4:名前の由来
静かにソーっと近づいて十分な距離まで近づくことが出来たら矢を番える。ギリギリまで引き絞って一撃で仕留める!
私の放った矢は鹿の首にしっかりと生えていた。すぐさま近づいて倒れた鹿の首を斬り止めを刺しておく。必要以上に苦しめる理由は無いからね。
「ふー、これで良しっと」
私は鹿の血抜きをさっさと済ませてしまうと肉が傷まないように魔術で冷やしてからよいしょと担いだ。てるてる坊主はこの2ヶ月ですっかり汚れてしまったからもう晴れには出来ないかもしれないけれど、曇りくらいならいける気がする。
それにしても師匠に出会ってから自分の状況を確認する余裕が出てきたんだよね。いろいろ試してみたんだけれど、どうやら人よりも身体能力が高いみたいでスタミナもかなりあるみたい。少なくともまだ疲れたことは無いんだよね。
狩りで顔が汚れてしまったから帰りの途中にある湖で顔を洗ってから帰ろうかな。水を両手ですくって顔を洗う。水面に映った顔を見て今の自分の姿を思いだす。腰まである黒髪と猫みたいに丸い瞳にバランスの取れたスタイル……控えめに言って美少女だと思う。年は多分17歳くらいかな? 私ってこんな姿だったんだろうか? 記憶が無いから何とも言えないけれど。
しばらく考えたけれどこれ以上悩んでも意味が無いし帰ろうかな。師匠が待っているからね。
私がキャンプに戻ると師匠がナイフの手入れをしながら笑顔で出迎えてくれた。今日もイケメンボイス&フェイスが眩しい。そろそろ陽が沈みそうだから急いで夕飯の準備しないと。
「ただいま戻りました!」
「帰ったか……上手くいったようだな。それにしても随分と言葉も上手くなったな」
「師匠が根気強く付き合ってくれたからですよ」
師匠は私に生きるための知識と経験を教え込んでくれたんだよね。最初は出来なかったけれど生きるために他の命を奪うことを躊躇わないように滾々と説教されて諭されたわけで。いきなり連れて行かれてお食事中の鹿を殺せって言われた時は師匠が鬼か悪魔に見えたっけ。
おかげで今は動物や魔物なら嫌だけれど殺すことは出来る様になった。そうしないと自分が死んでしまうし。サバイバル技術もちゃんと教えて貰ったから今ならここの森なら1ヶ月は生きていけそう。他にも気配の隠し方や身のこなし方なども教えてもらえたしね。
「魔術も完璧だな。まぁ、生活魔術なら困らないだろう」
師匠はそう言いながらナイフをしまうと焚火の準備を始めてくれていた。暗くなる前に済ませておかないと大変だもんね。師匠が小さな声で詠唱すると指先に炎がともりそのまま火をつける。
驚くことにこの世界には魔術と呼ばれるものがあったんだよね。漫画やアニメみたいなあの魔術!
教えてくれた師匠曰くこの世界には魔力が満ちていて、それを意志の力で干渉することによっていろいろな現象を起こすことが出来るらしいんだとか。もっとも私は制御や意志の伝達は完璧なんだけれど、威力はさっぱりで生活魔術と呼ばれるものくらいしか使えないみたいなんだよね。
魔術とか聞いて物凄くテンション上がったのに……返せよぉ私の喜びを。
ちなみに魔物もいるんだけれどこっちは普通の動物とは違って狂暴で見つけ次第殺さないと余計な被害が出てしまうんだとか。一度だけ師匠と一緒に倒したことがあったけれど、何と言うか気持ちの悪い生き物だった。
私が倒したのはアーマーボアとか言う鎧みたいな甲殻を持ったイノシシ。魔物なんてそんなにしょっちゅう見る物じゃないけれど、それでも用心しないといけない相手らしい。なんて言うかこの作られたような生き物の感じが苦手なんだよね。
あとゴーレムは普通に出会うから要注意らしい。私が倒した一つ目蜘蛛何かはモノアイシーカーと呼ばれているらしく、予想通り索敵用らしい。あれに見つかるとゴーレムを小型から中型くらいまで呼び寄せるらしいから優先的に排除するんだとか。ちなみにモノアイシーカーは小型じゃなくて特殊型なんだとか。小型でも1mは超えるらしいから確かに特殊型かも。
ちなみに小型のゴーレムくらいならきちんと装備を整えた戦える人が6人位いれば倒せるらしい。この世界の人間って物凄く強いくてビックリ! 記憶にあるニュースでは小型でも軍隊じゃないと倒せなかったのに。
「さて、今日はお前さんに大事な話が2つある。まずはお前さんに関することだ。お前さんは記憶が無いと言っていたが、自分のことも良く分からないのだろう?」
「……はい。なんで足が速いのかとか、息が切れない理由とか分かりません」
身に覚えがない……だって記憶ないし。
「これは推測だがお前さんの体はオートマータかもしれん」
「オートマータ?」
何ですかそれ? 言葉の感じからすれば機械チックな感じだけど?
「太古の文明が作ったと言われている人間とは違う人間みたいな連中だ。魔術とも違う技術で作られているらしく、今の技術では到底再現できないらしい。お前さんの持っているそのアーティファクトもそうだがな」
師匠はそう言って私のPM10RLアサルトライフルを指さした。アーティファクト?……まぁ、確かにこんな特殊カスタマイズされた銃なんて珍しいけれど。
「そいつは街とかでは見せるなよ。それ1つ売り払うだけで半年は遊んで暮らせるからな」
マジで! あわわわわ、た、大変な物を持ち出した気がする。
「そういうアーティファクトとかはよく分からんものが多いが、オートマータの連中はそれを使いこなせるみたいだな。人間よりも強靭な体に高い身体能力、そしてアーティファクトを使いこなしながらあいつらはゴーレムを狩る」
「……ゴーレムですか」
「基本人間には危害を加えないんだが、ゴーレムだけは必ず破壊するんだ。そういうよく分からん連中だが、お前さんはあの連中に似ている気がするんだわ」
この言い方だとオートマータを直接知っているような口ぶりなんだけれど……なんで気がするレベル?
「オートマータを見たことあるんですよね?」
「連中は言っちゃあ何だが……お前さんと比べるとそのなんだ……賢い」
師匠がディスったぁぁぁぁぁ! 馬鹿だって言ったぁぁぁぁぁ!!
「いや、そう言う意味じゃなくてな、あいつらは基本ミスしないんだ。人格はあるようだが感情に乏しいみたいでな。その点お前さんは中身は人間そのものだ。だからハッキリとは言えないんだわ」
なるほど、そういうことなら分かります。感情豊かな私はオートマータには見えないと……それっていいことなのかな?
「まぁ、聞かれん限りは黙っておいていいんじゃないか。正直オートマータは分からんことの方が多い。気になるなら遺跡とかを調べてみれば何か出るかもな」
もしかしたらあの研究所も遺跡扱いなのかな? だったら他の遺跡も調べてみる価値はあるかも
「もう1つはだな……実はそろそろ俺はここを離れようと思う」
「なるほど、次の場所に行くんですね。分かりました準備を」
いろいろとショックだったけれどそれとこれは別。そうと決まれば準備を始めないと。と言っても私の荷物なんてたかが知れているけれど。
「違う違う、ここでお前さんとはお別れだよ」
え? 師匠今なんて? お別れ?……なんでですか?
「俺にもやらんといかんことがあるしな。お前さんも記憶が無いのだろう? それを探しに行くと言っていたしな」
「それはそうですけれど……」
確かに師匠には記憶が無いことは話した。それに記憶の手掛かりを探したいことも話したけれど。
「それでだ、最後に俺からの贈り物だが受け取ってもらえるか?」
師匠はそう言いながら地面に何かを書き始めた。なんて書いてあるんだろう?……クーディグラ?
「名前すら分からないんじゃいろいろ不便だろうからな。古の言葉で止めの一撃や慈悲の一撃という意味のある言葉だ。良ければこれからクーディグラと名乗るといい」
な、何かカッコいいです! なんて言うか心の中の何かがワクワクします!
「でも、どうしてこの名前を?」
「目的を止めの一撃のようにしっかりと撃ち抜いて生きて欲しいからかな。まぁその程度の理由だがな。ああ、そうだ、これからの生活の当てが無いのならグラスワーカーでもやるといい。生活費くらいならお前さんなら十分に稼げるだろう」
「師匠、クーディグラが良いです。お前さんじゃなくて」
「そうか、ならクーディグラ。もしグラスワーカーになったらいろんな所を見て回るといい。アーティラス教国の白亜の聖地やアイティード王国の空中都市など見応えのあるものは山ほどあるからな」
何それ! 何か凄そうです!
私はそんな凄そうなものがあるのなら見てみたくなってしまった。記憶を探すにも当てなんか何も無いし、あちこち行ってみるのはいいかもしれない……本当は師匠について行きたいけれどそんなわがままを言うわけにもいかないしね。
「基礎的なことは全部教えた。また会うことが出来たら次はもう一段階上の技術を教えてやろう」
そう言って師匠は笑ってくれた。だったら次師匠と出会えるまでに少しでも褒めてもらえるようにいろいろ頑張ってみようかな。
「さ、飯にするぞ。鹿を無駄には出来んからな」
師匠の言う通りだ。鹿さんを無駄にしたら命を無駄にすることになってしまう。それはダメなことだ。
「残りの解体をさっさと済ませてしまいますね」
「師匠! 道です!」
師匠と一緒に森を出ると道が通っているのが見えた。この道を通って行けば街とかに行けるのかな?……そう言えばここはどこなんだろう?
「師匠、ところでここはどこなのでしょうか?」
「クーディグラ、そういうことは最初に聞いておけ。ここはワイト島だ。オルデント王国の一部にあたる」
そう言えば地理とか全然聞いていないかも……まぁいいか。そういうのは歩きながら調べてみようかな。それに1ヶ月しかなかったから時間も足りなかったし。
「それじゃ行くぞ」
師匠と一緒に道を歩いて行く。その間、師匠がこの島のことについて教えてくれた。
ワイト島はオルデント王国の一部でひし形の小さな島らしい。さっきまでいた森は東に存在しており、島の中心に街が存在している。街の名はワイト。あと北に港町のラシールが存在していて本国に通じる唯一の港町らしい。
ワイトは小さな島にしてはそれなりに大きい街でグラスワーカーが仕事を受けられるワーカーギルドがあるんだとか。
「まずはこの島でグラスワーカーの仕事に慣れるといい。慣れてから島の外へ出ていくといいだろう」
「はい! 師匠!」
グラスワーカーってどんな仕事をするのだろうか? きっと漫画やアニメみたいな冒険者のような仕事をするに違いない。だったらランクとかあるのかな? その場合いきなり高ランクスタートとかあるのかも!
「……楽しそうだな。な、外は広いだろう? こういうのがこれから沢山あるんだ」
師匠はそう言いながら私の頭を撫でてくれた。何か子ども扱いな気もするけれど……ま、いいか。ちなみに師匠に月が2つあることを聞いてみたら昔からそうだと言われてしまった……やっぱり並行世界説が有効かも。
師匠と一緒にワイトに着いた私はてるてる坊主を卒業することを言われてしまった。代わりに師匠が黒い外套を買ってくれたからそれで良しとしますけれど。ちなみに全身スーツは防御力があるということでそのまま使うことになった。目立たないように上から普通の服は着るけれどね。その後師匠に防具などを見繕ってもらった私は次の日ワイトを出発する師匠を見送りに来ていた。
「それじゃあ師匠、お元気で」
「クーディグラもな。いいかクーディグラ、簡単に人を信用するなよ? お前さんはどうも人が良いからな、心配だ」
……そう言われると不安になるけれど、頑張ってみます。
「……ガンバリマス」
「やれやれ、それじゃあな」
歩き出した師匠の背中を眺めながら、私は心細さを誤魔化すように買ってもらった外套をギュッと握りしめる。大丈夫、私だって師匠に大丈夫だって思ってもらえたんだから。
さ、まずはグラスワーカーにならないと! 待っててね、登録イベント!
クーディグラはフランス語です。
正確にはcoup de graceなのだそうです。