第一幕 34話 筒美紅葉について9
布団の中で、葉書お姉ちゃんの手紙を開くが文字が暗くて読めなかった。何をしているんだと思いながら布団を飛び出し、光を灯す為のライトになるものを探す。
布団から出ると横には私の腕に繋がっている点滴とそれを立てる為の点滴スタンド、鏡付きの洗面台、それの下にある木製の棚、先程手紙が置いてあった物置、部屋の少し遠い所にはトイレ、来客用の高級ソファなどを始めとした普通に暮らしていてもまず使わないであろう高級家具等があるのが分かった。明らかに、待遇が一般人とは違うそれであった。
……祖父の顔がチラついたので溜息をつく。
私の所持品を探す為にまずは、洗面台を探してみる事にした。鏡に映り込んだ顔を見ると、酷く痩せていて今にも死んでしまいそうな面構えだったから、お姉ちゃんが教えてくれたあの方法、口の両端を指で押し上げてみるのをやる事にした。
お姉ちゃんのリボンをした死人が笑っているみたいで趣味が悪かったが、これが今の自分かと思い、下の棚を探す。引き出しを開けると、私の携帯電話が見つかった。
電気を付けると待ち受け画面には葉書お姉ちゃんと私の姿が抱き合いながら仲良く笑顔で映っていた。思わず、溜息が溢れた。
ライト機能を付けると、暗くなっていた病室がそこだけ明るくなる。画面の電源だけを切り、ライト機能をそのままにして、もう一度布団の中に籠る。
何かに包まれる事は周りが見えなくなり、周りから見られる事がなくなる事。だから、私は辛い現実から目を背ける為に布団の中に入る。ここは私の安息の地だった。
そして、手紙を開く。墨で書かれた可愛らしくて丸っこい文字。葉書お姉ちゃんの書き癖だが、彼女の墨で書かれた文字は初めてみた。遺書だからって気合いを入れたのだろうか。彼女が筆を執って書いている姿を想像すると少し安心する事が出来た。
手紙を読み進める。
『私のくれちゃんへ
くれちゃんがこの手紙を見ている頃には、私はもう貴女の中にいると思う。きっと、私の身体のせいで拒否反応が起きたり、私が想像できないほどの色々辛い思いをしてるかも知れない。
でもね、その身体は私の夢を叶える為に必死に頑張ってきた身体だから、貴女の事を必死に守ってくれると思うよ。私の心はもうそこには無いけれど、ずっと貴女を守る為に私はそこにいるよ。
だから、貴女は私のことを考えず……いや、貴女に捧げたその身体の為に幸せになって。出来ればその身体の為に私の夢を叶えてあげて。お師様の跡を継いで、人々を助ける為に護衛軍に入って。
烏滸がましい事は分かってるよ。でも、きっと貴女もそこで何かを見つけられる筈だよ。そこに行って何かを知ったのなら、私はくれちゃんが何者であっても、何者になっても貴女の中に居続けるよ。
だから、もう一度立ってみない? 貴女の事だからきっとまたへこんでいるのでしょう?
確かに生きる事は辛いけど、それだけ沢山の物に触れられるという事だよ。だから、今度は一緒に進もう? そして、色々な事を知って、経験しよう?
大丈夫。だって貴女は今、他の誰でもない私の妹『筒美紅葉』でしょ?
約束だよ。貴女は幸せになる為に産まれてきたんだよ』
半分以上読んだ所で、一旦手紙の文字が止まっていた。
やっぱり、葉書お姉ちゃんはズルい人だ。
これじゃあ私はもう死ねないじゃないか。どれほど、苦しかろうが、どれほど寂しかろうが、どれほど恋しかろうが。
彼女は私にくれた物を全部全部、私を留める為の呪いに変えた。でも、お姉ちゃんに対する感情は怨みのような醜いものではなく、やっぱり一緒に居られて嬉しいという愛のようなものだった。
手紙の続きを読む。
『今から書くことは余談。貴女への懺悔に今まで書いてきた事を付け加えるだけ。考えている事が矛盾していて、私も訳わかんない。だから、あまり読まないで欲しい。もう、私も壊れそうなの。最後だからいっぱい書きたい事があるけど、今の私にはこれしか書けない。』
でも、今は貴女の全てを知りたいーー
『私はずっと誰かの助けになりたいと思っていたんだよ。あの日、初めて貴女と喋った時から私はなにも変わって無いんだよ。
だから、今貴女の為に私が死ぬ事が決まって良かったって思ってしまったの。自分のことを棚に上げて、私もこんな気持ちになっちゃった。
本当にごめんね。
私も貴女と根本的な所で一緒だったんだよね。あの日、私はそれに気付いて居なくて、貴女はそれに気付いていた。それなのに上から目線で色々都合のいい甘い事を貴女に囁いてきたの。心の底では、貴女の優しさに漬け込んで余計に狂わせて、貴女が私の傀儡になる事を楽しんでいたのだと思う。到底許されない事をしたと思っているよ。
これを言ったら貴女は私に怒るよね。私と貴女の綴ってきた人生を否定してしまう事だから。
でもここまで、やってしまったならもう取り返しはつかないよ。人生を取り戻す事は、過去に遡る事は途轍も無くて途方も無い代償を払わない限りできない。私はもう貴女に対する生きて欲しいという呪いをかける為に命を払ってしまったの。後戻り出来ないようにする為に。
私が貴女を不幸にした。
だから、進んで。いつかあの日見た、笑顔じゃなくて本当の笑顔を見せて。きっと、貴女にも友達ができれば、恋をすれば自然とできるようになるはずだから。
こんな事を書いたのは私がくれちゃんの事を大好きだから。
お姉ちゃんは何があっても味方です。いつでも一緒にいるから。
だから、いつでも呼んで。私はくれちゃんのものよ。
筒美葉書より』
気付いた時には手紙を閉じて、布団を出ていた。
広くて暗い病室を浮足立つように歩く。
洗面台に着くと、もう一度前に立ち顔を確かめる。
「私はなんなの?」
答えを示すように、鏡には目から涙が出ているのに、口の端を指で持ち上げている少女がいた。
ここまで壊れても、私は感情生命体にも特異能力者にもなれなかった。
途方も無い感情を受け取る器になっていた。
だから、私は何者でも無い。
あえて言うなら、筒美葉書の全てを受け入れたただの少女。
姉の姿を模倣し続ける、人形だった。