第百五十八話 月下に舞い降りた麗しの女神 その二
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。
彼の体から漂って来る汗とお酒の匂いが混ざり合った香り。
それが私の鼻腔から体に侵入すると自分でも感情の整理が整わず自然と心臓の音が強烈に鳴り響いてしまう。
人によっては嫌な匂いに分類されてしまう香りだが……。私はこの香りに体と心を支配されつつあると実感してしまった。
体温が急上昇しているのは彼の大人の香りだけでは無く、彼が私だけに伝えてくれたありのままの言葉も含まれている。
私の事を可愛いと言ってくれた。
たった一言だけなのにこうも己の感情を刺激されるとは思いもしませんでしたよ。
ふ、ふぅっ!! 落ち着きましょう。
今現在私達は大勢の目に晒されて踊り続けているのです。
自分の心のままに行動してしまっては一国の王女として恥ずかしいですからね。
でもちょっとだけ意地悪な私が顔を覗かせ、真面目な私とは真逆の言葉を口に出してしまった。
「ダン、音が変わりましたのでもう少し私の体を引き寄せて下さい」
ヴァイオリンの音が軽快な物からしっとりと落ち着いたモノに変わると今も変わらずぎこちない所作で私の手を握っている彼にそう伝えてあげる。
「えっ!? そ、それは流石にぃ……」
むっ、折角意地悪な私が勇気を出したのに応えないつもりなのですね??
「そうですか。それなら私に恥を掻かせた罪を償って貰いましょうか」
権力を振り翳すのは好きではありませんが折角の機会を台無しにするよりかは……。
そう考えてちょっとだけ不機嫌な様子を醸し出して汗ばんでいるダンを睨んであげた。
「わ、分かりました。それでは失礼します!!」
彼が私の腰に手を当てると男らしい所作で体を引き寄せてくれる。
「んっ……」
距離がほぼ零に縮まる事によりダンから伝わって来る大人の香りがより強烈になり私の心と頭が彼一色に染まってしまう。
私の部屋でいつも感じていたダンの匂い、温かな体温、そして優しい心が直接伝わって来ると本当に幸せな気分に包まれてしまった。
長い冬を乗り越えて漸く訪れてくれた春の陽光の様な温かな感情が心に湧くのはきっと彼だからこそ感じるものなのでしょう。
私が今感じている感情を直に伝えたらどうなるのか。
きっと彼は驚いて私から距離を取ってしまうのでしょうね……。
一国の王女と一市民である彼との間には身分という高い壁が構築されているのだから。
でも彼にはそれを乗り越えて欲しい。そして私の手を取り温かな感情を受け止めて欲しい。私の我儘を聞いて欲しい。
「……」
本当に複雑な感情を胸に抱いたままさり気なく彼の顔を見上げると。
「畜生、あの野郎……。お宝を独り占めかよ」
「お、踊りは初めてなので難しいな」
「そうですか?? 凄く上手に踊れていますよ??」
あろうことか、ダンの視線は私では無くハンナと踊っているティスロの胸元へと注がれていた。
ど、どうして貴方はそう己の欲望に素直なのですかっ!!
彼女程じゃあありませんけども!! 私は世の女性の平均的な標高を持っているのですよ!!
「何処を見ているのです??」
ゼェイラさん直伝の大変こわぁい声色を放つと。
「し、失礼しました!!」
彼はギクリとした様子を醸し出し、改めて私の目を直視してくれた。
うん!! そうそう!! 踊りの相手以外を見つめるのは失礼に値しますからね!!
今は私だけを見つめていればいいのですっ。
「しかし、そのぉ……。何んと言いますか……」
「どうかしました??」
彼と手を取り合いゆるりとした動きで左右に揺れつつ問う。
「どうして人の姿で参られたのですか?? いつも通りに大蜥蜴の姿でも良かったのでは……」
本当は私もそうするつもりでしたよ??
でも……。
『レシーヌ王女様。晩餐会に御出席されますよね??』
『えぇ、どうせならダンと色々話をしたいですし』
『それでは人の姿で登場してみては如何でしょうか?? ダンさんもきっとそれを望んでいると思いますよ??』
『そ、それはちょっと勇気が要るなぁ……。本当ならもっと早くこの姿でお礼を伝えたかったのに……』
私を救ってくれたあの日以来、公務で本当に忙しくて彼に礼を伝える時間が無かったのだ。
『元気になった姿を見せればダンさん達も喜びますでしょうし』
『ティスロはそう言うけどさ、初めて本当の顔を見せるのは緊張すると言うか億劫になると言いますか……』
『いずれは見せなければいけないのです。それでは!! 私が晩餐会の場に相応しい服装を選びますね!!』
『ちょ、ちょっと!! いきなり服を脱がさないで!!』
これまで通り自室で己の殻に閉じ籠ろうとしたのだがティスロがそれを良しとせず無理矢理私の服を脱がして取捨選択に取り掛かり、強引な形でこの場に引きずり出してしまったのだ。
でもダンの顔を見ているとティスロの選択が正しかったのだと思える様になって来た。
私の顔を見て照れて目を逸らす。小恥ずかしそうに小さな咳払いをする。
普段の飄々とした彼からはとてもじゃないけど想像出来ない姿を見られたのだから。
「私を救ってくれた事に対しての礼を伝える為です。大蜥蜴の姿は御見せしましたけど、人の姿はまだでしたので」
ありふれた理由を伝えると。
「な、成程。そういった経緯があったのですね」
彼はそれを鵜呑みにして一つ大きく頷いてくれた。
「ダン、この度は私を救ってくれて本当に有難う御座いました。この御恩は一生忘れません」
「その言葉が聞けただけで自分は満足です。これで……。ふぅ、漸く一段落したという感じですかね」
彼がそう話すとふと寂しい表情を浮かべて明後日の方角へと視線を送った。
きっとこの視線の先には未だ見ぬ大地に待ち構えている壮大な冒険があるのでしょうね。
彼は冒険の途中で此処に立ち寄りそして想像以上の危険を体験した。
私の存在は……。彼の中では小説の中の登場人物の一人。
主人公である彼はこれからもっと素敵な冒険を求めて新たなる大地へと向かって行くのだ。
忘れ去られたくない、彼の心の中でもっと大きな存在になりたい、この地に繋ぎ止めておきたい。
いけないと分かっているのだけれども大変我儘な私は彼の心に直接訴えかけた。
「どうして私を見ずに未だ見ぬ世界へ視線を送っているのですか」
「……っ」
己が心を見透かされた彼は本当に驚いた顔を浮かべて私を見下ろす。
「いや、決してそういう訳では……」
自分でも本当に嫌気が差す。
彼は自由に世界を見る権利があると言うのにそれを剥奪しようとしているのだから。
「ダン、聞いて下さい。貴方の冒険がいつか終わったのなら此処へまた戻って来てくれますか??」
「それがいつになるか分かりませんが……。グレイオス隊長達や此処で知り合った連中達と馬鹿騒ぎがしたいので必ず戻って来ようと考えていますよ。それに?? レシーヌ王女様にこの先で体験した冒険の御話を伝える役目がありますので」
彼が真心を込めた口調でそう話すと本当に優しい目で私を見つめてくれた。
「有難う……。ダン……」
彼の手を離し、己が両腕で彼の体を本当に優しく抱き締めてそう話した。
ずるいよ……、こんな時にそんな優しい目を浮かべるなんて……。
私がダンの体に直接温かな吐息を送り続けているとヴァイオリンの音が止み、それとほぼ同時に盛大な拍手の音が鳴り響いた。
「レ、レシーヌ王女様。踊りの時間は終わりましたよ??」
しどろもどろな声が上方から降りて来たので意地悪なもう一人の私が顔を覗かせてしまった。
「――――。まだ踊っていたいです」
「へっ!?」
「ふふっ、冗談ですよ」
彼の体から体を離して冗談っぽく片目を瞑ってあげる。
「び、びっくりしたぁ……。心臓がキャアキャア鳴いていますよ」
私の心臓はもっと五月蠅く鳴いていますけどね。
「それでは参りましょうか。夜は長いのですよ??」
「へ、へい!! 只今!!!!」
先程の席へ向かって歩いて行くとダンが慌てて私の後に付いて来てくれた。
ダンの気持ちを繋ぎ止めておくのは本当に難しいから笑顔で送り届けてあげたいけど……、まだ此処に暫く居て欲しいと願う自分もまた存在する。
未だ見ぬ世界へ旅立とうする彼をどうにかしてこの地に留めておくのは可能なのだろうか??
国家権力を翳して彼の身柄を拘束するのは容易いが……。それはあくまでも体を拘束しただけ。
彼の心は此処に在らず、先の世界へと向かってしまっているのだ。
私にとってこの最重要課題を解決する、しないで後の人生を大きく左右するであろう。
数日後。私達は北の療養地に出掛けますのでそれを利用して何んとか出来ませんかね??
これまで培って来た知識や経験では到底解決出来そうもないのでそれとなくティスロに相談してみましょう。
彼女と共により良い解決策を模索してその結果、ダンの心がこの地に留まってくれればいいけど……。
「はぁ――……。初めての経験だから肩が凝ったぜ」
「あぁ、全くその通りだ」
「慣れない事はするべきじゃないな」
先程の席に戻ると男性陣が強張った肩を解き解す様に双肩を軽く回す。
「その割には楽しそうにしていましたけど??」
「も、申し訳ありません。我儘に付き合って頂いて……」
「隊長。女性の前でそういった態度を取るのは失礼に値しますよ」
それを捉えた刹那に女性陣から攻撃の矢が男性陣に襲い掛かる。
「い、いや!! レシーヌ王女様と踊れて楽しく無かった訳じゃないですよ!? 皆の前だから緊張したのです!!」
「す、すまん」
「あ、あぁ。次からは気を付けよう……」
女性陣から受け取った矢が男性陣に突き刺さると彼等は借りて来た猫の様に大人しくなってしまった。
ふふ、男性は女性に頭が上がらないと言われているのは本当だったようですね。
これでまた一つ勉強になりました。ダン、私一人では中々経験出来ない事をこれからも私に教えて下さいね……。
「ふ、ふぅっ!! いやぁ――!! 今日は蒸すなぁ!!」
「そうですか?? 私は過ごし易いですけどね」
「そ、そうですね!! 涼しくて困っちゃうなぁ――!! あはは……」
「もう……、ふふ。暑いのか涼しいのか、どっちかに決めて下さいよ」
私は顔からそして額から冷や汗を流し続ける彼の顔を眺めながら陽性な感情を含めた笑みをいつまでも尽きる事無く零していたのだった。
お疲れ様でした。
今日の夕食は温かいうどんだったのですが……。四国で食した物と比べるとやはりコシが足りない感じがしますね。
あのコシと喉越しを再び感じたいが為に休みを利用して四国に行こうかなぁっと考えている次第であります。
そして評価をして頂き有難う御座います!!!!
本当に嬉しいですよ!! これからも読者様の期待に応えられる様に誠心誠意執筆活動に励みたいと考えております!!
それでは皆様、お休みなさいませ。