40話 表屋空の一つの真実
見ていた。
少女が母親にすがる姿も、母親が子供をだきとめる姿も。すべて見ていた。僕はずっと虚の横で。
言葉にならない衝動が溢れて、胸をついてどうしようもない。
「少女はもういませんわ。真山美穂さんも、もういきました。これで、表屋さんが悩まされることもありません」
潔子さんが遠くでそう言っているのを聞きながら、僕は一人胸の内を押しつぶされそうになっていた。
いいな、いいな。
僕にはそんなお母さんはいなかったのに……。
僕の心は乱れていって、気づけば僕はつぶやいていた。
「うらやましい」
途端に、周囲にいたオトギリ荘の住人たちの視線が僕に集まってくる。
「虚さん?」
そう呼びかけてきたのは潔子さんだ。何を、言っているんだ。僕は表屋空だよ。
「僕は、僕はうらやましい……あんなふうに愛されて……」
「それを引き離したのは誰だよ」
いつのまにか部屋にやってきていた進士くんが、僕の背中越しに言った。振り返れば、右腕を何かで固定し、首から吊っている進士くんが僕を睨みつけている。
「僕じゃない。僕は人を殺したりなんかっ」
「そうだよ、アンタじゃない」
「え?」
進士くんが僕に同意を示す。どういうこと?
だって、いまさっきまで僕が引き離したってそう言ってたじゃないか。それなのに。
「アンタじゃないけど、アンタだ」
進士くんの言葉は難解で、僕にはわからない。説明をしてくれそうな人を探して周囲を見渡すけれど、誰も説明してくれる気配はない。
どこか傍観の姿勢を崩さない彼らを見て、僕は再び進士くんに視線を戻す。
どういう、こと?
僕の無言の問きに答える気になったのか、進士くんがため息を吐き出しながら言った。
「表屋虚。殺したのはそっちだ」
なんだって?
「虚? 虚がそんなことするわけないじゃないか。僕の兄さんだよ。そんなひどいことできるわけ」
「兄なんかじゃない」
「は?」
じゃあなんだっていうんだ。そんな妙なこと……。
「ねえ、虚! 虚がしたんじゃないだろう?」
隣に立っている虚に呼びかける。虚は無言で僕を見た。
どうして何も言ってくれないんだ。
潔子さんが僕の前に進み出る。
「表屋空さん。ここに虚さんという人物はいません」
「何言ってるんだ。僕の、隣にいるよ」
「いません」
僕は首を左右に振る。
いるんだ。ここに。いる。目の前にいるのにどうしていないなんて言うんだ。どうして……。
はっとして、僕は彼らの目を見る。
誰も虚を見てない。
誰も僕しか見てない。
僕は愕然として隣に立つ虚を見た。いる。たしかにいる。
その確かだったはずの存在が、ゆらりと揺れた気がした。
「表屋さん、あなたに兄弟はいないのです」
なにを言ってるんだ。
子供の頃からずっと一緒だった。唯一の兄弟。今までふたりだったからすべて乗り越えて来られたんだ。なのに。兄弟はいない?虚が人を殺した?わけがわからない。
「じゃあ、虚は……なんだって言うんだ」
潔子さんはにっこりと笑う。その後ろで、眉を寄せる毒島さんと目が会った。
毒島さんが遠慮がちに答える。
「あのね。空くんは多分二重人格。虚くんは空くんの別の人格で……だからさ、ここにはいないの」
二重人格。
ここにはいない。
虚は兄弟ではない?
あわてて横を見る。
そこにいると、そう思っていたのに。
そこにはもう、誰もいなかった。
周囲を見渡しても虚はいない。
「いない……」
「最初からいねーんだって」と進士くんが言う。
何を言ってるんだろう。
なんでそんな、荒唐無稽な話誰が信じるっていうんだろう。
僕の荒れ狂う心は強い衝撃に襲われて、その場に立っていることすら、いつのまにかでいなくなっていた。
しゃがみこむ僕を誰かが支えようとしてくれる。
でもこの手は虚じゃない。
虚。
虚!
君は、どこにいるの……?




