替えて帰ろうぜ!!」
ぷっくりと頬を膨らませて性を偽る彼?? 彼女?? を無視して若干の汗臭さを滲ませている相棒の肩を強く叩いてやった。
「分かっている。そう急かすな」
「グレイオス隊長も早くしろよ――。ここでグズグズしていたらトニア副隊長がおばあちゃんになっちまうぞ――」
「分かっている!! 同じ事を何度も言うな!!」
お前さんの場合は放っておいたらいつまでも鍛えてそうだからね。
しつこい位に釘を差さなきゃいけないのさっ。
「ねぇぇ、ハンナぁ。もう一時間だけここに居て?? ねっ??」
「グレイオス!! もう一戦交える気は無いか!? 俺の雄が滾って収まらんのだ!!」
「ダン――、やっぱりもう少し一緒にいようよ。僕、寂しいもん」
片やこの場に留めようとしている者達。
「俺には時間が無いのだ。また気が向けば相手をしてやる」
「次に会う時まで雄の純度を高めておけ!!」
「だ――!! 離れろ!! そしてくっつき過ぎなんだよ!!!!」
片や一刻も早くこの場から離れようとしている者達。
彼等が放つ明るさは周囲に蔓延る闇を打ち払う程であり、闇は一刻も早く彼等が立ち去る事を願った。
しかし、その願いは虚しく。闇が想像しているよりも大幅に遅れて彼等は急いだ歩調で石造りの間から去って行った。
それからはいつもの静寂が訪れ、四頭の獣はその時に備えて牙を研ぎ始めた。
その姿は今から獲物に襲い掛かる獰猛な獣の様に映り闇は恐れをなして彼等が去る前よりも更に大部屋の奥まった壁の片隅に避難したのであった。
お疲れ様でした。
現在、サッポロ一番塩ラーメンを食しながら後半部分の編集作業を続けております。
後半部分は一万文字に届きそうな為、次の投稿は恐らく深夜になるかと思われます。それまでの間、今暫くお待ち下さいませ。