42話 202号室での後日談
三章突入
見渡す限り赤。
赤。赤。赤。赤。赤。
床も壁も天井までも赤く染まったその部屋で、ソレは小躍りする。
「運がいい……本当に運がいい」
鼻歌を歌いながら、軽くステップを踏みながら、ソレは笑う。
やがて大きなキャリーバッグを持つと、軽快な足取りで歩き出した。
◇ ◇ ◇
「ええ! 俺がいない間にそんなことあったのかよ!?」
オトギリ荘202号室にそんな叫びが響き渡る。
耳元でその声を聞かされた俺としてはたまったもんじゃない。
不機嫌を隠さずに至近距離で叫んだ男、暗丘を左手で遠ざけて、俺は盛大にため息を吐き出した。
「うっさいなぁ。俺は腕折られて散々だっての」
「ああ、まあ、それはご愁傷さま」
と軽い調子で返される。暗丘のオッサンからすれば、腕が一本折れようがどうなろうが、大したことはないらしい。
でも俺にとっては死活問題なんだよ。利き腕がダメにされて、おまけに指まで折られて、完治するまでどうしてくれるんだって話だ。
責任取れっていうのもなぁ、ちょっとあいつ今落ち込んでるみたいだし、って、俺には関係ないけどさ。
問題はこの指じゃあ何も調べられないってこと。暗丘の仕事だって受けられないんだからな。
っていうのにオッサンは楽しそうだし。わかってないんだろうか。
「おい、こらオッサン。アンタの依頼だって今は受けらんねーからな。いいんだな!」
「ああいいよ別に。なきゃないでなんとかするし?」
なんとかなるんかい。って突っ込ませんなよ。
たく、このオッサンもわけわっかんねーなあ、どいつもこいつも面倒くせ。
「そんで? 結局どうなったのよ、表屋くんは」
なんて暗丘が聞いてくる。随分と興味津々だな。
「別にどうも。放心状態でさ。部屋に帰っていったよ。ま、ソレ以来会ってないし、俺は知らね。自殺でもしたんじゃねーの」
「縁起でもないこというなよなあ、かわいそうな表屋くん」
俺としてはあの後のことを考えたくない。
俺なんか悪いことしたかよ。してねーだろ。ちょっと本当のこと言っただけじゃねーの。それをあの毒女……。
人を悪者みたいに俺のことを罵りやがった。挙げ句の果てには折れてる腕を思いっきり殴りやがって、あれで絶対完治するまでの時間伸びたと思う。
つーか。あいつなんであんな怒るんだよ……。
「表屋空に気でもあんのか」
「誰が」
誰がって、ってなに、俺声に出してた?
暗丘が身をのりだしてくる。俺は椅子、暗丘が床に座っているわけなんだけど、背の高いこいつが身を乗り出してくると見下ろしてる気がしない。
決して俺が小さいわけじゃない。断じて。
興味津々って様子の暗丘。その本心を見極めたいところ。そう思って顔色から何を考えているのか伺おうとするけど……俺には無理だな……。
そういうの苦手。俺はデータに生きてるの。感覚とか知らん。
さて、とりあえず。
からかってみよう。
「オッサンが、表屋に」
「なんだって?」
「だから、オッサンさ、表屋空に気でもあんのかって言ってんの。好きになっちゃいましたって? 気にしすぎなんだよなぁ、あやしい」
と、からかってみたつもりだけど。案の定馬鹿笑いされた。こいつに笑われるとムカつく。
いや、誰に笑われてもムカつく。
でもおかしいんだよな……。
こいつ今までこんなに新入りに興味持ってたかな。人のことほとんど興味ないって性格だったと思うんだけど。
なんでこんなに表屋のこと気にしてんだろう。
暗丘はある程度笑いきったのか、ヒーヒー言いながら片手を振って見せた。
「んなわけないだろうが、馬鹿言うなよな。じゃなくてなぁ。気があるってか、気になるんだよな。二重人格って簡単になれるもんじゃないぜ、多分」
そりゃそうだけど……。確かに過去に何かがないとならないものかもしれない。そういうところが、表屋空からは感じられない。悲壮感って言うの? そういうやつ。
それが気になるところっちゃ気になる。
だからってそんなに気にする? どっちかって言うと、新しいもう一人の住人のほうが気になるだろうよ、暗丘の仕事的には……。
ってそういえば。
「オッサン知らないんだっけ?」
「何を? 表屋くんの情報?」
ほんとに気があるんじゃねーだろうな。
「じゃねーし。新しい住人。来るらしいぜ。近いうちに」
というと、暗丘はぽかんと口を開けた。アホ面。
忘れてたのかもしれないが、もう一つあいてる部屋がある。
「それって、もしかして、隣?」
俺は無言で頷く。
そう俺の部屋の隣、203号室。
そこも302号室と同じくいわくつきの部屋というか。302は入ったやつが全員殺される部屋だ。隣の毒島が全員毒殺したからだけど。で、203号室はソレとは違って、なんていうか、ヤバすぎるやつが入ってきてすぐ追い出されるって感じ。
追い出すのはだいたい暗丘だ。
俺が情報を吸い出して、夜襲かけて怪我させてみたいな。
あ? 野蛮だって?
そりゃ知らん。だって毎度入ってくるやつが先に隣の俺に夜襲をかけてくるんだよ。やられたらやり返す? なんとか返しってやつ。
ここは居心地が良くて、俺の安寧を邪魔するやつは許せん。
暗丘も多分似たようなもんで。ここの生活を邪魔するやつが嫌いなんだよな。だからいつもそういうやつを追い出そうとする。
意外とオトギリ荘を気に入ってるんだ。俺も、オッサンも。
って理論でいくと、表屋空も危険っていうか、すでに俺は実害を受けてるんだけど、イマイチ追い出す気になれねーんだよ。
虚はともかく、空は普通ってゆーか。
普通、なのか……。
何年も兄貴がいると思いこんで生活してたやつが?
こんなアパートで普通に生活できるような、普通のやつがいるのか?
まさかなぁ。
「で? どんなやつよ」
「え?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった俺を、暗丘が呆れた様子で見返してくる。
「え、じゃなくて。その新入りはどういうやつなのよ。このタイミングでそういうってことは、俺が興味持ちそうってことだろ?」
今度は真面目な顔で暗丘が俺にむかって手を向けてきた。
ああ、資料。
「ないよ。資料とか」
そう言うとめちゃくちゃ驚いた顔をされる。
いや、俺はこの通り腕折れてっからそんなに情報収集できてないからな。それに。
「今一応調べてるけど、あんまわかんない。多分だけど、警察とかも情報を持ってなやつなんだと思うよ。もちろん、オッサンみたいに組織に所属してるわけでもない」
情報源がないとうまく探しきれない。
勿論戸籍情報だってわからないし、最近引っ越し業者に仕事を予約したやつなんてゴマンといる。
その中でこの地域に越す予定のやつ。
めんどくさくて調べる気にならないっつの。
「いいじゃん。いつも来てから調べるんだし」
「じゃあなんで今言ったんだよ」
「気になるかなと思ったんだよ。203号室だぞ。いつもあそこには迷惑かけられてんだから、オッサンが一番気になるだろうっていう俺の優しさだよ」
めんどくせーな。
どうやら気になって仕方ないらしい暗丘が、俺に向かって両手を差し伸べてくる。
「なにかないんかね、な。俺をたのしませてくれる情報くれって。菓子やるから」
「ガキ扱いすんな! 金もよこせ!」
やめろよその守銭奴を見るような目は。
そういいつつ、俺は唯一持っている情報を提示してやる。
「わかってることもあるっちゃある」
「どんな?」
俺がニヤリと笑うと、暗丘が顔を曇らせた。
わかってるなあ。俺が楽しいイコール暗丘が大変なんだ。いつもな。
とっておきの情報。
「その新入り……人間を食うらしい」
暗丘の表情が思いっきり曇った。
なあ、たのしみだなあ。オッサン。




