第百六十五話 真実は暗き海の底へ その一
お疲れ様です。
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夏の暑さの余韻が残る夜空の下に湿気がふんだんに含まれた生温い風が優しく吹くと風の流れに合わせて名も無き雑草達がさぁっと揺れ動く。
葉の擦れ合う音は夜のお供として最適であるが、それは時と場合によっては不気味に聞こえる場合もある。
目に見えぬ邪悪な者が音に紛れて移動しているのでは無いか??
我々の想像に及ばない力が働いて雑草が揺れ動いているのでは無いか??
人が持つ想像力の高さが有り得ない妄想を狩り立て、その妄想に影響を受けた体は嫌な汗を流して今現在の精神状態を端的に表現する。
それを捉えた者達は否応なしに触発されてしまいその者と同じ精神状態に陥ってしまう。
人が抱く恐怖は伝播する。
心を持つ人々はこの摂理から決して逃れられず、恐怖に打ち勝つ為に何か行動を起こすのだ。
「ふ、ふぅっ……。まだ少し暑いですね」
レシーヌ王女様が薄手のシャツの胸元を細い指で摘まむと体内に籠った熱を逃そうとしてパタパタと優しく揺れ動かす。
「夜は始まったばかりですからね」
彼女の所作を一切合切見逃すまいとして真剣そのものの瞳の色でじぃっと見つめる。
うぅむ……。月明かりがあるとはいえ、シャツの隙間からは暗闇しか見えてこないのが非常に残念だ。
ほら、夜空に浮かぶお月様??
俺は彼女の柔肌を堪能したいのでもう少し光量を上げて下さいませ。
決して叶わぬ願いを夜空に向かって放つと。
『馬鹿な願いを唱える人には意地悪をしちゃいますっ』
遠い彼方から流れて来た雲が明るい月の光を遮り、辺り一面は天然自然の暗闇に包まれてしまった。
「く、暗いな……」
グレイオス隊長がいつもより人との距離を縮め、少々頼りない舌使いでそう話す。
「真昼間に肝試しをする訳にはいかねぇだろ。さてと、これから班を分けて屋敷から北東方向に咲いている花を採取しに行く訳なんだけどぉ。その班分けはどうするので??」
屋敷のだだっ広い裏手で一塊になっている中から誰とも無しに話す。
「で、ではこの肝試しを提案した私が決めましょう。第一班は私とダン、第二班はティスロとハンナ、そして第三班はグレイオス隊長とトニア副隊長の班分けにします。異議はありますか??」
我が相棒が大変価値のある双丘を独り占めする事に対しての異議を唱えます!!
そう言いたいのは山々だがそんな事を口走ったのならレシーヌ王女様から熱烈な往復ビンタを頂戴する可能性がありますので大人しくしましょう。
それにほぼ童貞の野郎が、しかも最愛の女性を故郷に残しているのだから手を出す筈は無いし……。
いや、待てよ??
クルリちゃんの目が無い事を良い事に好き勝手する可能性は僅かながらに存在するよね??
アイツだって股間に立派な聖剣を持っているんだし。
「お、おほん。班分けの再考を願う事は出来ます??」
彼に代わってあの最高級の双丘を堪能すべき。
そう考えさり気なく、そして厭らしい感情を一切含ませない四角四面の口調で異議を唱えたのだが。
「却下ですっ」
俺の考えを見事なまでに見抜いた彼女は一秒にも満たない速度で却下判決を下してしまった。
「はやっ!! せめてもう少し考える素振を見せて下さいよ!!」
「これが最善の班分けですからね。さて、次は各班が向かう道順を決めるのですけど。希望はありますか??」
「俺達の班は東からの道で出発する!! 異論は許さんぞ!!!!」
そんな馬鹿デカイ声を出さなくても聞こえていますよ――っと。
最短距離を進めば恐怖体験は僅かで済むと考えたグレイオス隊長が俺達の鼓膜をブチ破る勢いで叫ぶ。
「では私達は西から出発しましょうか」
そしてティスロは彼と一秒でも長く相棒と共に行動したいと考えて西からの出発を所望ですか。
「あぁ、それで構わん」
相棒は特に彼女の心情を考える事無く速攻で了承して小さく頷いた。
「では道が決まりましたので道順を説明したいと思います。東の道に分岐点は無く、そのまま道に沿って進んで行けば目的地に到着します。西の道は暫く進んで行くと分岐点が見えて来ます。二つ目の分岐点を右折すれば目的地に到着します。そして我々が進む道も二つ目の分岐点を右折して目的地に向かいます。ここまで何か質問はありますか??」
レシーヌ王女様が捲し立てる様に一気に説明を終えると。
「「「……」」」
俺達は特に何を言う事も無く、若干息苦しそうな彼女の端整な顔を見つめて一つ頷いた。
「それでは出発しましょう!! 各班の健闘を祈ります!!」
「トニア副隊長!! 斥候役を任せるぞ!!」
「敵性対象が居る訳ではありませんが……。隊長命令なら仕方が無いですね」
「ハンナさん!! 頑張りましょうね!!」
「只の散歩だろう。そこまで気合を入れる必要は無いぞ」
レシーヌ王女様の合図をきっかけに各班が進むべき道へと向かって行く。
「到着が遅れますと食器洗いが待っていますので俺達も出発しましょうか」
「は、はいっ!! ではダンが先導役を担って下さい」
「自分がですか??」
乾いた土の上を進み、俺達を誘う様に大きく手を広げて待ち構えている北側の道へと進む。
「こういう時は男性が女性を守る為に前を進むべきだと思うのです」
「それは偏見では?? 世の中には男性よりも強い女性が山程居ますし、それにそういった考えが男性と女性の固定観念を生み出してしまうのです。行政の頂点に立つ者は固定観念に囚われず柔軟な考えを持つべきであり、他者の考えを吸収してより良い結果を導き出す……、って!! ちょ、ちょっと!! 押さないで下さいよ!!」
北の道に足の裏を乗せるとそれを見計らった様に彼女が俺の背に回り込み、女性の力とは思えない勢いでグイグイと前へ押して行く。
「休暇にまで来て説教は聞きたくありません!! ダンは私の言う通りに動けば良いのです!!」
横柄って言葉がこれ程似合う状況はありませんよねぇ。
レシーヌ王女様に意地悪し過ぎて腰を抜かしてしまったら朝方まで説教を食らい、心にトラウマを植え付けてしまったのなら禁固数年の実刑を受ける可能性もある。
此処は一つ、彼女の指示通り騎士役を演じるとしましょうかね。
「畏まりました。姫様、私の後ろに続いて下さい。立ち塞がる敵をこの剣で屠って見せましょう!!」
幻の剣を右手に持ち、空高く掲げて勇敢なる騎士役を演じてあげた。
「ふふっ、ちょっと頼りない騎士さんですけど頼りにしていますね」
あらまっ、一言余計な気がしますけども。麗しの姫君様を悪しき手から守る為に先導役を始めましょうかね。
真昼の暑さは少しずつではあるが鳴りを潜め、その代わりに夜の涼しさが闇の中に漂い始めている。
海から届く浜風は潮気を含み、鼻から呼吸をするとほんの僅かな塩気を感じる。
名も無き雑草と背の高い木々が放つ緑の香りと海から届く潮の匂いが混ざり合った何とも言えない匂いが俺と姫君様を包み込む。
天から降り注ぐ月光は木々の枝に遮られており良く目を凝らして前方を見ていないと地面からひょっこり顔を覗かせている木の根に足元を掬われてしまいそうだ。
「さっきの話なのですが……。アレは本当にあった話なのです??」
彼女の歩みに合わせて遅々足る速度で進んでいると背中から姫君様の頼りない声量が耳に届いた。
「本当かどうか知りませんけど、港町に古くから伝わる話の一つですよ」
「そ、そうなのですか」
「あぁいった話は与太話、作り話の類が大半を閉めますが中には信憑性の高いモノもあります。長い歴史が信憑性の高い話を風化させて聞き手にとって様々な解釈で受け取れる話に変化してしまう事もあるのです。大切なのは素直に受け取るのでは無く、情報の取捨選択や歴史的考察を繰り返してその話の信憑性を高める事でしょうね」
話している内に大陸南で発見した古代遺跡や相棒達と死闘を繰り広げた五つ首の恐ろしい姿が脳裏を過って行く。
滅魔と呼ばれる怪物は古の時代から現代までその力を存分に発揮し、古代遺跡の最奥には恐らく俺達が触れてはイケナイ危険な何かが隠されているのだろう。
古代人が残した話や物体は現代に至るまで存在し続け、文明社会が発達した世界で暮らす人々は彼等が残したそれを鼻で笑い有り得ない空想上のモノであると考える。
それが突如として目の前に登場したのなら果たして現代人は一体どんな反応を見せるのだろうか??
恐らく、何も出来ず恐怖に駆り立てられ方々へ逃げ遂せるのだろうさ。
それを未然に防ぐ為に逸話として古代の情報を分布しても結局は与太話として捉えられ意味を成さないのだ。
詰まる所……。
世に余計な混乱を招かぬ為、人知れず誰かが凶悪で強烈な力を抑え付けなければならない。
これは俺の考えなんだけど……。
この冒険の発端となった地図に記してあったバツ印の意味は古代から現代まで続く超自然現象的な何かがそこにあると記した蓋然性があると思う。
マルケトル大陸のバツ印は五つ首。リーネン大陸のバツ印は古代遺跡。
ほら?? 矛盾しねぇだろ??
次に向かうガイノス大陸のバツ印には一体何が潜んでいるのやら。そして俺の生まれ故郷のバツ印には一体どんな意味があるのだろう。
冒険心を多大に刺激してしまう楽しみでもあり、悪戯にその場所を刺激しても良いのだろうかという恐ろしさもある。
陽性な感情と恐怖心が入り混じった何とも言えない感情を胸に抱き、暗き闇が支配している道を進んでいると最初の分岐点が見えて来た。
「ここは通り過ぎて次を右折でしたね」
「その通りです。次の分岐点を右折ですよ」
大人一人が何んとか通れる狭き十字路を直進。
新たに現れた道の上を進んで行くとレシーヌ王女様が注意して聞かないと聞き取れない声量で口を開いた。
「ダンはこの休暇が終わったら……。新たなる冒険に向かってしまうのですよね??」
「え?? えぇ、一応その予定ですけど」
「これでお別れ、という訳ではありませんよね……」
これまで俺の背に続いて歩いていた彼女がふと歩みを止めたので此方もそれに倣い、本当に静かに歩みを止めた。
「何んと言いますか……。自分がこの冒険を始めたきっかけ。その全てを調べないと気持ちが悪いと言いますか。奥歯に物が挟まる感覚がいつまでも消えないと思うのですよ。そんな中途半端な気持ちを抱いてグレイオス隊長達やシンフォニアのドナ達と過ごしていても心此処に在らずの状態では迷惑を掛けてしまいますので」
「では、その全てを調べ終えたのならまた戻って来てくれますか??」
レシーヌ王女様が切ない表情を浮かべて俺に向かって一歩進み来る。
「勿論戻って来るつもりですよ。こっちで知り合った人達は皆気の合う奴等ばかりですし、それに……。レシーヌ王女様には新しく入荷した冒険話を伝えなければならないので」
彼女の表情を受け取ると此方もまた一歩進み、互いの距離を縮めて行く。
「有難う、ダン。私の我儘を聞いてくれて」
「いえいえ。しがない請負人は依頼主の願いを叶える為に汗を流すのですからね」
「「……」」
互いに手の届く距離に到達すると動きを止め、何を言う事も無く互いの瞳の奥を直視する。
彼女の瞳の奥に浮かぶ色は憂慮、願望、羨望等々。
先の見えぬ未来を見つめるかの様に若干の期待と不安が入り混じる複雑な色だ。
その色を煌びやかな色に染めてあげたい。少しでも不安を和らげてあげたい。
そう考えて手を伸ばすとレシーヌ王女様も俺と同じ考えを持ったのか、柔らかな所作で手を伸ばして互いの手が宙で混ざり合った。
「温かいですね」
「レシーヌ王女様の手も温かいですよ」
五つの指を互いに絡み合わせて真心の籠った言葉を放つと周囲の雰囲気が大変柔らかなモノへと変化。
その雰囲気に触発される様に更に力強く指を絡めると自然に互いの距離がほぼ零になってしまった。
「……っ」
此方を見上げるレシーヌ王女様のしっとりと濡れた瞳が守ってあげたくなるという男の心を刺激し、胸元から伝わる彼女の体温が男の性を強く刺激する。
む、むむ?? こ、これはひょっとしてこれより先に進んでもイイぞという合図なのかしら!?
互いの身分を考えないのなら俺を誘う様に上向いている大変柔らかそうな唇を頂き、あそこの茂み若しくは木の影に移動して行為に及ぶのだが……。
クソ真面目なもう一人の俺がこれ以上の行為に警鐘を鳴らしていた。
『もしも彼女を頂いたのなら禁固千年は固いでしょうね』
だよなぁ……。
一国の王女様を国王様の了承も無しに、性的に食したのなら両目が前方に飛び出してしまう極刑が下されるのはまず間違いない。
此処は断腸の思いでグっと堪えるべきでしょう……。
前へ進むべきであるのに後退せねばならない。今程己の身分の低さを呪いたくなるぜ。
「い、いやぁ、暑いですねぇ」
今も甘く絡む手を強制的に解除して一歩後退すると。
「――――。私から逃げないで」
レシーヌ王女様が一歩前進して強烈的な距離を維持してしまった。
男の脳味噌を犯す甘い言葉が鼓膜に入った刹那にクソ真面目なもう一人の自分が霧散。
俺は本能の赴くままに彼女の体を強烈に、しかし相手を壊さぬ様に抱き締めようとした。
「むぉ!? トニア副隊長!! い、今何かが動かなかったか!?」
「「ッ!?」」
随分と遠い場所から聞き慣れた男の声が聞こえて来たので甘い距離を刹那に解除した。
い、今のはマジで危なかったぜ!!
グレイオス隊長の恐れ慄く声が聞こえなければきっと行為に及んでいた事だろうさ……。
「グ、グレイオス隊長の声が聞こえましたねっ」
レシーヌ王女様が急な行動で乱れてしまった髪を整えつつ話す。
「え、えぇ。どうやら互いの道が徐々に縮まっている様ですよ」
バックンバックンと五月蠅く鳴り響く心臓の頭を優しくヨシヨシと撫でつつ彼等が居るであろう方向へ向かって睨んでやった。
極刑を免れた事に付いての礼が感情の大半を占めるが、その残りは目の前の御馳走を逃がしてしまった事に対する義憤だ。
あ、あの大蜥蜴め。何て絶妙な機会で叫びやがるんだよ……。
一夏の間違い程度なら犯しても御咎めはぁ……。ま、まぁっ情状酌量の余地があるとして禁固数十年単位で済ませてくれれば御の字って所かしらね。
お疲れ様でした。
これから休日のルーティーンを終えた後に後半部分を執筆します。
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