序曲 6話*
結局、私達護衛軍が朔田菊二助教授の身柄を確認できたのは全てが終わった後だった。『死喰い樹の腕』が周囲3㎞内で先程の『感情生命体』に向けられた物以外にも目視できたから、周囲を捜索してみた結果がこれだ。
遺体は腹が切り裂かれ、内臓だけがすっぽりと無くなっていた。呼吸するだけで胃の中を吐き出してしまいそうな程に独特で強烈な人間の脂肪の臭いと血の鉄の臭い、他にも色々な悪臭が混ざりあっていたが、一つだけ鼻に通るだけでネチョリとへばり付いてくるイカ臭い物があった。地面は今さっき血に濡れたかのように、砂と混ざりあってドス黒い泥になっているが、所々に白濁液も飛び散っていた。イカ臭い物の正体がわかって、私の眉の皺が自然に寄ったのが分かった。
「酷い殺し方……」
「確実に『特異能力者』の仕業ね」
黄依ちゃんは至って冷静な顔で呟く。まるで自分も人を殺してしまった事があるかのように冷たく言う。
「痛そう……もっと早く来ることが出来れば痛みなら取り去る事が出来たのに」
衿華ちゃんは『死喰い樹の腕』を払いのけて、遺体に話しかけている。
「私があの子を看取るって言わなければコイツを捕まえられていたのに」
後悔をするように私は呟くと、しばらく間の悪い時間が続いた後に、衿華ちゃんが口を開いた。
「でも、私は紅葉ちゃんが大事だと思った事は間違ってたとは思わない……」
「いや、そもそも紅葉でもこの人が殺される前に見つけ出す事は出来なかったでしょ? 大体こんなギリギリまで捜査を引っ張ってた護衛軍全体が悪いわよ」
さっきまで冷たかった黄依ちゃんが優しく接してくれる。
「ねぇ……私達って何の為に護衛軍にいるんだろうね」
既に答えを決めている事を無意味に呟く。
「私は背負った罪の十字架を下ろさないようにする為」
黄依ちゃんはキッパリと即答する。
「どうだろうなぁ……人が痛みを感じない、そんな世界にしたいって衿華は思っているよ」
衿華ちゃんは戸惑いながらそれでも答える。
「紅葉はどうなのよ?」
「私は……」
一年以上も前のあの時の事を思い出す……いや思い出すのでは無く、常に心に置いておかないといけない事。でも、この事を意識すると私の胸にある手術痕からじゅくじゅくと熱く沸騰した血液が出そうになる。
『だからね。紅葉ちゃんはお姉ちゃんの為に生きて……幸せになって……』
これは私が人生に絶望した時、支えになってくれたお姉ちゃんの言葉。お姉ちゃんが望まなくても、私はお姉ちゃんの夢を叶えたいから。
これは、私の身体の空白部分に人の夢を詰め込んで、その夢が私の血液に、身体中に熱を起こしてくれる、そんな昔話。その熱にあてられる事はとても幸せで、私をお姉ちゃんたらしめる物だから。
「私はお姉ちゃんから今の私を全部貰った、だからお姉ちゃんの夢を継がなくちゃいけない、そう思ったから護衛軍にいるの」
「なら良いじゃないの。紅葉はそれを貫けば」
黄依ちゃんも衿華ちゃんも私に何があったのか知らなくても、心で理解してくれている。私が今の私で良いのか、そんな一抹の不安を持っている事を。私がどうしてこんな事を呟いたのかを。だから二人は、私を励ましてくれたのだろう。
「ありがとう。今回の事は残念だったけど、次こそは誰も死なせないようにするから」
私は言葉を一つ一つ飲み込みながら言う。
「うん……紅葉ちゃん一人が背負う事じゃない、勿論黄依ちゃんも、だから一緒にね……背負って歩いていけたらなぁって」
照れながらこちらを見つめてきて衿華ちゃんは言う。
そして私は先程の『感情生命体』を思い出して、二人にとって答えづらい質問をする。
「じゃあさ、万が一私が『感情生命体』になったら殺してくれる?」
それを聞いた二人は私の顔をまじまじと見て答えた。
「その時は頑張って止めるけど、もし無理だったら私も『感情生命体』に……」
「衿華、違うでしょ。えぇ、貴女を殺すわ。私はきっと」
二人はなんとか答えを絞り出そうとしていた。衿華ちゃんはまだ、覚悟がある訳じゃない、でも黄依ちゃんは私の望みを。
「お願いだよ」
黄依ちゃんの宝石のような青い瞳を見つめる。
「紅葉もね」
そして、見つめ返され私の紅い瞳が黄依ちゃんの瞳に映っているのが分かる。
「うん……」
衿華ちゃんは私達二人の方に近寄って来て、両手を出して小指を絡めてくる。
「じゃっ……じゃあ私もだよっ! 紅葉ちゃん! 黄依ちゃん!」
「えぇ」
「うん、わかったよ」
私達の関係はそれで良い。いつの日か殺し合う、だから今だけは彼女達の心の支えでありたい。私にとってのそれがお姉ちゃんだったように。
「あっそうだ、遺体を写真で撮っておけば何処のどいつの仕業か誰か調べてくれるかもしれないわね」
黄依ちゃんは思い出したように言うと、携帯で遺体の写真を撮った。
「人の遺体の写真なんて携帯に入れるの?」
「あぁごめん、なんか平気なんだよねこういうの」
つまらなそうに黄依ちゃんが呟いた後、間の悪い時間が続く。
そして、しばらく時間が経つと遺体は『死喰い樹の腕』に覆われて運ばれていく。遺体が向かう先は勿論『死喰いの樹』。そこで遺体は永遠に縛り続けられる。
今回の事件は本当に残念だった。
「さぁ、帰りましょ。本部に」
黄依ちゃんは私達二人の手を引っ張って、その場を離れた。