間奏 樹教1
そこは戦前に東京府と呼ばれた日本の中心部であった。しかし死喰いの樹のご誕生と『自殺志願者の理想郷』と命名された夥しいほど広がる樹海によって交通網がほぼ分離され、東京は人が住む街としての機能をほとんど持っていなかった。しかし、社会的に問題の立場にある者、反社会勢力、それらに準ずる種類の人間達にとってはそこは唯一の都のようなものであった。
私ーー茉莉花が幹部を務めている、樹教の総本山もそこにある。
その名の通り、樹教はとある考えに基づいた宗教の一派ではあるのだが、死喰いの樹のご誕生により死の概念自体が変わった後に過去にあった宗教はその意味をなくし衰退していった。
そこで、縋るものが無い人々が思い至ったのが、死喰いの樹への信仰であった。
『死喰いの樹は誰にでも平等な死をお与えになり、苦しみをもお与えになる。だから、沢山の人々が死によって同じ経験をし、同じ自死欲という感情を持つ。それによって樹はもっと大きな力を得られるだろう。そして、いつの日か世界を滅ぼした不死の王の力すら超えこの世界の人々全てを飲み込み、我々を死の安息へと導いてくれるだろう』
これが、樹教の基となっている考え方であった。
そして、幸運な事に十年前の復活祭、『漆我紅事件』によって、先代の贄であった漆我紅様に自死欲感情生命体の意識が宿り、見事彼女は私達の教祖が象徴、樹の意思として誕生したのだった。
紅様は9年もの間、奪われてしまった樹の贄の座を奪い返すべく暗躍し、そして一年前紅様は最強の特異能力者と呼ばれた止水題を樹に還し、護衛軍に衝撃をお与えになったのだった。
そして次は、贄を守る護衛軍を潰す為に奴等に戦争を仕掛ける段階であった。その為の極秘任務が終了し、今は樹教の本部へと帰ってきて礼拝堂に来ていた。そこは、大きく死喰いの樹が絵がかれたステンドガラスがあって神秘的な場所であった。
「ただ今帰りました。紅様。色絵青磁の協力で香宮洪のDRAGを手に入れました」
目の前のフードと骸骨の仮面を被り、大鎌を持った一見死神を連想させる少女ーー紅様に報告をすると、どこまでも冷たい、だけどどこか感情が篭っているかのような声で返事が返ってきた。
「お疲れ様。茉莉花。」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
「でも、実際貴女のお陰で随分と事をうまく運べているのよ? もっと自分を誇りなさい」
紅様に触れられると、頬が赤く染まるのがわかった。これは彼女の特異能力の一つ、ERGの完全操作。半感情生命体化し、生体維持をERGに頼り切っている私の感情を操作したのだろう。
「それで、あの人……色絵青磁に対してどう思う?」
彼の態度と口調、そして不明確すぎる経歴を考えると怪しいにも程があるが、DRAGを私たちに渡したと考えるとしばらくの間はこちらの味方をしてくれるのだろうと感じた。
「半々ですね。彼のことはあまり信頼しない方がいいでしょう……何せ10年も行方をくらませていたんですから。ですから、彼に接触するのは既に顔が割れた私だけの方がよろしいかと」
「えぇ。私もそう思うわ。それで『いぇん』の調子はどう?」
護衛軍に潜入している『いぇん』のことを思い出す。
「精神的にも問題はなく、潜入をしていました。それにもし、色絵青磁に裏切られても『いぇん』に処分させればいいでしょう」
「えぇ。そうね。」
紅様は深々とフードをお被りになって、私の提案に相槌を打った。
「いつか、紅様のお顔をはっきりと見ることは叶いますでしょうか?」
私は紅様が取った行動に思わず声を漏らしてしまった。
「ごめんなさい。茉莉花。これはどうしようもないことなの。だって、今の身体は本物には遠いんですもの。見せるなら一番死に近い姿をあなたに見せたい。だから、あなたのことは信用しているのよ? いつか見せてあげるわ。」
そう言って紅様は私の頬を撫でると体中が安心して力が抜けていった。そして、私が椅子に座ると、紅様が礼拝堂の大扉の方を見た。それと同時にそちらに人の気配を感じる。
「さて、そこにいるのでしょ。香宮洪、あなたの力ならあんな拘束くらい壊せるものね。」
紅様が呟くと大扉がそろりと開き、そこにはボロボロで傷だらけになった護衛軍の制服を着た若い男、香宮洪が立っていた。彼は既に瀕死になっており、今にも倒れそうなほどな怪我をしていた。しかし、その体から生命力を膨大にあふれさせこちらを特異能力で攻撃しようとしていた。
「貴女は十年前死んだはずだッ! ……漆我紅ッ! 何故生きている⁉」
「……えぇ? だって、私自身が『死』なんですもの。」