前奏曲
舞い散るのは『自死欲』という感情の花びら。その一つ一つに人間を死に追い詰める『衝動』が込められている。その花びら達が踊り下り、周りが木に包まれている巨大な空間の中、髪を木の枝のように分けている美しい少女がいた。彼女が見つめるのは彼女自身の世界ではなく、死ぬ事が出来ず囚われてしまった私達の世界。
「はじめまして」
その声は咲き誇る桜のように美しく艶のある口から波として我々の世界に浸透する。彼女の見た目が十二歳程なら年相応の可愛らしい少女の声なのだが、それは人間とは思えない程の落ち着いた機械のような音だった。
「私が貴女様の案内役を務めさせて頂きます、漆我沙羅と申します」
落ち着いてこちらに眼差しを向けて次元が違う筈の我々に語り掛ける。
「ではまず、貴女様には私がどういう人間かという話より、この世界の成り立ち、つまりは昔話を聴いて貰いましょうか」
木に包まれた空間にある棚の本を手に取り、パラパラと開くと彼女は口から心地よい機械のような音を奏で始めた。
……昔、全世界の人々を苦しめていた女王がいました。彼女は人々を苦しめる為だけに重税や義務をかけていきました。そして、幾度も女王に抵抗する為に勇気ある若者達が彼女を殺しましたが、若者達の願いは叶わずその命を散らせていきました。そう、女王は何度殺しても生き返る奇跡の力の持ち主だったのです。そもそも女王はそれらの力を持ったからこそこの世界の王になったのです。とうとう人々は生きているより死んだ方がマシだと思い始めました。そして数万人単位での自殺が各地で行われました……
少女は緋い瞳と本を閉じる。
「ここからは私の言葉で語らせて頂きます。それが私の役割ですから」
少女は踊り狂っている花びらの方を向く。
「この触ると散ってしまう花びらが彼らの『衝動』です。彼らの願いの成れの果てなのです。彼らの願いに名前をつけるとしたら『自死欲』。そして『自死欲』が集合体になって具現化し、世界を覆う程の『感情生命体』になり、女王をこの世から亡き者にし、地球を半壊させました」
少女はその巨大な木に囲まれた空間を見渡す。
「全てを亡き者にしようと『自死欲の感情生命体』が最後に動き出した時、生きる事に希望を持ったとある少女が隙を突いて封印しました。『自死欲』の魂は少女の身体に封印され、身体はこの巨大な一本の樹になりました。そして、少女は老いて死ぬまで樹の贄として、誰も少女に近づく事が出来ないように幽閉されることになり、その贄の役割は少女の血族に受け継がれていきました」
少女は自分の胸に手を当てて我々に語りかける。
「その子孫が私、漆我沙羅です。これが漆我家で女性に生まれた人間の運命なのです」
そして笑う。
少女は儚げな笑顔で私を見つめる。
「でも、今から貴女様に見て貰うのは私の話ではなく、ましてやこの壊れた世界を救うような英雄譚でもありません。この物語は運命に翻弄されながら生きていく『筒美紅葉』──貴女にとって大切な方とその周辺の人々の話です」
そう、この話は大切な物を失った少女が人を知り、取り戻していく話だった。
ここは人間の感情から生命体が産まれる世界だった。
死んだ筈の私がまだこうして生きている、その違和感が無い世界だった。
「さあ、ご案内します。思い出してください、これが今の私達の世界です」