贄誘拐編 6話 後悔
昔までは何日もかけていた日の当たらない暗い樹海の道なき道をするすると抜けていく。
そこの樹海ーー『自殺志願者の楽園』の様子を表現するならば奇々怪々と書くのが正しいのであろう。生えた一本一本の木はあらぬ方向へと捻じ曲がり、立ち入った者の平衡感覚や方向感覚、視界を捻じ曲げ正しく物体を認知させない特殊現象が起きたりする。
基本的にそういう時は、『視覚』や三半規管等を使わずに『聴覚』や『嗅覚』更には『触覚』のみを頼りとして道を進めば良い。
「筒美流奥義対人術、急ノ項ーー『花触』」
そう、『花触』は人体の『視覚』・『聴覚』・『嗅覚』並びに『触覚』までをも強化する事ができる。特に触覚においては直接触れなくても温度や触感を理解できるまでに感覚を強化する事ができる。
しかし、こういう技には必ずしも欠点があったりする。
「擽ったい……」
戦闘中に使うのであれば、アドレナリン等脳内物質が溢れてくるので特に気にする事なく使えるが、今のような非戦闘時であれば少しの風が吹くだけで悪寒が走るくらい身体の感度が上がってしまう。
祖父位の使い手であるならこういう欠点をまた別の技でカバーしながら使うのだろう。
そんな事を考えながら、目を閉じ周りの環境の造形を感知する。
「……」
私は急に足を止めた。
すぐ先に、およそ30メートルの所に大人の人間位の大きさの感情生命体を感知したのであった。
通常の護衛軍の軍人なら何も感じない程の微弱な『衝動』が周囲一帯に響き渡る。恐らくは私が軽くいなせば消えてしまう程弱々しい感情生命体。
「この感情……『後悔』……」
確かにこの場所に如何にも居そうな感情生命体ではある。私もさっきまで色々何かに後悔をしていた気がするからドンピシャではある。
「……nrob#ton〆saw*i+hsiw%i」
その感情生命体の口からは何か悲しげで小さな声が聞こえた。
「……後悔……か」
「?ti#terger*osla÷uoy%od」
私は腕に力を貯めて、その感情生命体の方へと歩み寄る。相手も此方に気付いたのか臨戦態勢を取った様子が分かった。
「私を煽りにでもきてるの……? でもまぁ、不意打ちはしない……正々堂々と来てよ」
「?rehtegot#eid*uoy〆lliw……yeh」
感情生命体が此方に襲い掛かってくる。
がしかし、足の運びから攻撃を繰り出すまでの動き……そのどれもが遅く、たとえ私が10手程攻撃をする時間を与えようとも、視覚が使えない状況であってもハンデにすらならない力量差であった。
呆れた私は、溜めていた力を緩めた。
「下らない……」
私がそう呟いた瞬間、その感情生命体の拳らしき身体の一部が私に触れるが、むしろ私に触れた事によってダメージを受ける。
「……struh%ti」
そいつが痛がっているような声を出す。なんだかもう、私が弱い者虐めをしているみたいで最低な気分だ。
「痛いの……? ねぇ……痛いのかって聞いてんだよ……?」
私は片手でそいつの身体を掴み上げ、あえて特異能力を使い、今受けたであろう痛みを取り除く。
「人を殴るのは痛いでしょ? 皮も痛い、肉も痛い、骨も痛い。でもさ、一番痛いのは心なんだよ。……分かる? 私はお前なんて、殺したくとも、生かしたくとも無いんだよ」
「……」
「この特異能力はさ、心の痛みまで取り去ってくれるとっても優しい能力なの……私の大切な、私の友達」
私にはその感情生命体がどう思っていたのか、そもそもそいつらに生存本能から来る感情以外あるのかは知らない。
でも、その感情生命体はただ私には怯えていたように見えた。
「……なんでそこで怯えるの……それじゃあまるでただ怒られて怯えてる人みたいじゃん……」
手を離すと一目散にその感情生命体は尻尾を切った蜥蜴のように逃げていった。
「……」
これで良かったのか悪かったのか、今追おうとすればまだ追いつける。
もしかしたら、逃げた先でとてつもなく強くなって、あの『恐怖』のように私達に大きな傷をつけるかもしれない。もしかしたら、『死喰い《タナトス》の樹』のように人類史における最悪な感情生命体になるかもしれない。
でもあれは、きっと……
「自殺しにここに来たけど死にきれなくて、『後悔』した人の成れの果て……昔の私と一緒なんだろうな」
確実に間違いな選択なのだろう……
後悔だけが残る選択なのだろう……
それでも、過去の私とあの感情生命体を照らし合わせてしまったのは私の弱い心。
「もう、子供じゃ無いんだから直さないと」
私はそう呟いた後、帰路に着いた。




