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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

その男、愚王なり

作者: 村岡みのり

令和6年8月23日(金)

誤字脱字の修正、及び表現を変えましたが内容に変更はありません。







 その男は第一王子として生を受け、父親である国王が死去すれば自分が新たな王に即位できると信じ、それを笠に着て生きてきた。

 逆らう者に罰を与え、気に入らない者にも罰を与える。ただ生を受けた際、偶然身分に恵まれただけなのに、好き勝手我が儘に生きる。その姿は見ていて気分の良いものではなかった。

 だが代々国王の長子から王位継承権を与えられるロッホ国において、彼は生まれた瞬間第一王位継承権を与えられた。おかげで逆らえる者はほぼおらず、彼にとって天国のような日々だった。


 だが賢王として知られていた国王は、何度諫めても行動を改めないこの愚息を国王にさせては、国が滅びると判断した。だから第一王子であるプリヒが成人を迎える直前、ある異例の宣言を発表した。

 自分の身体に異変が起きたりして公務を執ることが難しくなった場合は、第二王子に代理を任せるか、もしくは位を譲ると。それは言い換えれば、第一王位継承権を第二王子に。プリヒは第二王位継承権に下げるという内容であった。


 実は王位継承権に関しては明確な法律はなく、ただの通例であったので、この宣言になんら問題は発生しなかった。

 これにより少しずつプリヒの周りから人が減り始めたが、それでもどう転ぶか分からない。だから様子見の者が多く、天国の日々に変わりはなかった。

 頭脳面が疎いプリヒ自身は国王の声明内容を理解しておらず、まさか継承権が代わったとは思わず、自分が長男だから国王となる自信を失わなかったのだ。


 そして父親が病に伏し亡くなると、宣言されていた通り第二王子が新国王に即位した。


「なぜだ! 先に俺が産まれたのに、なんで弟が国王になるんだ‼ 第一王位継承権者は俺だろう⁉」

「お忘れですか? 先代国王が、プリヒ様が成人を迎える直前、継承権の順位を新国王と代える声明を発表されたことを」

「はあ? あれは存命中になにかあった際の話だっただろう?」


 先代国王の側近であったルゲンはこっそり嘆息する。まさか通じていなかったとは……。良く言えば楽観的……。悪く言えば物事を都合よく曲げ、ろくに現実を受け入れようとしない面は、年を重ねても変わらないのかと。


 プリヒにとっては面白くない展開だが、彼の悪評を知っている多くの国民は喜んだ。

 そして波が引くように、様子見で残っていた取り巻きが一人、また一人と消えていく。おかげで好き勝手に振る舞える機会が減った。命令を下せる相手がいなくなったからだ。

 離れた多くの者は、もうこの馬鹿に従ってもうま味はないと判断してのことだが、プリヒには弟に媚を売っているように見えた。

 だが中には良い機会だと彼の愚かさを利用し自分の地位を高め、固めようと画策する者が現れた。


「プリヒ様、私に策がございます。なあに、簡単なことですよ。新国王が亡くなれば彼にはまだ子がおりませんので、先代国王の長子である貴方様が新国王となりましょう」

「そうか、その手があったか!」


 愚かなプリヒはさっそく毒を入手すると、それで弟を殺した。この時点で第一王位継承者に戻っていたプリヒは、ついに自身が国王となる悲願を果たした。


 そんなプリヒのさらに強まった悪評は、国内だけでなく近隣国にも知れ渡り、丁度良い。愚王に勝つことは簡単だと、戦を申しこまれてしまった。

 新国王として即位するため弟を殺害した風評も広がっており、同盟国であった国々はなにかと理由をつけ、頼んでも戦に加勢してくれない。

 平和主義であったロッホ国は戦力が誇れず、このままでは敗戦が濃厚と考えられ、加勢してくれる新たな同盟国を見つけようとなった。


「それならばモーリエ国はどうでしょう。彼らは戦を好むと有名です。戦争に勝つために助けてほしいと言えば、飛びついてきましょう」


 歴代の王は平和を好み、好戦的な態度であるモーリエ国とは距離を置いていた。だが戦勝したいプリヒはモーリエ国へ使者を送り、早速関係を結ぼうと試みた。

 結果、モーリエ国の姫イルとプリヒが婚姻を結ぶ等複数の条件を提示され、それを受け入れることで関係を築くことが叶った。モーリエ国王がイルと多くの兵を従え、結婚式のためロッホ国を訪れた。



「もう一つ条件がある。イルを幸せであれば良好な関係を続けよう。だが、そうでなければ……。分かるな?」



 モーリエ国王は結婚式前、プリヒにそう告げた。

 兵力さえ確保できれば問題ないので、もちろん分かっていると頷いた。だが愚王の名にふさわしく、実は分かっていなかった。



「今後はこちらでお過ごし下さい」



 結婚式を終えた翌日、父親と戦前へ向かう兵士を見送ったイルに与えられたのは、城内ではなく、敷地内に建てられた客人用のハウスだった。


「使用人は……。足りているようですね」


 案内してくれた大臣ルゲンに向かって、イルは頷く。モーリエ国から多くの使用人を共に連れて来ていた、それも条件の一つだった。輿入れに供を連れることは珍しくないが、人数が多すぎる点にルゲンは密かに疑念を抱いた。


「食糧や日用品を届けて頂ければ、使用人は必要ありません」

「承知いたしました」


 ルゲンが去りモーリエ国出身者だけとなったハウス内で、使用人の一人が叫ぶ。


「なんと無礼な仕打ち! イル様、すぐお父上へ知らせるべきです!」


 イルは首を横に振る。


「知らせる必要はありません。モーリエ国の若者たちがどこまで軍人として力量があるのか、実際に戦場で確かめるためにも、私はここに留まらなければなりません。この結婚はモーリエ国にもとって、大きな意味があります」

「ですが……!」


 イルに見つめられ迫力に圧された使用人は、口をつぐんだ。

 モーリエ国にとって戦争という舞台は、自国の兵の戦闘力を測れる機会でもある。故に好戦的と言われる。

 この結婚にはモーリエ国の思惑もある。それを理解しているイルは、ハウスでの生活を受け入れた。


 ロッホ国はというと、モーリエ国と関係を結んだことにより、また寄ってくる国が出てきた。それはモーリエ国を恐れての行動なのだが、思い至らないプリヒは笑う。


「ははははは。我が国と関係を絶つと取引が減り、自国が機能しなくなったと今さら悟ったか。馬鹿な連中だ」


 多くの重鎮たちが賛同する中、ルゲンには分かっていた。損失を被っているのはロッホ国だと。

 プリヒたちや貴族、権力者の暮らしに変化はないが、そうではない多くの民に影響が及んでいる。若い男手は戦前へ向かわされ、少ない物資も先に金持ちが買い占めるので、僅かな余りしか民へ流通しない。国内の情勢をプリヒは見えていない。国民は不満を抱いているというのに……。


 イルがハウスで暮らし始めて数か月。約束通り食糧等は定期的に運ばれてくるが、彼女が王妃として表舞台に立つ機会は訪れない。戦中であるため、舞踏会など華やかな催しを自粛していたのも理由の一つ。イル自身もプリヒと親しくなる気がないので、自ら城を訪れようとしないのも原因の一つであった。

 プリヒは戦中だろうと気にせず舞踏会などを催したかったが、この状況で国民感情を逆なでするような行為は控えるようにと、ルゲンが強く反対し説き伏せていた。そんなルゲンがプリヒにとって目障りであったが、国民からの支持が高い彼を解任すれば暴動が起きかねないと周囲に言われ、渋々大臣職を与え続けていた。

 そう、プリヒ以外の者は国民が不満を抱いていると知っていた。だが彼らより己を優先することを誰も止めなかった。

 そして……。



「客人をもてなすためハウスを利用するので、移動して下さい」



 結婚式以来一度も夫に会うことなく、イルはハウスから元使用人用の館へ移動させられた。

 それは古くなったので現在は使われておらず、そのうち解体する予定の建物だった。木造建てで材質の色はとうに変色し、板と板との間には隙間が多い。そんな今にも崩れそうな建物を全員で見上げる。


「まさに愚王の名がふさわしい采配ですね」


 使用人たちも今回は怒りより呆れが勝った。


「そうねえ」


 蔑ろにされているというのに、イルは気にしている素振りを見せない。いくらモーリエ国王を見送って以来、一度も会ったことがないとはいえルゲンはどこか不自然さを覚えた。王妃としての任を一つも果たそうとしないこともそうだ。


 やはりなにかある。それはなにか、帰路につきながらルゲンは考え続けた。


 新しい住居となった建物には、今は荒れているが中庭があり、手入れをすれば畑が作れそうだった。せっかくの中庭が荒れたままではもったいないと、イルたちは庭の手入れを始める。

 そうして庭の手入れを終え作物を育てていると、館を解体するので今度は敷地外にある別荘へ行くようにと告げられた。



「これまでずっと畑仕事をされていたのですか?」



 告げに来たルゲンが土で汚れたイルの手を見つめる。


「ええ、新鮮な野菜は美味しいでしょう? だから皆で育てていましたの。でも残念ですわ、収穫前にここを去ることになるとは」

「ただ屋敷で過ごすことは退屈でしょう。戦争も長引き、この国はますます悪い方向へ向かっています。国民感情も……。私ごとき一人の小さな力では止められません」

「それを言うなら、名ばかりの王妃である私の方が重罪人です」


 ルゲンは深く頭を下げる。



「お気になさらず。その時が訪れれば、任を全うされて下さい」



 イルが次に向かったのは戦地から離れ、モーリエ国に近い国外れにある、これまた古い建物だった。今度は石造りの建物で、前回より隙間風が入りこまないだけ状態は良かった。

 しかし城から遠く離れた場所にある生活となったので、食糧などは自分たちで確保しなければならない。持参した金で鶏などを飼い、再び敷地内で畑を作り自活することになった。そして収穫した農作物で余りが出ればそれらを売り、生活費の足しにした。

 モーリエ国の民はどの地でも対応できるように、躾けられている者が多い。それは王族も例外ではない。


 そうやって暮らしながら数年が経ち、ある時この辺りを警備している若い兵が別荘にやって来ると、庭で鶏へ餌をまいているイルへ向けて怒鳴りつけてきた。


「貴様ら、ここをどこだと思っている! ここは王家管轄の敷地だぞ!」

「勝手に住みつきおって! 即刻出て行け!」


 驚いたことに国王の妻である、王妃を彼らは知らなかった。

 さすがに今回は怒りが湧いたが、王妃として一度も活動をしていない自分にも非がある。それに気がつくと沸騰した怒りは消え、兵たちにすぐに出て行くと謝罪した。


「丁度いいわ。戦争も終結を迎えそうだし、ルゲン様も亡くなられたので行きましょう」


 多くない荷物をまとめ、イルたちは別荘を後にする。

 さて、モーリエ国へ帰るかと考えていると、新聞で父親が来国することを知る。通り道を予想し、合流するためにイルたちは歩き始めた。


◇◇◇◇◇


「モーリエ国の国王と会うのも数年ぶりか」


 武人という言葉がふさわしい屈強な肉体を持つ、大柄な男を思い出す。何年も前に一度会っただけなので、顔は鮮明に覚えていない。ただ眉が太く怖そうだった記憶は残っている。

 常に帯刀し、いつでも抜刀できる雰囲気に恐怖したことを思い出し、プリヒは嫌な気分になる。だが今や同盟国とも呼べる相手なので、追い出すことはできない。それに勝利目前とはいえ完全に戦争が終結した訳ではないので、まだモーリエ国の力が必要だ。


「それにしても案外モーリエ国もたいしたことはないな。好戦的だと言いながら、何年も戦をする破目になっているのだから」


 呟きながら事前に届いた手紙を読み、イルに会えるのが楽しみだと書かれた文章で、そういえばそんな女がいたなと思い出す。

 今や城で別の女と過ごしているプリヒにとって、イルは名前だけの妻ですっかり忘れた存在だった。記憶を辿り、客人用のハウスへ追いやったことを思い出す。


「おい、ハウスへ行ってあの女を呼んでこい。父親が滞在中は城で過ごさせないとまずいし、城での暮らしに慣れさせる必要があるからな」


 愚王とはいえ、そういう悪知恵は働く。

 すぐに人を向かわせるが、ハウスには誰も住んでいないと報告を受けた。それを聞き、眉間にしわを寄せる。


「いない? じゃあ一体、どこにいるんだ?」

「そういえば……」


 客人をもてなすため、一旦旧使用人用の屋敷へ移動させたと重鎮の一人が思い出す。

 ところが今はその建物も解体され、跡地は花畑になっている。人が住む以前の問題だった。


「おい! じゃあ、あの女は今どこにいるんだ⁉」


 さすがに焦りが生まれる。

 イルについて一任していたルゲンは数日前に老衰により死去しており、現在誰もイルについて把握していない状況だとようやっと気がつく。さらにイルについては誰もルゲンから引き継ぎを受けていないと言う。


「あの男……! 死んでからも嫌がらせをしやがって!」


 面倒な奴にどうでもいい奴を任せることに決めたが、それが裏目に出るとはとルゲンを恨む。

 急いで亡くなったルゲンの家を捜索し、イルの居場所の手がかりを得ようとする。ようやく彼の日記を見つけ内容に目を通せば、彼女は現在、国外れの別荘で暮らしていると知ることができた。

 すぐに迎えをやるが、もちろんそこは、もぬけの空。敷地内で迎えに来た使者に向け、鶏が鳴いた。


「なぜ住んでいない!」

「現地の兵が王妃と知らず、勝手に空き家へ住みついた者たちと勘違いし、追い出したそうです……」

「なぜ王妃の顔を知らない! 馬鹿なのか、そいつらは! それでも国民か! そんな馬鹿どもは即刻、処刑しろ!」


 多くの者は無茶を言うと思った。イルは結婚式以来、一度も王妃として国民の前へ出る機会がなかったし、プリヒ自身妻として扱っていなかった。それが何年も続けば若い世代ほど、王妃を知らなくても不思議な話ではない。

 しかし困った事態であることに変わりはない。行き先が分からないのであれば、探しようがないのだから。モーリエ国王の到着する日は迫ってくる。


「まずい、まずいぞ。娘の居場所さえ把握していないと知れたら、俺はどうなる」


 両手を後ろ手に組み、うろうろと部屋を歩き回りプリヒは考える。そして浮かんだのは……。

 イルと似た娘を探しだし身代わりを作ればいいという、とんでもないものだった。

 しかし本人は名案だとすぐに命令し、似た娘を探そうとするが、実は皆イルの顔を明確に覚えていなかった。

 王妃の顔を覚えていない奴は馬鹿だと罵っておきながら、結局は自分も人のことを責められない状態だったのだが……。都合よく処刑した兵士たちの件は、なかったことにする。


 結婚式でのイルは、ほとんどの時間、その顔をベールで隠していた。そして本来であれば式の後に盛大な宴が開催されるが、戦中のため規模は小さく時間も短縮され、ろくに皆へ顔を見せる時間が設けられなかった。

 式後の初夜も、明日出発する父親と語り合いたいと言われ、過ごしていない。そしてモーリエ国王を見送った後、ハウスへと追いやった。

 イルの世話はモーリエ国から同行してきた使用人が行っていたので、ロッホ国の使用人はほぼ係わっていない。

 つまりハウスで住み始めてからは亡くなったルゲン以外、誰も彼女と接触していない。


 肖像画もないので、皆でおぼろげな記憶を頼りに似ていると思われる人物を探しだし、なんとか体裁を整える。

 だがその頃、すでにイルは父親と再会していた。


「迎えではないだろう?」

「はい」


 娘の返事に、モーリエ国王はすぐさま知らせを戦前へと向かわせた。そしてイルはあの日父親を見送ってからの日々を話す。


「分かってはいたが、ここまで愚かとは。この国には、まともな政治家がいないのか」

「お一人いましたが政界に味方は少なく、重鎮たちが王を説得し、民からの支持を確保する為に大臣職を賜っただけの方でした。日に日にやる気が削がれているようでしたが、お父様の意図を見抜いておられたのでしょう。その上で私はここにいます」

「なるほど」


 久方ぶりにイルも軍服に袖を通し、髪を一つに結い上げると父親と共にプリヒが待つ城へ向かう。

 自分がいないこの局面をプリヒがどう乗り切るか。愚王だからこそ予測がつかず、どこか楽しみでもあった。無難な言い訳は、感染系の病気に罹り寝こんでいるとうそぶく所あたりだが……。果たしてどのような策を用いるのやら。


 城に到着したイルたちを迎えたプリヒの隣には、髪の色は同じだがイルと似ても似つかない女性が立っていた。まず年齢が違う。どう見ても結婚したばかりだった頃の年の女性。今の年齢に合わせた女性を用意する知恵はないのかと笑いが出そうになり、イルは口が緩みそうになるのを堪えた。

 一方モーリエ国王は笑顔で両手を広げ、見ず知らずの女性へ向かう。それを見てプリヒたちは安堵した。どうやら似た女性を見つけ出すことに成功したようだと。この後身代わりは体調が優れないので、部屋へ帰ると告げる予定になっている。それまで見破られるなと皆、願う。


「久しぶりだなイル、元気にしていたか?」

「は、はいっ」


 どんな性格かも把握していないのに身代わりをさせられている女性に、イルは密かに同情する。


「衰えておらんか?」


 質問の意味を考えず、身代わりの女性は咄嗟に頷いた。否定より肯定が無難だろうと判断してのことだった。プリヒを含め国の重鎮たちもそれでよし、と言わんばかりの目配せで小さく頷いてくれ、間違いでなかったと安堵していると……。



「ならば抜刀せよ。モーリエ国出身者、いついかなる時も訓練を怠らず。王族であったのだ。なおさら忘れておるまい」



 その言葉にプリヒを含めた全員が叫びそうになった。まさかそういう意味だったとは!

 そんなこと知る由もない。無論、身代わりの女性はこれまで一度も剣を握ったことはない。



「どうした、なぜ剣を抜かぬ。いついかなる時でも応戦できるよう、短剣くらい持ち歩いておろう?」



 慣れたように剣を抜くモーリエ国王を前に、身代わりの女性は失神寸前だった。

 そんな中でも彼女の頭は目まぐるしく回転する。答えを間違えてしまった。どうしよう。否定すれば良かった。いや、きっとそれも駄目だ。訓練を怠っていると怒りを買う。そして結局はどう返事をしても、不正解だったのだと気がつく。


「お、お待ち下さい! あ、あの。王妃は、その……。現在は幸せに暮らし……。えっと、剣とは無縁の生活を……」


 重鎮の一人が咄嗟に声をあげ嘘を吐けば、全員が口裏を合わせるように頷く。もちろん身代わりの女性も。

 プリヒはいいぞと思うが、それはおかしいなとモーリエ国王は不機嫌な声を出す。


「嫁ぎ先でも訓練を怠らぬよう、我が国から使用人を同行させたというのに。そやつらはどこにいる? 同行させただけで今もモーリエ国の民であることに違いない。国王である我が命令を無視した罪とし、処刑せねば」

「陛下、お供します」


 イルが颯爽と隣に立つと抜刀し、剣先を女性に向ける。ついに耐えきれなくなった哀れな女性は、失神し崩れた。もとより被害者の彼女に危害を加える気はなかったのだが……。かわいそうにと、改めて視線だけで見下ろしながらイルは思う。

 ロッホ国の面々は慌てた。イルの身代わりは用意したが、使用人の身代わりなど準備していない。同行していた記憶はあるが、顔も人数も定かでない。これはまずい。切り抜ける言い訳を必死に考えている最中、伝令使が緊急の用件だと部屋に入ってくると重鎮の一人に囁く。

 すぐに慌ててプリヒの耳にも入れられると、彼は叫んだ。


「どういうことか、モーリエ国王! 戦前から貴国の隊が撤退したと報告が入ったぞ! おかげで我が軍は……‼」

「そうだろうな。戦は我々へ任せ後方でのんべんだらり、訓練さえ怠っていた連中に戦は無理だ。進攻されて当然であろう。言ったはずだ。娘が幸せな内は良好な関係を築き続けるが、そうでなければ……。イルを蔑ろにし、身代わりを仕立てる奴に協力をする気はない」


 それを聞き、いつから身代わりに気がついていたのかと考える。常日頃から手紙のやり取りを行っていたのか? それならなぜ今まで放っていた? もしかして身代わりが剣を抜かなかったからか? それとも……。理由は幾らでも浮かんだ。


 つう……。


 一筋の汗が頬を伝い、鼓動を速めながらプリヒはごくりと喉を鳴らす。


「ふふふっ。結婚式以来お会いしていないとはいえ、まさか顔を忘れられているとは……」


 堪え切れなくなりイルは笑うと跳躍し、一気にプリヒの背後に回ると首元に刃を当てる。その一瞬の出来事にロッホ国の警備兵は動けなかった。これを合図にモーリエ国の兵も剣を抜き、警備兵の前に立ちふさがる。



「まだお分かりになりませんか? 私が貴方と結婚したイルですよ?」



 笑顔で告げる。


「な……っ。そんな……っ」


 斬られることを恐れ、なんとか視線だけ後ろに向けようと無理なことを頑張っていると、それに気がついたイルが笑みを崩さぬまま顔を覗かせてきた。髪の色はブラウンで合っていた。だが瞳の色はブルーではなくグリーン。身代わりの女性より年齢が上で、全くの別人だった。

 こんな至近距離で顔を突き合わせるのは、結婚式で口づけを交わした時以来だと今さら思う。あの時、もっとよく顔を見ていれば……。いや、妻となったこの女を大事にしていれば……。通っていれば……。無視をしていなければ……。

 やっとプリヒに後悔が生まれる。それは彼の人生で抱いたことが数少ない感情でもある。



「さて。ここまで我らを愚弄した罪、購ってもらおうか」



 結果、モーリエ国は計画していた通りプリヒの首をとり、ロッホ国を属国として手中へ治めることに成功した。



「甘やかしたつけですわねえ。いえ、違いますわね。愚王を操るなら、もっとご自身たちが利口になるべきでしたのよ」



 プリヒを操っていたと勘違いしていた、同じく頭脳面がそこまで誇れない、間もなく処刑される重鎮たちに冷たくイルは告げる。


「私を管理されていたルゲン様は利口な方でしたわよ? 私の居場所を誰にも告げずに亡くなられたということは、実の所私たちを見下していたとでも思っていらっしゃる? いいえ、違います。あの方は私たちがロッホ国を属国にする企みに気づかれておりました。その上で私の居場所を誰にも告げず亡くなられた。つまり国を……。あなた方を見限ったのです。国民のことを考えない、保身に走る貴方方を。ところで……。人を利用するなら、利口なやり方は幾らでもある。そう思いませんこと?」


 彼らは青ざめた顔で、誰一人震えたまま答えることはなかった。


 その間にも処刑開始時刻は一秒、また一秒と彼らに迫っていた。






お読み下さりありがとうございます。

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