氷点下273.15度の情火 16話
それから数日が経った。
出産予定日にはまだ早い日にちであったが、輝に陣痛が起こる前に破水した。
それを間近でで見た俺はやはり冷静ではいられなかった。すぐにナースコールで看護師を呼ぼうとしたが、異変を感じとったのか筒美紅葉がこの部屋のドアを開けた。緊迫した事態だというのに相変わらず表情は一切変えず輝の様子を見た後、俺に落ち着くように言った。
「天照さん陣痛は来ましたか?」
「いいえ、それがまだ……」
「……前期破水? 24時間くらいは大丈夫ですが……感染症のリスクもありますし……そうですね。翠ちゃん、居るなら来て」
筒美紅葉が指を鳴らすと、彼女の隣に色絵翠が現れる。
「はいよと。えっと、なんか用?」
「20秒以内に産婦人科の文目先生連れてきて」
一瞬、翠は輝の様子を見て察する。
「はいはい。他にいるものは?」
「水分補給できる物、あとは長丁場かもしれないからお腹に優しい食べ物買ってきてあげて、一応団長の分も。お金は……旅団長に請求しといて」
「……ん?」
「流石ねーさん、了解っと」
「おい、高いもんはやめとけよ!」
即座に翠が消えると15秒後産婦人科の医者を連れてきた。そして、また即座に翠は虚空に消える。
「はぃはぃ〜呼ばれました〜士長・産婦人科担当医の文目ですよ〜よく勘違いされるんですけどねぇ〜文目って名前じゃなくてわしの苗字なんですよ〜」
文目と名乗る白衣を着た老婆はその語尾を伸ばす特徴的な喋り方でまるで初めて会ったかのように自己紹介をした。
俺は勿論この人の事を知っているが流石に歳で記憶が曖昧でボケてきたのだろう。何せ歳は90以上と聞く。この護衛軍の中では一番年長者で、ほぼ全ての特異能力者は彼女を助産師として立ち合われている。彼女自身、別に特異能力を持っているわけでもないが、助産師として相当腕が立つそうだ。
その証拠に感情生命体と特異能力者の双子である瑠璃と翠を母子共に出産を無事に終わらせている辺り経験値が違う。
「はぃはぃ〜ちょっとどいてどいて〜だんでぇーなお兄さん。この部屋は分娩室にもなるからね〜ここで赤ちゃん産むからね〜」
「輝を頼みました」
褒めてんのか貶してんのかよく分からないが、俺がここに居ても邪魔だと思うし、この部屋から出て行こうとする。が、その前に彼女に止められた。
「あ〜お兄さんはてるてるさんの手ぇ握っててあげて〜」
「邪魔になりませんか?」
「え〜帝王切開はしないよ〜。あの様子だと、さかごじゃないし、大丈夫、大丈夫〜てるてるさんを安心させたげて〜」
文目さんは持ってきた籠から点滴のセットを出し、スタンドにかける。
「とりあえず〜先に破水しちゃって陣痛はまだ来てないって聞いたから、一旦様子を見ながら〜陣痛の促進剤打つ準備だけしときますね〜」
すると筒美紅葉はそのアシスタントをするように声をかける。
「手伝います」
「ありがとね〜くれちゃん〜」
「くれじゃなくて、紅葉です。いい加減覚えてください」
「……。あれ〜そうなの〜似てるから間違えちゃった〜」
「……まぁいいです。もう勘弁してくださいよ」
彼女達は口を動かしながらも出産に対する準備が迅速に行われていく。俺にはあまり医療知識はない為、何が行われているのかよく分からないが、ただ輝の手をずっと握っていた。
そして、ある程度時間が経つと輝の容態に変化が起きる。お腹にいる赤ちゃんを子宮外に押し出すために子宮口が広がり始め、陣痛が始まったのだ。
「……凄く痛いって訳じゃ無いけどお腹が痛いかも……」
「始まりましたね」
「はぃはぃ〜促進剤、使わなくて良かったですね〜まだしばらくは楽にしてていいですよ〜」
さて、ここからが長丁場になってくるのだが、先程翠が買ってきた水を輝に飲ませながら、これからの手順について助産師を務める二人と俺たち二人の合計四人で話し合う。
「結局、天照さんは自然分娩でよろしかったですか?」
「えぇ……紅葉ちゃんの特異能力──『痛覚支配』によるローリスクでの無痛分娩ができるとは聞いてたけど……」
恐らく輝の自然分娩を選んだ考えには大きく分けて二つの理由がある。
一つ目の理由は筒美紅葉の特異能力の信頼性が低い事。いくらローリスクだからといっても、その力の源がDRAGであるという点そして本来の持ち主でない能力の為、元の持ち主より熟練度が低い点。この2点を踏まえると少々不安視をしたくなる理由もわかる。
そして、二つ目の理由は本来生物として機能するはずの痛みを伴わない出産をする事で子供との関係性の間に精神的な亀裂が発生するのを予防する為だろう。
二つとも不確定要素で本来なら微塵も気にするレベルではない話なのかもしれない。だが、輝が決めて考えた事だ。俺が口を挟むものでもない。
「助産師のワシとしては痛がられない方が楽なんだけどね〜」
「……俺は輝の意見を尊重します」




