堕落編 19話 錯綜
頭から血を吹き出し横たわる黄依ちゃんの屍。それを庇うかのように薔薇ちゃんは私──筒美紅葉の前に立ち塞がる。既に瞬間移動を持つふみふみを優先的に戦闘不能に追いやったが、致命傷を与える事は出来ないまま攻撃を薔薇ちゃんに邪魔されたのだ。
「触れられないから後回しにしてたけど、やっぱり厄介ね」
「強いですわね……」
薔薇ちゃんに疲れている様子は無く、コンディションは万全に近い状態に見える。ふみふみを攻撃している時は介入しなかったのに、命に関わる攻撃をしようとしてきた時は阻止してきた。やはり洗脳の類を受けているのだろうか、それとも……。
薔薇ちゃんの特異能力──『水素爆発』は水の電気分解を応用したもの。生き物の吐く息に含まれる水蒸気からは勿論の事、水さえ有ればそれを元に分解して爆発させる。人の皮膚に触れればそれだけで威力は攻撃型手榴弾以上。爆発する時間を任意に変えられる為、知らないうちに触られていたらかなり不味い。そのタイミングが読めない以上、防御術は全身に貼らざる負えないが、ダメージは負う。致命傷にはならないだろうがそれを避ける為には接近戦はしない方が良いだろう。
薔薇ちゃんが爆発させる時には防御術の精度を手に集中しているから自身を傷つけずに爆発させる事が可能。より一層接近戦は不利。
しかし、特異兵仗の存在。それが薔薇ちゃんのレンジを中距離まで引き上げている。遠距離戦なら望むところだけど、中距離なら先程みたいに速攻は仕掛けられない。
引っかかる所はまだある。三人対一人から一人対一人まで持ち込んだのにこの落ち着き度合いは脅威だ。第三者の洗脳による影響下にあるにせよ、動揺はするだろう。
何か見落としている部分がある……?
私は脇を絞めて半身で前重心となり、中距離用に左手腰あたりに掌が相手に向くように、右手は顎下辺りに構える。
「黄依ちゃんが死んだのに意外に冷静ね」
「そちらこそ、人を殺したのに動揺していないのですね。何度も殺していると慣れるものなのですね」
「……へぇ」
『最早、『痛覚支配』による牽制が無駄なら、右足を重心に左足の回転蹴りを牽制の意味合いで『僻遠斬撃』を飛ばす。その後、右手の掌底打ちと左ボディ、右肘のコンビネーション後、左膝で相手の正面に……』
私がそう動こうとした瞬間、死んだ筈の黄依ちゃんの身体がゴソリと動く。
『不味い』
私は即座に防御術を全身に貼り、決着を早める為に近距離戦に切り替えようとする。動きは先程考えたものと同じ、打撃による攻撃を繰り出そうとする。
『脳を破壊して死んでいない……? 『死体操作』の効力か? しかし、死んだ自分を操作する事は……今は理由を考えている暇はない。黄依ちゃんの身体は薔薇ちゃんに守られている。『不和』と『僻遠斬撃』の組み合わせによる能力強制解除の前に薔薇ちゃんを再起不能にしなければ』
「コレはまだ見せていませんでしたわよね」
だが距離を詰めようとした瞬間、私の右肩部分に何かが触れる感触がする。
「──ッ!」
このタイミングで新手、違う特異能力……?
なんだコレは……?
離れていても触れられた……?
薔薇ちゃんと黄依ちゃんの関係性……。
まさかッ⁉︎
「──『僻遠爆発』」
頭のすぐ右で熱、そして肉の焦げる匂い、強烈な痛み。それを感じた瞬間、本能が一瞬で『痛覚支配』を自身にかけたほどだった。
『痛みは感じない。特異能力と防御術を使っていなければ戦闘不能は間違いなかった。それでも、右腕を壊された……外れてはいないけど神経と骨がやられている。直せはするだろうがかなり不味い。だけど今はそれよりも彼女が使った特異能力の方……』
特異能力による疲労の蓄積が一気に溜まり肩で息をしだす私に薔薇ちゃんは得意げに語る。
「私、黄依さんに認められましてよ」
「ハァ……ハァ……そういう……事」
今の現象は『僻遠斬撃』と『水素爆発』の合わせ技。考え得る中でかなりの相性の良い特異能力同士だ。最近やけに仲が良いと思っていたがそういう事か。
「薔薇ちゃんに黄依ちゃんを取られちゃったか……嫉妬しそうだ」
「変な事言わないでくださいまし。元々黄依さんは貴女のものではございませんわよ」
「……ははは」
そして、薔薇ちゃんの後ろに居た頭から血を流しながら黄依は立ち上がりこちらの方を笑顔で見てくる。予想通りだ。これで1対2に逆戻り。
「あはは〜おはよう〜。いやいや、びっくりしたよ。本気を出した紅葉がここまで強いとは」
「悉く化け物ね。竜胆柘榴」
「あらら〜。まぁ気付くよね。でもそれじゃあ、気づいちゃったカナ?」
人差し指を唇に当てて嬉しそうにこちらを眺める黄依ちゃんの皮を被った殺人鬼。
「攻撃する前に意識を切り替えた事。そして、この身体が死んでも死ぬのは黄依ちゃんだけだって事、私の意思は不滅だって」
「……お前まさか」
「人として生きてたんだよ? 黄依ちゃんは。取り返しを付かなくさせたのは紅葉が殺しちゃったせいだからね」
「おまっ……お前!」
「もう一度言ってあげるね。黄依ちゃんの身体は感情生命体にはなっていなかった。私はこの体の一部に寄生した細胞に過ぎなかった。そして紅葉がしたのは正真正銘のただの友達殺し。あの時、冷静になって考えていれば殺さずに済む方法だってあったんだよ。焦っちゃったね♡」
この言葉がただの精神攻撃である事。それは頭で理解はしていた。だが、それは私の中では重要な問題。人を殺すか感情の化け物を殺すか。そこに迷いが生じれば私の心は壊れる。
「殺された死体は白夜くんの特異能力を使ったからもう私のものだよ。黄依ちゃんの意識はどこにも無い。何しても黄依ちゃんは帰って来ない。あっ……♡ そういえばさ、『力動』って極めた状態に近づく事ができれば脳内で過去のシュミレーションもできるんだっけ?」
そうか、それを確かめればコイツが言ってる事が嘘である証明を。
罪の意識を感じた私の理性がすぐさまそれを行う。だが、そこには紛れもなく、彼女の言葉が本当である事が分かった。DRAG服用直後に発生する感情生命体化に伴う『衝動』それが私を勘違いさせたのだ。
「……あ……あぁ……。ああああ!」
まただ。また私のミスだ。コレはもう取り返しのつかない。
「でもでも! まだ望みはあるよ〜。貴女も樹教に入りましょう! そうすれば、人の命は永遠になる!」
「……殺す」
「嬉しい事言ってくれるね〜。ありがとう〜。でも、永遠の命が手に入れば〜ずっーとずっーと殺し合って愛し合う事が出来るようになるんだよ〜。そっちの方がお得じゃない?」
「殺す」
「あちゃ〜。まさかストレスで感情生命体になっちゃった〜? 確かにそういう適正ありそうだもんね〜」
殺す。
瞬間、私は羽の出力を上げて左手で黄依ちゃんの胸を抉り、穴を開けた。
「……だから〜。この身体が傷つくだけで意味ないんだって」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
同時に私の耳に入ったのは、寮の壁が破られる音。瑠璃くんと衿華ちゃんが同時にここへ来た事が分かり。この様子を見られたのだった。
「……え」
「紅葉……ちゃん……? 嘘……だよね?」
二人からすれば私が黄依ちゃんを殺した場面にしか見えないのだろう。
「あ……あぁ……! 違う! 瑠璃くん! コレは……違うの……!」
私は狼狽え、羽を閉じ、放出させていた衝動を抑える。それと同時に、翠ちゃんと萵苣ちゃんも瞬間移動でこの部屋に現れた。
「瑠璃くん……不味い! 機関の方にも樹教の手が……! って……え?」
「紅葉……コレは……どういう」
血で汚れた左手とボロボロになった左肩、横たわるふみふみと朝柊ちゃんと黄依ちゃんの身体。いつでも臨戦体勢を取れるように構えている薔薇ちゃんに、此方の方を睨む瑠璃くん。絶望したかのような顔をしている衿華ちゃん。そして、状況を掴めていない翠ちゃんと萵苣ちゃん。
「……ちっ違う! 私じゃない! 私じゃないの!」
「やっぱり紅葉が……漆我……紅……」
予想していた台詞と別の言葉が飛んできた辺り、相手の方も情報が相当錯綜している。
「どうして……今、それを……?」
「やっぱり。そうか、ずっと僕を騙してたんだ」
「それは……ちょっと……待ってよ! なんで?」
「ふざけんなよこの人殺し」
「……え?」
瑠璃くんの言葉で心臓が突き抜かれたような感覚がすると同時にまた私の後ろに気配がした。現れたのは仮面を付けギリシャ数字の書かれたコートを来た人型の感情生命体。コイツは贄である沙羅様が誘拐された時に樹教側について暗躍していた感情生命体。
歴代最強の特異能力者と言われた止水題と一対一で互角でいられるほどの実力者。
「……は? 紅葉ねーさんが漆我紅ってどういう事、瑠璃くん⁉︎」」
「翠ちゃん、その話は後でゆっくり紅葉に聞こうか。それで……誰? 邪魔しないでよ」
この場にいる意識のある人間は仮面の男に対して臨戦体勢を取る。
「翠ちゃん。コイツ……下手したら題兄さんより強いよ」
「何それ⁉︎ 逃げるしか無くない⁉︎ っていうか逃げれるのソレ」
特に戦慄した瑠璃くんと翠ちゃんは萵苣ちゃんを守りながら彼から後退する。
「中々、混沌とした状況だな。互いの認識が違うだけでこうなるとは。立てるか、漆我紅?」
「私をその名で呼ばないでよ……! もう……何……コレ……。私、精一杯やったじゃん。必死に隠して必死に努力して、必死に生きてきたのになんでこんな事になるの」
「嘆くのはまだ早い。お前にはまだこの先の地獄を巡って貰うぞ」
仮面の男は私の左手を掴む。
「不味い……逃げられる!」
「この状況で……⁉︎ それはないでしょ⁉︎ 私、瞬間移動があるんだよ。追いかけるから! とりあえず……! 後で全力で謝るから全員に弾を打つよ!」
翠ちゃんは瑠璃くんと萵苣ちゃん以外のこの場にいる銃弾を放つ。しかし、朝柊ちゃんと黄依ちゃんに発射された弾は薔薇ちゃんに弾かれ、衿華ちゃんも自身に飛んできた弾を弾く。仮面の男や私に向かって放たれた球は何故か途中でそこで止められたかのように弾が落ちていた。結果として、ふみふみだけがその銃弾に当たる。
「何が起きたの……⁉︎」
「紅葉!」
瑠璃くんはそれに気付くと私の方へ走り出すが、いつの間にか正面からは姿が消えた。
そして、先ほどまで居た少女達の姿はここには無く。私だけと仮面の男だけが別の場所に移動していたのだ。