25話 302号室監視継続中
「あ。倒れた」
「あ?」
進士の言葉に資料から顔を上げて、俺は首をかしげた。
なんだって?
「なんだよ」
「オッサンは仕事してろって」
「お前が変なこと言うからだろうが、倒れたって何が」
「表屋空が倒れた」
「はあ?」
なんでそんなことわかる。
そう思ってあぐらをかいて座っていた畳から立ち上がり、進士が向かっているモニターを覗く。
モニターには、あらゆるニュースやら情報が散りばめられていた。それこそお隣の家の猫の名前だの、こないだ死んだお向かいのおばちゃんの情報だの、隣町で見つかった廃墟だの、先月の絞殺事件だの、十二年前の惨殺事件だの……。
「ってエグいニュースばかり集めてんな」
「うっせーな、そこじゃねーよ」
言って、進士がある小さなモニターを指差す。その中に、倒れた表屋空の映像があった。
角度的に表屋空の部屋の中。それも随分と低い位置にカメラがあるらしい。
「おまえ、これどしたのよ」
と返事の決まりきったことを俺は尋ねる。
「こないだ表屋がテレビ買うのに付き合ってさ。そこにちょっと仕込んどいた」
隠しカメラをテレビに仕込むって、あれだけ脅されといて。ほんと、よくやるよ。まったく懲りないなお前は。
俺はそう思いながら次の暗殺のための資料に再び目を落とし、しかしすぐに顔を上げた。
「倒れたって、なんで」
「さあ。アレって機械とは相性悪いからさっぱり」
「あれ?」
「だからアレ」
そういって進士はモニターを指さすが、特に何もない。
「どれ」
「だから、見えないやつだってことだよ」
そこまで言われて、ああ。と俺は納得した。と同時にげんなりする。
「表屋くん。女難の相でもあるんじゃないの?」
俺の言葉に、進士が肩をすくめて見せた。
表情は楽しげである。
俺はため息をはいて、表屋くんの不幸に憐れみを持った。
先日彼は201号室の魅内潔子と出会ったらしい。
それも進士からきいた情報なのだが。
それを聞いて思うに、彼には女に振り回される何かがある。隣が毒殺魔の毒島ちゃんだというだけでもかわいそうなのに、その上、彼女に出会ってしまうとは、哀れである。
彼女に会うと、というか、彼女に目をつけられると、まあ、こういうことが起きる。
「なに、潔子ちゃんに恨まれるようなことしたのか表屋くん」
「さあ。でもあの女、基本男には塩対応だろ」
と、進士は言うが、それは進士が彼女の対象外の年齢だからだろうな。
実際は、男好きなのでは、と俺は思っている。なんたってお誘いを受けたことあるしな。
そもそもあの笑顔がおかしい。
以前ちょっとからかって、怒らせるようなことを言ったことがある。人間怒ると本性がでるもんだ。
ところが、明らかに機嫌が悪くても、逆に笑顔が深くなるんだ彼女は。
俺自身はわざと笑ってスキをつくったりするわけだが、あれはそういうのとは違う気がする。
なんつーか、笑顔っていう表情しか作れないんじゃないかとすら思う訳だ。
殺し屋の勘。
多分、騙されるやつは多そう。
中身は相当キレてるんじゃねーかと想像してる。
その魅内潔子に恨まれると、モニターに映らないような何かが身の回りに起きることがあり、それに関しては進士でもどうにもならない。
まあ、それは俺の時は交渉してどうにかしたが、以来あまり関わりたくない相手だ。
「可哀想になぁ。潔子ちゃんこわいから」
「そうでもないかもよ」
と進士が鼻で笑って言う。
なーんでお前にそれが言えるわけ?
「お前は潔子ちゃんの怖さしらないから」
「知らないこととかねーから! じゃなくて、いるじゃん。あのババアより怖いやつ」
ババア…………。
まあ、いいか。潔子ちゃんより怖い?
って言ったらお前、明らかに一人くらいしか……ってか。
「女難だなあ、表屋くん」
「俺達以外みんな女なんだから、オトギリ荘の人間に関わったら、大体は女に悩まされるに決まってるだろ」
と、進士が笑っていった。
言われてみればそうだ。
俺と、進士と、白塗沢くらいなもんで、そこに表屋くんが現れて。それでようやく男が4人になった。
あ。管理人の存在を忘れていた。まあ交流ねえからいいけどさ。
ともかくそんなだから、俺達以外に関わるということは、女に関わるってことと同義なわけで、そしてどの住人も一筋縄ではいかないのが、このオトギリ荘だ。
「関わらないように気を付ければ大丈夫だろうにさ、なんで関わろうとすんだろうな」
進士が心底呆れた様子で肩をすくめる。
俺も同じく肩をすくめて見せたが、理由は明白に思えた。なんて言っても表屋空という人物はいわゆる普通の大学生なのだ。
二重人格ということを除けば。
人格が2つあって、うち1つがおかしい──ある程度こちら側にちかい。ということはわかったが、空自身は狂っているわけではない。
普通の感覚として、隣人と仲良くしようという。まあそういう感覚なのだろう。
やはり哀れだ。
「俺さあ、ちょっと表屋空について調べてみようと思うんだよね」
「やめとけよ」
軽率な行動は控えたほうがいい。そう忠告するが、進士はむしろ危険なことほど調べたがるタイプだ。
俺もなんでそれわかってて忠告しちゃうかね。
案の定、更にやる気を出した様子の進士がキーボードをタイプし始める。早速調べにかかったらしい。
「俺は警告したからな」
重ねていうが、知らんぷりだ。
ったく。知らねーぞ。
あのもう一人の表屋虚という存在は、空くんよりずっとネジが外れている。
そして、そのネジを緩ませるのは、表屋虚ではなく、おそらくは──。
「二重人格者ってのはだいたいやっかいってのが、お決まりだろうよ」
進士に聞こえたかはわからないが、一応俺はそうつぶやいて、進士に最後の警告をする。
しばらく進士の背中を眺めていたが、返事がないどころか反応ひとつない。
仕方ない。
なるようにしかならんだろう。
俺は仕事の資料を広げて小さくため息をついた。