贄誘拐編 15話 漆我沙羅
「もう、その名前は私を指すものじゃありません。ですから……私の事は筒美紅葉……気軽に紅葉とでも呼んで下さい」
私は普段使わない丁寧語で彼に語りかけた。
「私からもお願いします、止水さん。その名で呼ばれることが紅葉ちゃんにとってどれだけ辛いのか分かりますよね?」
葉書お姉ちゃんは真剣な表情で彼を睨みつけた。
「はい……勿論です。紅葉さん」
「ありがとうございます」
私はほっと肩を撫で下ろし、頭を下げてあやまった。
「それに……ごめんなさい。折角、お姉ちゃんや祖父達が私の存在を隠匿して私を守ってくれてたのに、何も考えないで行動してしまって」
「大丈夫だからあんまり気にしないでよ、私達は紅葉ちゃんを守りたかったからやった事だし」
「うん……ありがとう」
私はお姉ちゃんに抱きしめられて、頭を撫でられた。
「……では、沙羅様の所へ参りましょうか。ご案内します」
彼がタイミングを見計らいそういうと、また体育館の方へと私達は足を運んだ。
「そういえばここの体育館、病室として使っているんですか?」
「えぇそうですね。最近この辺り……主に関所や壁で『自殺志願者の楽園』と区切られていないこの区画でよく例の病気が蔓延しているんですよ」
「例の病気……?」
一つだけこの病気に心辺りがあった為、すぐに口から名前が出た。
「蒲公英病……」
「……蒲公英病って紅葉ちゃんと私がこうなった原因の病気?」
「そうですね。僕から見てもその症状に酷似している所が多いです。この辺りの医療施設では既に医療崩壊が起こり始め、そこに非公式として『焔』が溢れた患者達の保護を行なっていると考えれば良いと思います」
まさか、こっち地域ではここまで蒲公英病が広がっているなんて……
「こちら側の護衛軍はかなり苦労してるみたいですよ? 近々その調査の為に本部から調査員が派遣される位緊急事態なので」
「なるほど……」
「奥へ進みましょう。沙羅様がお待ちです」
体育館を抜け、会館の方へ入り、階段を何階か登る。すると大きな扉が見え、そこへ入る。
緊張感が漂う部屋の中で、ただそこには私より一回り小さな一人の少女が機械人形のような硬い表情で大きな椅子に座り本を読んでいた。
私と同じ赤い瞳と黒い髪。樹の枝の様に結われた髪の毛は長く美しい幾何学的な模様を描いていた。髪を切ってしまえば、その子は背の高さ以外では殆ど私と変わらない見た目だった。
彼女が本を閉じると此方を優しく見つめ、機械の様な冷たい声で語りかけてきた。
「やっと逢えましたね……筒美紅葉さん、いえ……紅ちゃん」
彼女は私と昔遊んだ時に呼んでくれた時みたいに私をそう呼んだ。
「久しぶり、沙羅ちゃん。10年以上会って無かったものね……」
私も彼女に合わせて、あの事件が起こる前の様にお互いを呼び合う。
「やはり、表情を失ったのは本当でしたのね……おいたわしい姿です」
「沙羅ちゃんこそ、自死欲の衝動の影響で相当やさぐれてるよ?」
「仕方ありません贄の役割は私にしかできない事ですから」
彼女は今にも壊れそうな顔をしながら、私に笑いかけた。
「良かった。紅ちゃんがこうして真っ当に生きていてくれて……私……私……」
「私を恨まなかったの? 私は沙羅ちゃんに対してそれくらい酷いことをした」
「何度も何度も言葉を疑いました。だから、贄の権能まで使って調べたんです。そうしなければ、今頃私は紅ちゃんを殺していたかもしれません」
すると、お姉ちゃんが手を挙げる。
「お話を遮って申し訳ございません、沙羅様。単刀直入に言います、そろそろ、詳しい話お聞かせ頂いてよろしいでしょうか?」
「勿論、葉書さんには『筒美紅葉』が『漆我紅』であるという事しか知らされていない筈でしたよね」
「そうですね……」
沙羅ちゃんは少し顎を手に置いて考える。すると、止水さんが助言を入れた。
「そうですね……じゃあ、事の発端である『漆我紅事件』の全貌についてからお話するのは如何でしょうか? 沙羅様」
「私も同意見です……しかし、それは私より紅ちゃんからお話してもらった方が早いと思います」
「そうだね」
するとお姉ちゃんが私の顔を見た。
「大丈夫よ。私は紅葉ちゃんが何者であっても、紅葉ちゃんだっていうことを知っているから」
「うん、今までありがとう。何も説明しないでも、私の事を信じて守ってくれて」
深呼吸をして、心を落ち着かせ、口を開いた。
「それは今から10年前以上の話……私がまだ『漆我紅』の名を捨てる前の話」




