堕落編 3話 ひとのしあわせはみつのあじ3
白夜くんの声が夜の風にあてられて小さくなっていく。
『私の事が好き』……か。
その言葉だけが脳に響き、ぐるぐるとかき混ぜられ、うまく息が出来なかった。
「好きだから……どうかしたいという訳じゃないけど。俺はさ、その……ただ……」
彼の声で我に返り、ようやくなんて間の悪い話なんだという事を思い出し、視線を彼から外した。
「ただ……、俺はさ君にシンパシーみたいなのを感じてた。だから、もし君の事を幸せに出来たのなら……これ以上幸せなことは無いって思ったんだ。だから俺は君を世界で一番幸せにしたいと思ってるよ」
「…………」
彼の言いたい事は充分に理解できたし、普段冷静で他人に流されない彼がここまで緊張して、声を震わせて私に想いを伝えてくれた事は分かった。多分、彼の言葉も私にとって今まで浴びてきた台詞の中で一番心地の良いものだという事も理解できた。それに私を幸せにしたいという言葉に一切の躊躇いはなかった。相当言葉を選んでこの気持ちを伝える為に自分の気持ちと向き合ったんだろうな。
「今すぐに付き合ってほしいとは絶対に言わない……だから……」
「待って。私にも喋らせて」
ようやく頭が回り始め私がどうするべきか結論を出せた。我ながら、早い決断ができて良かったと思う。
近くで聴いているであろう薔薇の気持ちを考えると本当に良かったのだと思う。
私の正直な気持ちと変わっていった気持ち。本気の気持ちと妥協かと言われれば否定しきれないそんな気持ち。
きっと私はこういう答えを出すのは速い方なのだろう。
だっていつも選ぶのはひとのしあわせだから。
「……まずはね、ありがとう。こうやってちゃんと言葉にして告白してくれたのは白夜くんが初めてだし、こんな私を好きになってくれる人がいてくれる事は凄く嬉しい」
「……そうか」
白夜くんは賢いから多分もうこの言葉……いや、既に私の反応を見て気付いていたのだろう。私には見えないように後ろで手を持つ片方の手で力強く握っているのが分かった。
「ただ、ごめんね。私今付き合ってるっていうか……付き合わされてるというか……違うな。多分ね私も言葉にはできないけど好きな人が居て。だから、白夜くんの気持ちに応える事は出来ないんだ」
「……」
「だけど、それで自信を無くさないで欲しいんだ。白夜くんってすっごいイケメンだし、体術はあの紅葉や所要にも匹敵するくらい強いし……」
「……あぁ……そうだな。ありがとう」
悲しげに、湿ったような声でははっと笑う彼の顔を直視する事が出来なかった。そして、極め付けは次の言葉だった。
「一つ聞いていいかな。それでも好きって言ったら我儘か?」
「……ごめんね」
「そうか。突っ走って悪かったな……。というかなんで霧咲が泣いてるんだよ」
溢れ出た涙の理由は分かる。私も白夜くんのことが好きだったから。それでも、筋を通す。それをしなきゃ私は私を許せなくなるから。
「気付いてたよ。目がよく合ったこと。君も俺を見てた事。俺はさ、恋愛経験とか無いからさ、そりゃ反則だろって何十回、何百回思い知らされたか」
「……そっか」
「万人が幸せになる方法なんてない。俺はやりたい事出来たし満足だ。後悔なんてしないし、君もするなよ」
彼は後ろを振り向き夜空を見上げる。
「月が綺麗な夜だが……今はまだ月より星だな。手が届かないから愛おしく見えるなんて、全く……本当に酷だよな」
ハァとため息と雫をこぼしながらこちらを振り返る。
「そこに近づくべきでも挟まるべきでも干渉するべきでも無い……それが俺のやり口だったが、側から見てて変な方向へ向かいそうな気がしてたからな。霧咲……好きな奴にはその気持ちを伝えてやれよ……。いや、分かってるだろうな。悪かった、野暮な真似して」
白夜くんはそれだけ言うとこの場から立ち去った。
「……え」
今の言葉で気付いた。
白夜くんはおそらく、薔薇と私が付き合っている事がわかってて私に気持ちを伝えたのだろう。
そして、私が薔薇の事で揺れていた事。心のどこかで本気じゃないと思っていた事、それも見透かされていた。
でも、絶対に私が薔薇を選ぶ事も理解していた。
恐ろしい程に観察眼が鋭いのか……いや、違う。私の事が好きだったから本気で私の考えそうな事を自分で導き出して、答えに辿り着いたのだろう。
なんて勇気と人を思いやる力が必要なのだろうか。むしろ、白夜くんにとっては私の返事がyesでもnoでも私にしか利がないような選択肢の取り方をしてきた。
そして私は片方を切った。自分と人の気持ちをゴミ箱に捨てるように。この代償は自分の心に大きな痛みを与えるだろう。
これで私は薔薇をもっと手放せなくなってしまった。
人を本気で好きになるってこう言う事なのだろう。
『痛みが伴わなければ人は成長できない』
そういうと死んだ衿華は怒るであろう。だが、それは紛れもない事実。
紅葉も同じ気持ちだったのだろうか。
「あぁ……ようやくアイツと同じになれたわね」