第百三十六話 地味な潜入生活
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
本日の空もスカっと晴れ渡り、曇り無き青の中で浮かび上がる光の玉は俺の気持ちを少しも知ろうともしないで地上で暮らす者達の体温を温めようとして燦々と光り輝く。
晴れた日には元気良く過ごして雨の日は慎ましく、風が強い日は誰かに寄り添い、霧が出た日には己の進むべき道を見失うまいとして慎重な歩みで目的地へと向かう。
人の生活は環境に左右されていると言っても過言では無い。
つまり、本日の様な本当に良く晴れた日は太陽の笑みに負けない明るい表情を浮かべて過ごすべきなのですが……。
生憎そんな気分は小指の爪の垢程も湧いて来なかった。
双肩にずぅんっと圧し掛かる疲労と重圧が心の空模様を曇らせ、通りを歩く人達の明るい笑みが負の感情を悪戯に刺激させて膨張させてしまう。
俺も周りの人達と同じ様になぁぁんのしがらみも無い普遍的な生活を送りたいですよ??
しかし、今現在は作戦行動中なのでそれは許されない。
決して目立つ真似をせず周りの人達と歩調を合わせて流れに乗って通りを進み、他人の影に己の影を合わせて生活に溶け込む。
ティスロの屋敷を占拠している反政府組織……、砂漠の朱き槍だっけか??
横着者達に此方の存在を悟られぬ様にこのイイ感じに栄えた街の中で生活を続けて本日で四日目。
先の救出作戦の疲労はまだまだ拭えておらず更に此度の潜入作戦によって精神が擦り減り、俺の顔は恐らく床に臥せている病人さんも思わず心配の声を上げてしまう程に悪いのだろうさ。
「「……」」
ほら、今すれ違った可愛い子ちゃん達もギョっとした顔を浮かべてすれ違って行ったもの。
己の気持ちを抑え込むのもそろそろ限界に近いし、すれ違った二人の女の子を追いかけて声を掛けてこの精神疲労を少しでも拭ってやろうか??
少し位の会話ならクソ真面目な相棒も許してくれるよね!? 作戦行動に支障をきたしたら不味いもんね!?!?
自分に体の良い言い訳を唱えてクルっと振り返ると。
「あ、あ――……。見えなくなっちゃった」
「……??」
大変美味しそうだったお尻ちゃんと双丘ちゃんは人の流れの中に消え去り、彼女達の代わりにとぉっても背の高い大蜥蜴ちゃんが俺の顔を捉えると首をキュっと傾げて不思議そうな顔を浮かべていた。
お前さんのゴッツゴツの強面の顔じゃなくて、俺は女の子の滑らかな曲線を求めているの!!
「ふんっ。命令通り、御使いを済ませましょうかね……」
双肩をガクっと落として悪態を付くと本来の目的地である中々の味を提供してくれるパン屋へと向けて歩みを進めた。
この街で過ごす様になってまだ四日目だが、街の人達の生活に溶け込む様に過ごして行く内に色々分かった事がある。
アーケンスに暮らす人々は己の生活に満足しているのかほぼ全員が何処か明るい表情を浮かべており、此処に訪れた旅人若しくは行商人達は彼等の表情を捉えるとそれに釣られてイイ表情を浮かべている。
街を行き交う人々の歩みも軽やかでありそれぞれがそれぞれの目的地へと向かって進んで行く。
生活も明るければ経済も明るい素敵な中規模の街。
王都の様な人で溢れ返るふざけた人口密度よりも俺はどちらかと言えばこっちの街の方が好みかも。
だが、人口と比例する様に可愛い女の子ちゃんは増えて行くのでもう一人の俺は王都で暮らす様に忠告し続けていた。
俺も本心は王都で暮らしたいよ?? でもさぁ……。あそこで暮らすとなると次々と危険な依頼が舞い込んで来るし。
命あっての物種と言われている様に、慎ましい危険の仕事を請け負いたい訳。お分かり??
『そんな事は知らないね。両手に溢れんばかりの美女が存在する場所から離れるなんて言語道断さ』
その彼女達全部が俺に気を持ってくれる訳じゃないってのに……。
まっ、美女の姿を見ているだけで元気になるし。当面の間は安全安心な依頼だけを請け負う様にしましょうかね。
不可能とも判断出来る決意表明をすると全然疲れない速度で目的地へと向かって進んで行く。
「いらっしゃいませ――!! 当店の野菜は安くて美味いよ――!!!!」
「王都の三日月糖なんてメじゃない!! うちのバルナは栄養満点さぁ!!!!」
「さぁさぁ見てらっしゃい聞いてらっしゃい!! 本日紹介するのは当店自慢の切れ味抜群の包丁だ!! 岩も切れちゃう鋭い切っ先を持つ包丁を扱っているのは当店だけだよ――!!!!」
通り沿いに併設されている店々の店先に出た店主達があの手この手で客達の目を惹こうとして躍起になっている。
その中で気になった呼び声を拾いその店の軒先に並べられている商品に目を送った。
「うん?? お兄さん!! うちの包丁はどうだい!?」
「あ、いえ。大丈夫ですよ」
ど――考えても岩を断ち切れる威力を持っているとは思えない普遍的な包丁じゃないか。
まぁ店主の呼び声は大袈裟であればある程客の目を惹くし、客もそんな馬鹿げた切れ味の包丁は存在しないと理解している。
大袈裟な比喩であれば比喩である程客達の目と足は止まるのだ。
あ、いや。そうじゃなくても客が足を止める場合はあるな。最たる例が……。
相棒の姿だ。
俺が必死になってお客さんを呼び込んでいるってのに、アイツは只店先に立っているだけで女性達の足を止めてしまう。
これほど理不尽な事はねぇよと何度思った事やら。
「いらっしゃいませ――!! さぁさぁご注目!! 美味しいパンが焼き上がりましたよ――!!!!」
ふぅ、漸く到着したか。
俯きがちであった面を上げて正面を捉えると本日もやたら元気な大蜥蜴の姿を捉えた。
今の状態であの姿を見るのはちと辛いぜ……。出来る事ならばもう少し声量を落として客引きをしてくれません??
「おぉ!! 兄ちゃんまた来てくれたのかい!?」
「トットさんのお店のパンが一番口に合いますからね。贔屓にさせて貰っていますよ」
本当は可愛い姉ちゃん達がたぁくさん居る酒屋にでも繰り出して何も考えず酒を浴びる様に飲みたいですけども。
そんな事をしたらこわぁい白頭鷲ちゃんに強烈な拳を捻じ込まれてしまうので出来ないのです。
「そうかそうか!! 俺が丹精を籠めて練り上げた生地は絶品か!!」
絶品では無いが人間の顎に適した噛み応えなのです。
だがまぁ……。鼻から抜ける小麦の香りと絶妙な塩気と甘味が舌を喜ばせているのは確かだけどね。
「うちの店ばかりじゃなくて他の店には寄らねぇのか??」
店に入ろうとすると彼が俺の横顔に話し掛けて来る。
「勿論寄っていますよ??」
これは勿論、嘘です。
俺の生活圏内は宿屋の部屋と屋敷北側の裏路地、そして此処の店に至るまでの道なのだから。
「そうか……。なぁんか顔色が悪いからさ。疲れているのならパンばかりじゃなくて肉でもガッツリ食らうのがお薦めだぞ」
「かなり遠い場所からアーケンスに立ち寄ったのでその疲れがまだ抜けていないのでしょうね。それじゃ失礼しま――っす」
「おう!! じっくり選んで行け!!」
良い塩梅に汚れている前掛けを装備しているトットさんに軽く右手を上げると小麦の香りが漂う素敵な店内にお邪魔させて頂いた。
ほぉ、今日もまぁまぁな客入りだな。
「これも美味しそうだけどぉ……。こっちも捨て難いわね」
「昨日はこれを食べたし。今日はこっちを攻めようかな??」
広い室内の四方の壁際に幅の広い机が設置されており、その卓上には俺の手を取ろうとして沢山の種類のパン達が煌びやかな瞳を浮かべて横たわっている。
店内で品定めをする客達はパンが並べられている机の間を右往左往しており、俺も彼等の動きに則って早速品定めを開始した。
さぁって、今日はどれにしようかなぁ――っと。
取り敢えず一番近い机に足を運び、卓上に並べられているパンに視線を送る。
食欲を誘う脂がプツプツと浮かび上がる肉を挟んだ大きめのパン、これぞ王道を行くパンと呼べる大人の拳大程の大きさの丸みを帯びたパン。焼いた卵が挟まれたパンに、揚げたパンに砂糖を塗したモノ。
どれも皆美味そうに見えるな……。
ここで足止めを食らって交代時間に遅れたらフウタに怒鳴られるし、それに相棒が腹を空かせて待っているから早く帰らないといけないし。
「取り敢えず適当に……。この机の上に置かれているパンにしようかな」
食の道を極めんとする者が決して口に出さぬ台詞を漏らすと右手に持つ御盆の上に乗せられるだけのパンを乗せて店内の奥の会計所へと向かう。
「いらっしゃいませ――!! おや?? あんたまた来たのかい??」
『本当はパン以外も食べたいですが、何分時間が無いのですよ』
「あはは。この店のパンの味に首ったけになっちゃったんですよ」
唇の裏側に出かかった文字をゴックンと飲み干して違う言葉に変換して話す。
「んまっ!! そんな嬉しい事言ってくれたらおばちゃん嬉しくなっちゃうよ!!」
背の高い大蜥蜴のおばちゃんが嬉しそうにコロコロと喉を鳴らす。
「それじゃおまけをしてぇ……。銀貨三枚になるよ!!」
やっす。
大人の男性の胃袋をほぼ満タンに出来る量で銀貨三枚はお買い得だな。
「有難う御座います。じゃあ……、はいどうぞ」
懐から銀貨三枚を取り出して木製の受付台に静かに置く。
「毎度あり!! それじゃまた来てね――!!!!」
もうこれ以上詰めないでくれと悲鳴を上げる紙袋を女性店員から受け取り店を後にした。
さぁ――って、後はこのパンを宿屋へ運んでそれからまた監視の任に就かなきゃいけないな。
ティスロの屋敷を占拠している不届き者の人数は現在も不明だが、俺達が利用している宿屋の不届き者の人数はフウタ達の潜入活動によって看破出来た。
宿の二階の端の部屋を使用している奴等は俺達と同じで四人。
その四名は食事の買い出し、屋敷を占拠している奴等との連絡要員、そして屋敷への供給係を交代で請け負っている。
長期間の潜伏は怪しまれる恐れがあるので恐らく宿屋を利用している四名の交代要員が近い内に来る筈だ。
その日程が分からないので作戦決行時には数時間の内に人質を解放してこの街から退去せねばならない。
この電光石火の雷撃作戦を成功させる為には屋敷内に潜伏する不届き者の詳しい配置と人数を掌握しなければならず、それに加えて宿を利用している野郎共も無効化せねばならない。
そしてこの作戦を困難にしている最もの要因は……。
人質の存在だ。
ティスロの家族三名と使用人一人の命は必ず守らなければならない。
四名のかけがえのない命の確保、宿に潜伏するクソ野郎四名及び屋敷を占拠している反政府組織の連中の同時撃破。
口で言うのは簡単だけどいざ実行するとなると難しい救出作戦だよなぁ……。
「ちぃ――っす。買い出しから帰って来たぜ――」
たった四日しか使用していないのにも関わらずもう見飽きてしまった宿の扉を開き、食事が到着した事を告げてやった。
「おっせぇぞ!! 俺様が餓死したらどうするんだよ!!」
「人の体はそう簡単に餓死出来ない様に出来てんだよ。皆さん、食事ですからねぇ――。一旦自分の仕事を置いて集まって下さいね――」
部屋の中央で大変聞き易い声色で集合を掛けてやる。
「おぉっ!! この肉を挟んであるパンは美味そうだな!!」
「某はこの揚げたパンを所望しようか」
「ほぅ……。どれも良い香りがするな」
ハンナの前髪がふわぁっと上がり、両手に沢山のパンを手に持ち窓際へと戻って行く。
「よっと……。フウタ、シュレン。今日の深夜に行う潜入任務なんだけどよ」
己が使用しているベッドに腰掛けて残り物のパンに手を掛けて話す。
「あぁ、昨晩決めた作戦か。うっまぁ!! おい、ダン!! この肉美味いぞ!?」
そりゃよう御座いましたね。
俺もそれを食べたかったけどシュレンとハンナが持って行ってしまったので残されていなかったんだよ。
「何処から潜入するつもりなんだ??」
「某達は魔物の姿に変わり屋敷の屋根若しくは隙間から潜入する。屋敷内部の見取り図はティスロから既に入手済みだが、奴等の配置と潜伏している人数が不明だ。天井からそして壁の間からそれを確認。日が昇る前に此処へ戻って来る」
「持ち帰った情報を吟味して……。救出作戦決行は明日の深夜か」
「まぁそうなるだろうなぁ――……。俺様的には今晩でもいいぜ!?」
フウタが勢い良く口を開くと咀嚼中のパンの欠片が前に飛び出し、対面のシュレンの膝元へ向かって飛翔して行く。
「人質の命を最優先する作戦だ。その場凌ぎの作戦では彼等の命が危ぶまれてしまう恐れがあるのでそれは了承出来ん」
口の悪い野郎から受け取ってしまったパンの欠片を手で払いつつフウタが話す。
「その通りだ。逸る気持ちは理解出来るが今は慎重に行動しろ」
ハンナが鋭い視線を屋敷に送りつつ口を開く。
「へ――い。んじゃ、俺様は夜に備えて昼寝をするぜ!!」
「寝ても良いけど絶対に夜は起きろよ??」
「うっせぇ!! んな事は分かってんだよ!! おやすみっ!!!!」
悪態を付くものの、ちゃんとおやすみの挨拶を送ってくれるのは彼なりの優しさだろうか??
「おやすみ――。ゆっくり休めよ――」
素早い所作でシーツの中へ潜って行った彼に挨拶を送り、最後の一口になったパンを大切に口に送り込む。
んっ……。疲れた体に砂糖の甘さが嬉しいな。
さっさとこの依頼を済ませて、何も考えずそして誰にも邪魔される事無く眠りに就きたいぜ……。
可能ならば白い砂浜が広がる島にでも出かけてさ。海のさざ波を聞きながらうたた寝をして、そして素敵な昼寝から起きたのなら持ち込んだ食料を料理して腹を満たし。それから満点の星空を眺めながら眠りに就くのだ。
だけど、例え休暇が取れたとしても食いしん坊の白頭鷲ちゃんと口喧しい鼠と物静かな鼠が着いて来そうだし……。
たった一人、静かに過ごす事は叶わなそうだよなぁ。
無限の価値がある風光明媚な景色を目の前にしながらも五月蠅い連中に囲まれて顔を顰めながら過ごす。それこそが俺に相応しい休暇なのかも知れない。
「うむ。肉の味、そして小麦の味も悪くないな」
窓の外を監視し続けているハンナの疲れた横顔を見つめつつそんな事を考えていた。
お疲れ様でした。
本来でしたらこの後にも投稿する予定でしたが、次の話がプロット構成上一万文字を越えてしまうので本日の投稿はここまでになります。
と言ってもまだ次の話は全然書けていないのですけどね……。花粉の猛威に晒されて思う様に書けないのが現状で御座います。
この季節は本当に辛いですよ。ですが早く投稿出来る様に頑張って執筆します!!
それでは皆様、お休みなさいませ。