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雨嫌いが招かれる喫茶店

作者: 天塚海人

 私は雨が嫌いだ。

 天気の中ではワースト一位で雨が嫌い。


 髪はバサつくし、頭痛はするし、外を出歩けば足元は撥ねた泥水でびっちゃびちゃ。今日だって新調して一週間も経っていないローファーが早くもクタクタになってしまった。

 靴下まで濡れてしまって気持ちが悪いったらない。


 朝、職務を見事に全うした天気予報士にファンレターの一通でも送ってやりたい気分。あんたのお蔭で行きと同じく、下校の傘を持つ手がすこぶるだるいってね。

 子供の頃は雨合羽着で水溜りに飛び込んで、その度に親に怒られたものだけど、今更童心に戻るのは無理な相談。


 スカートなのがせめてもの救いかも知れない。慰めになってならないけど、男子みたいにズボンだったら明日の裾が今から憂鬱。


「雨なんて嫌い」


 今日何度口にしたか分からないセリフだ。自分でも聞き飽きたけど、愚痴や文句の十や二十吐いたって罰は当たらないでしょ。

 いや、罰は来なくても小うるさい学級委員長は捲し立てて来るか。昼休みに私の空への愚痴りを聞き付けて──


『雨が降らなければ川は干上がってしまうし、山の木々だって枯れるだろう。第一、僕たちが毎日飲んでる水だって、もとは雨からのものなんだ。僕たちはこの恵みで生きながらえてるんだ、嫌いだなんて自然への冒涜だ。そもそも君は──』


 うっさい死ね。

 そんなストローマン論法なんて吐いて捨てるほど聞いてきたっての。私は極個人的な理由で嫌っている訳で、自然なんて大層な物差しで語るようなもんじゃないの。


 だいたいねえ。

 私の十七年の人生の内、イベントというイベントは悉く雨に阻まれてきたのよ。


 初めて参加したお気にのバンドの屋外ライブはゲリラ豪雨で中止になるし、夏の海水浴では狙ったように台風が直撃するし、コンビニで盗まれた傘は実に十四本。極め付きは憧れの先輩の前でトラックが跳ね上げた水を被って下着を見られたのよ!


 これでこの天気を嫌うなって? 冗談じゃないわよ、学級委員長(びんぞこめがね)め。これ全部体験してから言って欲しいものね、陰毛頭。


 ホントに、雨なんて大っ嫌いだ。


   ✝   ✝   ✝


 変わり映えのしない帰路を進む間も、空は絶えず傘を叩いている。

 太陽が隠されて景色が灰色かかったいつもの家路を、私は慎重に歩く。


 水溜りを避けてくねくねと蛇行して、時折ぴょんと飛び越える。スカートだけど天気予報を見て直ぐにスパッツを履いたから、多少の無茶は大丈夫。

 晴れてれば何の気兼ねなく歩ける道が、私にとっては罠が敷き詰められた絡繰り屋敷みたいなもん。

 学校で折角乾かした靴下はとっくに水没してるけど、やっぱり不快なものは不快。これ以上歩く度に鳴る靴下のぐじゅぐじゅ音の音量アップは断固阻止したい。


 それに私だって伊達にこの街で生まれ育っている訳ではない。

 水捌けの良い道や水溜りができやすい場所は大体把握している。

 さらに言えば、


「白い線から出たら負けだからな!」

「こうもり傘ってどうやんの?」

「忍法・水蜘蛛の術!」


 お母さんのお説教を恐れないガキンチョどもの二次災害から、事前に避難することだって簡単よ。

 私が反対車線に移って直ぐに、向かい側から傘と長靴が飾りとなっている小学生の一団が走ってきた。

 あーあ、シャツまで泥を撥ね上げてまあ。長靴はスニーカーより重いから、バッシャバッシャと派手な水飛沫が上がること。


「なんでそんなに元気なの……」


 子供の無邪気さが高校生には眩しい。リア充なら多少制服が濡れようとも青春フィルターで美化されるのだろうけど、陰気な図書室の民にはフィクションと同義だ。遠目で見るだけで胸やけしそう。


 存在自体が晴天みたいなリア充と雨女の私は、見染められたものが違うんだろう、なんて考えてしまう。

 陽キャの陽は太陽の陽。陰キャの陰は日蔭の陰。そんな感じだ。


 それでも、悲しい事に私という女は唯の雨女程度(・・・・)には収まらない。

 私という女は雨の日には必ず、大なり小なり不運に見舞われる馬鹿みたいな体質なんだから。


 まだ小学生だった頃、今日みたいな雨の日だった。歩道橋を下りていると風で飛んできたビニール袋を踏んづけて、派手に転がり落ちたのが全ての始まりだった。

 友達とのお喋りに夢中だった私はビニール袋に気付かずに、しこたまお尻と背中を打ち付けてそりゃあもう悶絶した。


 幸い打撲だけで済んだけど、服は泥まみれだわ、座ればお尻は痛いし、男子には笑われるわ。いっそ派手に血でも噴き出してくれれば同情を買えたかもしれないのに、私の皮膚は赤ではなく青紫を浮かべるばかり。


 ホント、最悪だ。

 あの日を境に雨は私にとっての大凶そのもの。

 何もないところで転ぶ、傘が前触れなく壊れるなんてのは序の口。酷い時は雷が直ぐ近くの木に落ちたことだってあった。


 ……だっていうのに、何で体育祭や球技大会の日だけは雲一つない青天なわけ!? 意味不明を通り越して誰かの悪意すら感じるっての。


「はあ……早く家に帰ってお風呂に入りたい……」


 この街は殆どが丘陵地帯で駅前を除けばダラダラとした緩い坂道が多くて疲れる。行きはともかく、気分が沈んでいる日はやたらと疲れて仕方がない。友達から借りた漫画が入った学生鞄が肩にずっしりと圧し掛かって痛い。確かに貸しては言ったけど、よりによって今日かよ、友よ……。


「ねえねえ、姉ちゃん。これ見て。さっき捕まえたんだ」

「ん?」


 信号待ちしていたら横にいた小学生の女の子が、自慢げに閉じたスクールキャップを差し出してくる。


「え~、どれどれ」


 邪険に振り払うけにはいかないので愛想笑いを浮かべるけど、黄色帽子の膨らみからは大変嫌な予感しかしない。

 いまももぞもぞと蠢いているそれが、子猫みたい愛らしい現実を許容する筈もなく。


「ほら!」


 と、前歯が生えかけの女の子がスクールキャップを開くと、びちゃ、と湿った音を立てて視界が真っ黒になった。


「……~っ!!?」


 妙に冷たくて、それでいて生臭く、ぶよぶよとしながら鶏肉みたいな感触と──「ゲコッ」という低い鳴き声……。


「ああ、ピョン吉! 駄目だよ」


 うわあああああああッ!

 顔に張り付いたものを無理矢理引っぺがして、私は走り出した。

 ああ、やっぱり雨の日は最悪だ。


   ✝   ✝   ✝


「う~……まだ顔が生臭い気がする……」


 近くの公園の水道で皮が剥す勢いで洗顔しても、気持ち悪さは拭えない。

 あの幼女め。今度会ったら貴婦人クラスの腐女子に仕立て上げてくれる。カエルだって寄り付かない沼で汚しまくれば未来の壁サークル候補生の誕生よ。


「はあ……」


 帰路の足取りは重い。

 例によって足元に注意して歩いているものだから、気分だけじゃなくて格好からも気落ちしそうだ。

 追い打ちをかける様に雨脚が強まってきて、傘の布を叩く音が大きくなる。何処かに目立たない程度の穴が空いてるのか、骨を伝って手元が濡れる。


 心底嫌気が差してもういっその事タクシーでも呼んでしまおうか、と財布の中身を思い出していると、何か固いものが跳ねるような音が聞こえてきた。


 ──まさかがけ崩れ!?


 悲運ていったって限度がある。

 血の気が引いて顔を上げると、影がけ崩れどころか石ころ一つ転がってない。私がいまいる所は緩い傾斜が続く住宅街。そもそも崩れるような地形じゃない。

 胸を撫で下ろしていると、コツンっと何かが爪先にぶつかった。


「……ドングリ?」


 拾い上げるとそれはピカピカのドングリだった。ピストルの弾みたいな形は確か、マテバシイだったかな。

 でも時期が早すぎると思う。いまはまだ梅雨明け前で、ドングリは秋の果実だったはず。

 何処かの子供が去年溜め込んだものを捨てたものだろうか。


「ん?」


 また何かが転がり跳ねる音が聞こえる。

 音の方向を探っていると、また爪先を何かが小突く。


 ドングリだ。今度はずんぐりむっくりの形。コナラかな。

 二度あることは三度あるとは、よく出来た諺らしい。

 コン、コンッ、と三度ドングリが転がり跳ねてきた。


 転がってきた先は、直ぐ横手の坂道だ。

 正面の家路とは違って、こちらは丘に対して真正面に伸びている急傾斜。


 思えば私はこの道を登った事がない。

 特段用も無いので今まで気にした事も無かったけれど、地元民でありながら全く知らない場所があるってのは、ちょっと恥ずかしい。この街は別段大きくもないし。


 何となく興味を引かれたけれども、生憎と天気がこの有様。

 またの機会にしようと家路に向き直ろうとした私に、四個目のドングリが飛来した。


「…………」


 今度は爪先じゃなくて顔に向かって大きく弾けてきた。

 何の意思かは知らないけど、来いって事らしい。


「あーはいはい。行きます、行けばいいんでしょう!」


 誰に対しての悪態を吐きながら、私は踵を九十度返して横手の坂道に進路を変えた。

 でも直ぐに後悔した。

 なにせキツイったらない。そして長いし足元も悪い。

 しかも私が少しでも帰る気配を見せると、咎める様にドングリが降ってくるんだから、一体何の罰ゲームよって話。


 妖怪よ。妖怪・どんぐりコロコロが私に眼を付けたに違いない。雨雲の次は妖怪に惚れられるなんて、いよいよ私の陰キャステータスは魔王もドン引きね。

 絶対とっちめてやる。

 

 自分でもよく分からない理由で息まいて、肩で息をしながら苦労して坂道を登り切った。

 制服の中が汗で蒸れて気持ち悪い。どこもかしこも水だらけ。嫌になる。

 ひとまず息を整えて、私は初めて見る坂の上の景色を眼に映した。


「……普通」


 口をついたのはそんな非難めいた言葉だった。

 古民家が目立つ以外は私が住んでいる場所とそう変わらない。人気のない街並みはシンと静まり返っていて、すぐ傍の民家の塀に鴉が留っている以外は誰もいない。


 振り返れば景色がいいかもとも期待したけれど、雨で霞んで街並は曖昧。

 溜息が零れる。苦労して登って来たのが途端に阿保らしく思えて、気力がごっそり削がれた気分だ。気分じゃなくて、削がれたけど。


 やっぱりあのドングリは誰かが捨てたかイタズラに違いない。

 もしかしたら【耳をすませば】の猫的なイベントかもと期待していた自分が恥ずかしい。乙女か。

 今度こそ帰ろうと、回れ右をしようとした時だった。


「しけた面してんな、嬢ちゃん。せっかくの美人が形無しだ」

「はい?」


 荒っぽいナンパ紛いな言葉に私は脚を止めた。

 しかし声の主は見当たらない。先程と同じく人影は見当たらず、周囲の窓も閉められたまま。


「何処見てんだよ。こっちだ、こっち」


 低くよく通る声の方向に向き直るも、やっぱり人は見当たらない。もしかして何処かに隠れている奴に揶揄われている?


「俺だよ、お・れ! いま嬢ちゃんの眼の前にいんだろ」

「……は?」


 再三の呼び掛けで声の主を見付けた私は、しかし自分の眼と耳を疑った。

 いや、だって有り得ない。こんなの夢だ、漫画の世界だ、フィクションだ。

 頭ではそう否定しつつも私の眼は、民家の塀に留っているそれ(・・)に釘付けになる。


「名探偵ピカチュウって映画見たことあるか? 主人公はピカチュウの言葉を理解できるが周囲にはピカピカ鳴いているだけ。いま嬢ちゃんは正にその主人公と同じ状況だ。そして当然俺はピカピカなんて鳴いてない。人間には耳障りなカアカアだぜ」


 流暢に喋るのは鳩や雀と同じぐらい街中でみる、真っ黒い鳥類に他ならない。

 まさか、実在していたなんて。


「──か、鎹鴉(かすがいからす)!」


 カラスが、喋っていた。


   ✝   ✝   ✝


「俺を見ての第一声がそれとは、ミーハーだなあ。しょぼくれてんのも最新刊が買えなくて落ち込んでるってとこか? 電子書籍に移行すれば品不足の悩みから解放されるってのに、アナログだなあ。懐古厨房なの?」

「だ、誰がミーハーよ! 私は連載初期から追っかけてる最古参の部類よ! あと読書は本屋で手に取る事から始まるのよ。目当ての本が見付かるまで本屋を駆け巡るのが醍醐味ってもんじゃない!」


 ……って、私は何をムキになって反論してんの。アナログ、デジタル論争なんてきのこたけのこ戦争と同じぐらい不毛だってのに。

 落ち着いて。まずは一度目をつぶって深呼吸をするのよ、私。ここは現実(リアル)。カラスが喋るのは創作(フィクション)。雨が嫌いなあまり現実逃避した脳が見せた幻に違いない。


 そう。あれだ。きっと口の荒っぽさに似つかわしいオッサンがそこにいるに違いない。

 よし、呼吸は落ち着いた。

 括目!


「しっかし、今日は嫌な天気だな。羽はバサつくし、頭痛はするし、歩けば脚は泥まみれだっつの。ようやく換羽が終わったってのに、自慢のキューティクルが台無しだぜバッキャロウ」


 空に愚痴を零すカラスがそこにいた。

 どうなっての!?

 なんど眼を擦ってもカラスが人語を操っている様にしか見えない。

 しかも妙に私と気が合いそうな奴だ。うん、雨はやっぱくたばればいいと思う。少なくとも私の頭上では。


「ま、でも雨には雨の美点があるよな。雨上がりとかは虫が一杯這い出て来るから食い放題だし」


 前言撤回。やっぱり人間とカラスは相いれない。生ごみ荒らす畜生共に鉄槌を。

 まあ、それはそれとして──


「あん? なにしてんだ嬢ちゃん?」

「いや、ちょっと動画を。リアル鎹鴉なんてバズること間違いなし」

「カア、カア」

「ちょっと、何でいきなり普通に戻んのよ! しかも超棒なんですけど。人間だってもうちょいマシな物真似するわよ」

「バッカお()ー、カラスにだって肖像権ってもんがあるんだよ。俺の美声を小洒落たパンケーキと並べられちゃ堪んねえ」

「肖像権は人権よ、あんた鳥でしょ!?」


 開幕の煽りといい変に人間くさいカラスだ。

 というか完全に会話が成り立っている。私とバッチリ眼が合ってるし、スマホを取り出して直ぐにとぼけたあたり間違いなく喋ってる。


「ま、動画に収めたところで無駄だがね。さっきも言った通り、俺の言葉が通じてるのは嬢ちゃんだけ。それも直の対面に限る。動画には俺が喚いてる様にしか聞えん筈だぜ」


 と、釘を刺してくるので一応今撮った動画を確認してみると、確かに塀の上でカラスが鳴いているだけだ。

 ちぇ、っとほんの少し悔しく思いながらスマホを仕舞う。これじゃアレな電波系となんら変わんないじゃない。

 ならばもう、此処には用は無し。


「じゃあね、カラスさん。また何処かで会いましょう」


 今度こそ回れ右してきた道を戻ろうとすると、


「待て待て、待った嬢ちゃん。最近の子は擦れて仕方ねえ。ここはもう少しはしゃいだり興奮する所だろうが。人語ペラペラなカラスだぜ? しかも俺ら結構波長合う部分あると思うんだわ」


 カラスが私の進路を塞いできた。本当に人間くさい事に、羽を広げてとおせんぼうのポーズ。

 しかし間近で見るとデカい。ペットショップで見るヨウムぐらいのサイズ感ね。足元でちょろちょろされんのは結構ウザイわ。


「何よ、カラスさん。あんたさっき自分でも言ってたでしょ? こんな天気だから私は一刻も早く家に帰りたいの」


 何となく、こいつに関わるのは面倒な気がしてならない。そもそも喋るカラスなんて普通に考えたら怪しいでしょ。


「あー、やっぱ嬢ちゃんもその口か。どうりで俺の言葉が解るわけだ」


 ただ当の本人……本鳥? は私の言葉を受け妙なしたり顔だ。いや表情は分からないけど、何となく分かるっていうか。


「なあ嬢ちゃん。ちょっと俺の馴染みの茶店に寄って行かないか? 服も乾かせるし、鬼滅の最新刊も置いてるぜ」


 カラスの馴染みの喫茶店ってなんだとは思うものの、最後の台詞だけは聞き逃せない。さっきの指摘通り、私は最新刊を買えてない。

 私の答えを聞くより先に歩き出したカラスの後を着いていく。振り返って私が来ている事にほくそ笑んだのがムカつくが、奴の表情が分からないので気付かないフリだ。


 カラスが案内したのは住宅街の溶け込んだ小さな喫茶店。

 中は電気が消えて扉には【本日休業】の下げ看板があったが、カラスは迷う事無く嘴で器用に扉を開けて入店した。


「ちょ、ちょっと。勝手に入ったら……!」

「いいんだよ。ここの店主とは腐れ縁だ。嬢ちゃんも入れよ、今日は冷えるぜ」


 カラスの癖にキザな事を言う。しかし梅雨冷で身体が冷えるのも事実なので、私は恐る恐る店内に脚を踏み入れる。

 タイミングよくカラスがスイッチを操作して、内装がハッキリとする。


 本当に小さな喫茶店で、入って直ぐに木製のカウンターが設置されていて、容易されている椅子は三脚。戸棚にコーヒー豆や調理道具がなければ、なんだか受付みたい。


「そら、適当に座れよ嬢ちゃん。そしたら注文だ、何がいい?」

「何がいいって……」


 喫茶店自体そんなに入った事ないのに、カラス相手に何を頼めというのだ。

 メニューを嘴で叩くカラスにせっつかれ、私は流されるままに一番無難なブレンドコーヒーを指差した。


「豆はそこの棚の上から三番目のビンだ」

「なんて?」

「コーヒーミルはカウンター下に仕舞ってある。あとポットはそこに出てるのを使え」

「ちょっと」

「カップは俺が選んでやるよ。此処は店主が客に合わせたカップで給仕(サーブ)するんだ。洒落てんだろ?」

「私が自分で淹れるの!?」

「カラスがどうやってコーヒー淹れるんだよ?」


 だったらなんでアンタはカラスの癖にそんなに日本語が流暢なのよ!

 喉元まで出かかったツッコミを私は何とか堪える。こいつにいいように弄ばれているようで癪だし。


 深呼吸を挟んでから私はカウンター兼キッチンへとお邪魔して、棚からコーヒー豆のビンを掴み取る。ちょっとホコリ被ってるけど、人気が無いのかな?


「豆は計量スプーン擦り切り一杯分だ。ミルは急がす出来る限りゆっくり回すと薫り高いコーヒーが出来る。熱湯は沸騰したてを三、四回に分けて粉をじらす様に注ぐのがコツだ」


 制服が汚れない様にエプロンを間借りして、カラス指導の元──結構小うるさい──初めて本格的なコーヒーの抽出に挑戦した。

 傍から見れば一体どんな風に映るんだろうか。そして流されるまま何故私はバリスタの真似事なんてしているんだろう。

 調子が狂うったらない。


 かなり本格的な淹れ方なのか、キッチリ蒸らしまで入れてから、カラスが選んだ淡いウグイス色のカップに注ぐ。悔しいけど、いい色彩感覚。


「どうだ味は?」

「……なんか、妙に味があやふやって言うか。昔おじいちゃんが淹れてくれたものと違う気がする」

「ん? やっべこの賞味期限切れてたわ」

「帰る!」


 千円札だけカウンターに叩き付けて、私は荷物を引っ掴んで扉に手を掛ける。


「あ、おい嬢ちゃん」

「うっさい。ナンパガラス、死ね」


 もうあいつに傾ける耳はありません。とっとと此処からおさらばしようと、外へ出た瞬間だった。

 急にバケツをひっくり返した様に雨が強まって、傘が屈した。


   ✝   ✝   ✝


「もうホント最悪! 雨には降られるし、変なカラスに絡まれるし、コーヒーは腐ってるし、最後にはずぶ濡れだし!」

「白か。正統派だな。だが飾っ気がないのはマイナス点」

「見るなエロカラス!」


 鞄を投げつけて、女の敵を黙らせる。

 下着までずぶ濡れになった私は喫茶店の休憩スペースで身体を乾かしていた。

 もう勝手に上がり込んでいるのは店主さんには後で謝るとして、とりあえずバスタオルを借りて髪と身体の水気を拭き取る。


 でも肝心の制服は一、二時間じゃ乾きそうにない。

 これじゃあ親に電話して迎えにきて貰うしかない。閉店中の店に勝手に上がり込んだ事は怒られるだろうが、背に腹は変えられない。

 さっき投げつけた鞄からスマホを取り出して、私は真っ青になる。


「嘘、充電がない……!」


 そう言えば学校で既に切れかかっていたんだった。これじゃ親を呼べない。

 あとは濡れた制服を着て帰るしかないけど、傘はさっきのゲリラ豪雨でひしゃげて使い物にならない。


「どうしよう……」


 途方に暮れる。

 視界の端で休憩スペースに備えられている姿見にバスタオル姿の自分が映って、余計にみじめな気分だ。

 やっぱり雨なんて──とお決まりの嘆きが口をつきそうになった時だった。


「イギリスじゃあ元々傘は女だけが使うもんだって知ってるか?」


 店の物置場を漁っているカラスが突然そんな事を聞いてきた。

 そんな豆知識知らないし、口を利く様な気分じゃなかったので無視を決め込んだけど、カラスはお構いなしにお喋りを続ける。


「あっちじゃ男は帽子で雨を凌ぐか、金がありゃ馬車で移動すんのがステイタス。分かるか、嬢ちゃん? いわば傘は雨の日の女の象徴だったんだ」


 なにが象徴よ。たった数分前にぶっ壊れたっての。


「まあ恨み言を吐きたい気持ちは分かるけどよ。俺は嬢ちゃんには似合うと思うぜ、雨。よく言うだろ。水も滴るいいカラス……間違えた、いい女だ」


 クソカラスめ。


「お、あったあった。ほれ、嬢ちゃん。多分ここら辺が似合うんじゃないか」

「?」


 カラスが持ってきたのか、いつの間にか私の横には紙袋や段ボールが並べられていた。

 中を覗いてみると、服やブーツが入っている。


「ちょっと、これお店のでしょ!? これ以上勝手に借りるのはマズイわよ」

「なら下着透かして帰るか? そんな肝っ玉ならとっとと家に帰ってるだろ」

「ぐっ……」


 本当に言葉が上手いカラスだ。乙女の恥に付け込むなんて、こいつの前世は詐欺師かナンパ男に違いない。

 いったいお店の人にどれだけ頭を下げればいいのやら、見当が付かない。

 何度も手を伸ばしては引っ込めるを繰り返して、私は紙袋を取った。


   ✝   ✝   ✝


 死にたい。

 家路に付いた私は繰り返しそう思う。


「どうよ、嬢ちゃん。忌々しい雨模様もちったあマシな気分じゃないか?」

「……うっさい、死ね」

「声小っちゃ! 威勢の良さは何処にいったんだ」


 図々しくも肩に乗るカラスの指摘に、私は恥ずかしさのあまり碌な反論が出来ない。さっきまで冷え切ってた身体が今度は火傷しそうなくらい熱い。

 だってカラスが用意した服は地味な私とは縁遠い晴れやかなものだったのだ。


 いまの私はちょっとした御嬢様みたいな出で立ちになっている。

 私が拝借したのは百合の花の刺繍が入った純白のリボンタイワンピース。少しタイトな仕立てになっていて身体のラインがハッキリ出てしまって恥ずかしい上に、ウエストを青いリボンで強調する様なデザインが私に追い打ちをかける。足元のココアブラウンの編み上げブーツが白を引き締めているから質が悪い。


 極め付きは、私がいまさしている傘だ。

 白地に梅の絵柄がプリントされたものだけど、淡い色使いで主張しすぎず、質素にまとまっている。

 ぶっちゃけ言って、自分でも中々のコーディネートだとは思う。これで肩にカラスなんて乗っけてるんだから何処のファンタジーですかってもんよ。


 うう、恥ずかしい。

 家路に付けたのは良いけど、私みたいな地味子がどうしてこうなった。

 これで知り合いに出くわした日には、コツコツ積み上げたイメージが一瞬で瓦解してしまう。百歩譲って服装は良いとしても、カラスが致命的過ぎる。


「顔上げろよ、嬢ちゃん。ここいらは住宅地だから他所者は滅多に来ねえよ。胸を張れって、いいもん持ってんじゃねえか」

「セクハラか! 肩がこるし体育の授業は恥ずかしいのよッ」


 とことん心を引っ掻き回すカラスだ。やっぱり腹話術か何かじゃないのかと本気で疑ってしまう。言動が一々おっさん臭いし、心なしか目線が嫌らしい。

 胸なんて唯の脂肪だってのに、何で大きいってだけで男は有難がるんだか。


「それで、何処に連れて行こうっての?」

「何、良いところさ」


 この言い回し。スケベ親父と何が違うんだか。

 へんな事したら即叩き落としてやる。


「時によ、嬢ちゃん。さっきの茶店の名前知ってるか?」

「……知らないわよ。この坂の上だって初めて来たんだし」

「へえ。そいつは良いこと聞いた。ならこの後の嬢ちゃんのリアクションが楽しみだな」

「?」


 私が首を傾げていると、カラスが右へ曲がれと言う。結局店名は何だったのか。

 古民家が立ち並ぶ細い道を暫く進んでいると、急に風が吹いてきた。

 借りた服を極力濡らさない様に私は屈んで雨粒を凌ぐ。


「なんでまた風なんて吹くかな……」


 こんな高そうなワンピース下手に濡らせば型が崩れて弁償ものになりかねない。またいつ風が急に来てもいいように構えながら、私は民家の間を抜けていく。

 ふっと、雨の勢いが弱まってきたので私は早足に路地を抜けてしまう。


「──」


 路地の先に待っていたのは、広い世界だった。

 カラスが連れてきたのは、住み慣れた街を一望できる高台だった。こんな所があるなんて、知らなかった。

 雲の切れ間から太陽の光が一柱、二柱と差し込んで濡れた街がキラキラと光っている。足元に延々と伸びていく石階段の両脇には紫陽花の花道。見れば葉の下で雨宿りしていた蝶が顔を出し始めている。


「あれ、──さん?」

「!!?」


 景色に見惚れていて、声をかけられるまで気付かなかった。

 かあっと瞬間的に顔が赤くなって、傘で咄嗟に顔を隠したけど、もう遅い。

 恐る恐る声の方向──眼下の階段を確認すると、その人はいた。


「せ、先輩……!」


 声が上擦った。

 恥ずかしい! よりによって絶賛片思い中の人に出くわすなんて。どうしよう、自殺ってどうやるの!?


「いつも制服しか眼にしないから、その……なんだか新鮮だね」


 あっー! この人はそうやってナチュラルに……もう!

 やや斜め下に視線を逸らしてるから、多分本心からの言葉なんだろう。気障な言い回しじゃない分、余計に心を擽られる。


 しかしそこでハッと、私は肩の致命傷を思い出す。黒猫なら兎も角、カラスなんて連れ歩いてる乙女なんて普通じゃない。

 兎に角、こいつが余計な事をする前に何とか言い訳を!


「せ、先輩違うんです、このカラスは何て言うか、あ、そう! 最近の鬼滅ブームでっていうか、なんていうか……」

「カラス? ってどこのカラスだい?」

「えっ? あれ?」


 小首を傾げる先輩の反応を受け、私はようやく肩の重荷が消えている事に気付いた。

 いつの間に?

 そういえば路地を抜けた時にはもう肩は軽かった気がする。だとしたらアイツは一体いつから居なくなっていたんだろう。


「どうしたの?」

「あ、いえ、その、失礼します!」

「え? 急にどうしたの!」


 頭から湯気が上がりそうな私は、傘で顔を隠して全速力で先輩の横を抜けて階段を降りた。

 絶対変な子と思われた、絶対変な子と思われた、絶対変な子と思われた!!

 こんな事ならあのカラスが居てくれた方が何倍もマシだった。


 やっぱり、雨なんて大っ嫌い!


   ✝   ✝   ✝


 【あまやどり】。

 そういう名前の小さな喫茶店があった(・・・)と、空き地の隣に住むおじいさんが、私に教えてくれた。もう何年も前の事だと。

 不思議な事にその喫茶店に私みたいに服と傘を返しに来る小娘が時たま現れるという。


 おじいさんの話では【あまやどり】の店主は巣から落ちたカラスの雛を保護して、我が子同然に育てていたそう。

 人懐っこいカラスは訪れる客の言葉を覚えて、会話の真似事をしてお客を喜ばせたとか。秋になるとよくドングリを拾ってきては寝床に溜め込んでいたので、子供は喜んでカラスにドングリを与えたとか。


 変わった事に、店名に相応しく【あまやどり】は雨の日にしか営業はしなかったらしい。

 アイツの本業は建築職人で雨が大っ嫌いだったからな。仕事と称して片手間に開いてたに違いねえ、とおじいさんは笑い飛ばしていた。

 羊羹とお茶までご馳走になってしまって、私は何度も御礼を言っておじいさんの家を後にした。


「──」


 今日も雨が降っている。

 おじいさんの家で着替えた私は、いつも通り足元を注意して歩く。


 いや、それは理由の半分。

 おじいさんの強い押しで着替えたはいいもの、やっぱりこの服装は私には敷居が高い。

 頑張って視線を上げても、やっぱり直ぐに視線が下がる。


「天気も気分も憂鬱よ……」


 クルクルと傘の柄を回しながら零した愚痴は、自分でもいじけた子供の様で恥ずかしい。

 何処かで、カラスの鳴き声が聞こえた気がした。


 私は雨が嫌いだ。

 天気の中ではワースト一位で雨が嫌い。





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