第一幕 39話 筒美紅葉と色絵瑠璃5
5メートル程あった、私と瑠璃くんの距離が瞬く間に詰められた。それは、私が使用した『鳥語花香』による、観測し予想された結果最適解だと思った事による行動だった。
この時、私の時間切れを狙って、瑠璃くんは後ろへ後退していた。そして、私が瑠璃くんの身体を触れる頃にはまだ瑠璃くんの特異能力が発生しておらず、容易にその身体まで突破出来た。
「ッ!?」
『鳥語花香』による瑠璃くんの後退の予想は出来ていた為、不意を突きつつ攻撃を与えることが出来た。
『ーー筒美流攻戦術終ノ項、奥義『百花繚乱』ーー』
先程放った『百花』よりも速い音速を超えた両手の拳が瑠璃くんの身体を突き抜ける。
「ガハッ!」
が、拳の先、両方の手の甲から鋭い痛みが走るのがわかった。
「ぐっ……⁉︎」
拳が瑠璃くんに当たった感触はあった。しかし、入った拳の数が6か7か。あと、最低でも2回……
手の甲を見るとそれがすでに手の形になっていない事が分かった。
「ッ⁉︎」
「ごめん……後で……絶対に治すから……僕の気持ちが理解できて、受け止めてくれる紅葉だからきっと大丈夫だよね?」
「ハァ……ハァ……初めてかも……こんなに表に感情を出せたの……私も駄目だって分かっていてもこの感情を抑える事なんてしたくない」
私の口は自然と笑みを浮かべていて、思考回路が既に溢れ出るアドレナリンやお姉ちゃんの幻想によって犯されていた。
いや、これは最早瑠璃くんから出た感情生命体としての本能。
生物である時点で絶対に逃れられない欲。
生存欲。
それが彼から出ているものの正体であった。
「……僕に遠慮なんてしないでもっとその感情をぶつけて! 死に取り憑かれた紅葉からしか出でない生への執着を! さぁ来てよ……僕の領域に入ってきて!」
すると、視覚でも分かる程の半径0.5メートル程の球体の濃いERGの膜が瑠璃くんを覆っているように見える。
「『絶対領域』……!これが僕の本気! 残り10秒……僕は最後まで……諦めない!」
その名の通り、あの膜に触れたが最後、先程の私の手のように力を無視して全てをぐちゃぐちゃにされてしまうだろう。だけどそんな事実とは裏腹に、目の前の彼は物凄く楽しそうに笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「紅葉がなんで特異能力者にも、感情生命体にもならないのか分かった気がする。その底が見えない狂気に飲み壊れても尚判断力のある精神力。もし、紅葉に特異能力者資質があったなら、僕を超え、あの最強と謳われていた題兄さんにも引けを取らない特異能力を持っていたかもしれない。そんな強い意志の力が紅葉にはある。僕は心底、紅葉から溢れ出るその感情を気に入ったよ! だから、紅葉を笑顔にしてあげたい!」
脳が焼き溶けそうな程の熱が身体から溢れ出る。先程の終ノ項の連続使用の反動が一気に来たのだろう。
だけど知ったこっちゃない。
今は、今だけは瑠璃くんの心に触れさせてほしい。
私はただ、瑠璃くんに向かって走り出す。自分から溢れ出る感情に身を任せて速く、早く。その感情をもっと強くして重く、深く。
私の限界速さに辿り着き、全身が彼の領域に入る。既に特異能力は展開されているため先程のように隙を突くことは出来なかった。
全てがスロウになっていく感覚の中で最初に入って来たのは彼の感情だった。
目の前の可愛らしい人間が怪物だと言うことを忘れてしまいそうになるほどそれは暖かい暖かい感情だった。
そして次に、身体の中が弄られているような感じがした。体内が、より正確にいうとお姉ちゃんの内臓がその能力を失われないままより私に親和していく。
これが瑠璃くんの特異能力による現象なのは間違いは無かった。そして、それは私では決して届くことのなかった本懐だった。
私を笑顔にしたいという瑠璃くんの願いが、内臓を移植した事による後遺症、つまり死んだお姉ちゃんの体ではなく、私の体として二度と死喰い樹の腕に追われることの無い体にした。
私が、苦しんでいた全てが瑠璃くんによって全て拭われたのだった。
「やっぱり、出来た……良かった……」
目の前の女の子のような顔をした子は嬉しそうな笑顔でただ私を見つめる。
「ずっと辛かったよね? せっかく大好きな人から託されたものが呪いみたいに自分の体を蝕んでいったの。現実に自分が生きていちゃいけない人間なんだって思わされる事……」
それは、私に不幸が降り注ぐたびに心の奥底で感じていたことだった。だから、その度に私は人に頼って、頼られて……ずっと苦しんでいた。だから、お姉ちゃんの真似をして、黄依ちゃんや衿華ちゃんに接してきた。
間違いの上に間違いを塗って忘れようとしていた。
「僕もお母さんとお父さんから貰ったこの身体にずっと苦しめられてきたんだ。でも僕は、紅葉のお陰で人間じゃ無いのに人間みたいに生きることができた。紅葉の人生が僕を救ってくれたんだ……」
瑠璃くんに優しく手を握られ、壊されたはずの手が痛みもなくすぐに治っていく。
きっと、この止めどない感情が嬉しくて涙が溢れてしまったのは初めてだろう。葉書お姉ちゃんが手紙で教えてくれたことは本当だった。
「紅葉のお陰で僕は自分の事を好きになれたんだよ? 」
あぁ……こんな時どういう風にお話しをすれば良いんだろう。
瑠璃くんは私の目の下に指を乗せて、涙を拭き取る。
「紅葉に出逢えて良かった」
私も……私もっ!
「貴方に会えて良かった……っ!」
お姉ちゃん、願いが叶ったよ。