24話 302号室の雨音と幽霊
その少女は、ただひたすらに僕を見ていた。
少女と向かい合って、どれほどたっただろう。
すでに一時間は経過しているだろうか。外からは雨音が聞こえてくる。雨粒が窓をうつ音も聞こえる。
時計はあまりあてにならない。スマホの時間を確認する動作も、今はしないほうがいい気がした。
だから、体感なんだけど……。
そろそろトイレに行きたくなってきた。
頭の中がそればかりになる前にトイレに行かせてほしいんだけど。
いつまで睨み合いしてなきゃいけないのかなぁ。
少女は本当にそこにいるだけ。
時々あちこちの物が動いたりするし、テレビが勝手についたり、携帯がなったりするけれど、反応しなければなんてことはない。
怖くない。
というわけではないけれど。
それよりも、少女の存在はどことなく既視感があった。あるいは誰かを思い出すような……。
なんだったろうか。
身近にいた気がする。どこかであったような気もする。
いつだったかな、彼女にあったのは……。
そうしているうちに眠気が襲ってきた。
あれ?でもまだ、夜の七時なのに……。
いつもはもう少し夜遅くなってから眠くなるのに。
ああ、いつものやつか。
いつもの、突然来る眠気。
あれが来てのか……。
大丈夫かなぁ、眠って、しまって。
そういえば虚はどこに行ったのだろう。
雨音がする。
赤い唇がうっそりと笑う。
『ねえ。虚はどこに行ったの?』
困惑に困惑を返すように、その人は僕をみる。
『何言ってるの、気持ち悪い』
そんなこと言わないで。それよりもいないんだ。ねえ。彼がいない。
『ねえ聞いて。聞いてったら。虚は? 兄さんはどこ?』
雨が降っている。
『何言ってるの? さっきからなにかおかし──』
雨が……。
「おかあさん……」
はっとして僕は顔を上げた。
正面には変わらず例の少女。今の、夢?
今、誰か、何かを呼ばなかった?
ドキドキと心臓が早鐘をうつ。
汗が額を伝い落ちた。
なんだろう。なんだ。
鳥肌がたち、息を詰める。
意識的に瞬きを繰り返す僕の耳に、今度はインターフォンの音が聞こえた。
ビクリと肩を震わせて、僕は緩慢に玄関を振り返る。
暗い玄関から響くチャイムの音。不気味な静けさとひんやりとした空気。
ゴクリとつばを飲み込む。
これもポルターガイストだろうか。
ダンダン!と扉を叩く音がする。
これもポルターガイストだろうか。
「そこにいる?」
声がする。
これもポルターガイストだろうか。
もう、よくわからない。
声は、若い女性の声に聞こえた。
毒島さんかな……。そんな希望的観測を口に出しかけて、けれど彼女が来ることが嬉しいなんて不思議だと思う。
思いながら深呼吸をする。
僕は再び少女に視線を向け、少女が何も動いていないことを確認し、恐る恐る立ち上がった。ゆっくり少女から目をそらして、じりじりと扉に向かう。
何度も少女を振り返るが、同じ場所から動かずにいた。視線も、さっきまで僕がいた場所をみているままだ。
僕は少女の存在を振り払うように、決心して扉を開けた。
扉はいつものようにギィっと僅かな音を立てて、僕の体感としてはゆっくりとゆっくりと開いた。
そして──。
だれもいない。
ああ。これはもう……
そう思った直後。
僕の背後で、ドンッ!!と音がした。慌てて振り返る僕の目にうつったのは上下逆さまになったちゃぶ台。
「あ……」
再びドンッ!と音がなる。
今度はどこからかわからない
再び。ドンッ。そして再び……。
「じょ、冗談じゃないぞ、これ」
本物のポルターガイストが目の前で起きていた。僕はもはや半分腰をぬかして、扉に張り付いていることしかできない。
「ゆ る さ な い」
その声が耳元で聞こえた。
瞬間。なにもかもがなくなっていくような、真冬の冷気に肺を持っていかれたような感じがして、僕は、僕の意識は奪われるように暗闇に落ちた。
僕は、昏倒した。