表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
今日も今日とて、隣のコイツが腹を空かせて。皆を困らせています!!   作者: 土竜交趾
過去編 ~素敵な世界に一時の終止符を~
1040/1225

第百五十三話 王女の願い

お疲れ様です。


ゴールデンウイーク特別連載、二話目の投稿になります。少々長めの話なので飲み物でも片手にごゆるりと御覧下さい。




 夜に蔓延る闇等生温く感じてしまう漆黒が私の体を包み込む。


 矮小な明かりすらも存在が許されない闇の中で私は己の存在を守る為に膝を抱えて蹲っていたが……。


 肌に伝わる暗闇の冷たさ、耳に届く無音の恐怖、そして自分の手元さえも確知出来ない高濃度の闇の霧が私を消し去ろうとして猛威を揮っていた。


 何故私は恐怖の闇の中で一人静かに蹲っているのだろう??


 数刻前の出来事を思い出そうとして更に強力に膝を抱えて目を閉じると、数刻前の出来事よりも先に幼少期の頃の自分の姿が脳裏に浮かんだ。



『おかあさま。どうしてわたしは外で遊んじゃいけないのですか??』



 今も使用している自室の机の前で憤りを全面に押し出した口調で隣に腰掛けている母親にそう問うと。



『貴女はいつかこの国を治める事になるかも知れないの。漁師が漁を、戦士が戦い方を、そして教師が教え方を知らなかったら真面に仕事が出来ないでしょう??』


 お母様は困った様な、そして微かな高揚を滲ませた複雑な表情を浮かべて私の問いに答えてくれた。


 しかし、母親の答えに満足出来なかった私は更なる疑問を彼女に投げかける。


『馬車で移動しているときに街の子供をみたけど、皆楽しそうに遊んでいたよ??』



『そうねぇ……。人には進むべき道というものがあるわ。それは目に見えないけどそれぞれの前に確実に存在するの。街の子供達が進むべき道と貴女が進むべき道は似ているようでその実、全く異なるの。鳥は空を飛び、魚は川を泳ぐ。鳥さんが泳ぎ方を必死に勉強して、魚さんが飛ぶ勉強をしても余り意味は無いでしょう?? レシーヌ。貴女は貴女が収めるべき知識を学ばなければいけないのよ』



『むぅ……。ねぇ、ティスロ――。おかあさまの言うとおりに勉強しなきゃいけないの??』



 救いの手を求めて私の真正面で朗らかな笑みを浮かべている彼女にそう問う。



『アルペリア王妃様の仰る通りで御座います。レシーヌ王女様、貴女は高貴なる血を受け継ぎこの世に生を司りました。国王様の名、つまりミキシオンの家名を継ぐ者として立派に人生という名の道を歩いて行かなければ民は信を与えてはくれません。民に生き様を示し、上に立つ者として相応しい振る舞いを覚える。これこそがレシーヌ王女様に与えられた道でありその道を外れてしまえば御両親は酷く落ち込む事でしょう』



『もぅっ!! 分かったよ!! 今日も勉強するから早く教えてっ!!』



 降参です。


 そんな意味を籠めて少々大袈裟に隣に座る母親の肩をポコンと叩き、机の上に並べられている資料に目を落とした。



『聡明な判断です。では……、コホンッ。この国の成り立ちは遥か昔、英雄王シェリダンがその礎を築きました。彼の功績は讃えられ、王都の中央に石像が建てられております。しかし、彼が残したのは輝かしい功績ばかりではなく負の遺産も当然存在しております。それは歴史の闇に堕ち、何時その牙を剥いて襲い掛かってくるやも知れません。光と闇は表裏一体。本日は古代史について学んで頂きます』



 子供の柔らかそうな頬をプクっと膨らまして精一杯の抵抗を見せても彼女は得意気に口を開き、齢十の子には少々酷な勉強量を与えて来たのです。



 お母様やティスロが教えてくれた人が進むべき道。



 その点に付いて何度も疑問に思ったけど私の両親やティスロ、そしてグレイオス隊長やトニア副隊長達も自分の進むべき道を進んでいる事を知ると私も目の前に何処までも続いて行く道に足を乗せて弱々しく、おっかなびっくりだが一歩一歩確実に進んで行った。


 歴史、行政、租税、護身術、魔法、法律、王政学。


 その種類は枚挙に暇がない程に多く、時に実の姉の様に接してくれたティスロに八つ当たりする事もあった。


 若気の至りと言えば簡単に済ませる事が出来るけども今思い返せば酷い事をしたのだと理解出来る。


 八つ当たりだけで鬱憤を解消出来なかった時はティスロに無理を言って訓練場に降りてグレイオス隊長、トニア副隊長の監視の下で木剣を振った事もあるのですよ??


 例え王族の者であったとしても自分の身は自分で守れる様にならないといけないからですっ。



『えいっ!! やぁぁああああああ!!!!』


『レ、レシーヌ王女様。そ、そろそろ宜しいのではないのでしょうか??』


 筋骨隆々のグレイオス隊長がまるで小説の中に登場する悪者を退治する主人公みたいに勇ましく剣を振る私に対しておずおずと声を掛けるが。


『まだやめなないもん!! ラゴス倒してからやめるの!!』


『そ、そうですか。おい、ラゴス。お前の役に立たない頭が役に立つ時が来たぞ』


『えぇっ!? の、脳天に一撃を受けろって言うんですかぁ!?』



 私の真正面で対峙する彼が己の体の半分にも満たない子供に対してギョっと目を見開く。



『頭蓋と鱗を鍛える良い機会じゃない。何事も訓練よ』


『ト、トニア副隊長まで……。よ、よぉし!! レシーヌ王女様!! その命貰い受けますぅ!!』



 ラゴス隊員がわざとゆるりとした所作で剣を上段から降り下ろす様を捉えた私は。



『みきったぁ!!』



 半身の姿勢で彼の一撃を回避。


 そして軽やかに弾んで大変硬そうな大蜥蜴の頭蓋に向かい、両腕の筋力を名一杯駆使して自分でも会心の一撃と思える雷撃を放ってあげた。



『ウキィィッ!?!?』


 子供の力でも木剣の威力は堪えたのか、彼は己の頭を抑えて訓練場の上をのたうちまわってしまった。


『まだ生きているのね!! 悪者さんは退治しないといけないんだよ!!』



 悪党を見逃した為窮地に陥ってしまった小説の中の主人公の失態を繰り返さない為に私は大きな瞳に大粒の涙を浮かべている彼に対して追撃を図った。



『レシーヌ王女様。もっと胸を張って木剣を振り下ろして下さい。そうすれば悪党の命を確実に断てますからね』


『わかった!!』


『ひぃ!! 勘弁して下さ――い!! もう悪さはしませんからぁぁああ!!!!』


『まてぇぇええ――――!!』


『『ギャハハ!!!!』』


『ラゴス――!! 早く逃げないと正義の剣で両断されちまうぞ――!!』


『王女様!! 奴の尻尾を叩き切ってやって下さい!!』


『こらお前ら!! 王女様が本気に捉えたらどうするつもりなんだ!!!! レシーヌ王女様!! そ、そろそろお部屋に帰られた方が宜しいですよ――!!』



 私は広い訓練場の上で這いつくばって私から逃げようとする大蜥蜴の尻尾をいつまでも追いかけていた。


 そしてその翌日、両手両足に今まで感じた事の無い筋肉痛が生じてしまい勉強が疎かになりティスロにこっぴどく叱られたのを今でも覚えています。


 大人になった時、子供の時分の行為を思い出すと妙に恥ずかしくなりませんか??


 子供のする事だから仕方が無いと思うかもしれませんが、それが当の本人の場合は忸怩たる想いが胸の中を駆け巡って行くのです。



 私は私の進むべき道に疑問を持った事は何度もありますが、それでもこれが私の成すべき事であると納得して進んで行った。


 私の行動が家族やこの大陸に住む民の為になるのなら進んで学ぼう。


 自分を誤魔化すのは得意ではありませんが……。己にそう言い聞かせて、我を出そうとする己を抑え付けて、遅々足る速度ですが私は一歩ずつ大人になっていった。


 しかし、それはある時を境に崩壊してしまったのです……。



『ん……。ティスロ?? こんな時間にどうしたの??』


 梟も鳴く事に疲れた深夜。


 自室に人の気配を感じ取った私が目を覚ますとそこには物心付いた時から私の側に居てくれた彼女が無言のまま佇んでいた。


『レシーヌ王女様……。どうか、どうか……。お許し下さいませ』


『キャアッ!?』



 彼女の体の前に漆黒と紅蓮が入り混じった魔法陣が浮かび上がり、ティスロの手元が眩い光を放つと私はそこで意識を失ってしまった。


 それからどれ位経ったのだろう??


 感覚的には数分であったが窓の外が微かに明るくなっていたので現実の時間経過は数時間であったと確知出来た。



『レシーヌ!! 起きて!! 起きなさい!!!!』


 私の右肩を掴んで激しく揺らす母親の声を受け取り目を覚ます。


『お母様?? 一体どうしたのですか??』


 徐に上半身を起こして母親の顔を見つめると、そこには恐怖で顔を歪ませている肉親の表情があった。


『う、嘘……。あ、貴女は一体どうしちゃったの!?!?』


『え?? 別に何も変わらないけど……』


 己の手元を見つめても普段と何ら変わりない深緑の鱗が映り、右手で顔を擦ってもいつもと変わりない触角を掴んだ。


『そ、そんな馬鹿な!!!! あ、貴女のか、か、顔が……』


『私の顔?? 寝起きの顔だから余り見ない……』


 母親の驚愕の表情を浮かべて化粧台の鏡面にふと視線を移すとそこには……。




 正真正銘のバケモノが居た。




 お母様から譲り受けた丸みを帯びた美しい鱗は醜く焼け爛れて赤身を帯びた炎症箇所からは無数の蛆虫が湧き蠢く。


 両目の位置は正しい場所からかけ離れた場所に存在しており、腐敗した魚の臓器の様に膨れ上がり白く濁った眼球は焦点が定まっておらず自らの意思に反して何かを捉えようと常に動き回っていた。


 口腔内の歯は中途半端に溶け落ち、脆くなった歯の隙間から赤い蚯蚓みたいな生物が息を吸おうとして耳の近くまで裂けた口からはみ出して口回りを覆い尽くす。


 皮膚から這い出た蛆虫が蝿へと変わり、蝿が傷口に卵を産み、私の焼け爛れた肉を栄養に育った蛆がその循環を繰り返す。


 醜悪を越えた吐き気を催す醜い姿を捉えてしまった私は喉の粘膜が破裂してしまう勢いで叫んでしまった。



『イヤァァアアアアアアアア――――――ッ!!!!!!』


 己の尻尾で鏡を叩き割り、正気を取り戻そうとしてベッドの中に潜り込む。


 それでもあの醜悪な顔は私の頭の中から離れず心を蝕んで行った。



 それから暫くして王宮に常駐するお医者様が私の部屋にいらして下さったのですが……。



『か、顔の症状は兎も角。触診した結果は全て良好です。ど、どうやら私達の視覚が……。ウプッ……。失礼。視覚自体に問題があるとしか思えないのです』


 胃袋から湧き上がって来る胃液を必死に抑え付けながら常軌逸した状態を端的に告げてくれた。


 魔法科学部の方々もこの症状の原因を突き止めてくれようとして寝る間を惜しんでくれた。



 その結果、私を含めた人々の視覚を捻じ曲げてしまう現象は認識阻害という魔法の効果であると断定出来たのです。



 呪いの力と呼んでもおかしくない魔法を掛けた張本人であるティスロはあの晩から行方をくらまし、魔法科学部の叡智を以てしても解除方法は分からずにいた。


 私の呪われた姿を世間に露呈する訳にもいかず、誰の目に触れる事の無いよう。私は自室に留まる事を決意した。



 誰かと目が合おうものならその人は私の顔を捉えるなり汚物を見るような瞳の色へと変わり、そしてそれを悟られまいとして刹那に視線を外す。


 己の殻に塞ぎ込む様にして人の目から遠ざかり、信頼していた人からの裏切り行為によって私の心は漆黒の闇の底へと叩き落とされたしまった。



 ティスロが王宮を去って数か月の間。


 もう二度と太陽の下を歩けない、人の目に晒される恐怖、他人の目が怖い、生きる事に自信を持てない。


 健康体であるのにも関わらず、漆黒の闇に包まれた私の心は目に見えない闇の力によってズタズタに引き裂かれてしまい生きる気力が根こそぎ奪われてしまっていた。


 このまま一人寂しく息絶えてしまうのだろうか?? 何故ティスロは私に酷い仕打ちをしたのか??


 誰か、誰か……。私をこの辛く苦しい世界から救って下さい……。


 他力本願の極みではありませんが、生まれて初めて神様に祈りを捧げた夜もあった。しかし、神様は私を見限り救いの手を差し伸べてくれる事は無かったのです。


 非常なる現実世界に打ちのめされ、いつもと変わらない無味無臭な日々を送っていると。




 私にとっての天使が狭い自室に舞い降りてくれた。



『あ、あはは。お早う御座います』


 乾いた笑みを浮かべた見知らぬ……、ではありませんね。彼は数日前に訓練場へ訪れた王都守備隊の新人さんの一人の男性であった。



 何故彼が此処に居るのかは理解に及びませんが私は自分の顔にシーツが被さっていない事に気付くと瞬き一つの間に頭からシーツを被り、世界からの拒絶を図った。



『見ましたか??』


 私が恐る恐るそう問うと。


『え、えぇ。御声を掛けようとした時に少し……』


 彼は特段気にする様子も無く、落ち着いた心のままで答えてくれた。


『私の姿を見てどう思いましたか??』


『え、えっと……。私には普通に見えましたけど』


『ふ、普通!? 一体貴方の目はどうなっているのですか!?』


 激昂する私に対し、彼は大粒の汗を額に浮かべながら釈明を続けていた。


 その様子から、そしてこれまで私の顔を捉えた人達との反応の差異から判断して彼は本当に私の姿を普段通りに捉えているのだと判断出来たのです。



 私の部屋に舞い降りた天使の名は、ダン。



 彼は気の合う人達の前だと御茶らけたり、ふざけたりする何処にでもいる気の良い男性なのですが。ある程度地位が上の者と接する時はそれ相応の態度を取ってくれる処世術も備わっている。言わば大人の男性だ。


 認識阻害の影響を受けていない彼は私の世話を受け持つ事となり、主に食事の運搬を忙しい時間の合間を縫って割いてくれた。


 そして食事の際に聞かせてくれる彼がこれまでに経験して来た冒険が闇に包まれた私の心にとっても小さな光を灯してくれたのです。



 生まれ故郷の田舎町の御話、ハンナさんと出会い色んな先生方から受け賜った指導。そして五つ首と呼ばれる滅魔との死闘。


 彼が話してくれた冒険の数々は今の私にとってどんな価値のある宝石よりも価値があるものであった。


 彼の話術の力もあってか私自身が経験して来たのでは無いかと錯覚した程でしたからね。



 今日はどんな話をしてくれるのだろう。また王都守備隊の方々の鼾の文句だろうか。王都の活気ある様子が聞きたい。


 私の一日の最大の楽しみになってしまった彼の御話は生きる気力を与えてくれた。


 しかし、そんな楽しい日々はいつまでも続きませんでした。


 彼が此処に訪れたのはキマイラを討伐する為だと伺ったのです。


 生きて帰って来るのはほぼ困難だと判断された無茶な作戦に参加せざるを得ない彼は頼れる仲間と共に死地へと向かって行った。



 その間、私は再び神様に祈りを捧げる夜を過ごしました。


 どうか彼を無事に帰して下さい、と。


 広い世界から見れば私の願いは本当に小さな物。しかし、私から見れば世界中に溢れる願いの中で最も優先して叶えて欲しい巨大な願いだ。


 眠れぬ日々を過ごし、彼が話してくれた冒険を反芻しながら狭い部屋の中で過ごしていると……。



 彼は再び私の下に帰って来てくれた。



 彼曰く、キマイラとの激闘は何度も死を覚悟したそうで?? その話を聞いていると彼の話よりも彼自身に興味を持ち始めている自分に気付いてしまった。



『長い廊下に仕掛けられた罠から逃げる様に駆けて行ったんですけどね?? グレイオス隊長が俺達よりも遅れて……。その重い鎧を脱げと言っても全然聞く耳を持ってくれなくて苦労したんですよ』


 あははと乾いた笑みを零して戦友の愚痴を零し。


『あ、そう言えば試練の間で問われた問題を解いてみます?? かなり難しい問題を四問問われまして』


 ちょっとだけ意地悪な笑みを浮かべて私の顔を見つめ、私がその問題を全問解くと。


『お――……、全問正解です。まぁっ、助言の効果もあったのでしょう』


 ちょっとだけ鼻に付く態度を取ったので、強力な筋力が詰まった尻尾をピンっと立たせてあげると。


『じょ、冗談です!! い、いやぁ!! 聡明なレシーヌ王女様なら確実にっ!! 全問正解出来ると思っていましたよ!!』


 冷たい汗を方々に飛ばして私から距離を取ってしまった。



 私のちょっとした悪戯心にも付き合ってくれる彼の心の大きさに私は徐々に惹かれていったのでしょう。


 ううん、それだけじゃない。


 彼は真相究明に力を貸してくれと頼んだ時も首を縦に振ってくれた。そして……、見事私の願いを叶えてくれた。


 辛い時、悲しい時、苦しい時。


 貴方はいつも私の力になってくれる。


 神様は居ないと思っているけど、きっと神様は矢面に出るのが億劫なだけでしょう。何故ならダンという天使を私の下に送り届けてくれたのだから。



 会いたいな、彼に。


 触れたいな、彼の温かな心に。



 彼の事を想い続けていると私の周囲に蔓延る闇が徐々に薄れて行き、その代わりに温かく眩い光が私を包んでくれた。


 ほら、これもきっとダンの心の力だよ。いつも私の勇気付けてくれるんだから。


 この世に生まれて二十二年。


 短い様で長い人生で感じた事の無い温かく時に酸っぱい感情を胸に抱いていると意識が徐々に明瞭になって来た。



「――――」


 此処は……、あぁ。私の部屋だ。


 この数か月嫌という程見て来た自室の天井が今現在の所在地を知らせてくれた。


「ッ!! 目が覚めたのね!!」


「お母様……、お父様……」


 弱々しく首を右に傾けると両の瞳に大粒の涙を浮かべている両親の姿を捉えた。


 目は泣き腫らして真っ赤に染まり、顔の深緑の鱗は寝不足からか普段の色艶は失われている。


「体は大丈夫か!? 何処か痛い所は無いか!?」


「別に大丈夫だよ。特に痛い所とか……。ッ!!!!!!」



 し、しまった!! シーツを被らなきゃ!!


 何で気付かなかったのだろう!!


 両親の瞳を直視している自分が居る事に気付き、慌ててベッドのシーツを被ろうとするが……。



「安心しなさい。もうそれは必要ない」


「え?? だって、認識阻害が……」


「ふむ、まだ目覚めて間もないので混乱しているのでしょう。レシーヌ王女様。気を失う前の事を良く思い出して下さい」



 両親と同じく疲れた顔のティスロが私の体を労わる様な優しい口調で問うて来る。



「えっと……。私は確か訓練場で……」


 そうだ、認識阻害の解除の儀式の途中で気を失っちゃったんだ。


「その通りです。王女様は此処に居るティスロの魔力を受けて後方へ吹き飛び意識を失ってしまったのです」


 そっか、だからお父様が私の体を案じてくれたんだ。


 両親よりもティスロよりも酷い顔色のゼェイラさんが一つ大きく頷きながらそう話してくれた。


「レシーヌ、鏡を見て御覧」


 お母様が手鏡をそっと手渡してくれる。


「ま、まだ怖いよ……」



 あの顔を再び捉えてしまえばきっと私の心は壊れてしまう。


 臆病な私がそれを躊躇させていた。



「安心しなさい。私達がレシーヌの顔を直視しているのが成功の証さ」


 お父様が優しい手付きで私の頭をそっと撫でてくれる。


「う、うん。分かった。すぅ――……。ふぅぅ――――……」



 それを合図として捉えた私は大きく深呼吸した後。


 改めて自分の顔と対面した。



「……」



 丸みを帯びた深緑の鱗は記憶に残るままに室内の蝋燭の明かりを淡く反射し、大蜥蜴特有の縦に割れた瞳は正常に機能していた。


 肌艶は少しだけ水分を失いかさついているけど、自分の顔を真面に見られるという行為に私は驚愕してしまった。



「あ、あはは。も、も、元に……。ヒグッ。うぅぅぅ……。元に戻っているよぉぉ……」



 両目から止めどなく涙が溢れ続け、嗚咽する度に双肩が上下する。


 鏡の中に映る自分を見るだけ。


 この何の変哲もない行為を出来る事がこうも嬉しいとは思わなかったよ……。



「良かったわね、レシーヌ」


「う、うんっ。有難う、お母様お父様……」


 優しく抱き締めてくれた母親の温かな体を思いっきり抱き締めてそう話す。


「この度は本当に申し訳ありませんでした」


「も、もういいって。何度謝るのよ」



 腰を九十度に曲げて深い謝意を表してくれたティスロに言ってやる。



「何度謝っても足りない程ですからね」


「魔法科学部の最高幹部からの降格、そして私の侍女としての務め。もう十分に罰せられているから気にしないで。それよりも……。ダンはどこかな?? 今頃疲れて寝ているかもね」



 この呪いを解いてくれた彼に一言礼を言いたい。


 窓の外に映るもう間も無く明けるであろう夜空を見つめ、誰とも無しに問うた。



「えっと……。その事なんだけど……」


 お母様が私の手を優しく握る。


「ん?? 何?? もしかして疲れて倒れちゃったとか?? 最近ずぅっと根を詰めていたからね」



 出会った頃よりも更に酷くなってしまったダンの顔色を思い出すと自然と笑みが零れてしまう。


 ふふ、私の明るい様子を見たらきっとその疲労は何処か遠くへ行っちゃうよ??


 まぁでもこれで漸く荷が下りましたって揶揄ってくるんだろうなぁ。



「い、いや。それはだな……」


「お父様、随分歯切れが悪いですけど。何かあったの??」


 私から視線を外して床を見つめているお父様に話し掛けると。


「レシーヌ王女様。その件について私から説明させて頂きます」


 ゼェイラさんが部屋に漂う柔和な空気に似つかわしくない冷徹で冷静な声色を放った。



「今から話す事について、彼等は彼等自身で決断した事を念頭において聞いて下さい。彼等は……」



 彼女曰く。


 ひび割れた月下の涙では高めた魔力を抑え付ける事は叶わず陽の光を少しでも浴びてしまえば月下の涙は直ちに暴走状態へと陥り、その暴走の結果はこの王都を刹那に消滅させてしまう威力を伴うそうだ。


 ダンとハンナさんは認識阻害の解除後、その恐ろしい力を秘めた不安定な状態の魔導水晶と共に東の海へと向かって行ったのだ。


 四角四面の表情を浮かべているゼェイラさんの口から出て来る言葉に私は言葉を失い、只々茫然とした精神状態で聞いていた。



「――――。作戦は現在も遂行中であり恐らく今現在は……。間も無く東の海に到達している頃でしょう」


 ゼェイラさんが窓の外の夜空へと冷静な視線を送る。



「な、何故私に一言相談しなかったのですか!!!!」


「私は先程申しましたよね?? 彼等は彼等自身が決断したと。この機会を逃せば恐らく認識阻害は一生解けず、レシーヌ王女様はこの部屋の中で過ごす事となってしまう。彼等はそれを良しとせず、自らの命を賭けて今も作戦を実行しているのです」


「ですから!! 何故私の意見を聞かなかったのかと聞いているのですよ!!」



 ベッドから堪らず立ち上がりゼェイラさんに詰め寄ろうとしたのですが。



「レシーヌ王女様、私達がハンナさん達に今回の危険な作戦を頼んだのは事実です。その時ダンさんはこう仰っていました。この事を彼女が聞いたら自分を優先してしまう蓋然性があると。ダンさんはレシーヌ王女様の心優しき性格を見越して我々に口封じを頼んでいたのですよ」


 ティスロが私の手を優しく手に取りそれを阻止してしまった。


「え?? ダンが??」



「えぇ、その通りです。彼は行く必要も無いのに唯一無二の友と共に東の空へと向かっています。彼は最初、今回の作戦を聞くと激昂しました。友人……。いいえ、家族の命を投げ出す作戦はとてもじゃないけど了承出来ないと。しかし、ハンナさんが作戦参加に了承してくれると彼もまた同意してくれました。レシーヌ王女様、貴女が御怒りになるのは十二分に理解出来ますが、今はどうか彼等の力を信じてあげて下さい。どうかこの通りです……」



 ティスロが少しだけ震える手で私の手を掴み、一度は止まった涙を再び流して私を見つめる。



 そっか……。ティスロもハンナさんの身を案じているんだよね……。


 辛いのは私だけじゃない。


 そう己に強く言い聞かせると彼女の手を優しく解き窓に近付いた。



「私に黙っていた理由は理解出来ました。でも、例え彼等が口封じを頼んでいたとしても私には作戦の可否を問う権利がある筈です」



 東の空が徐々に白み始め、夜空に浮かぶ星達がその眩しさに顔を背けている様を捉えつつ話す。



「他の者達は口を揃えてこう言うでしょうね。一般人の人生と王族の人生は等価値で無いと。しかしそれはあくまでも一般的な意見に過ぎません。人はそれぞれの道を歩み続けておりその輝きは他者の道を明るく照らします」



 彼の進む道が私の道を照らしてくれた様に、数多多くの人々の輝きは他者の道に光を灯すのだ。



「その明るさは地位によって決まるものなのですか?? 違いますよね?? 人の本質は光でありその光量は生き様やその人の心で決まります。彼の光の大きさは……。とてもじゃないけど計り知れないものです。そう、私の心の闇を払ってくれたのですから」


 トクンッ、トクンッと鳴る己の心臓の上に手を乗せ。



「私は彼の光を信じます。必ずや私を再び照らしてくれると……」


 そして東の空へと視線を送った。



 ダン、ハンナさん。私達は貴方達が必ず帰って来ると信じて此処で待っています。


 だから……。お願い。


 私達、ううん。私の下に帰って来て。また貴方の話が聞きたい、貴方の笑顔が見たい、貴方の心に触れたいから。


 私の下に素敵な天使を送り届けてくれた神様、どうか彼等に私の想いを届けて下さい。そして一分一秒でも良いので地平線の彼方から灼熱の太陽を昇るのを遅らせて下さい。


 私は刻一刻と朝が迫る東の空へと向かい己の真なる願いを心の中で唱え続けていたのだった。




お疲れ様でした。


この話のプロットは六割程書けていたのですが、残りの四割を仕上げるのに時間が掛かり深夜の投稿になってしまいました。


これから連休が始まる人も、もう既に大型連休に入っている人もいらっしゃるかと思いますが皆様はどう過ごしていますか??


私の場合は……。執筆と休憩、そしてお出掛けの循環に満足している感じですかね。


今日この後の予定はぐっすりと眠り、起床したのなら先日オークションサイトで落札した中古でボロボロのジッポを磨いて、ヒンジのがたつきを直して自分好みの色艶に仕上げようかなぁっと考えております。


表面が少し錆ているのでかなり苦労しそうな気配がしますね。ですが、それこそが醍醐味であり自分の趣味であるので修理と調整に没頭させて頂きます!!



それでは皆様、引き続き大型連休を御楽しみ下さいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ