第百五十二話 迫るその時
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空の中を自由に、楽し気に舞う鳥達を地上から見上げれば羨望の感情が微かに湧き。空を勝手気ままに漂う雲にも妬ましい気持ちが湧いてしまう。
空を飛ぶという行為は地上で暮らす者達にとって一つの夢となる可能性を秘めている筈だ。
翼及び空を飛翔する能力を持たぬ者は下唇をキュっと食み、彼等の特筆すべき能力に嫉妬して今日も不動なる大地を踏みしめて己の目的地へと向かって行く。
その速度足るや、飛翔と比べれば遅々足るものであると瞬時に看破出来てしまう。
もしも地上の生物が飛翔能力を手にすれば何のしがらみも無い空へ舞い上がり、歩くという行為よりも格段に速い速度で目的地に向かうだろう。
歩くという行為から解放された彼等は何も恐れずに障害物が存在しない空の中を自由気ままに飛翔するだろうが……。その行為が自分の手に余るモノであった場合はどういった反応を見せてくれるだろうか。
「ウ、ウギギィィ……!!!!」
呼吸する事すらも困難になる空気の流れの中で必死に口を開き、肺に空気を送り込んで生命活動を何んとか維持させてやる。
相棒と共に何度もこの自由な空の中を飛んで来たが飛ぶという行為がここまで辛いものだとは思わなかったぜ。
巨大な怪鳥が体力の限界を迎えて一度だけ殺人的な加速度が止んだが、彼は一体何を思ったのか。
『こ、こんな所で俺は止まっていられないのだ!! 今日こそは己の限界を超えてみせるっ!!!!』
自分の限界を超え、歴史上にその名を残すであろう飛翔速度の限界に挑戦する為に両翼に常軌を逸した力を籠めて再加速。
『ギィィェェエエエエ――――ッ!?!?』
一名の憐れな人身御供を乗せた白頭鷲は一筋の光となって東の果てへと向かって飛翔を開始してしまった。
きっと地上から空を見上げている者達は俺の姿を捉えたらきっと口を揃えてこう言うでしょうね。
『やっぱり分相応な場所で生活すべきだなぁ』 と。
俺も彼等の感想に倣って今直ぐにでも地上に戻りたいけども、この状態で羽から手を離せば有り得ない速度を保ったまま大地に叩き付けられてしまう。そして体はバラバラに爆散してしまうだろうさ。
砂の大地の上で方々に散らばる己の四肢及び五臓六腑を想像すると背の肌が一斉に泡立ってしまった。
「相棒!! まだ海は見えて来ないのかぁ!!!!」
大変触り心地の良い羽毛の中で悲壮な叫び声を放つ。
「まだ見えぬ!! 魔道水晶の様子はどうだ!!」
あ、あのねぇ。この状態でどうやって確かめろっていうんだよ!!
麻袋に仕舞った魔道水晶は肩から掛けてある鞄の中なんだぜ!?
「確かめようにもお前さんが馬鹿みたいな速度で飛んでいるから今にも暴風で吹き飛ばされてしまいそうなんだよ!! 無茶言うんじゃねぇ!!」
真夏の嵐よりも更に酷い風の力によって横一文字の状態になりながら憤りを放ってやった。
「ちっ、不便な奴め」
「おい!! 今の言葉忘れるなよ!? この作戦が終わってから絶対仕返ししてやるからなぁ――――!!!!」
一人だけ食事の量を減らしてやる、女子達に囲まれても救いの手を伸ばさない、故郷に残してきた恋人に旅の途中で何度も行って来た狼藉の告げ口を叩いてやる等々。私生活で奴を困らせてやる手段は枚挙に暇がない。
その方法を考えつつ相棒の背から落とされまいとして必死に羽の根元を掴んでいると俺が渇望していた台詞が遂に放たれた。
「海が見えて来たぞ!!」
「本当かぁ!?」
相棒の羽毛の合間から微かに覗く空の景色に視線を送るが、俺の瞳に映るのは微妙に明るくなりつつある夜空のみだ。
「嘘を付く理由は無い!! 海に出て暫くしたら海上投棄の手順に入る!! 準備しておけ!!」
簡単に準備って言うけどよ!! この状態じゃあ何も出来ないっつ――の!!
只しがみ付くという行為しか出来ない己の不憫な状態に歯ぎしりしつつ肩から掛けてある鞄に視線を落とすと、そこにはちょいと不穏な雰囲気を醸し出す光の存在を確認出来てしまった。
「あ、相棒。も――少しだけ速く飛べるかい??」
「これ以上は厳しい!!」
「そ、そっか。じゃあなるべく速く飛んでくれ。い、い、今にも何かが炸裂してしまいそうな雰囲気なんだよねぇ……」
飛翔を始めた時と比べて明滅の感覚がより不規則になり、目も開けていられない光量が鞄の中から漏れたと思えば蛍の光よりも微弱な柔らかい光を放つ時もある。
魔道水晶月下の涙が放つ光は時に強く、時に弱くと法則性が全く掴めないでいた。
「ちぃっ!! 厄介な代物だな!!」
その意見には賛成するよ!!
今ここで魔道水晶が破裂してしまったのなら俺達は一秒にも満たない速度でこの世から存在を消失させてしまうからな!!
「夜明けまで後どれ位だ!?」
「目測で恐らく残り数十分だろう!! 本当に危なくなったらその場で投棄する!! それまでの間、魔道水晶の様子を監視しておけ!!」
「了解!!!!」
頼むぜぇ、今日だけは気紛れな幸運の女神様の加護がありますように……。
俺の胸元で不穏な動きを見せる水晶の光を監視続けていると相棒が徐々に飛翔速度を落とし始めてしまった。
「どうした!? 何で速度を……」
あ、あぁ。はいはい。もう直ぐ夜が明けちゃうって事ね……。
数時間振りに羽毛の間から体を出して東の空へ視線を送ると、今日もこの星で暮らす者達を照らそうとする太陽がベッドからのそのそと起き上がって来る様を捉えてしまった。
あの様子だと夜明けまで残り数分って感じだな。
「これ以上の移動は危険って訳ね……。周囲に船の存在は確認出来るか!?」
彼の背に立ちながら慌てて海上の様子を確認するが。
「此処に至るまで、そしてこの海域に船の存在は確認出来なかった。恐らくグレイオス隊長達の周知徹底の御蔭だろう」
数キロ先を見渡せる白頭鷲の視力でも船影を確認するまでに至らなかった。
「よっしゃあ!! ここで投棄しよう!! 異論は無いな!?」
「無い!! さっさとその厄介な危険物を投棄しろ!!」
言われなくてもそうするつもりさ!!
「お前さんには御蔭さんで色々と振り回されたよ!!!!」
魔道水晶が入った鞄を相棒の背から投棄すると超危険な物質は相も変わらず不穏な光を明滅させながら重力に引かれて青き海へと落下して行く。
そして魔道水晶が海上に到達すると衝撃を受けて破裂する事無く、只々静かに深き海の底へ向かって沈んで行った。
ふ、ふぅっ……。海上投棄の衝撃で炸裂するかと思ったけど大丈夫だったな。
「それじゃあ……。あばよう!!!!」
今も海中で強力で不規則な光を放つ月下の涙に別れの挨拶を済ませた刹那。
「一刻も早くこの海域から脱出する!! 振り落とされるなよ!?」
「分かっているさ!!」
素早く腹這の姿勢に移行して相棒の羽毛の合間に潜り込み、彼の頑丈な羽毛の根元を万力を籠めて握り締めた。
「行くぞッ!! ハァッ!!!!」
「ウキィィイイイイ――――ッ!?!?」
大分慣れて来たとは言え、この殺人的加速度だけは生涯慣れる気がしないぜ!!!!
目が、舌の根が、そして頭の中に詰まった脳味噌や体内にキチっと収まっている五臓六腑が後方に引っ張られて視界が黒くぼやけて来ると体の感覚が刹那に麻痺してしまい意識が嫋やかな空気に乗って流れる霧の様に揺れ始めてしまった。
ま、不味い……。ここまで何んとか耐えて来たけどこれ以上の負荷はどうやら限界なのかもね……。
「く、くっ……」
意識を失うまいとして常軌を逸した加速度に対抗していたが。
「おわぁっ!?」
俺の意思に反して握力が先に限界を迎えてしまい、唯一の命綱でもある彼の羽から手を離してしまった。
「ぬぉぉおおおお!?!?」
馬鹿げた速度の風の力を受け取ると相棒の後方へと吹き飛ばされ、自重を支える事が出来なくなった体が紺碧の海へと向かって落下を開始。
「ヒィィアア――――ッ!!!! 落ちちゃぅぅうう!!!!」
海上に出て初めて潮の香りを捉える事に成功すると意図せぬ大絶叫が喉の奥から飛び出してしまった。
う、嘘でしょう!? 魔道水晶が炸裂する前に墜落死とか洒落にならないんだけど!?
だ、だけど硬い大地と違って海の上に落下するのだから多少はその衝撃は優しくなるよね!?
覚悟を決めて瞳を閉じ、そして衝撃に備えて体を丸めると……。
「この馬鹿者が!!」
相棒が俺の体を右足で掴み上げ、死の一歩手前で救助してくれた。
「ハ、ハンナァァアアアア――――ッ!!!!」
きっと今の俺の顔は本当に情けない表情を浮かべている事だろうさ。
二つの眼玉からは大量の涙が溢れ、二つの鼻の穴からは粘度の高い液体がとめどなく溢れ出ているのだから。
「何故手を離した!!」
「握力が無くなってぇ……。数時間以上の飛翔に耐えていたんだけどもう限界だったんだよ!!」
「それは言い訳に過ぎん!! この無駄な行動が俺達の命を…………。ッ!?!?」
ハンナが海上に浮かぶ己の 『影』 を捉えると猛禽類特有の鋭い瞳を浮かべて振り返る。
俺もそれにつられて振り返ると東の地平線上にいつもと変わらぬ太陽の姿を捉えてしまった。
あぁ、畜生……。遂にその時が来てしまったな。
「よ、よ、夜明けだぜ」
「あぁ、その様だな」
長い夜が明け、今日も始まる眩い一日の知らせの光を捉えると普段なら何処か朗らかな感情が湧くのだが……。
俺と相棒の心の中はそれとは真逆の恐怖という意思と感情を持つ生命体がすべからく持つ単純な感情が湧いてしまった。
そして俺達が最も危惧している恐怖の感情の下が海面から突如として姿を現した。
「「ッ!?!?!?」」
魔道水晶月下の涙が破裂したと確知出来る光の光量は太陽の光等生易しく感じる程に強烈であり、目の網膜がチリっと痛んでしまった痛覚がそれを如実に表している。
強烈な白熱光は地平線上に浮かぶ太陽よりも更に大きく膨れ上がり天上に暮らす神々も地上に誕生した新たなる光の玉の正体を確かめるべく、思わず作業の手を一旦止めて視線を送ってしまう程に強烈であり膨大な大きさだ。
その強烈な光が徐々に収まると今度は爆心地に立ち昇る漆黒の巨大なキノコ雲が確認出来た。
秒を追う毎に空高く上って行く黒雲の大きさを確かめるべく己の手を翳すと。
「……ッ」
それはもう既に俺の手よりも大きく膨れ上がり爆心地からの距離を考えるととんでもない高さまで昇っている事が容易に想像出来てしまう。
「あ、あ、あ、相棒……。あの光と黒雲ってぇ……」
「恐らく魔道水晶が海中で破裂したモノであろう」
「う、うん。それは分かっているんだけどね?? 大問題なのはあれだけの質量の水を上空にブチ上げてしまう威力なんだよね」
俺の考えを汲んだのかハンナがハッとした表情を浮かべて今もモウモウと膨れ上がっているキノコ雲を睨みつけると、想像していた通りの現象が俺達に襲い掛かろうとして恐ろしい牙を剥いて来やがった!!
「や、やべぇぇええええ――――!! 何だよアレ!? 炎の衝撃波じゃん!!!!」
爆心地から発生した真っ赤に燃える衝撃波が海の上を猛烈な速度で走り続けて俺達の方へと向かって来やがる!!
円蓋状に広がって行く炎の衝撃波は海上の波を掻き消し、宙に舞う飛沫を瞬き一つの間に蒸発させ恐ろしい威力を保ったまま急接近して来る。
このままでは炎の衝撃波によって体をバラバラにされ、こんがりと焼かれて海の生物達の御馳走に仕上げられてしまうだろうさ。
その前に此処から脱出すべきだと考えた俺は人生の中で一、二を争う声量の雄叫びを放った。
「ハ、ハ、ハンナァァアアアアアアアア――――――ッ!!!!」
無理無理!! あぁんな馬鹿げた衝撃波を真面に受け止められるかっての!!!!
「分かっているッ!!!!」
彼が巨大な両翼を勢い良く動かすと炎の衝撃波から背を向けて大陸の方へ向かって飛翔を開始した。
良かったぁ。これなら炎の衝撃波に巻き込まれず、無事に帰還出来そうですねっ。
「ふ、ふぅっ。何んとか生き残る事がぁ……」
額に浮かぶ恐怖の汗を拭って振り返ると俺の想像とは真逆の光景を捉えてしまった。
「ってぇ!! お、おいおい!! ちょっとずつ追い詰められているんですけども!?」
炎の衝撃波は俺達の体を必ずや捉えてやろうとして苛烈な勢いを保ったまま追撃を続けており、その背後には。
『ヒヒヒッ……。絶対に逃さんぞ……』
擦り切れて薄汚れたボロを身に纏った死神が悪巧みした悪党の笑みよりも質の悪い陰湿で、最低な薄ら笑いを浮かべていやがった。
「此処に至るまで力を尽くしてしまった!! 今はこれが限界の速度だ!!」
「ふ、ふざけんな!! 戦士の体力は無尽蔵じゃねぇのかよ!!」
いつも鼻高らかに自慢していたのは噓八百だったのかい!?
「喧しい!! 死にたく無ければ祈れ!!」
「誰に!?」
「貴様が良く言っている幸運の女神とやらだ!!!!」
よ、よぉしっ!! 物は試しと言われている様に存在しない架空の女神様に祈りを捧げてみるとしますかっ。
幸運の女神様へ。
いつも生意気な口を利いてすいませんでしたっ。
今はものすごぉく反省していますのでぇ……。俺達の背後から襲い来る炎の衝撃波を何んとかしてくれませんか??
ほら、後頭部の髪の毛がチリチリと焼け焦げて行く酷い臭いがしますでしょう??
このままでは俺達は貴女様の下へ召されてしまいますのでどうか願いを叶えて下さいましっ。
恐怖から逃れる様にキュっと瞳を閉じて虚空の中へ願いを唱えるが……。どうやらクソッタレな幸運の女神様は俺が親切丁寧に願いを唱えても聞く耳を持たぬ様である。
『あはっ、毎度ながら却下しますねっ。そして貴方達が向かう先は私の下じゃなくて彼の下ですよ??』
うら若き女性の軽快な笑みを零す姿が虚空の中に現れると俺は静かに瞳を開け、恐る恐る振り返った。
「あっ、おっ……。こりゃ駄目だ。間に合わねぇ」
眼前に迫り来る絶望の壁を目の当たりにすると素直な言葉が口から漏れてしまった。
「ダン!! 屈め!!!!」
相棒もこれ以上の飛翔は無駄だと悟ったのだろう。俺の体を庇う様に両翼で包み込み防御態勢を取った刹那。
「ギィィヤアアアアアアアア――――ッ!?!?」
俺達が今まで経験して来た衝撃なんてメじゃない程の強烈な痛みと熱が体を穿ってしまった。
「ウオオオオオオオオッ!?!?」
想像を絶する衝撃波によって俺の体を掴んでいた相棒の足が離れて行き、炎の衝撃波を真面に食らった体は程よくこんがりと焼かれ。そして爆心地から発生した衝撃波が俺の体を引き裂こうとして上下左右に乱暴に振り回しやがる。
宙の中で有り得ない回転速度で回転する体は物理の法則に従って海上へと落下を開始。
「ッ!!!!」
このままでは無防備な状態で海面に叩き付けられてしまうと判断した体は、地獄の熱と経験した事が無い衝撃で意識が朦朧とする中から生還する為に防御態勢を取った。
そして、その数秒後。
無意識な体が想像した通りの衝撃が全身を穿って行った。
「オッブグズッ!?!?」
口の中に無理矢理侵入してきた大変塩っ辛い液体が今何処に居るのかを容易く知らせてくれる。
海中の中でゆっくりと目を開くと俺の体は突撃の勢いを保ったままどうやら海底へと向かっている様だ。
海面の光が少しずつ遠ざかって行く様が良い証拠さ。
「ボガガボブグゥッ!!!!」
まだまだ痛みが残る四肢を懸命に、そして傍から見れば無意味かと思える所作で動かして己の生を勝ち取るべく深海から海面へと向かって上昇して行くのだが。
『キシシシ……。貴様は海の藻屑と化すのだ……』
背筋がゾクっと泡立ってしまう恐ろしい笑みを浮かべた骸骨姿の死神が俺の足にきゅっと抱き着いて来やがった!!
ち、畜生めが!! 俺は絶対にこんな所じゃ死なねぇぞ!! 死ぬ時は美女と一緒の時って決めているんだからねっ!!!!
未だ見ぬ美女の柔らかな曲線と素敵な笑みをもう一度拝む為、足にしがみ付く痩せ細った骸骨を蹴飛ばして猛烈な速度で海面へと向かって行ったのだった。
お疲れ様でした。
本日は連休中もあってもう一話投稿させて頂きます。
それまでの間、今暫くお待ち下さいませ。