序曲 2話*
目が覚めた。
「ここ……どこ……?」
少し周りを見渡すとここが理科の実験室であり、薄気味悪いが少年心を擽るようなわくわくする実験道具が置いてあること、そして自分の体が鉄でできた輪っかに縛られており、壁に貼り付けにされている事が分かった。
「おはよう、少年」
そこには、眼鏡をかけた如何にも頭の良さそうな人がいる。アニメやマンガだと決まりきって悪い研究をしてそうな顔の人だ。
「君は『PTSD』って知っているかなぁ?」
「ぴーてぃーえすでぃーって僕の病気ですよね」
そんな悪人ズラをした彼から発せられるのは聞きなれない発音の単語だが、一年前くらいから自分に対してかけられてきた言葉だ。
「そう、良い子だ。君みたいな若い年齢でそんな単語を知っているなんて偉いねぇ〜」
その頭のよさそうな顔に似合って無い褒め言葉を投げかけられると変な擽ったさと嬉しさが込み上げてくる。
「『PTSD』っていうのはね、難しい言葉で『心的外傷後ストレス障害』って言うんだよ。君は一年前、怖ーい人達に誘拐されて、死にそうになったんだってね」
その言葉を投げかけられると、一年前の情景がはっきりと思い浮かんできて、体中の震えが止まらなくなる。
あの時僕は小学校が早く終わったからお家に居て、お母さん達の帰りを待っていただけなのに……
マスクを着けて顔の見えない体の大きな男の人。きっと、自分のうちに泥棒に入ったのだろう。本来なら誰も居ない時間帯の筈だった。それなのに僕が居た。
僕を見てニヤリと唇を歪めたその人は手にナイフを持ち僕の体に傷を付けようとしてくる。
そんな光景のフラッシュバックだけが頭の中に響き続ける。
「そう、そうやってトラウマが何回も何回も何回も頭の中を埋め尽くすのが『PTSD』の症状だよ」
そして、彼がネチャリと笑うように顔を歪めるのが分かる。
「さて、本題に入ろうじゃないかぁ……これは国が秘密事項として隠している事なんだけど、人間には実は強いストレスを感じることで通常不可能な現象を起こす力を手に入れる事が出来るんだよ。彼等の事は『特異能力者』って言うんだけどね」
彼のその悪人顔からとてつもなく嫌な予感を覚えることができた。
「そう、例えば君が見ていたアニメに出てくるヒーローのように力を振るう事が出来るようになる。それはまるで主人公になったみたいでわくわくするだろう?」
僕は怯えながら、首を横に振る。
だって、その為に僕に今から酷い実験が行われる事が理解できたから。
「どうしたんだい? 怖いのかい? 私だって近頃大学院で活躍してるあの生意気な若造に一泡吹かせる為に君をカルト宗教に依頼して誘拐したんだ……だから君にも協力して貰うよ」
自分を縛っている手錠を解こうとするが、ガンガンと鉄の音が鳴り響くだけで全くビクともしない。
「逃げたって無駄さ、君にはもう正気すら保てなくなってきているのが分かるだろう? 」
さっきから心臓が動いている気配がしない。
「いやぁ、私は思うんだよ。研究者たる者、人を壊すお薬の一つや二つ自分で合成できないとねって……知っているかい? 私みたいな研究者はさ……人権を侵害する事が楽しくて楽しくて仕方ない」
何やら彼は恐ろしい事を口走る。
「そう……それで君の身体に入れたのは『不安』を促進させる』お薬。君は『PTSD』を緩和する為に、『不安』という感情を作り出す『神経伝達物質』……『ノルアドレナリン』や『セロトニン』の合成を阻害するお薬……いわばSSRIのようなお薬を服用していたよね?」
「フッーフッーフッー」
「実はねさっき注射したお薬はさ、その効果を打ち消して逆に『不安』を促進させちゃうんだよ……!」
何度も何度も包丁で切りつけられる幻覚が見える。現実じゃないって分かっている筈なのに痛みを感じる。
怖い……誰か、お母さん、お父さん助けて……
「なるほど、興味深い。君はたったこれだけでそんな風に過呼吸を起こすのか。それほど、『PTSD』の原因が恐ろしいモノだったら『特異能力者』になるのにも期待が出来そうだ。これなんだか分かるかい? 」
髪を掴んできて、ナイフを見せつけられる。
「嫌だああぁぁぁ」
「これから、これで痛覚が集中しているところを切つけるから、よく観察するんだよ。勿論、痛覚を和らげてくれる物質も抑えてあるからね。直に痛みが感じれるよ。じっくり味わいなよ」
服を破られると一年前に付けられた自分の体の傷痕が見えて、あの時受けた傷がまるで現実でもあるかのように生々しく痛みとして身体全体を突き抜ける。
「痛い! 痛いよぉ! やめて! 」
「なるほど、古傷から痛みを感じているんですね。幻肢痛に似た……いやこれは……ストレスからくる痛みですね。素晴らしい……! 興が乗ってきたので予定とは違う実験もしてみましょうか」
彼はナイフを置き、容器を取り出すとその中味を見せつけてきた。
「メンソールって知っていますか? えぇ勿論教えますよ。よく痒み止めや痛み止めに含まれる有機化合物の一種ですが、その実態は塗るとひんやりするから痒みが無くなったりと案外プラシーボ効果……つまりは思い込みの側面が強いものなんですよね。実際にはちゃんとした理由もあるんですがそこまで話すと長くなってしまうので今日は割愛しましょうか。それで、私は思ったんだ。逆に塗ると熱くなるようなものを作れば痛みとか増強してくれるんじゃないかってね。そこで私は唐辛子などに含まれているカプサイシンという物質に目を付けたんだ。そして、それを濃縮して完成したクリームがこれ。どうだい? 君の古傷の部分に塗りたくなってきただろ?」
段々と訳の分からない外国語を含んだ小難しい解説が鬱陶しくなって体が勝手にイラつきを覚えて暴れ出す。
「ゔるざい」
「ほうほう、『怒り』ですか、薬の効果が良く現れていますね。いい傾向です。さぁクリームを塗りましょうか」
古傷の部分にクリームを塗られると本当に熱を帯びたように熱くなる。
「さぁさぁ、どうだい? そろそろちゃんと身体に吸収されてくる頃合いだと思うんだけど」
「ゔぅぅぅ」
逐一反応を見せると相手が喜ぶのが分かったので、より増した痛みに下唇を噛んで我慢するが傷口に唐辛子を液状にして濃縮した物を塗りこまれたような熱のこもった痛みに耐えられずうめき声が出てしまう。
「結果は上々と、さてお遊びとお勉強の時間が済んだところで本題に戻ろうか。人間の急所ってどこか分かるかな? 」
「知る訳ないだろぉ! 」
「いーや、君もよくお友達のモノを殴ったりしていたんじゃないか?ほらアソコだよ、アソコ」
股間を凝視され嫌な予感がする。
「ふざけんなよっ! こんな事してお前にいい事ないだろっ! 」
「たっく……そんな事も理解できないのかなぁ? 君の為に懇切丁寧な解説をしてやってんのに。私は君を絶望させる為に拷問をしているんだよォっ! 」
言葉と同時に思い切り股間を蹴り飛ばされると一瞬意識が飛びかけて、次にお腹に鈍痛が走る。
「あぁぁぁぁあああ! 」
「おいおいこんな事で泡吹いてちゃヒーローにはなれないぞ〜」
今度は連続で蹴りを入れられる。その度に嗚咽と吐き気。ついにはあまりの鈍痛に嘔吐してしまう。
「私の推測だとそろそろだと思うんだけど気分はどうだい?」
「ゔっあ……ぼぇ」
「なるほど、まだストレスに耐える為に鍵みたいなモノがかかっている訳か。それじゃあ、この包丁でアソコを切ってやるか」
何か聞こえたが理解が追いつかない。だが、走馬灯のように学校の実験室でカエルの解剖をした事を思い出した。あの時のカエルは最後殺される時には抵抗するのを諦めていた。そしてこれまでも、何度も虫などの小動物で遊び半分で殺してそんな光景を見てきた事を思い出した。動物たちが抵抗するのを諦める気持ちがたった今同じ状況に立たされて理解できた。
そして、自分の股間がいつのまにか削ぎ落とされている事に気づくと、なんとも言えないドス黒い感情が自分を覆い尽くすのがわかった。
「目に光が無くなりましたね。これまでの検体では先に『死喰い樹の手』に回収されてしまった為見られなかった反応ですよ」
再びネチャリと彼が汚い笑顔で笑う。
「さぁ『特異能力者』の誕生だ……!」