第九話 決戦前夜
それではお楽しみ下さい!!
与えられた部屋の中にある特に大きい訳でも無く、小さい訳でも無い普遍的なベッドの上で横になり。
小さな染みが少しだけ目立つ天井を何も考えずに眺めていた。
数日前まで人で溢れる街中で暮らしていたのに、たった数日間の間でここまで激変してしまうとは誰が想像出来るだろうか。
右腕を天井へと翳すと、部屋の中で揺れる蝋の明かりが右腕照らす。
今は人間の腕。
しかし、これは偽りの腕なのかもしれない。
本物の腕は恐ろしい力を放つ龍の腕。
俺はどっちの存在なのだろうか……。
人なのかそれとも。魔物なのか。
「お――い。居る――??」
ちょっとだけ沈んだ気持ちを抱いていると、扉越しにマイの声が届いた。
「どうぞ」
「お邪魔するわよ!! お――。ユウの部屋とあんまり変わらないわね」
「レイド、お先――!!」
御風呂上がりのうら若き乙女達がズカズカと部屋の中を通り。
「よいしょっと!! はぁ――。いい湯だったぁ」
「だなぁ。夜御飯食べたらもう一回入らね??」
「大賛成よ!!」
椅子へと女性らしからぬ速度で腰を掛け、軽快な声と共に談笑を始めた。
「二人共、元気だね??」
明日から始まる作戦について気負ってはいないのだろうか。
「元気じゃないわよ」
おや??
こりゃ意外だな。
風呂上りの艶々な髪を揺らしてマイが話す。
「お腹が空いているからねっ!!」
それは元気が無い、では無く。
お腹が空いていると呼ぶのです。
「俺が聞きたかったのは作戦について気負っていないのかって事だよ。ほら、俺達三人で出発するんだろ?? もしも、敵に包囲されたら……。それだけじゃ無く。敵に発見されたらボーさん達の作戦に支障を来す恐れもある」
まだまだ心配の種はあるけども。
ざっと思いついた事を述べてみた。
「あんたは心配し過ぎ」
「そうそう。気負い過ぎってのも逆に良く無いぞ」
気負い過ぎ、ね。
「自分達の領域ならまだしも。ここはユウ達の故郷だぞ?? そりゃあ色々考えちゃうって」
一つの失敗が連鎖し、取り返しのつかない事にならないだろうか……。
悪い方へと考えが傾いて行ってしまう。
俺の悪い癖、なのかも。
「有難うよ、あたし達の事を考えてくれて」
首に手拭いを掛け、マイ同様艶のある深緑の髪を揺らしつつユウが話す。
ってか。随分と雰囲気変わりましたね??
寛げる部屋着に着替え、風呂上りの余韻が残る肌。
先程までの快活な女性の姿は少しだけお留守番の御様子であり、今現在は女性そのものを感じさせる姿であった。
「あ、うん。どういたしまして……」
緑の瞳から視線を反らし、木の床へと落とした。
「そうだ!! ユウ!! 作戦名考えていなかった!!」
「それ、必要??」
「勿論よ!! ん――……。うんっ!! 決めた!!」
包囲網突破作戦。
本部急襲作戦。
頭の中にぱっと思いついたのはこの二つだな。
「掛かって来やがれ!! クソ野郎共!! ってのは!?」
「「却下」」
ユウとほぼ同時に拒絶の意思を示してやった。
「はぁ!? じゃ、じゃあ……。体の中から五臓六腑を引きずり出して……」
「ユウちゃ――ん。御飯出来たわよ――」
マイが突拍子も無い作戦名を捻り出そうとしていると、フェリスさんが扉を開いた。
「やっほぉぉいっ!! 御飯だぁぁっ!!」
「きゃっ。あらら……。駆け抜けて行っちゃいましたね」
淑女の笑みを浮かべ、大馬鹿野郎の背を見送る。
「重ね重ね、本当に申し訳ありません」
ベッドから立ち上がり、彼女へ向けて深々と頭を下げた。
もしかしてだよ??
アイツと行動を続ける限り俺はこうして人に対し、頭を下げ続けるのだろうか。
それならまだしも、要らぬ問題を引っ提げて帰って来ようものなら。
『あ、あはは。まぁ、何んとなかる!!』
そう言って愛想笑いを浮かべ、ガシガシと後頭部を掻く。
そして……。毎度毎度、胃が痛くなる思いを抱くのだろうさ。
「構いませんよ。さ、行きましょうか」
「はぁ……」
「今から夜御飯なんだ。湿気た声は御無用ってね!!」
行き場の無い憤りにも似た感情を誤魔化していると、ユウが此方の背を叩いた。
「俺だってこんな声。出したくて、出している……」
そこまで話すと、愚か者がけたたましい足音と共にずぅっと奥の廊下から戻って来た。
「食堂は何処!? 間違ってトイレの扉を開けちゃったじゃん!!」
肩で呼吸し、目は血走り、口からは白い蒸気が零れ落ちる。
新鮮な肉を追い求め、駆け続ける獰猛な猛禽類。とでも呼べばいいのか……。
その姿を見てると、先程まで抱いていた重苦しい感情がふっと霧散した。
ユウの話していた通り、気負い過ぎるのも良く無いのかも。
しかし。
砂粒程度の緊張感を抱かないのも宜しくは無い。
適度な緊張感と、果たすべき義務感。
その配分の塩梅が大切なのですよっと。
ギャアギャアと騒ぎ続ける彼女の背を普段と変わらぬ速度で追い続けながら、そんな事を考えていた。
◇
左右に広がる巨大な食卓の前、座り心地の良い椅子に座りながら視線を悪戯に動かす。
壁に掛けられている燭台、小さな傷跡が残る食卓の上にも乗る燭台の炎の明かりが今から始まるであろう食事に対する陽性な感情を増幅させてくれていた。
俺が感じると言う事は当然、彼女も感じている訳であって??
「早くぅ……。うぅ……。も、もうお腹とふくらはぎがくっついちゃぅう……」
俺の右隣りで押し寄せる食欲に負けない様に腹を抑え、地団駄を踏んでいた。
それを言うなら、背中では??
「行儀が悪いぞ。もう少し待てないのか」
「待てないっ!!」
左様で御座いますか……。
相手の厚意を受ける態度じゃあ無いと思いますよっと。
「ユウ!! 今日の御飯は何か分かる!?」
俺の左隣りに座る彼女へと問う。
「ん――。多分、スープとパンかな」
細い顎に指を当てつつ話す。
「ほっほう!! 王道中の王道じゃん!! 簡単な作りな分、味が矢面に出ちゃう。つまり!! 料理人の腕が直に現れるのよ!!!!」
私の舌を唸らせてみろ!!
そう言わんばかりに頷く。
一体、あなたは何様ですか??
「その点は安心してくれ!! 母上の料理は天下一だからさ!!」
天下一と来ましたか。
その言葉を受け、食欲が刺激された胃袋が早く寄越せと雄叫びを上げた。
「はは!! レイドも腹減ってたのかよ!!」
「えぇ……。人並みに……」
羞恥を誤魔化す為、後頭部を掻いていると。
「お待たせしましたぁ」
フェリスさんが可愛い声と共に、馨しい香りを携えて食堂へと足を踏み入れた。
「こんな物しか用意出来ませんでしたが……。宜しければ召し上がって下さい」
両手に乗せた御盆。
そこから配膳された品は食欲の鬼を目覚めさせるのには十分な破壊力を備えていた。
琥珀色のスープの中に躍る根菜類。
今の今まで煮られていたのか、熱々の蒸気が舌を。嗅覚をガツンと掴んで放さない。
鼻の奥にすっと侵入する香りが既に味を想像してしまい。口内が唾液で溢れかえる。
そして。
大皿一杯に積まれた大人の手の平大のパンが更に食欲を増進させてしまった。
「じゃあ頂こうか!!」
ユウの言葉に、俺とマイが静かに頷く。
「「「頂きます!!」」」
食材に、そしてフェリスさんに感謝を述べ。
鉄の匙を手に取り、熱で舌が驚かない様にゆるりと琥珀色のスープを口に含んだ。
「――――――――。はぁっ。美味しい……」
静かに吐息を漏らす様に正直な心が口から零れ落ちてしまった。
先ず舌が感じ取ったのは優しい塩気。
汗を失った体には物足りないかと思いきや。塩気の奥にあるコクが物足りなさを補ってくれる。
大地の恵みを感じさせてくれるジャガイモを奥歯で噛むと、ホロリと崩れ。
柔らかい感触がもっと、早く次の物を寄越せと強請る。
このスープ、ちょっと凄いぞ……。
マイが言っていた様に、簡素な作りは味を誤魔化せない。
即ち。
このスープはフェリスさんの腕前そのものなのだ。
「フェリスさん。凄く美味しいですよ」
次へと動かそうとする手を必死に止め、正面に座る彼女へと感謝を述べた。
「うふふ。ありがとうございます」
「根菜類はこの近くで獲れた物ですか??」
「里の北東部にある大農園で獲れた物ですよ。そこでは小麦、米、野菜等々。豊富な種類の作物が採取出来ます」
「森を開拓して、ですか」
少々礼儀が悪いかも知れませんが。
スープを一口口に含みつつ話す。
手が、ね。止められないのですよ。
「御先祖様達が開拓した農園です。私達はその恩恵を受けて、生き永らえている。そして……。この地へと土足で侵入した愚か者共はそれを崩そうとしているのです。ふふふっ。誰の地へと足を踏み入れたのか、身を以て分からせてあげませんと」
柔和に笑みを浮かべてはいますけど。
目の奥は笑っていませんね……。
背筋がゾクリとする瞳から、けたたまし音を立てている右を何気なく見ると。
「ふぁむっ!! がっふぁ!! あんむぅ!! うまいっ!! おかわりっ!!」
丁度一杯目を食べ終えたマイが誇らしげに皿を掲げた。
「あらあら。鍋ごと持って来た方が宜しいかもしれませんね……」
「申し訳ありません」
何でコイツの代わりに頭を下げにゃならんのだ。
「いえいえ、お気になさらず」
うふふと柔らかい笑みを浮かべつつ、フェリスさんが食堂を後にした。
「ユウ!! パンも美味い!!」
「だふぉ?? ふぁふぁうえの料理ふぁ。天下一っふぇ、いふぁだろ」
「ふぉうね!!」
右と左から飛び交う言葉。
その中に僅かに混じる食事の欠片が此方の頬を汚す。
君達は一度、食事の作法を学んだ方が良い。
時折襲い掛かる大き目の欠片を器用に躱しつつ、食事を進めた。
◇
ふぅ――!! いい御湯だった!!
食事を終え、部屋に戻るなり勧められるがまま御風呂へと足を向けた。
温泉のかけ流しと聞き、高揚した心のまま足を踏み入れたが……。正直、その倍以上の効用を得られた。
汚れを落とすだけでは無く。
心と体の疲れを全て洗い落とし、真新しい体に生まれ変わった気分だよ。
いつか、山沿いに足を運び。温泉目当てで掘ってみようかな。
温泉を掘り当てたらそこで永住する。
毎朝、毎昼、毎晩温泉三昧だ。
言う事無しだと思うんだけどねぇ……。
意図せず出てきた鼻歌を口ずさみつつ廊下を歩いていると、ユウの部屋の前に差し掛った。
あれ??
扉がちょっと開いているな。
自分の家だから用心は不必要だけども。
この僅かな空間が好奇心を多大に刺激する。
「扉、開いているよ」
静寂が逆に不気味に思える部屋へと向け。
夜に相応しい声を掛けつつ、扉の中を覗くと。
「すぅ……。すぅ……」
「んがらぁ……」
二人の女性が大きなベッドの上で心地良い眠りを享受していた。
「寝てたか」
どうりで話し声が聞こえないと思った。
ユウは大人しく薄手の布団を被って姿勢正しく眠り。
それに対し。
横着者はだらしない恰好で。
『私は大変寛いでいます!!』
と、誰から見ても安易にそう捉えられる姿勢で眠っていた。
ユウは意外と寝相が良いな。
マイと似たような性格だから、アレだと思ったんだけど……。
ベッドの傍。
己の両膝に手を当てて、彼女達の安らかな寝相を観察していた。
「がっふ……」
マイが寝返りを打ち、横着な左手がユウの柔らかそうな頬をペチンと叩く。
「う……ん」
痛そうに顔を顰めるも。
直ぐに元の安らかな寝息を立てた。
何んと言いますか。
ユウの寝顔って凄く可愛い、よな。
快活な性格の余韻を残しつつも、優しい曲線を描く眉に誂えたような優しい顔。
そして時折小さな口から零れる甘い吐息が男の性をぐぅっと掴む。
いかんぞぉ、俺。
頭を一つ横に振り、友人に抱くべきでは無い感情を追い払ってやった。
それからもマイの攻撃は鳴り止む事は無く。
いい加減ユウもうんざりし始めたのか。
「んんぅ……」
布団の中から腕を取り出し、何かを振り払う仕草を取った。
あはは。
夢の中で追い払っても無駄だぞ??
攻撃を受けているのは現実の世界なのだから。
子供の寝相を見守る温かい親の気持ちを抱いていると。
「ふっ……。ん」
「はっ?? おわっ!!」
ユウが伸ばした手が俺の顔を掴み、そのままベッドの上へと誘われてしまった。
「すぅ……。すぅ……」
い、いや。
何という……。ド迫力……。
丁度、ユウに抱き留められる形で横になってしまっているのだが。
如何せん。
彼女のアレは世界最強クラスなので、視界がほぼソレで埋まってしまっていた。
視覚ならまだしも。
男の悪い部分を誘う女の香が強烈に鼻腔の奥へと届いてしまう。
不味い、大変不味いです。
早く此処から脱出しないと、もう一人の俺が暴走しかねん。
ユウのアレを触らない様に肩へと手を伸ばし、拘束を解こうとするが。
「――――。かった!!」
押しても、引いてもビクともしない。
しまった。
ユウの馬鹿力を考慮するのを忘れていた。
猛烈な勢いで次なる手を考えていると。
「んっ」
甘過ぎる寝言と共に、俺の顔が肉の双丘へと引き寄せられ始めた。
そ、それは流石にいけませんっ!!!!
「こ、このっ!! は、放せ!! ユウ!!」
寝ている者に対して行うべきでは無いが……。
足を器用に動かし、ユウの体を少々強めに蹴り。意識を現実の下へと戻そうと画策するも。
「あっ、んっ……」
これが宜しく無かった。
この刺激を違う方向に捉えてしまった彼女の顔は甘く蕩け。
女そのものの顔に変化してしまった。
「ちょ、ちょっと!! お願いします!! 放してぇ!!」
マイが肉の海に溺れてしまったあの光景が鮮明に過る。
ま、まさかとは思うけど。
このままあそこへ……??
「こ、このぉ!! いい加減、目を覚ませ!!」
拳で肩を叩くが。
「やっ……」
どうやら彼女は夢の中で何かを求めている様だ。
俺の攻撃を物ともせず。
死刑宣告に近い言葉を短く漏らすと……。
「ングッ!?」
ポフンっと。
俺の頭を『全て』 胸の中に収めてしまった。
は、はぁ!?
何、これ!?
顔を動かそうとしてもユウの怪力によって拘束され、身動きが一切取れず。
更に更に!!
肉の壁が前後左右から襲い掛かり、呼吸を阻害。
俺の意識を確実に……。刈り取りに来た。
それは正に、死神の鎌にも思えてしまう。
「ン――!! フゥ!! ファナフィテェ!!!!」
見えない場所を殴り、蹴り、必死に体を押し返すも。
「あぁっ……。んんっ……」
肉の海の持ち主は以前変わらず、俺の意識を雲の彼方へと誘おうと続けていた。
「ファスケテ!! ジヌ!! ジンジャ…………」
鼻、口。
空気の通り道が肉で塞がれ、遂に意識が朦朧とし始めた。四肢の力が抜け落ち、頭の中に特濃の白い靄が立ち込める。
意識を失う刹那、最終最後に感じ取ったのは。
ユウって、いい匂いがするんだな。
日常では決して口に出来ない言葉を思いつつ、作戦開始の夜明けまでに起きられるのだろうかと。真面目な自分が顔を覗かせた事に驚きを隠せなかったのだった。
最後まで御覧頂き、有難う御座いました。
続きます。